紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

風邪ひきのお祭り1日目

 古本まつりの時期である。

 折悪しく喉をやってしまい、気管支やら洟やら、できれば外出は避けたいくらいの満身創痍の日々が続いていた。

 また今年の初日は大雨。こと昼ごろの豪雨ときたら、先の台風もかくやと思い返すばかりの壮絶な降り方であった。

 当然、青展は中止。この日を待ち構えていた書痴の面々はもちろん、気合を入れて準備をしてきたであろう古書店主たちの落胆がいかばかりであるか、察するに余りある。

 

 そういう二重苦の中にあって、直前まで特選に赴くべきか悩むに悩んだのだが、このお祭りごとに不参加を決め込んでは書痴の風上にも置けぬ体たらくであろうと思い、雨の中呼吸の苦しい体を引きずっていった。

 まあ昨年のごとく、特選の初日と青展とどちらに並ぶべきか、という苦渋の決断を迫られることがない分、特選に並ぶ気持ちは楽であったように思う。

 

吉井勇『恋人』(籾山書店)大5年5月5日 500円

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 背文字はパッと見で認識できなかったが、表紙のテイストがよくて拾ってみた。吉井勇の読者というわけではないものの、装丁が良い本はどうしても手に取ってしまう。そういう買い方だから、あとから題名を思い出せないこともままあったりして、覚えの悪さに嫌気がさす。

 これ、竹久夢二装ではないかと思うのだが、表記がないしネットでちょっと調べたくらいでは情報が見当たらなかった。要調査案件である。

 

田山花袋『残雪』春陽堂)大7年6月19日3版函 400円

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 本じたいは去年の青展で買っていて、それも確か3版だったのだが、函は初めて見た。手に取ったときは函背欠で「これではさすがにちょっと」と思いつつ中を見ると、果たして背が挟まっていたので帰ってから簡単に修理しておいた次第。

 『花袋書目』すら所持していない私にとって、花袋の著作の外装把握は困難を極めている。しかしながら、まあこのころの本であれば珍しかろうと買っておいて、果たして函付きとなるとそこそこの値段のつくことが多いようだ。なお、これも装丁者不明。

 

③沖野岩三郎『煉瓦の雨』(福永書店)大7年10月1日, 富本憲吉装 400円

 ―――――『地に物書く人』(民衆文化協会出版部)大9年12月20日再版 400円

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 沖野の比較的見かけない本2冊である。外装はどちらも欠なれど、『地に物書く人』は表紙周りもきれいに残っている。

 『煉瓦の雨』は、以前どこかの紀要か何かで紙面が復刻されているのを見たことがあったが、手に取ってみるとクロス装に金の箔押しが豪華。巻末に寄せられた文章から富本憲吉によるデザインとわかり、曰く〈表紙に使用した模様は欧洲で食用にする『アーキチヨーク』といふ果実の蕾です。(…)東京に居れば今少し充分な表紙絵か出来たらうにと、余りかけ離れた遠い所に居るのを残念に思ひます(「煉瓦の雨の後に」p.19)〉とある。他にも与謝野夫妻や佐藤春夫あたりも寄稿していて、確かな人脈がうかがえよう。

 『地に物書く人』は装丁者不明。他の沖野本の巻末広告あたりを見れば、あるいはわかるかもしれない。帰宅後、この本をあらためていたところ、遊びの部分に「笙」の蔵書印があった。上笙一郎氏はこんな本も所有していたのだなぁと思う。

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④『文芸倶楽部 第2巻5編』(博文館)明29年5月10日, 三島焦窓木版画 3500円

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 これは一等嬉しかった収穫。私の買う雑誌としては安くないが、まあ樋口一葉「われから」も入っているし、口絵も残っているし、巻末の「雑報」に2丁落丁あるとはいえ相場よりは手ごろな値段かもしれない。

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 それでも嬉しく購入した理由は、ひとえに外装の「袋」を所持していたからに他ならない。以前ここでも紹介したが、ニホン書房で「袋のみ6枚」として買ったうちの1枚に該当する号だったのである。

 袋付の文芸倶楽部は、到底手の届かない値が付けられる(というか高いくらいなら袋などいらない)し、いつか中身を探して「完本」にしようと目論んでいたところ、案外早く実現した格好である。

 「浪六漫筆」なんかはどうでもよいが、文芸倶楽部の袋はあと2枚ある。これくらいの値段での出現を気長に待ちたい。

 

