紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

厚着本あれこれ

 池袋での古本まつりを初めて覗いたのは2年ほど前のことだったろうか。たまたまその方面に用事があり、何気なく会場に足を運んだのだった。その頃はまだ蒐集歴も浅く、漱石のイタミ本を安く拾えて嬉しかった記憶がある。

 以降欠かさず並ぶようにし、そのたびに喜ばしい収穫を発見したのだが、今回の開催は、またしても疲労から突撃するのを断念してしまった。気力というか、体力まで落ちているのには我ながら辟易する。

 

 で、無聊を慰める意味でも、最近集まってきた厚着本をまとめてあげておく。書誌的に意義が認められるかどうかはわからないが、個人的なメモとしても残しておきたい。なお、外装についてはすべて元パラ帯の上からカバーが付いたものなので記述は省略する。

 

五味康祐薄桜記』昭40年4月30日初

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有吉佐和子『紀ノ川』昭41年7月10日7刷

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山本周五郎赤ひげ診療譚』昭39年10月10日初

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山本周五郎『五瓣の椿』昭40年11月10日6刷

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山本周五郎『樅ノ木は残った 上巻』昭39年6月10日5刷

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 いずれも50円均一の中から掘り出したものである。以前、厚着本の見分け方として「意匠が背にまで及んでいるもの」と書いたが、必要条件ではなく十分条件程度に思えばよさそうだ。そうでないものについても、私が雰囲気からなんとなく引き当てられるということは、画像を見ればお分かりいただけるのではないか。

 発行年についてだが、かねて思っていたよりも下ったものが存在することが分かってきた。架蔵している中で最も古いのが『太陽の季節』の昭和32年、新しいのは『紀ノ川』の昭和41年で、およそ10年も幅があることになる。

 厚着本じたいは、帯装からカバー装へと移行する過程で生じたものとされているから、ふつうに考えれば昭和41年より少し後にそれまでの文庫を一斉に回収し、元パラ帯の上から新しいカバーを掛けたことになろう。移行が決まった後の重版(重刷)はカバーのみになるわけで、厚着本に使用されたのと同じものが「薄着本」にも使われているのかどうかはまだわからない。しかしまあ、わざわざ上から掛けるためだけにカバーを作成するとは考えづらいから、兼用されているのだろうとは思う。

 当時のラインナップは今よりずっと少ないから、厚着本として購入するものは大抵読んで損のないところと言えそうだ。本冊が軒並み美本なのも嬉しい。しかし贅沢を言えば、近代の作家のものが欲しいとは思う。