年末の彷徨
前回のエントリで「どうにも気が乗らない」というような心情を書いたが、その鬱屈した状況から抜け出せずにいる。下等なる遊民である以上、多少の体力的な無理を強いられようとも、文化的な活動を控えてはならないと思う一方、気力がそれについていかないのではどうにもならない。強行したところで、そんな心持では一切の享受が望めないだろう。
そんなわけで取り立てて行きたいところがあるでもないまま外に出たが、どうしても欠かしたくない企画展に足を運んだ。印刷博物館の「天文学と印刷」展である。
競技クイズなんかだと、「全天88星座の中で……」から始まる問題は比較的ベタに見られるが、私はというとこれまでの人生で星に強い興味を抱いたことがなく生きてきた。従って天文学の歴史はおろか、星座とかそれに纏わる神話的な説話ですらロクに知らない。それでもこの展示を見ておきたいと思ったのは、偏に「印刷」との関連が気になってのことである。
現在の通説としては、15世紀中ごろにグーテンベルクが開発したものが、活版印刷の始まりとされている。その技術が1世紀経たぬうちにヨーロッパじゅうに伝播し、書物の大量生産と情報の流布を容易にせしめたわけだが、ちょうど同じころに発展しつつあった天文学も同舟するかたちで人々の目に触れることになったようだ。活版印刷そのものの広まりも、当時のネットワークを考えれば相当速いと思うのだが、これはその技術による成果(印刷物)が伝わりやすかったためだろうか。
アリストテレスやプトレマイオスの天動説と、コペルニクス以降の地動説との確執はガリレオの伝記を読んで知っていたけれども、当時の天動説派が、単にキリスト教的思想から地球を中心と位置付けていただけではなく、ある程度精度の認められる観測結果を持ったうえで、論理的に太陽とその他惑星の動きを説明していたというのは理解していなかった。
展示を見ていくと、ユークリッド『原論』とか『天体の回転について』とか『天文対話』とか、誰でも知っているような貴重書がずらり並べられている。書物の魅力という観点で言っても眼福なのだが、実はこのうち結構な割合の本が金沢工業大学のコレクションで、すでに上野の森美術館「世界を変えた書物」展で見たことがあるのだった。しかしこういうのは何度見ても良いものだと思う。
①『天文学と印刷 新たな世界像を求めて』(印刷博物館)2018年12月7日2版*1筒函 3000円
前々から造本がすごいと評判だった図録。実際眺めてみると確かに素晴らしい出来である。チラシや表紙でも美しい効果を発揮したコールド箔が、章ごとの扉にあしらわれているのもいいし、あえて背表紙を設けないコデックス装というのもお洒落だ。個人的には、筒型の函はアクセスしにくくなるから好きではないのだが、その欠点を補って大いに余るほど魅力の詰まった本である。買わなければ損だろう。
同時に、展示室で配布されている出品目録もこだわった印刷がなされているからこちらも見逃せない。
付けたりながら、本日はケプラーの誕生日だったようである。
* * * *
ここまで来たからには、ついでに神保町まで足を延ばすのが礼儀と言うものだろう。平日で古書展もなく、ほとんど散歩のつもりでブラブラと徘徊した。
②明治期 外装袋のみ6枚 800円
ニホン書房店頭にあったので買ってみた。文芸倶楽部に『浪六随筆浪六漫筆*2』、櫻痴福地源一郎『葵の御紋』、饗庭篁村『凧の糸目』と、特に高名な名著が含まれているわけでもなかったが、資料として持っておくのも悪くないだろう。というか、明治期のこういう地味な著作とか雑誌であっても、袋付で買うとなるとけっこう苦労しそうだし、本冊が手に入った時のことを考えれば安いものだ。
③日本近代文学館編『小説は書き直される』(秀明大学出版会)平30年12月20日初カバー帯, 真田幸治装 2700円
方々で話題の1冊をようやく落手。某版道氏の宣伝が功を奏してか、ネット書店では軒並み入荷待ち状態となっているようだが、さすがに東京堂には十分置いてあった。
本書は昨年末に近代文学館で催された同名の企画展を書籍化したもので、諸作家の原稿が詳細な解説とともにオールカラーで掲載されており、実に優れた本だと思う。文学館の展示を家で復習できるという意味においては、従来の展示図録と同様の効果だが、レイアウトが実に見やすく学習の便宜が図られている。
文学研究書として基本書となることは言うに及ばず、古通にもフソウ目録にも宣伝フライヤーが添付されていたし、今後より一層広く読まれることになる本であろうと思う。こういう流行りそうもない本が洛陽の紙価を高めることになると、一文学好きとしてはなんとなく嬉しい。
また個人的には、終わりの方で「坊っちゃん」が取り上げられていて、異同や派生について触れられているのがよかった(もっとも、紹介されている派生の漫画はすでに所持しているものだったが)。
④西村賢太『芝公園六角堂跡』(文芸春秋)平29年3月1日初カバー帯識語署名, 山本重也・野中深雪装 1620円
――――『夜更けの川に落葉は流れて』(講談社)平30年1月12日初カバー帯識語署名, 浅妻健司装 1620円
――――『一私小説書きの日乗 新起の章』(本の雑誌社)平30年11月25日初カバー帯署名, 信濃八太郎装 1944円
実は愛読している西村賢太。先日、喜国雅彦氏とのトークショーに参加し、サイン会共たいへん楽しませていただいたのだが、新刊書店でサイン本が積んであるのは初めて見た。とかく存命人物としては3指に入るほど好きな作家であるから、置いてあるタイトルはすべて買ってきた。うち『芝公園六角堂跡』はすでに買っていたが、別にいい。
また『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』の2冊には識語まで添えられていた。前者が帯文から「狂える藤澤清造*3の残影――」で、後者が「小説にすがりつきたい夜もある」で、いずれも賢太らしさが表れていて味わい深い。
外に出たついでということで、恐らく年内最後となるS林堂詣で。
⑤村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫)昭57年7月15日初カバー, 佐々木マキ装 100円
――――『1973年のピンボール』(講談社文庫)昭58年9月15日初カバー帯, 佐々木マキ装 100円
――――『羊をめぐる冒険 上下』(講談社文庫)昭60年10月15日初カバー帯, 佐々木マキ装 100円
店頭のワゴンから。帯付きの春樹本があるなぁと手に取ってみたら、初期3部作がすべて初版だったので買っておいた。私見だが、春樹作品のトップは『風の歌』で、次が『ノルウェイ』だと思っていて、他のはそこまで思い入れが強くない。従って単行本の初版で欲しいとするなら『風の歌』くらいのものなのだが、帯付きだとけっこうするので近代文学書に比して優先度は低めである。そういう意味で、肝心の本が帯欠なのは玉に瑕という感じだが、まあ場所も取らないし嬉しい拾いものであった。
図録も合わせると、今日だけで2万円も新刊書を買ってしまった。これだけまとめて買うのは学生の時以来である。古本ならばコレクションとして言い逃れもできようが、新刊に関しては読まずして元は取れない。しっかり消化していきたいところだ。
[附記]
印刷博物館では「世界のブックデザイン」展も開催されていて、世界中から造本にこだわった本が集められている。去年も偶然見る機会を得て、いろいろ発見があったので、今年も楽しみにしていた。いくつか気になる本があったので、備忘録も予ねて列挙しておく。
How to Make Friends With a Ghost
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- 作者: Nico Krebs,Taiyo Onorato
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こういう装丁の魅力的な本はつい欲しくなってしまうが、置き場所のことを考えるとなかなか難しい現状がある。