 購入量、購入額ともにいつも通りではあったのだが、大雨の中抱えて帰る量ではなかったので自宅配送を依頼する。特選に限り、5千円以上購入で送料無料となるのが助かる。ついでに1万円以上でクレジット支払い可とあって、買った気がしないまま帰宅したのであった。明日からの浪費がより懸念される。

還元祭

 キャッシュレスの時代である。私は現金でチマチマと支払いをするのが嫌いなので、常に3-4のカードなり支払い手段を持ち歩いていて、それを使い分ける形で日々の買い物を済ませている。

 ところがどうにもキャッシュレスで対応できない支払いというものもいくつかあって、そのうちのひとつが古本屋であった。デパート展を除く即売会でもクレジット決済が導入されれば、買う量が青天井になろうことは措いても、より便利になることは確実だろう。

 と、思っていた矢先にPayPayが台頭し、多くの古本屋でこれが使えるようになった。大変喜ばしいことである。

 今日はその創立祭ということで還元率20%となるから、これを好機とばかりに導入店を駆けずり回ってきた次第である。なお、本日に限り、購入価は還元分を引いて実質的な支払額としてある。

 

 まずはS林堂。

 

夏目漱石『心』岩波書店)平26年11月26日第1刷函帯, 漱石祖父江慎装 80円

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 祖父江氏により、組版から装丁から拘りぬかれた豪華な本である。底本は漱石の自筆原稿で、「…」の数も明らかな誤記もそのままに再現されていると、発刊当時何かの広告で読んだ。

 以前、ブックオフにて「ブックオフ的価格」で売っていたものを購入しているので、実家にあることは確実なのだが、特別な瑕疵もなく汚れもないのに100円均一というのはもったいなく思われ、購入してしまった。

 

②平山三男編著『遺稿「雪国抄」 影印本文と注釈・論考』(桜楓社)平5年9月20日カバー帯 80円

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 知らない本だったが、背文字の「雪国抄」が明らかに川端の筆跡だったので気づくことができた。『雪国抄』と言えば、『雪国』刊行からしばらく経ってから川端が本文を改め、全編毛筆で書いた影印版として出版された本である。

 で、この本はそれを翻刻したうえで細かい注記が付されており、著者のことはよく知らないが意欲作といえよう。そもそも『雪国抄』としては未読なので、まあ研究の一端を触れるような心地でパラ読みしてみたい。

 

三島由紀夫金閣寺(新潮社)昭31年11月30日3版カバー帯, 今野忠一装 80円

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 三島のコレクターではないが、こういう名作が安いとどうしても買ってしまう。

 以前同じくS林堂均一から重版カバー付を購入した。コレクターとして本を買い始める以前の話で、その時は元版が100円というだけで嬉しかったものだが、帯付で100円というのは愈々買わざるを得ない。

 帯といって、映画化等々多くのヴァージョンがあるらしいけれども、これは版数も浅いので初版のそれとほとんど変わらないデザインであるようだ(少なくとも定価は違う)。

 

 そのほか横光利一旅愁』の改造社名作選版4冊揃い*1とか『宝塚歌劇四十年史』とかも拾い、また店内では藤澤清造の新刊『狼の吐息 愛憎一念』を安く購入したり*2で、リュックは満載となった。

 

 この段階で激しい睡魔に襲われていたが、オトワもPaypayが導入されたはずだと向かってみる。

 

④赤い鳥事典編集委員会編『赤い鳥事典』柏書房)平30年8月10日1刷カバー帯 5500円

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 この店では均一から拾って、あと店内で新刊が安かったら買ってもよいか、程度の意識だったのだが、思いがけぬ大物を発見。

 個人的に児童文学には興味があるし、いわゆる「児童文学作家」と呼ばれずとも「赤い鳥」と関連のある作家は多くいる。芥川とか広津あたりがその例である。

 事典というだけあって、辞書のように「引く」よりも研究書として読んでいく方がよさそうだ。気になる数名の作家、未知の作家、また海外作品の受容なんかも詳説されていて、読みごたえは確かであろう。

 

 しかしまあ、5000円というと黒っぽい古本でも少しく好いものが買えるラインなわけで、いまここでこの出費は真綿で頸を締めるが如く、後々効いてきそうである。

*1:ご主人からは「持ってるでしょ、基本だよ」と言われ、確かに私の蒐集分野からすれば、もっと早く買っているはずの本である。逆にいうと今更買うようなところでもないのかもしれないが、元版まで追い求めるほどのファンでもなし、100円で4冊なら安いものであろう。

