紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

気が乗らなかった日

 書架らしい書架を持たずに蒐集を開始してしまったため、ほとんど本を置くところがないまま漁書に励んでいる。本のためを思えば、むろん好ましい状況ではないし、精神的に参ってしまう環境でもある。

 そんなわけで、いよいよ生活空間が逼迫していたからだろうか。今日は欠かさず行っているマドテンの初日なのに、どうもテンションが上がりきらない。シュミテンじゃないからというのは言い訳にならず、まあ今日はブラブラ見、安い中でも絞って何かコンパクトに拾おうか、という軽い気持ちで並んでいた。のだが、こういう時に限って瞠目を余儀なくされる掘り出し物があるから、古書展通いはやめられないのである。

 というわけでまず大物から紹介。

 

①『ホトトギス明38年10月10日-明39年9月1日9巻12冊揃合本(2分冊) 8500円

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 これだ。あきつの棚でタスキをかけて面陳してあったものだが、タスキよりも表紙を二度見してしまった。そう、中村不折の筆による「天馬」と題されたこのイラストは、ホトトギスの中でも「坊っちゃん」掲載号を含む巻なのである。夏目漱石の「坊っちゃん」を日本文学の傑作と崇め、関連書籍を含めて蒐集対象としている私にとって、これはまさしく原典であるからとても嬉しかった。値段も値段だが、単体というかバラで集めたら到底買えない代物である。各巻裏表紙は欠なれど、表紙や口絵の類は揃っているようだ。

 「坊っちゃん」があるということは、当然「吾輩は猫である」もある(それも第6回から最終回まで)ということだし、よく見たら伊藤佐千夫「野菊の墓」まで入っていた。この程度の収録作は把握しておくべきなのだが、自分の無知をそっちのけで、なんと素晴らしい巻なんだと感嘆する始末であった。

 

 ホトトギスを拾った時点で、もう他の本などどうでもよくなっていたのだが、それでもこれは見逃せないというのがチラホラ見つかったので、荷物の関係から削りに削って、もう7冊購入した。

 

田山花袋『艸籠』(大倉書店)明40年5月13日, 服部愿夫装 鏑木清方口絵 300円

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 ボロくて外装もないし、表紙にデカデカと貼られた管理シールが残念でならないが、この値段で花袋の明治期の著作が買えれば文句はない。見返しの可愛い意匠にも蔵書印が大量に押されていて古書価値としては無惨と言えようが、まあ遍歴がそのまま見えるようで面白いと私は思う。

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 この本、モノとしては知っていたけれども、下の画像のように妙な挿み方で3葉も挿絵が綴じこまれているのは知らなかった。

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清方のイラストらしいが、多色刷りで実に美しい。これなら千切って栞にしよう、と思う不届き者があったとしても責められまい。

 

吉井勇『未練』(阿蘭陀書房)大5年5月20日函 800円

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 文アルでちょうど登場したばかりの吉井。著作としては『酒ほがひ』くらいしか存じ上げていないけれども、文庫サイズで歌麿の表紙も良かったので買ってみた。本体に多少のスレがあったり、函も補修跡あるが腐っても完本でよかったと思う(というか腐ってない)。

 

江戸川乱歩『猟奇の果』(日正書房)昭21年12月10日 800円

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 乱歩は仙花紙の本が多く、全容どころか代表作すらどんな本が出ているのか把握していない。目に留まって装丁が気になれば、という基準しか持てずにいるわけだが、仙花紙などハナからそれで十分ではないかと思う。これも装丁が怪しげでよい。

 この本はどうやら書誌的に重要なようで、ちらっとネットで検索したところ、初出でいったん完成・公開したものを、この版で乱歩が加筆をして、結末の印象まで大きく変わってしまったとのこと。そもそも未読作であるから、光文社の文庫版全集あたりで確認しておきたいと思う。

 

有島武郎『或女 前編』(叢文閣)大8年4月10日10版, 有島生馬装 100円

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 叢書じたいはありふれているし、これとて重版だが、やはり代表作で人気があるからかあまり見かけない本である。と、同じようなことを以前ここに描いた。その時は後編だけを拾ったのだが、まあ初版だったしとりあえずという気持であった。そこにきて前篇を100円で拾えたのは僥倖だと思うし、よくよく見ると後編にあったのと同じ筆跡の書き込みがあるではないか。すなわち、図らずして生き別れた分冊をめぐり合わせたというわけである。もちろん、だからどうということはない。

 

⑥西原柳雨『川柳年中行事』春陽堂)昭3年8月10日再版, 小村雪岱装 300円

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  この本を知ったのは、先日川越市立美術館を訪れた時のことである。雪岱関連のコレクションの中に、細長い栞のようなものが展示されていて、曰く、「用途が不明だったものだが、雪岱研究者の真田幸治氏により『川柳年中行事』に使われたデザインと判明した」とのことであった。

 へえと納得した後、何度か函付完本を見かけていたものの、4000円とかで買うほど興味があるでもなし、函欠でもこの値段なら買っておいてよかろうと今回手に取った。内容としても復刻が出ているくらいだし、面白そうだと思っている。

 今日は雪岱装が目立った印象があって、この他に橋田東声『正岡子規全伝』900円というのも買ったけど、こちらは少し高かったかもしれない。

 

 入手叶ったのが夢のようなホトトギス*1はちょっとした値段だったが、そのほかは押しなべて安値で、合わせて1万2千円ほど。いい買い物ができた。

 これでもう、年内に古書展で大量買いすることはないと思う。細々した買い物はあるかもしれないにしても、大物は出そろったはずだから、そろそろ「年内トップファイブ」の選出でもしてみようか。

*1:あと「坊っちゃん」の正典絡みで欲しいのは『鶉籠』のカバー付き(できれば初版)と、春陽堂の縮刷(ヴェストポケット傑作叢書と似てる緑のやつ)くらいだろうか。後者はともかくとして、前者は状態のよいものをとなると難儀だし、なにより予算がつかないから困る。