紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

徳永直『太陽のない街』

 フソウ目録の注文品が届いた。相場からすれば安い方だと思うのだが、なにしろプロ文を好きこのんで集める人は多くないようだから、夜分のFax注文でも無事に残っていたのである。

 

●徳永直『太陽のない街(戦旗社)昭4年11月30日初, 柳瀬正夢装 6000円

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 イタミがあるとの記載であったが、背の文字はどうにか読めるし、初版でこれならいい買い物だったと思う。

 ところで、同書についてはまずまずきれいな3版本をすでに所持している。

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多聞に漏れず背の歪みはあるものの、表紙周りはシミも少なく好印象だと思っている。ちなみに本ブログのヘッダー画像にあるのもこの本である。

 で、初版本にこだわりのない私が、有名作とはいえ地味なジャンルのプロレタリア文学作品をわざわざ初版で入手したのには理由があって、それは本作の奥付が、版によってぐちゃぐちゃに混乱しているためなのだ。

 

  管見に入った本の奥付表記を以下に列挙する。なお、ここでは日付の異同に注目するため、漢数字はローマ数字に直し、元の配置は無視して1列に並べるものとした。また、版数の明らかでないものも2パターンあり、これらは10版以降と推定して並べた。

 

①(初版) 昭和4年11月27日印刷 昭和4年11月30日発行

②(再版) 昭和4年11月28日印刷 昭和4年12月1日再版発行

③(3版) 昭和4年11月29日印刷 昭和4年12月2日3版発行

④(10版) 昭和4年12月1日印刷 昭和4年12月4日発行 昭和4年12月5日10版発行

昭和4年11月27日印刷 昭和5年4月5日発行 自7500部 至8500部

昭和4年11月27日印刷 昭和5年1月20日発行 自10000部 至11500部

⑦(復刻) 昭和4年12月1日印刷 昭和4年12月4日発行

 

 上を見てまず気づくのは、印刷日が版によってまちまちであることだろう。ふつう、奥付に記されるのは初版印刷日・初版発行日・重版発行日の並びで、従って「〇年〇月〇日印刷」とある日付は、どの版においても同じはずである。①から④までの流れを見ると、印刷日が初版のそれではなく、各版の印刷日である可能性もありそうに思えるが、⑤⑥の印刷日は初版のそれと同じ(通例通り)であるから、一貫性がない。

 版数不明の⑤⑥は部数が記されている。これを見れば⑤のほうが先らしいが、発行日を見ると逆に⑥が先となっている。この2種にのみ版数が記載されていないことと印刷日の表記とを考えると、①~④グループと⑤⑥グループとでは表記のルールが違っているのかもしれない。すなわち、①~④では各版の印刷日を、⑤⑥では初版印刷日を表記したのではないか。

 

 ところで⑦は、近代文学館発行の「特選 名著復刻全集」の1冊で、小田切進の解題によれば、復刻に際して①③④⑥の版を参照したとのことである。

 しかし上に記した通り、復刻⑦の奥付は初版のそれと大きく異なる。この点について、解題では「初版本は初め一一月二七日印刷、三〇日発行と印刷された奥付に、一二月一日印刷、四日発行の貼紙による訂正がおこなわれており、(…)日付に若干の混乱が見られる」と言及されている。また【復刻について】では次のような記載があった。

初版本刊行年月日の貼紙については当時の関係者の記憶などによる推測では、貼紙奥付本は納本対策で、貼紙下の日付本はそれより早く出回ったのではないかと思われ、従って初版本奥付二種類あるのではないかということである。管見できたのは某図書館所蔵の貼紙奥付の初版本のみで、異例のことだが復刻版用底本には某氏所蔵の三版本を使用し、その初版本と一字一句詳細に照合(版は全く同じであるが、活字の欠けなどがある)して再現に努めた。(p.135)

  はっきりとは言及されていないが、復刻の奥付では「貼紙奥付」の日付を参照し、それを貼紙でなく本冊への印刷として再現してしまったようだ。国会図書館蔵の初版本はやはり「貼紙奥付本」らしいが、私のものに貼紙はなく、剥がしたような跡もない。この点については、やはり納本対策なのだろうと思うけれども、貼紙本を見たことがないので推測すらできないのが残念だ。

 

 また、復刻解題によれば、表紙と扉の用紙の色にも版によって違いがみられるらしい。

表紙と扉の用紙も版ごとに異同があり、初版では黄・白(ややクリーム色がかっている、以下同じ)、再版では黄・黄、三版では白・白、一〇版では白・黄の用紙が用いられている。(p.133)

  私が持っている初版と3版を例にとると、表紙の色が前者は黄色、後者はクリーム色がかった白になっているということだが、上に挙げたスキャン画像を見ても判然としない。経年ヤケなのか元の色なのかがわからなくなっているというのもあろうけれども、あるいは他の版を参照すればもっと明確な違いがみられるのだろうか(所持している2冊では、どちらも扉の色が白とされているので、その点は比較できない)。

 

 こういうどうでもいいような、しかし書誌的には重要なことこそ書いておきたいのだ。私の漁書趣味に学術的意義が少しでもあるとするならば、こうした点にこそ認められるだろうし、調査がてらブログにまとめておくのも記録としては面白いと思う。

 『太陽のない街』についていえば、「昭和5年発行」の「初版本」を売っている古書店が少なからずあるようだし、「昭和5年発行」の「初版本」を購入したというツイートを見たこともある。それとて元版には違いないから無価値ではないものの、古書の正しい知識として、こういう事例もあるのだということは知っておかねばなるまい。