*2:いい読者かというとそういうわけでもないのだが、やはり藤澤清造関連の資料としては西村賢太の研究は一流である。本文もさることながら、書誌とか年表の方がむしろ気になるところであったのだが、定価での購入は躊躇していた。新刊の講談社文芸文庫が半額以下で買えてしまうのは、この店ならではであろう。

蝸牛露伴(幸田露伴)『葉末集』

 シュミテンの2日目に行った。初日で大収穫=大散財を経験し、もはや落ち穂すら拾うだけの余裕を持ち合わせてはいなかったのだが、通りかかっては寄らなければ末代までの名折れである。

 2日目の列は如何ほどかと会場5分前の古書会館を見てみると、なんと待機人数ゼロ。ここからも初日に来る重要性がわかるというものであろう。

 3点ばかり拾ったが、うち1冊を調べてみるといくつか面白いことが分かったので書き残しておく。

 

●蝸牛露伴幸田露伴)『葉末集』春陽堂)明23年9月10日再版, 後藤芳景挿絵 1000円

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 読みは「はずえしゅう」らしい。収録内容は、目次に以下の通り記載されている。

対髑髏 三篇 第一頁

 是ハ丑どしの十二月作

男児 六回 第五十九頁

 是ハ同じ年十一月病中の作

一刹那 三篇 第八十九頁

 是も同じ年五月旅中の作

真美人 三篇 第百二十三頁

 是ハ寅どし一月の作

  私がわざわざ露伴なぞを購入した理由は、ひとえに「対髑髏」が収録されているためで、おそらく時期として初出単行本であろうと見込んでのことであったが、果たして正解だったようである。各篇の頭には見開きで芳景の木版口絵が入っていて、これも雰囲気が良い。

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 これを購入する段階で気づいたのは、巻末に種々のメディアによる『葉末集』の批評が並んでいることであった。「葉末集」というのは単行本の題名であり、同名の作品が存在するわけではない。従ってここにある「葉末集」の批評というのは、即ち『葉末集』の初版を指すと考えてよいだろう。

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 であるとするならば、この部分は初版には存在せず、再版に際して追加された紙面と考えるのが妥当である。同じような例は、渡辺霞亭『渦巻』でも確認している*1

 ここで初版(明23年6月17日発行)を参照しようと国会図書館デジタルコレクションを参照してみると、やはり批評部分は収録されていなかった。なお、奥付は破れているが、デザイン上初版のものであると推測可能である。

 

 また、デジコレの画面を操作し数ページ戻ってみると、石橋忍月「奇男児の略評」(これは初版再版共通している)の直前、「蝸牛園主人 しるす」というあとがきに当たる頁のノンブルが158となっていた。架蔵の再版ではここが141となっており、再版に際して17ページ分、枚数が減っていることが分かる。

 改版したのだろうと本文1ページ目を見てみたところ、1行当たりの文字数が25から27に増えているほか、変体仮名の選択や極々細かい表現に違いが見られた。「唱ふる者もあら」→「唱ふる者もあら」のごとくである。全体のチェックには及んでいないが、おそらく内容にかかわる異同はないだろうと思われる。

 

 初版、再版はともに布表紙に題箋の貼られた和綴じ本であるが、書肆タコウの販売履歴を見ると、明36年2月16日発行の7版本は紙装であるようだ。なお、同書の奥付にある重版の履歴は以下の通り。

明治23年6月17日 初版

同23年9月10日 再版

同25年1月30日 3版

同25年12月8日 4版

同27年3月3日 5版

同28年10月28日 6版

同36年2月16日 7版

 一覧にすると瞭然とするが、7版のみ後になってからの発行となっているため、紙装は7版からではないかと思われるが、他の版の出現を待ちたい。

 

 

 露伴など、そこまで気にしている作家ではなかったし、古書価で言えば凋落の一途をたどっている作家の代表格ではないか。しかしそれでも、このようにコツコツ調べれば面白いこともわかるのだ、ということが示せたと思う。

 かといって、書誌的に重要でこそあれ、それが何になるのかと問われれば私は未だ答えを導き出せていない。

*1:しかし、本が出てこないので例を示すことができないのは残念である。

朦朧の収穫

 時間を切り売りしていくよりほかに生活を立てる術を持たない下等遊民とはいえ、さすがに余裕がなさすぎる感もある。今日のシュミテンに並ばぬわけにはいかなかったが、行きの電車ですでに眠気に襲われての参戦となった。

 

