紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

100均周遊

 忙しい、と偉そうなことをのたまえるようなヤンゴトナイ身分ではないのだが、貧乏暇なしとは正にその通りである。睡眠もそこそこに出掛け、文化的活動に興じたかと思いきや、その間隙を埋めるのはやはり本。

 

 いちおうの目的は日本近代文学館である。今週まで開催の「矢来町のたからもの―佐藤俊夫新潮社元会長旧蔵資料の輝き―」を見ておこうと訪うた。この展示じたいは、過去に観たことがあって、もう1年前に新潮社のla kaguなるイベントスペースで開催されたものだ。折しも文アルブームがが燃えに燃えていた時期である*1から、文学資料展というよりもそのコラボという側面が強く、会場にはキャラクターのパネルなども設置され、若い文豪好きの女性がつめかけていた。

 ということで既にじっくり観たモノではあったけれども、資料としては一級品だし、招待券を頂戴していたというのもあってザっと再確認しておいた次第。『其面影』草稿とか、『斜陽』原稿とか、ふつうに置いてあるがやっぱりすごい発見だ。それから、これは以前展示されていた記憶がなく、私自身の目が節穴だったということになるわけだが、新潮社刊『有島武郎著作集』の、タイトル部分が楕円形にくりぬかれた元パラをようやく確認できた。残っている本は稀なのだろうなぁと思う。

 同時開催の「小川国夫展―はじめに言葉/光ありき―」も、あまり詳しくない作家ということがあって楽しく見学させてもらった。

 

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 特に目的があるでもないが、近文あとは下北沢散策が定番となってしまった。となれば、個人的拾い物頻度が高いホンキチを覗かざるを得ない。

 

田山花袋小栗風葉共編『二十八人集』(新潮社)明41年4月15日, 満谷国四郎・小杉未醒絵 100円

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 病に伏せる国木田独歩を励ますべく、仲間の作家たちが出版したという名著である。実は以前フソウ事務所で300円というのを購入していて、これも激安ではあったのだが目次が欠であった。落丁そのものは気にしていなかったけれども、今回ページの揃ったのが100円で並んでいて、いい本なのにこの値段というのが哀しくなって買ってしまった。

 こののち、同年6月23日の独歩の逝去に伴って、同じ新潮社から『病牀録』が刊行されるのは7月15日である。『病牀録』に採録されている真山青果の「国木田独歩氏の病状を報ずる書」という文には、病床で『二十八人集』の重版の知らせ*2を受けて喜ぶ独歩の姿が見て取れる。

二版、三版、四版と改版毎に送り来る同書を枕頭に置きては、目を慰め心を怡しましめて居る。売行きの好況を新潮社より申送り来るごとに、何時も声を改めて世間の同情篤きを感謝して居られる。

『余は読者を目して、単に品物を買ってくれるお得意様とのみ思うを得ず、余は常に読者より物質以外の大なるプレゼントを得つゝあり。その贈り物余には最も貴き力ともなれば奮励の心ともなる。犖然たる孤影も世に読者あり味方ありと思へば、吾生の廓寥を忘るゝに足る。』とは好く云ふ言葉である。(p.265)

  この記載が6月19日付だから、死期が迫って口をついた感謝の言ということになる。少し前の5月14日の記述で「院長高田氏も独歩氏の病気軽快を待つて、『二十八人集』の二十八人を招いて小園遊会でも催して見たいと云つてるさうだ(pp.250-251)」というのを読むにつけても、もの悲しい経緯を持った本である。

 

②獺祭書屋主人(正岡常規)『獺祭書屋俳話』日本新聞社)明28年9月5日再版 100円

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 復刻が出ているような名著の元版を集める、という壮大で分不相応な目標を掲げているから、これは嬉しかった。再版とはいっても特に傷みはないし、そりゃあ読んで面白いかと言われれば疑問ではあるものの、正岡子規の代表作がこんな値段で売っていていいのだろうか。

 『日本近代文学名著事典*3』によれば、再版は初版から213頁分の増補がある由。またさらに改版された増補第三版は弘文館から出されたということである*4。となれば、復刻の出ている初版にはない、書誌的な重要性をもった1冊ということになろう。

 ところでこの本、見返し部分に達筆なる書き込みがあった。

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加藤雪腸というのはwikiで立項されている程度には有名な俳人で、案の定、子規門下と言うことである。情けない不勉強でロクに読めないのだが、「寄附の辞」ということは当人の筆によるものと考えてよいだろう。

 

③田中徳『天皇と生物学研究』講談社)昭24年5月20日, 辻永絵 2000円

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 これは店内での買い物。安くはなかったけれども、蜂須賀正氏を筆頭として、生物学者としての皇族には興味があるから買ってみた。こういうのは思い立った時に買っておかないと、再会が難しいというのもあるし、そもそも存在を忘れてしまう。

