紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

最後のシュミテン

 4月から生活のリズムが大幅に変わるのに際して、古書展の初日にならぶのは当面できなくなりそうなので、心境としては最後のシュミテンであった。9時半ごろ列に加わるが、ふだんより人はすくなめな印象。20番くらいであろうか。ほぼ10時ジャストに扉が開き、荷物を預け次第入場していくスタイルなので少し出遅れ気味であった。

 例によって面陳が多めではあるが、その面陳もなかなか粒ぞろい、というか蒐集し始めの例えば4年前とかだったらあれもこれも買っていたに違いない本ばかりである。長田幹彦『紅夢』2500円とか、家蔵本よりきれいなので悩んだけど欲しい人もあるだろうしと見送ったりした。大佛次郎がやたらにあったりプロ文がぽろぽろあったり、全体に見ごたえがあるのはさすがである。

 

森鴎外『我一幕物』(籾山書店)大元年8月15日函, 橋口五葉装 2500円

 売っていたらとりあえず買ってしまう胡蝶本。函付きでの入手は3タイトル目だったか、まだまだである。本書も裸ならずいぶんまえにセロテープで無惨に補修されたものを300円で買っていたけれども、やはり完本はよい。函背はパリパリに劣化していて、剥がれ落ちてしまうのをどうにか直しつつグラシン掛けしたが、本冊はまずまずの状態。

 

泉鏡花『銀鈴集』(隆文館)明44年10月1日, 橋口五葉装 2000円

 ———『番町夜講』改造社)大13年12月30日, 小村雪岱装 1000円

 鏡花のこのへんも、完本じゃなくていいから欲しいと思っていたところ、この安値ならありがたい。というか『番町夜講』はまだしも、『銀鈴集』はふつうならば私などに手の届くべくもないランクの本である。シミとかムレがあっても関係ないが、『番町夜講』の見返し木版画は悪くない状態だった。

 

③『帝国文学 10巻1号』(大日本図書)明37年1月10日 1500円

 漱石の初出誌である。本書に収録されているのは「マクベスの幽霊に就て」。地味だけれども、服部徹也論文によると漱石が帝大時代に発表した唯一の学術論文だという。正直なところ『文学論』と同じように難解で内容の理解は出来そうにないので、まあ雑誌の現物を手に取って当時の雰囲気を知るために買ったようなものだ。

 

石原慎太郎『光より速きわれら』(新潮社)昭51年1月15日カバ献呈署名, Hans Bellmer装画 500円

 田中康夫『なんとなく、クリスタル』河出書房新社)昭56年1月20日初版カバ署名, 平塚重雄装 800円

 今日の棚にはちょこちょこ白っぽい文芸書が紛れていて、抜いてみると予想通り大半が署名本であった。とはいってもみんな基本的には黒っぽい本に夢中だから、2日目とかまで持ち越した在庫も少なくなかったようだ。『なんとなく―』は400を超える注釈が作者によって付されている本として、元版で欲しいと思っていた。

石原のは川村二郎宛で、調べると川村は鏡花愛好家だったらしいから、もしかしたら今日買った鏡花本も川村旧蔵だったりするかもしれない。

 

正宗白鳥『人を殺したが』(聚芳閣)大14年10月15日, 石井鶴三装 2500円

 場が飽和しかかった頃にタスキコーナーを流していて目についた本。これは確か探偵小説ではなかったか、と確保しておいたが果たしてその通りであった。これを見たのはさいたま文学館江戸川乱歩と猟奇耽異」展でのことで、当該図録を見返すと乱歩も愛読していたらしいが、わりと珍しい本ではないかと思う。もっとも本作は近年、山前譲編『文豪たちの妙な話』に収録されている。

 

 全部で3万円弱くらい。最後であろうし、いろいろと買ってしまったかっこうである。で、帰りにその足で古書通信社へ。

 

川島幸希編著『太宰治「晩年」の署名本』日本古書通信社)令5年3月20日限100部 20000円

 川島氏の新刊である。太宰の原点にして頂点とも言うべき『晩年』の署名本は、その識語が味わい深く面白いというのは古本好き・太宰好きにはおなじみである。本書には川島氏の架蔵にかかる署名本に加え、各公共機関や個人が所有する署名本、さらには現存不明なるも過去の古書目録などで画像が確認できるものまでが可能な限りカラーで掲載され、『晩年』の署名本に関しては間違いなく一番詳しい本となっている。てっきり『署名本三十選』のように小型の本を想像していたのだが、手に取ってみるとかなり大きい。おかげでページ一杯に印刷された署名ページは原寸大に近くなっているので、ライブ感が楽しい。