 到着は9時20分くらいか。ざっと25人くらい、いつものメンバーが先に列をなしている。先頭集団は年々早くなっているとのことであるが、まあ最下層にいれば基本的に良い本を掴むことは可能だ。ただし私の場合、寝不足による集中力の欠落ばかりが懸念なのであった。

 が、そんな杞憂も晴れ渡るほど、名著をたくさん拾うことができたのは嬉しい。

 

夏目漱石『道草』岩波書店)大4年10月10日初版, 津田青楓装 2800円

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 フソウ棚の前に到達したら、やはりまずは電光石火のごとく最上段をチェックするのが最適解だろう。尾崎紅葉『此ぬし』口絵付1500円に次いで掴んだのがこの漱石である。

 漱石といっても、いわゆる「三部作」でないと内容にはそこまで惹かれないのだが、やはり元版は好い。函欠でも構わないし、背のイタミがあるものの、この値段ならいいだろう。

 

②『菊池寛集』春陽堂)昭4年3月28日初版署名限1000部内922番本, 恩地孝四郎装 2500円

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 3冊目に掴んだのはこれ。春陽堂から出された豪華限定本で、革装の三方金。恩地孝四郎のしごとの中でも、とりわけ絢爛なものとして知られているシリーズであろう。確かごく少数部で真珠か何かを埋め込んだヴァージョンもあるのではなかったか。

 作家を問わずとりあえず欲しいと思っていながら、前々回のシュミテンで『里見弴集』函付(たしか1500円くらい)を掴み損ね、まあ里見弴ならそこまで拘りないし、と慰めていたところであった。

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 函欠ではあるけれども、菊池寛の署名は持っていなかったので、その点でもよかったと言える*1。あとこの豪華版で欲しいとなると鏡花くらいだろうか。というか、恥ずかしい話だが、この装丁で何冊発行されたのか把握していないのである。まだまだ勉強が足りない。

 

③内田百閒『冥途』三笠書房)昭9年5月15日再劂第2版函 1500円

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 このごろ少し縁のある百閒。『冥途』の書誌は最近まで知らなかった、とすでに書いたが、正直未だに把握しきってはいない。その、いろいろあるヴァリエーションのうちの1冊を入手できたというわけだ。

 再劂版の初版なるものは、今年の七夕に出品されていた未製本のヴァージョンを指すのだったか。で、再版がこれになり、3版は安規の豹があしらわれた版だと思う。とすると、本の魅力としてはちょっと中途半端な位置取りではないかという気もしなくはないが、それでも革背で背バンドの感じがいいし、ひとまず満足である。

 

④久坂栄二郎『神聖家族』(新潮社)昭14年6月25日帯, 吉田謙吉装 800円

 福田清人国木田独歩(新潮社)昭12年6月1日, 佐伯米子装 800円

 堀辰雄風立ちぬ(新潮社)昭12年6月1日初版, 鈴木信太郎装 1000円

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 新潮社の新選純文学叢書が3冊も発見できた。堀辰雄のみ、ムシャ書房からの拾い物である。

 このうち『神聖家族』は帯までついていて、特に安く感じる。たぶんこの叢書は全冊に帯が存在するのだと思うが、なぜかあまり残っていない印象だ。架蔵の帯付はこれで2冊目である。

 また『風立ちぬ』は7版を所持しているが、これは背欠なれど腐っても初版だしよいだろう。これの重刷で表紙のフォントが変わる現象は、他のタイトルでも起こるのだろうか。というか、重版がどれだけ出されたのか疑問になるほど地味なラインナップである。

 

⑤杉浦翠子『かなしき歌人の群』(福永書店)昭2年3月5日函署名識語, 杉浦非水装 4500円

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 これは棚から拾ったのではなく、ムシャ書房の注文品である。非水装だし興味はありながら悩んでいたところ、御主人から「目録には書き洩らしたけど署名識語入りだよ」とお伝えいただいたので買ってみた。

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 やはり非水は好い。少し函の地が欠けているが、並べて見る分には問題ない。ただ残念なことに、不勉強な私には達筆なる識語が判読できないのだった。

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 巻末には「翠子夫人の肉筆短冊をお頒ちいたします」と応募用紙が挿まれている。書き方からして応募者全員サービスだろうが、本自体が2円30銭なのに対し、短冊代は1円、なかなかお手頃価格だと思う。如何ほどの応募があったのであろうか。

 

⑥「与謝野寛写真 他」2500円

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 今日の大収穫にあって、一番の珍品である。最上段の右端にひっそりと置かれていて、開始後5分くらいは誰も気にとめていなかったらしい。見た目は平々凡々たるアルバムながら、単行本と並べてあるのが妙に浮いていて、ピンときたため確保してみた。

