嵐過ぎて秋の購買
大阪への遠征を果たし、かねての想定以上に優品を購入した私は、今月もう本など買うまいとの決意を固めていた。厳密には、よく行く店に取りおいて頂いている8000円の支払いもあるので気もそぞろであるが、ともかく無駄な出費は控えようと自宅にこもり続けている。
ところがこの文明の時代、21世紀に生きる私達は、家を一歩も出ずにほとんどあらゆるものを購入できる手段を知っているのだ。ネットはかくも恐ろしいと痛感せざるを得ない。
①陽気幽平『恐怖の爪』(グッピー書林plus)平22年1月1日限300部内163番本 2560円(含送料)
ずっと探していた本の入手がかなった。陽気幽平は兎月書房に書いていた貸本漫画作家で、多分に漏れず人口に膾炙した人物ではないが、グッピー書林から発行されたこの「陽気幽平experience」というシリーズによって代表作がずいぶんと読めるようになっている。かくいう私も、このexperienceシリーズ*1を入手して初めて陽気を知ったのだった。
しかし、この復刻とて発行から時間がたってしまっている。Ⅰの『ケケカカ物語 とり小僧』とⅡの『首帰える おぶさりダルマ』は平成20年に出されたもので、すでに10年が経過しているため、古書店で偶然見つけたのは僥倖だったというべきだろう。
ⅠとⅡを読んで陽気幽平に惹かれた私は、しかるべくⅢを探し始めたのだが、これが一向に見つからない。一度だけ15000円というバカ値のものは発見できたが、さすがに出せる金額ではなかった(し、買うべきでない値段であることも分かっていた)。
で、この度の入手。これも実に運がよかった。先日の好美のぼる購入から、ふと「陽気幽平出品されてないかな」と思い立ってヤフオクを検索したところ、なんと本日終了の1点が出品されているではないか。すぐさま札を投じ、ライバルの応札もなくすんなり落手することができた。特典ペーパーもしっかり付属した完本で、秋の夜長にゆっくり楽しみたいと思う。
②菊地康雄『現代詩の胎動期 青い階段をのぼる詩人たち』(現文社)昭42年10月15日初函帯, 南田洋装 258円(含送料)
この本を知ったのは、書痴の間では伝説的な雑誌『初版本』の第2号*2に寄稿された、東原武文氏(a.k.a. フソウさん)の文「逸見猶吉 詩と絵画の接点」による。
私は詩心がイマイチであるのみならず、文学に関して不勉強が目立つ質であるから、正直なところ逸見猶吉の名はほぼこの稿が初見であった。それでもフソウさんのお話は大変に面白く参考になったわけだが、中でもここに挙げた『現代詩の胎動期』と改定前の『青い階段をのぼる詩人たち』(青銅社)をして「以後、昭和詩史についての研究書は数多く出版されたが、私にとってこの二冊を超えるものはなかった」とまで言っているのが興味深く、こちらも偶々思い立ってアマゾンで検索したら1円出品されていたので注文した次第である。
もう少し軽いものを想定していたのだが、非常に分厚い本が届いた。冒頭には見たこともないような詩誌の表紙写真が掲げられていて、内容としてもたぶん私の知らない詩史が紹介されているようだ。これはしっかり腰を据えて読むべき、ある種の風格を備えた本だと思うし、又これからを考えると読んでおかなくてはならない本だとも思う。
知られた本ではないのかもしれないし、平成になってから出された本により充実したものがあるのかもしれないが、それにしても1円というのは安すぎるのではないか。ビニカバ欠だとしても、読むうえで別に必要ない。おまけに「『青い階段をのぼる詩人たち』書評集」なる小冊子まで挟み込まれていた。
本書が詩史においてどう位置づけられるかというのを考えるうえで、ちょっと面白い資料だと思う。
探していた本、内容からすれば箆棒に安い本を購入したわけだが、前にも書いたようにこれは運がすぐれてよいわけではないだろう。ただ蒐集の幅、興味の範囲が広がり、母数即ち「欲しい本」が増えたが故に「探していた本」が見つかりやすくなったにすぎないのだ。どこかで線引きを明確にしなくてはとは思うものの、こうなってはもう歯止めが利かぬ。