紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

マドテン

 雨で出足が鈍いかと期待していったのだが、そんなことはなかった。涼しいというから少ししっかり目な格好をしていったのも裏目に出、会場はひとが多いのもあって汗を滴らせることとなってしまった。

 

 シュミテンではないから、という理由がどこまでの漁書家に言えるのか不明なれど、やはり比較的殺気が落ち着いている印象であった。といってもスピード勝負に変わりはないので、めぼしいところは電光石火のごとく手早く掴み取らなくてはならない。

 今日の収穫はというと、コレという大物はなかったような感じがする。けれども「あーこれ欲しかったんだよね」程度の探求書はぽつぽつ買えたので嬉しかった。蓋しこの感じがシュミテンとマドテンとの(極端に突っ込んでいえばフソウさんとアキツさんとの)違いなわけだが、どちらもそれぞれに魅力があることは言うまでもない。

 

近藤浩一路『漫画坊っちゃん(新潮社)大7年11月6日初版 2500円

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 これは『坊っちゃん』関連本のなかでも個人的優先度の高い本で、開始早々アキツのメイン棚に向かう途中、タスキ本コーナーから掻っ攫うことができた。龍星閣の『画譜 坊っちゃん』も持っているけど、やっぱり最初のこれが一番いい。ちょっと前に岩波文庫で復刊されてもいるが、買ったかどうか記憶がすでにない。

 背の痛みが激しく、また表紙の意匠も一部が損なわれている。絵入りの白い紙が表紙に張られたようなデザインだが、留めている赤いテープが右上にも付くらしい(跡だけ残っている)。状態云々以前に相場を把握していないのだが、初版ならよいかなという買い物であった。

 

夏目漱石『こころ』岩波書店)大8年2月25日16版縮刷, 漱石装 200円

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 言わずと知れた漱石自身の手による装丁の本。函はないけどそこそこ綺麗な状態だと思う。古書展で見つけたのは初めてなのだが、縮刷で裸だとこんな値段で転がしてあるものなのだろうか。これで元版(これも裸)と縮刷とが揃って『こころ』はひとまず好しとしたい。

 今日は『鶉籠 虞美人草』の縮刷(66版)も裸で買ったが、これは坊っちゃん案件なので安ければ何冊でも買う所存だ。

 

有島武郎『或女』後編(新潮社)大8年6月16日初版, 有島生馬装 500円

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 全く不精なことと自分のことながら嫌気がさしているのだが、新潮社の有島武郎著作集はどれを持っているのかわからなくなってしまった。したがって300円とかで転がっていても、うかつに買うことができぬ日々を過ごしているわけだ。

 『或る女』は代表作と目されるだけあって重版でも比較的見かけない印象を持っていて、むろん未所持であった。後編だけとはいっても初版でこの値段なのは夥しい書き込みのためだが、これはこれで読むと面白いので私にとってマイナスとはならない。

 

④渡辺霞亭『小説 渦巻』上(隆文館)大3年2月2日19版, 杉浦非水装 1000円

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 正直あんまり知らない本だったが、会場で先輩にお譲りいただいた*1。重版が続いていることから察せるように、当時は一大ブームになった作品ということだ。冒頭には写真版で当時流行した渦巻柄の解説があり、巻末には「渦巻同情録(其一)」として、新聞連載を読んだ読者の感想がずらりと並んでいる。これは初版にはないとのことである。装丁は非水で、キュートな小動物が散りばめられているのが大変すばらしい。

 春葉の『生さぬ仲』とか島清の『地上』なんかもそうだけど、明治大正期のベストセラーがなぜ現代で一切無名なのか、興味はあるのだけれども参考文献を入手できずにいる。『ベストセラーのゆくえ』あたりを読めば見えてきそうなものだが。

 

⑤岩野泡鳴『放浪』(新潮社)大9年11月15日4版函 400円

 ――――『断橋』(同)大8年9月28日初版函 700円

 ――――『憑き物』(同)大9年5月20日初版函 700円

 ――――『発展』(同)大9年7月8日初版函 500円

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 「泡鳴五部作叢書」なるシリーズである。初めは全く気にしていなかったのだが、どうやら重複なく転がっているようだったので拾い集めたところ、Ⅰ~Ⅳの4冊が見つかった。五部作のうち4冊だけあってもなぁという思いと、せっかく函付きで見つけたのだからこれを好機と買っておくべきだという思いとが相克して、悩みぬいたが買ってしまった。

 会計のち、帰り道では少々後悔がこみあげてきた。そこまで安くなかったというのはまだいいのだが、収納スペースに限りがある中、特別興味のあるでもない泡鳴の不揃いを買ってしまったというのが愚かしく惨めに感じられたのだ。

 しかし帰ってから調べてみると、どうやら5巻目の『毒薬女*2』は刊行されなかったらしいのだ。我ながら運がいい。つまるところ私が今回購入したのは、叢書の揃いということになる。となれば途端に満足というか、肩の荷が下りた心地がするのだから古本はよくわからない世界だ。

*1:『渦巻』と聞いて私はまず上田敏の『うづまき』を連想してしまった。これも持っているのだが、例に漏れずどこへやったか見当がつかない。

*2:『毒薬を飲む女』と記憶していたが、そもそも中央公論に掲載されたときは『未練』というタイトルで、のちに滝田樗陰の提言によって『毒薬女』に改題、さらにその後再び改題されて『毒薬を飲む女』になったとのこと。