 中身を確認してみると、数葉の欠落もありつつ、与謝野鉄幹の家族写真とか関連人物の写真がぽつぽつ収録されている。また関連する寺、原稿や碑の類の写真まで入っていて、おそらく研究者がまとめたものだろうと思う*2が、貴重な品であることは間違いない。フソウさんからも「それ、絶対面白いと思うよ」とお墨付きを頂戴した。

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 正直言うと、鉄幹も晶子もそこまで詳しくはないので、これを機に少し勉強してみようと思っている。

 

 ともあれ散財に次ぐ散財である。こうした大収穫に加え、陰で大物を買ったりしているから、今日の総額は3万を超えてしまった。いや個々の価値を考えればむろんバカ安だとは思うのだが、金銭的に余裕のない市民としては蛮行を働いたとしか言いようがない。

 まして来月は古本まつりが開催される。去年ほどは買わないにしても、セーブしておかないと体力が持ちそうにない。

*1:あくまでほかの作家と比べた時の話であるが、菊池寛の署名はあまり見かけない気がする。立場上、献本も相当していたのではないかと思うのだが。あるいは単に私の視野が狭窄だからか。

*2:この頃蔵書が放出されている上笙一郎与謝野晶子の研究をしていたはずだが、まさか。

タイミングで幸運を掴む

 マドテンである。

 が、来週にはシュミテンも控えているし、今月はちょっと余裕もないため、思い切って初日に並ぶのはやめにした。下等遊民としては失格の烙印を押されてもゆめゆめ文句は言えぬ体たらくだ。

 で、2日目の11時くらいに悠然と会場入りしたのであるが、やはりこの剣呑とした雰囲気はよい。初日のごった返しで手を伸ばし伸ばし掴み取ってゆくのはやはりストレスフルである。

 

①『苦楽 創刊号』(苦楽社)昭21年11月1日, 鏑木清方表紙絵 500円

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 なんとなくケヤキの棚を見ていると、雑誌を手に取りながら、独り言としてはデカすぎる声でつぶやくおじさんがいた。これとて、古書展においては日常風景である。その延長でこちらに話しかけてくる手合いは困りものだが、今回はそのような素振りもなく、私は自分の漁書に集中していた。

 するとそのつぶやきの中に「……苦楽……苦楽の創刊号……」と聞こえたのに思わずハッとして、おじさんの手元を見てしまった。目次をパラりと見たのちすぐに棚に戻したので無事、私の収穫となったこれは、実は坊っちゃん案件。中川一政による「名作絵物語 坊っちゃん」が掲載されているのである。

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 絵は8枚しかなく、抜粋された本文も梗概を理解するに足る量ではないと思うのだが、当時の受容具合としては興味深いのではないか。

 この「名作絵物語」はその後も続いたようで、同じ棚から「羅生門」掲載の号を拾っておいた(絵は石井鶴三)が、何編くらい描かれたのであろうか。

 

久米元一『世界少年少女名作物語31 ジャンバルヂャン』講談社)昭9年9月25日再版, 平賀晟豪装、寺田良作挿絵 600円

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 今日はアルスの日本児童文庫とか童話関連の本がアキツにたくさん転がっていた。これも上笙一郎がらみであろうか*1

 本書、タイトルから『レ・ミゼラブル』の翻案とわかるが、ユゴーの名前はクレジットされていない。どころか、挿絵を見てゆくと、明らかにエミール・バヤールの高名な木版画と同じ構図というのはいかがなものかと思う。

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 今なら決して許されないだろうが、まあこの脱力感も魅力ではある。

 

③山代巴『蕗のとう』(暁明社)昭24年11月7日再版帯, 赤松俊子装・挿絵 200円

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 よく知らない作家の全く知らない本だが、帯も含め状態は良く、中野重治佐多稲子の帯文があるということはプロ文と関連があるのではないか、と思って購入してみた。

 裏表紙には読売新聞評があり、次のように記されている。

刑務所の隣房で放火犯の女がうたう「ふきのとう」の子守歌の哀調に思想犯の女のたどつたつつましく雄々しい解放運動の姿がなえあわされて全篇美しい詩となつている。ことに「ふきのとう」「家」の章は日本女性の苦るしさを物語つて傑作とまでいえるすぐれた文章である。

