紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

風邪ひきのお祭り2日目

 2日目である。

 去年であればS林堂の2日目に行って、急ぎ足にブックフェスティバルへ向かう、という順路を辿ったわけだが、今回は前日の雨によって青展は「初日」。やはり「2日目」よりも人は集中してくるのであった。

 私はというと、早めの9時にワゴン前へ陣取り、先輩やS林堂店主と話をしながら10時の開店を待つ。歩道の(決して屈強とは言えない)ワゴンにもかかわらず、例年通り、開店間際には5重6重の人の山が圧をかけていた。「今年はオモシがないので、くれぐれも棚を倒さないでくださいね」とは、店主による注意勧告である。

 で、オープンと同時に一斉に手が伸びるのも去年と同じ。やはりS林堂に集まる面々は探偵小説とか大衆よりの好みの方が多いから、純文学系が中心の私は必然的に競争率の低い本をかっさらってゆく。眼前で「大岡裁き」よろしく、本の両端を掴んでの奪い合い*1が発生したりしても、こちらはこちらの目当てを黙々と引き抜き、ある程度抱えたところで人だかりを離脱した。振り返ると、先輩は後ろからの圧迫でうまく抜け出せない様子であった。

 

泉鏡花『鏡花選集』春陽堂)大7年9月5日10版, 小村雪岱装 8000円

 ―――『龍蜂集』春陽堂)大12年3月5日, 小村雪岱装 10000円

 ―――『紅梅集』春陽堂)大9年12月5日7版, 小村雪岱装 8000円

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 かなり大物だが、まあお祭りだ。こういう風に手に取れる機会もあんまりないし、勢いづいたときに買っておこうと抱えておいた。

 多少クロスに痛みはあるが、見返しの意匠はまあまあ。

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値段が妥当なのかどうかは正直わからないけれども、今ホットな『龍蜂集』を含め、3冊まとめて手に入れられたのはひとまずよかったと思う。

 

夏目漱石『漾虚集』(大倉書店)明39年5月22日再版, 中村不折装画 橋口五葉画 1000円

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 これも既に持っているけれども、所持していたのは3版で、今回のこれは再版である。3版入手時の記事にも書いたが、本書は3版で改定されている。もう少し詳しくいうと修正が再版発行に間に合わず、あえなく再版は初版のまま出された、ということらしい。

 前回の入手も1000円だったから値段のありがたみは少ないものの、それでも格安である。背の題箋まで残っているし、資料としても格好の収穫であった。

 

川端康成『乙女の港』

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 これも予ねて欲しかった本である。中原淳一の装丁本としては、代表作と言ってもいいのではないだろうか。昨日の特選に重版裸が2000円で並んでいて、ちょっと考えたものの背のイタミがひどかったので見送ったばかりであった。これは背もはっきりしていて函もある、俄然ベターな物件である。

 ところで本書は37版、重版がまずまず出たということであるが、そのわりに函付の本がゴロゴロしている印象はない。きちんと「版飛ばし」せずに出版されているのだろうか。

 

④石川湧・丹京一郎訳『モン・パリ・変奏曲・カジノ』春陽堂)昭5年4月18日 1500円

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 読むか、というと内容への興味はさほどでもないが、やはり装丁に惹かれるかたちで探求している「世界大都会尖端ジャズ文学叢書」の1冊である。

 実は先日、先輩がヤフオクにカバー付きで出していた本書を落札したばかりで、今日のワゴンにはカバー付とカバー欠とが並んでいて、「お触り用」としてカバー欠を買っておいた次第。それにしたって安かろう。

 同叢書では『大東京インターナショナル』と『JAZZブロードウェイ』とのそれぞれカバー欠をもっている*2が、あとは『モダン東京円舞曲』あたりも欲しい所ではある。もちろん、カバーまでは求めない。

 ところで、この叢書の装丁は、どっかの画家の作品をノンクレジットでパクってきているものらしい。従って本書の装丁者も、誰かはわかっていないようだ。

 

* * * *

 

 収穫はいったん預け*3、通りを一本入ったブックフェスへ。

 特別コレが欲しい、という本はないけれども、アレが安ければなぁという願望は抱いての参戦であったが、お目当ては並んでいないようで残念。

 とはいえそこは本好き。定価より格段に安い専門書類や、珍しいデッドストックなどを見かけるとついつい手を出してしまい、気づけばS林堂の本を入れる前にリュックがいっぱいになってしまっているのだった。

 