 巻頭に「ことくらげ」のスケッチがあり、どうやら研究所にある写真は使わせてもらえなかったようだ。この発見の経緯を読むと、昭和天皇が活き活きとして研究に取り組むさまがよくわかってなかなか面白い。もちろん、陛下が単独で研究をできるべくもなく、助手をともなっての発見ではあったわけだが、偶然引き上げられた生き物を「珍しい」とか「新種かもしれない」と発想するだけの知識と、元の形態を結果として言い当てた想像力とを見るに、生物学者としてのセンスをきちんと持っていたのだろう。よしんば記述に多少の誇張があったとしても、ひとまず陛下の功績として理解しておいてよいと思う。学名のLyrocteis, Imperatoris Komaiというのは、天皇のEmperorとそれを手伝った駒井博士の名とからきているのであろう。

 で、この本、オマケとして絵葉書が挟まっていた。写真だったらよかったのに、と思わないでもないが、封筒共状態はすこぶるよい。

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 同様のテーマを扱った本に『天皇はなぜ生物学を研究するのか』があるけれども、なぜか図書館にもあまり入っていないし古書価が上がっているので確認できていない。

 

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 いい本を抱えこみつつ、実は未踏だった「古書あした」にも行ってみた。店頭では拾えなかったが、中の棚は案外黒っぽい一角もあって、よくよく探せば安値がつけられたところも見て取れて面白かった。

 

④近藤英雄『坊っちゃん秘話』(青葉図書)平2年12月15日6版帯 300円

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 坊っちゃん関連本でも、この本は知らなかった。著者は松山中学を大正7年に卒業した人物で、あの山嵐のモデルと目されている渡部政和の教え子だというのである。「はじめに」には以下のようにある。

渡部先生は、この中学校に三十年余勤務し三千人に近い生徒を教えられた。その間、この方ほど生徒に強烈な印象を刻みつけた師はいない。

 だが、それでは渡部政和とはいかなる方であったかと問われても、教室において接する時の印象以外には、その経歴も、私生活も不思議にベールの陰にかくれて、よくわかっていない先生である。しかも小説の中に描かれている"山嵐"と、ご本人とは、その人間像において、あまりにも違う点が多過ぎるのである。

 漱石時代よりも、ずっと後年に教え子の一人であった著者として、"山嵐"のイメージを、そのまま渡部先生にかぶせて放置するにはしのびない。その生徒達も既に大方は鬼籍に入った。わが生あるうちに恩師の真の姿を書き残しておこうと思う。渡部政和先生の一周忌に遺族、友人、教え子らによって出版された追想録をもとにし、松中、東高同窓会報「明教」などからも多くの資料を拝借し、これに私なりの調査をつなぎ合わせて、その全貌を明らかにしようと試みた。(p.7)

 正直言っていくら山嵐のモデルといえども、一数学教師の私生活について知りたいと思う読者は稀であろうと思う。その稀なるうちの1人が他ならぬ私であることは措くが、しかし、書き残しておいたというのは英断に違いない。また山嵐についてのみならず、『坊っちゃん』作中の出来事の典拠が、比較的近い時代を地元で生きた人物の証言としてまとめられているところに、大きな意義が認められよう。

 本の造りからして同人的に出版されたもので、例えば地元のセンターか何かで販売されたんだろうと思ったが、けっこう重版が続いている(初版は昭和58年)。しっかり読んで今後の糧としておきたい本である。

 

 ところで、今日街を歩いていると新しいブックオフを見つけた。

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 最近閉店が目立ってきたように思うが、ここにきて下北沢にオープンか、と感慨に浸りつつ入店してみると、どうも私の知っているブックオフと違う。本が並んだ棚は壁1面分しかなく、残りは服とかガラスケースに入ったブランドバッグなど。突き当りのカウンターには、上品にスーツを着込んだ店員がゆったりと動き回っていた。それでもいちおう本を眺めていると、スーツの女性店員に突然話しかけられてしまった。曰く、「ここは新しいタイプの店で、商品は少ないが、ブランド物などの買い取りをメインとしている」とのこと。今の時代、本だけでは厳しいというのを示す好例だろう。

 ともあれ、無暗に店員が近づいてくるのは厭だし、妙に気圧されてしまったので、早々に退散したことであった。

*1:世間的にどうなのかわからないが、少なくとも私の周りでは文アル文アル言う声は収まりつつあるようだ。といって私とてマメにプレイはしているし、こういうのは惰性でなんとなく続けてしまうことも知っている。こないだなど岩野泡鳴の登場で話題に上ったし、アップデートが続く限りは話題に事欠かないであろう。

*2:手元にある2冊はいずれも初版。

*3:あまり言及されることのない本だが、近文の復刻シリーズに付された解題書の集成である。といっても、詩集と児童書とのシリーズの解説は収録されておらず、序文によれば「百二十点・百五十九冊から成る豪華絢爛の四セット」についてのものに限るのだが、それでも近代の純文学の名著はほぼ網羅されているといってもいい。この事典を購入する以前からすでにバラの解題を持ってはいて、参照しやすさからこの合本を買ったのだが、内容が微妙に異なるのには困った。ものによっては元版のほうが詳しい記載をされていたりするから、結局どちらも確認しなくてはならない。といっても、やはり座右に置くのにまとまっているのは使いやすいと思う。

*4:書影は「近代書誌・近代画像データベース」を参照されたい。同データベースには、増補4版、増補5版も登録されている。ついでに探してみると、初版(増補版よりずいぶん薄い)は早稲田大学の「古典籍総合データベース」に画像があがっていた。