この評じたいの文章がまずいのはよいとして、ちょっと面白そうな内容である。

 ネットで検索すると「丸木美術館学芸員日誌」なるサイトで本書が紹介されていて、さる人物より寄贈を受けたのだとある。添付された写真の中にカバーらしきもののものがあるのだが、この再版には帯だけが綺麗にまかれているので、外装がカバー装→帯装へと変化したと考えるのが自然ではないか。改めて日本の古本屋を見ると、カバー付の同書がヒットするが、記述からするにこれも初版であろう。

 なお、奥付には派手な誤植があり、「1949年7月20日初版発行」に対し、「1449年11月7日再版発行」と印刷されている。

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* * * *

 

その後、少しご無沙汰だったフソウ事務所へ。うだうだと長話に興じつつも、やはり古本は買ってしまう。

 

邦枝完二邦枝完二代表作全集第1巻 お伝地獄』(新日本社)昭11年9月19日函署名, 小村雪岱装 3000円

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 フソウに棚を作っている方は数人いるのだが、そのうちのお一方が追加分を持ってこられ、その分置けなくなった数冊を持って帰ろうとしていた。いい本だったので函から出して拝見していたところ、「お安くしますよ」というのでしばし交渉、というか、あまりにもすんなりと大幅な値下げをしてくださった。元値もバカ高い印象はなく、ただ今の懐事情と僕の興味から言ってコレでは買えないなという価格であったのが、逃してはコレクターの恥と言っても過言ではないラインに至ったのは感謝であり、ややもすれば申し訳なくもある。

 タイトルはいわゆる「雪岱文字」ではないが、表紙絵とか挿絵は雪岱の手によっている。

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そもそもが美しい造りなうえ、本冊の白地は実に綺麗に残っており、まあ美本と言っていいだろう。見開きで挟み込まれる挿絵も嬉しい。また邦枝の署名というのも初入手である。

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⑤内田百閒『続百鬼園随筆三笠書房)昭9年5月20日初版限1000部内806番本, 谷中安規画及刻 1000円

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 これも同じ方から購入したもの。これとて元値も高くなかったが、セット購入ということでお得にして頂けた。函欠ながら、天金革背のしっかりした蔵本と安規の木版が楽しめる良い本である。

 百閒の本は特別追いかけているわけでなく、『冥途』のずいぶんと複雑な書誌についても最近まで全く知らなかったし、まして相場感など皆無に等しい。随筆として、あるいは本としての魅力を勘案して、安いと思えるものに限って購入しているのだが、よく考えたらそれは蒐集全般における私のスタイルともいえるのかもしれない。

 

 ともあれ古書展での幸運と、人脈の運とに浴して収穫の得られた土曜日であった。来週のシュミテンにも期待したいところである。

*1:実は今日も、前回のマドテンで購入したのと同じ「笙」印の入った本は見つけたのだが、山室軍平がらみのもので、別段興味はなかったので見送った。ツブシになってしまうともったいない気もするが。

閑暇の葉月

 まあ健康的と言えば健康的なことではあるのだが、8月はほとんど古本屋をめぐる暇がなかった。また目ぼしい即売会も見受けられなかったため、駆け出しのコレクターといえど少しくフラストレーションみたようなものがたまってしまう。

 来月はシュミテンもマドテンもまとまってやってくるから節制は必要だが、日々の困憊を慰める術をほかにほとんど知らないとあっては、僅かな時間をやりくりして身近な古書店に駆け込むよりほかないのだ。

 

①『文豪とアルケミスト オフィシャルキャラクターブック』一迅社)平29年2月22日2刷カバー 200円

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 このごろ足が遠のいていた、ブックオフでの買い物である。

 ブックオフというと、一昔前は古書マニヤならずともポツポツ拾い物ができることは広く知られていて、私においても、100円の文庫コーナーからお得な買い物をした記憶は1つや2つではない。

 ここ数年はしかし、ネット相場を強烈に反映した値付けとなってしまい、100円コーナーを見やっても「100円コーナー」然としたラインナップしか見られなくなってしまった。比較的高い棚にしても、下手をすると法外なプレミア価格*1を導入していたりして、購買層をどこに求めているのかよくわからない状況となっている。

 

 で、店舗を問わずあんまり入店しなくなってしまったのだが、気が向いたので自宅からちょっと距離のある店舗へ行くと、思いのほかいろいろと拾うことができた。多田克己『幻想世界の住人たち4』とか平凡社ライブラリー『増補にほんのうた』とかが100円というのは嬉しい収穫だ。

 文アルのキャラクターブックも、この値段でなければ買わなかったが、定価2000円なのに同じ値段で2冊も刺さっていたことからするに、もうブームは去りつつあるのだろう。一プレイヤーとしては少し寂しいものがある。

