紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

近場をパトロール

 三鷹駅近くに「輪転舎」がオープンしたのは先月末のことであった。さすがに中央線は古本屋が多く、またその固定ファンも多く生息している地域であるから、開店当日は書痴の面々でごった返したという話をブログやツイッター上で見た。

 元はササマで働いていた方が独立したということも聞き及んでいたので、さぞ面白い棚が並び、又「買える」店であろうとはわかっていながら、貧しい下等遊民はうまく暇を捻出すること叶わず、ようやく今日になってうかがう機会を持ちえた次第である。

 

金田一京助編『新明解国語辞典三省堂)昭47年2月10日*1初版15刷革装 100円

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 店頭からまず拾いだしたのは、謂わずと知れた新明解。『新解さんの謎』を皮切りとして、語釈の面白さで話題となった国語辞典である。たしか4版が一番「面白さ」でいくと高名だったと思うのだが、私はというと、初版を除く版は学生時代にコンプリート済みであり、ここでの初版入手をもって一応すべてのバージョンをそろえた形になった*2

 ところで、最近BRUTUS(No.884)の特集の記述で膝を打ったことがあるのだが、曰く、新明解の語釈が話題になるにつれて、他の国語辞典が"凡庸"とひとくくりにされがちな現状があるとのことである。確かに新明解を集め始めた当時、私も「買うなら新明解で、その他はたいして面白くない」との感想を抱いていたが、ことさらに言うまでもなくこれは誤りで、どの辞典辞書をとってもそれぞれに個性がある。全部読み比べたうえで自分に合ったものを選ぶ、というのは容易ではないが、紙面の見やすさとかサイズ感といったわかりやすい点をとっても、各人各用途にあったものがあるはずだ。

 尚、私が現在愛用しているのは『旺文社国語辞典』の第10版だが、これはたまたま縁があったというだけの話で、特別なこだわりがあってのことではない。しかし使いやすいと思って座右に置いている。

 

夏目漱石『平成版 坊っちゃん(青藍舎)平成11年1月1日かぶせ函限500 800円

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 ヤフオクか何かで見かけて気になっていた版。青藍舎というレーベル(?)も発行元である株式会社リンドバーグというのも、検索ではうまくヒットしない(検索結果のトップには同名の別会社が出てくる)。巻末には「青藍舎では、先達から受け継いできた名著、次の世代に伝えてゆきたい名作を、その内容にもっともふさわしい装幀・造本で随時刊行してまいります」とあるが、果たして他の作品も出版されたのであろうか。

 また同封のペラ紙に曰く「視読性に優れる精興社活字を使い、表紙には手染めの武州藍を巻きました」とのことで、まあ良い装丁といえば良い装丁なのかもしれないが、さすがにこの判型では読むのに目が疲れてしまうし、結局は好事家向けの限定本でしかないと思う。

 

③『田中英光私研究 第6輯』西村賢太私家版)平成7年1月30日 1500円

 

 その筋では有名な、西村賢太デビウ前の同人誌である。少し前まで「日本の古本屋」でもそれなりに在庫があったはずなのだが、改めて検索してみると一切が捌けてしまったらしい。ちょっと買い時を逃すと、この始末である。

 ぱらぱらめくってみると、全集未掲載作品を『モダン日本』とか『アメリカ映画』などという雑誌からサルベージしてきている技倆に驚かされる。単に全集で読めるテキストのみを問題とするのもアリといえばアリなのだろうが、そこに載らなかった(残らなかった)文章について考えることも研究においては重要なことだろう。また、オリンピック帰りに英光が船上でとった食事のメニューまで入手してくるというのは、一流の成せる業だと溜息が漏れる。つくづく「大恩ある先の遺族のかたに対し、酔って暴言をエスカレートさせ、爾来出入り禁止となり、英光研究そのものからも離れざるを得ない羽目となった(『芝公園六角堂跡』p.34)」という経緯は残念である。

 

 新店の偵察のつもりが、思いもかけず探していた本が手に入った格好となった。近いうちに再訪しようと決意を固めつつ、足取りは自然、馴染みのルートをたどっていく。

 

④『CanCam 創刊号』小学館)昭57年1月1日 100円

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 雑誌名が"I can Campus"の略というのは、不勉強ながら知らなかった。ファッションなど興味のある分野ではないが、記念すべき創刊号だし、当時の空気感をよく伝えていて面白いので買っておいた。服装とか文のノリ、広告されている品の数々は、軒並み現代には見られない類いのものである。表紙のモデルはチェリッシュの松崎悦子。調べたら本号は20万部も売れたとかいうことで、書籍全般の売れ行き低迷が叫ばれる現在からすると、まさに隔世の感がある。

 実はバブルを体験していない世代の私からすれば、紙面のどれもこれもが物珍しく映るわけだが、ひとつ気になったのはカードゲーム「UNO」の紹介記事だ。東京の若者間で「密かにブーム」になっているということで、そのルールは「トランプのページワンと同じ。つまりウノはページワン専用のカードなのです」と記述されている。しかし、このあたり現代においては真逆で、むしろページワンのルールをこそ「UNOと同じ」と説明するように思う。少なくとも私はそうやって覚えた。Wikipediaを参照すると、UNOが考案されたのは1971年、広く発売されたのが1979年とあるから、1982年のこの記事はかなり早い時期の紹介なのだろう。

 

尾崎一雄『すみっこ』講談社)昭30年4月30日カバー帯, 田中岑装 400円

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 尾崎一雄も、志賀直哉筋でそれなりに気にしている作家ではあって、この本もそんなに市場価格が高いわけではないが、血眼になっていないためか帯付きを見かけることはなかった。貸本印とか綴じ紐の跡らしき穴があるけれども、読むには支障ない。

 帯文は三島由紀夫で「この小説には、私小説の方法論を、私小説作家自身が徹底的に利用したといふ面白みがあり、ふつう、小説でまづ人物の性格が設定されるところを、その代りに、やむにやまれぬ一生一度の告白といふ形で、告白の本源的な衝動を設定してゐる」というのは、私小説というジャンルの意義を考えるうえで重要な証言ではないかと思う。

 

 しかし、前回に引き続いて不満を垂れ流すが、スキャナで表紙の画像を取り込めないのは実にストレスフルである。

*1:ただしこれは第1刷の発行日として記載されたもの。

*2:ネットを見ていると、刷違いまで探求している猛者もいるようだ。版が同じだからといって、刷が違っても内容が必ずしも同じではない、とはわかっているけれども、さすがにそこまでは買っていられない。