 解説もあっさりと短いながら詳しく、わりと知ったつもりになっていたが聞いたことのない識語・献呈先もあったりして勉強になることこの上なかった。よりマニア的には、それぞれの署名本の表紙画像まで付されているのがうれしかった。現存の状態がどんなものであるかというのは、受け取った人物が『晩年』をどう扱ったかというのがうかがえたりするので、実は研究対象としてチェックすべき項目ではないかと思ったりする。ともかく太宰好きは必携である。

 

安売りビンテージ

 夏以来の高円寺である。もうそんなに日が経ってしまったのかという感じもありつつ、西部古書会館のブックラボへ。

 到着は9時半くらいだったろうか。まだガレージ部分は解放されておらず、ゲート越しに虎視眈々と本を伺っている先客が犇めいていた。外台も買えるのはわかっていたが、まあそこまで、という気もしたので少し距離を取って開場を待つことに。40分くらいにゲートが開くや外台から2冊掴み、会場入り口付近にたむろしておく。

 開場、もちろん目当ては500円均一のS林堂。前回*1と同様、事前にすべての棚差しが写真で公開されており、客はあらかじめ目星をつけている本にまっしぐら。私ももちろん対策済みで、何番目の棚の何段目と何段目の何々を抜いてそのあとは何番目の棚の——と頭にメモしていたのであった。で、これも前回と同じというかまあ当然のなりゆきとして、今回の客はほとんどがミステリ関連に殺到するので、文学系はそこまで競争率が高くないのである。ありがたいことに予習しておいた本は開始20秒ほどですべて抜き取ることができ、とりあえず帳場に預け置いてから2周目以降をゆったり楽しむことができた。

 

阿部知二『恋とアフリカ』(新潮社)昭5年5月10日, 古賀春江装 500円

 池谷信三郎『有閑夫人』(新潮社)昭5年6月18日 500円

 舟橋聖一『愛慾の一匙』(新潮社)昭5年6月10日 500円

 まっさきに抜いたのは新潮社の新興芸術派叢書である。改造社の新鋭叢書のほうはわりと手ごろに買えるけれども、新興のほうは安くなりにくい印象なので、500円なら買っておくべきであろう。しかし川端とか井伏、せいぜい龍胆寺くらいまでなら人気もあろうが、そのほかもいいところとはいえ現代的には地味である。前回も楢崎勤を買えたので、ビンテージによって本叢書の進捗はかなりいい感じになったというわけだ。

 

宇能鴻一郎『鯨神』文芸春秋新社)昭37年4月1日再版カバー, 坂根進装 500円

 これもちょっと欲しいと思っていた本で、帯欠の再版だが充分である。芥川賞作家の宇能が健在というのもビックリな話だが、最近新潮文庫から短篇集が出されて少しく話題になった記憶が新しい。わざわざ誰が読むんだと思わなくもないけれども、文庫化されると作品の寿命が単純に伸びるし読者の裾野を広げることになるので、大部数でなくとも文庫化できるならどんどんしておいてもらいたいものである。

 ところでこの日は筒井康隆編『異形の白昼』函帯付も買った。既所持とはいえ好きな短篇集なので帯付きが欲しくて買ったが、改めて目次を見るとこれにも宇能の作品が収録されていた。不思議な偶然である。

 

③藤森成吉『悲恋の為恭』(聖紀書房)昭18年1月30日初版函著者献呈本, 木下大雍装 500円

 少し落ち着いてきた(といってもものすごい混雑には違いないのだが)ところで、ピンとくるものがあって手に取ったら献呈本であった。宛先は窪田空穂。知らなかったのだが、窪田と藤森とはかなり深い縁があるようで、ネットで調べてみると、藤森が世に出た初めが処女作「波」を窪田に認められて自費出版したところであるという。そう考えて見てみると、「到着当日」に「先生」へ宛てている点に、気心の知れた師弟関係みたようなものがうかがえるような気もする。