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 ちょっとゲーム要素というか、「女性向け」を意識した創作も交じっているものの設定は史実を踏まえているし、相関図も参考になるからファンとしては持っておきたい、と書こうと思ったけれども、ファンならもっと立ち絵のヴァリエーションとかを求めてしかるべきであろうとも思う。

 

②中本たか子『南部鉄瓶工』(新潮社)昭13年4月1日, 田口省吾装 864円

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 三鷹の輪転舎は、自宅からだと少し億劫な距離にあるのが難点だが、ほぼ毎回何かしら拾えるので早くも定点観測地点と化している。

 店内の、黒っぽい近代文学棚(?)に刺さっていたこれは、新潮社の新選純文学叢書の1冊。以前購入した鑓田研一『島崎藤村』、堀辰雄風立ちぬ』と同じ叢書で、未だ太宰への購買欲は捨てきれぬものの、安いものでポツポツ揃えられたらなぁと思っていたところだった。

 中本たか子じたい、閨秀作家として興味がなくはないけれど、本書の内容は別段読みたいというほどでもない。ただこのシリーズは装丁が良く、特にタイトルに使われている丸ゴシックみたいなフォントが好みであるから、今後もこのくらいの価格帯で蒐集していきたいと思う。

 

③北田内蔵司『百貨店と連鎖店』(誠文堂)昭6年10月20日函 864円

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 同じく輪転舎から。店内は安い本が多いから、これとて高めと映ったけれども、内容は貴重だと思う。

 百貨店はともかくとして、連鎖店という言葉は実のところ知らなかったが、チェーン店と言えばどういうものか理解はできる。というのも、当時は個々の商店が独立してあるのがふつうで、今のようにセブンイレブンとかミスタードーナツとかいうふうに同じ看板を掲げて各所に店舗がある、という営業形態は主流ではなかったのだ。「大量仕入と多量販売を目的とする経営法に依る小売店(p.319)」と解説されているのは、町の八百屋が大型スーパーマーケット群に駆逐されたのを想像すればわかりやすい。

 古書価としてマイナスである本文の赤線は、理解を深めやすくなると個人的には思っているし、図版も比較的多いのが楽しい。

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しかし画像が荒めなのは残念。このあたりの商店の在り方に興味があるのだが、内装の写真はなかなか残っていないのである。

 

桜井勝美志賀直哉随聞記』(宝文館出版)平元年8月30日初版カバー帯 100円

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 S林堂の均一より。近代の本で嬉しい拾い物もぽつぽつあるのだけれども、これは内容が目当て。

 桜井と言う筆者、研究者というわけではないようなのだが、志賀直哉に関する卒論を書き上げたのち、諏訪町の志賀邸に赴いて手渡しで感想を求めている。そののち交流が続いたようで、志賀直哉から直接聞いた話をまとめたのが本書の前半部というわけだ(後半分は筆者のエッセイで、北川冬彦や村野四郎といった詩人を中心とした内容である)。

 まあ個人的に志賀は好きな作家だが、研究書とか証言まで細かく追っておらず、ここに記された内容がどれほど界隈に知られた事実なのかは判断がつかない。けれども、例えば次のような一節は私としては未知の事柄であって、志賀直哉の思想の一端を知られたようで嬉しい。

「鴎外さん(先生は鴎外さんといわれた)は、美学とか哲学には玄人だが、文学の仕事の上では素人といえる。これが弱わみだと思うね。ぼくたちは文学の道では玄人だと思う。」

と云われ、つづいて有島武郎については、

「武郎さんも素人のところがあり、弱さがある。」

とも云われた。(p.18)

  このごろようやく文学の内容とか文学観とかいった、小難しいものを扱った文章の読み方が分かってきたように思う。学生時代の修行不足を呪うとともに、楽しみが増えたような心地だ。

 

 

 古本は買っていないと書いたが、S林堂で販売されているあれこれを始めとして、新刊本の購入が続いているから、結果的に書籍購入費は例月並である。これで息切れしないのが不思議なくらいだ。

*1:今は亡き渋谷センター街店だったか、サンリオSF文庫に手書きの値札でプレミア価格をつけているのを見たことがある。タイトルは失念したが、下手をすれば100円で投げ売りされるほどよく見かけるものに数千円をつけていて、ようするに個々のタイトルの希少性までは把握していないのに、「サンリオSFは高い」という生半可な知識だけでやっているのだなと落胆したことだった。が、他方で100円コーナーにはブラッドベリ『万華鏡』が転がっていて、まあこれは買ってもいいだろうと不可思議な気分のまま購入した。

