紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

タイミングで幸運を掴む

 マドテンである。

 が、来週にはシュミテンも控えているし、今月はちょっと余裕もないため、思い切って初日に並ぶのはやめにした。下等遊民としては失格の烙印を押されてもゆめゆめ文句は言えぬ体たらくだ。

 で、2日目の11時くらいに悠然と会場入りしたのであるが、やはりこの剣呑とした雰囲気はよい。初日のごった返しで手を伸ばし伸ばし掴み取ってゆくのはやはりストレスフルである。

 

①『苦楽 創刊号』(苦楽社)昭21年11月1日, 鏑木清方表紙絵 500円

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 なんとなくケヤキの棚を見ていると、雑誌を手に取りながら、独り言としてはデカすぎる声でつぶやくおじさんがいた。これとて、古書展においては日常風景である。その延長でこちらに話しかけてくる手合いは困りものだが、今回はそのような素振りもなく、私は自分の漁書に集中していた。

 するとそのつぶやきの中に「……苦楽……苦楽の創刊号……」と聞こえたのに思わずハッとして、おじさんの手元を見てしまった。目次をパラりと見たのちすぐに棚に戻したので無事、私の収穫となったこれは、実は坊っちゃん案件。中川一政による「名作絵物語 坊っちゃん」が掲載されているのである。

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 絵は8枚しかなく、抜粋された本文も梗概を理解するに足る量ではないと思うのだが、当時の受容具合としては興味深いのではないか。

 この「名作絵物語」はその後も続いたようで、同じ棚から「羅生門」掲載の号を拾っておいた(絵は石井鶴三)が、何編くらい描かれたのであろうか。

 

久米元一『世界少年少女名作物語31 ジャンバルヂャン』講談社)昭9年9月25日再版, 平賀晟豪装、寺田良作挿絵 600円

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 今日はアルスの日本児童文庫とか童話関連の本がアキツにたくさん転がっていた。これも上笙一郎がらみであろうか*1

 本書、タイトルから『レ・ミゼラブル』の翻案とわかるが、ユゴーの名前はクレジットされていない。どころか、挿絵を見てゆくと、明らかにエミール・バヤールの高名な木版画と同じ構図というのはいかがなものかと思う。

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 今なら決して許されないだろうが、まあこの脱力感も魅力ではある。

 

③山代巴『蕗のとう』(暁明社)昭24年11月7日再版帯, 赤松俊子装・挿絵 200円

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 よく知らない作家の全く知らない本だが、帯も含め状態は良く、中野重治佐多稲子の帯文があるということはプロ文と関連があるのではないか、と思って購入してみた。

 裏表紙には読売新聞評があり、次のように記されている。

刑務所の隣房で放火犯の女がうたう「ふきのとう」の子守歌の哀調に思想犯の女のたどつたつつましく雄々しい解放運動の姿がなえあわされて全篇美しい詩となつている。ことに「ふきのとう」「家」の章は日本女性の苦るしさを物語つて傑作とまでいえるすぐれた文章である。

この評じたいの文章がまずいのはよいとして、ちょっと面白そうな内容である。

 ネットで検索すると「丸木美術館学芸員日誌」なるサイトで本書が紹介されていて、さる人物より寄贈を受けたのだとある。添付された写真の中にカバーらしきもののものがあるのだが、この再版には帯だけが綺麗にまかれているので、外装がカバー装→帯装へと変化したと考えるのが自然ではないか。改めて日本の古本屋を見ると、カバー付の同書がヒットするが、記述からするにこれも初版であろう。

 なお、奥付には派手な誤植があり、「1949年7月20日初版発行」に対し、「1449年11月7日再版発行」と印刷されている。

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* * * *

 

その後、少しご無沙汰だったフソウ事務所へ。うだうだと長話に興じつつも、やはり古本は買ってしまう。

 

邦枝完二邦枝完二代表作全集第1巻 お伝地獄』(新日本社)昭11年9月19日函署名, 小村雪岱装 3000円

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 フソウに棚を作っている方は数人いるのだが、そのうちのお一方が追加分を持ってこられ、その分置けなくなった数冊を持って帰ろうとしていた。いい本だったので函から出して拝見していたところ、「お安くしますよ」というのでしばし交渉、というか、あまりにもすんなりと大幅な値下げをしてくださった。元値もバカ高い印象はなく、ただ今の懐事情と僕の興味から言ってコレでは買えないなという価格であったのが、逃してはコレクターの恥と言っても過言ではないラインに至ったのは感謝であり、ややもすれば申し訳なくもある。

 タイトルはいわゆる「雪岱文字」ではないが、表紙絵とか挿絵は雪岱の手によっている。

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そもそもが美しい造りなうえ、本冊の白地は実に綺麗に残っており、まあ美本と言っていいだろう。見開きで挟み込まれる挿絵も嬉しい。また邦枝の署名というのも初入手である。

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⑤内田百閒『続百鬼園随筆三笠書房)昭9年5月20日初版限1000部内806番本, 谷中安規画及刻 1000円

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 これも同じ方から購入したもの。これとて元値も高くなかったが、セット購入ということでお得にして頂けた。函欠ながら、天金革背のしっかりした蔵本と安規の木版が楽しめる良い本である。

 百閒の本は特別追いかけているわけでなく、『冥途』のずいぶんと複雑な書誌についても最近まで全く知らなかったし、まして相場感など皆無に等しい。随筆として、あるいは本としての魅力を勘案して、安いと思えるものに限って購入しているのだが、よく考えたらそれは蒐集全般における私のスタイルともいえるのかもしれない。

 

 ともあれ古書展での幸運と、人脈の運とに浴して収穫の得られた土曜日であった。来週のシュミテンにも期待したいところである。

*1:実は今日も、前回のマドテンで購入したのと同じ「笙」印の入った本は見つけたのだが、山室軍平がらみのもので、別段興味はなかったので見送った。ツブシになってしまうともったいない気もするが。