⑤野口孝一『銀座カフェー興亡史』平凡社)平30年2月23日初カバー帯 1200円

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 平凡社のワゴンは一律定価の半額である。単行本群も魅力的だが、平凡社ライブラリが帯もついてどっさり並んでいるのは見ていて楽しかった。中々古書価の下がらないタイトルも多く、ここが最安値(かつまずまず綺麗)で手に入れられる場所かもしれない。

 本書は、具体的な店名を挙げつつ、銀座のカフェーの姿を語った本である。当時書かれた手記などからエピソードを抜き出し、メニューやらサービスの内容やら、ぼんやりとは知っていても実像の掴みにくそうな証言がまとまっていて面白そうだ。当然と言うべきか、目次を見ると荷風の名前も挙げられているから、近代文学研究において何かしらの参考になるのではないか。

 

⑥山本佐恵『戦時下の万博と「日本」の表象』森話社)平24年4月20日初カバー帯 2000円

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  森話社のワゴンから。森話社といえば書痴の間では『伏字の文化史』が話題であったが、それは一昨年入手済み。今年も出品はされていたが値段は"ask"となっていた。といっても2千数百円程度だろう。ここが一番安いのには変わりない。

 万博への興味から買った本書は、1939年のニューヨーク万博における日本館の展示から、対外的に日本の姿をどう定義付けようとしていたかを読み解いていくもののようで、パッと見でも写真資料が満載で楽しい。近代の万博は写真を見る限り、展示の内容もさることながら、各館の建築が興味深く、怪建築好きの私としては写真集でもないものかと思っている(実際探してみれば容易に見つかるのかもしれないが、そこまでしないあたりに探究心の乏しさが表れていよう)。

 

⑦『小沼丹 スクラップ・ブック』幻戯書房)平31年1月非売品 1500円

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 幻戯書房小沼丹の本を次々と出したのは1年ほど前のことだったか。その時は小説集を3冊購い、購入者特典のTシャツは頂戴したのだが、予算と興味の関係上、随筆集は買うに至らなかった*4

 その随筆集を2冊だかまとめて購入すると、特典としてもらえるのがこの冊子である。アンケートとかコラムとか、本にまとめるほどでもない小文の寄せ集めではあるが、そこは小沼丹。読めばそれなりに面白い。将棋の観戦記録なんかは全く興味ないけれども、これもここでしか手に入らない貴重な本といえるだろう。

 

 ここでは全てを記しはしないが、S林堂からは15冊、ブックフェスからは10冊購入し、質量ともに中々の収穫を抱えて帰路に就いた。前年から引き続いている「送ったら負け」の信念は、昨日で既に折れてしまっていたが、収穫を持ち帰りたくもあったので、今日ばかりは我慢した格好。

 

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(画像は、初めて訪うた「ランチョン」の日替わり定食)

 

 

※追記

 盛林堂のワゴンから、ただの1冊だけ、抱えておきながら値段を確認のち戻してしまった本があった。あとから先輩に伺ったところでは、それこそ一番の「お値打ちもの」であったとのこと。もっというと、完本で探すのは相当に苦労する1冊であるという。

 ふだんなら抱えるだけ抱えたものについてはすべて買う、という節操のないスタンスを貫いているのに、なぜか判断が鈍ったらしい。鏡花3冊の出費もあったためだろうか。

 とにかく「その1冊だけ」を戻したという事実が大変に口惜しく、己の不勉強をひたすらに呪うことになるのだった。このタイトルは、たといコレクターを引退しようとも決して忘れることはあるまい。

*1:私であれば、つかみ合いが発生した時点ですぐさま放し、次の本を狙いに行くところである。よほどその1冊に入れ込んでいる=ほかに狙う本が皆無であるなら話は別であるが、そんな状況はおおよそ考えにくいので、ダメなら次々と割り切るのが得策ではないか。

*2:と、先輩にお伝えしたら「君は何を持っているのか底が知れない」という意味のことを言われたけれども、実際どこにも公表していない良い本というのはほとんどない。卑しい性格ゆえ、手に入れたら報告せずにはおれないのである。

*3:というか人だかりで会計すらままならぬ戦況であった。言うまでもないことであるが、開店前の人だかりと言い、これほどの争奪戦と言い、青展においてはS林堂を措いてほかでは見られない光景である。実に恐ろしいことだ。

*4:随筆じたい読まないわけでもないのだが、読むときは内容で読んでいるのであって、雰囲気で読むことはまずない。小沼とか木山捷平あたりは世間の評価が高いけれども、作家読みができるほど読書眼を養えていないということだ。