7月の後悔

 なかなか熱気の訪れない7月であった。七夕古書入札会とかシュミテンとかの恒例行事に加え、池袋にも行ったものだから、散財に次ぐ散財である*1

 そんな中にあって、実は7月冒頭、ネットに相次いで良品が出品された。どちらも近代文学コレクターの端くれとしては持っておくべき参考書で、且つこの値段なら即決で買ってもよいだろうというところであった。それが痛恨となり、振り返ってみれば7月の1ヶ月で10万円分も本を購入してしまっているのだった。月初めの出来事だからそれ以降を摂生に努めればよかったものを、と今になって思う次第である。

 

①橘弘一郎『谷崎潤一郎先生著書目録 第壱巻』(ギャラリー吾八)昭39年7月24日帙限234部記番外署名落款献呈署名箋貼付附録付

 ――――『谷崎潤一郎先生著書目録 第弐巻』(ギャラリー吾八)昭40年4月8日帙限234部記番外署名落款献呈箋附録付

 ――――『谷崎潤一郎先生著書目録 第参巻』(ギャラリー吾八)昭41年1月9日帙限234部記番外署名落款献呈箋附録・愛読者カード付

 ――――『谷崎潤一郎先生著書目録 別巻』(ギャラリー吾八)昭41年10月10日限234部記番外署名落款献呈箋附録付 9699円

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 谷崎の書誌としては決定版であろう。大半はモノクロながら後版までのほとんどが写真入りで紹介されている。また、外装についても著者が確認したものについてはきっちり記載されているのが良い。「おそらく函」と書いていて、後の巻で「あれはカバーと判明した」とあったりするので、参照する際には注意が必要だが、まあこのあたりは昨今のネット時代、調べる方法はいくらでもあるだろう。

 ヤフオクで某古書店のアカウントから購入したのだが、届いてみると商品説明欄にない署名箋が張り付けてあった。

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 あの中村光夫と考えて間違いなかろう。このセットはどれも署名入りのはずだから、あえて「献呈署名」とまで掲載しなかったのかもしれないが、嬉しいオマケであった。

 ところでこの本、先日の七夕に出品されていたものは、4冊を覆う形のビニールカバーがあり、その上から緑の函、という外装であった。が、今回入手したこれは1巻から3巻にはそれぞれボール紙の帙がつき、3巻までが帙ごと件の緑函に入っていて、4巻目は裸ではみ出している。緑函は同じものだが、帙の厚み分だけ4冊目が格納できないということである。無記番だとか献呈用だとか、そのあたりが関わっているのかもしれないので、こんど研究者の方にうかがってみるとしよう。

 

川島幸希責任編集/東原武文編集協力『初版本 創刊号』(人魚書房)平19年7月30日限300部

 同『初版本 第2号』(人魚書房)平19年12月31日限300部

 同『初版本 第3号』(人魚書房)平20年6月30日限300部

 同『初版本 終刊号』(人魚書房)平20年12月31日限300部 19508円

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 私のような若輩コレクターにとっては伝説の雑誌である。川島幸希氏が編集し、有数のコレクターが寄り集まって各々の得意とする古書話に花を咲かせた、とことん趣味一辺倒の雑誌だ。

 全4冊ながら揃いではなかなか見かけず、かつて10万円で取引されたことがあるとかいう話だが、背ヤケあるとはいっても全巻セットで2万というのはちょうどいい感じと思う。今ヤフオクに出品されている、最終巻欠で4万ちょいというのはさすがに無理があろう。

 川島幸希氏の著作の多くは古書通信の連載に加筆したものであるから、教科書として参照する分にはひとまずコピーで事足りる*2。しかしこの4冊に収録されているのはどれも書下ろしで、だからこそ待望の入手だったわけだ。

 実はこの雑誌、端本で2巻と4巻とをすでに架蔵していて、すなわち2冊分ダブったことになるが、これはまあどうとでも処理できよう。1冊5千円くらいなら買い手もつくと見込んでいるが果たして。

 

 

 と、いう2件の購入で合計3万円。通常の古書展換算で1.5回分といったところか。まあ8月中は大きなイベントもないから、どうにか暮らしてはいけそうだが。

*1:むろん、七夕では落札に至らなかったので出費にはカウントされない。

*2:具体的な購入価格とか、単行本でしか読めない情報もあるにはあるのだが、だいたい1冊5万円くらいなのでオイソレと購えない。