 

④石浜知行『闘争の跡を訪ねて』(同人社)大15年4月15日函, 柳瀬正夢装 500円

 アプトン・シンクレェア/前田河広一郎訳『ジャングル』(叢文閣)昭3年5月8日普及版, 柳瀬正夢装 500円

 2冊ともに装丁買いである。ちょっとプロレタリア臭のするデザインだなと拾い上げたものだが、表記はないもののサインから柳瀬正夢の手によるものとわかる。柳瀬というとネジクギの頭を模したらしいシンプルなサインが一番知られていると思うけれども、実はこの「夢」を意匠化したようなものもけっこう見かける。装丁者表記がないために、たとえば日本の古本屋でもそれとして売られていなかったりするのだが、してみるにまだ知られていない装丁本は案外多いのかもしれない。

 

⑤『編年体 大正文学全集 別巻 大正文学年表・年鑑』ゆまに書房)平15年8月25日第1版第1刷カバー帯, 寺山祐策装 500円

 おそらく個人が買うことを想定していないためバカ高いが、そのかわりに貴重な復刻を全集として出してくれることでおなじみのゆまに書房本である。同全集の十何巻だかも1冊棚にあったが、半端に場所ばかりとっても仕方ないので別巻のみ買う。

 こういう全集は、たいてい別巻の索引だけでも自宅に置いておくと非常に重宝する。本書は大正各年の『文藝年鑑』を中心として、当時の文壇の同時代評が満載となっているようだ。全集としては作家ごとに深掘りしているわけではないため索引は使えなさそうだが、年鑑としては持っておくとやはり役立ちそうである。

 

 20冊ちょい、前回と同じ1万円そこそこの会計であった。しかしS林堂の独擅場であるのはかわりなく、またS林堂単体として見てもたたき売りの感は否めない*2わけで、まあなんというか安いことにしか価値が見いだせなくなりつつある日本の縮図みたいな、大仰な言い方だがそういう感想を抱かないでもなかった。買う側からすればありがたいのだが、心中は複雑である。

 帰りに先輩と昼食をとったあとで雰囲気のよい喫茶店へ案内していただき、今日の収穫やら最近の絶版・復刊事情をうかがい、たいへん勉強になったことであった。

*1:正確には、ビンテージはWeb目録のみで開場なしの第2回目があったので、前々回ということになる。

*2:ここには書かないが荷風『濹東綺譚』初版函付も、イタミ本とはいえ500円であった。

蹴球明けの寒空

 4年に一度のスポーツの祭典で日本中が湧きたっている中、いっさい興味のない私は先だって復刻されたばかりの漫画を読みふけっていた。

 それはそれとして、さすがに12月ともなると寒く、古書会館前の吹きっさらしで棒立ちして耐えるだけの体力もないので、マックで時間を潰して9時半すぎに列へ加わる。今日はそういう時節柄もあってか少なめな印象であった。

 

加藤武雄『夜曲』(新潮社)大14年12月3日, 蕗谷虹児装 900円

 どうも眼が棚を滑ってしまい、思うように本を掴めなかった。しかし毎度そんなことを嘆いているような気もする。本書は、加藤武雄に興味があるというよりも、この時期の新潮社の本が気になるだけの話である。いちいち載せはしないが、巻末の刊行リストがけっこう興味深い。

 装丁は蕗谷虹児で、表紙もよいけれども、扉の次のページにザクロと思しき意匠がぽつんと印刷されているのがなにか印象的である。

 

②カミ/三谷正太訳『名探偵オルメス』(芸術社)昭31年7月30日帯函, 伊藤好一郎装 300円

 ホームズのパスティーシュとして有名なオルメスの、まあ後版だがいちおう完本でこの値段なら買っておいてよいだろう。欲を言えば元版のデザインが好きなのだけれども、ド真ん中ではないからこれで十分。

 月報として『みすてりー・クラブ』なる冊子が挟まっていた。荒正人漱石の『猫』における探偵要素を説いていて、視点としてちょっと面白い。「趣味の遺伝」なんかは探偵小説っぽさを持っている*1し、初期は創作についてそうした心持があったのかもしれない。

 

北條民雄いのちの初夜創元社)昭13年2月28日第19版, 青山二郎装 300円

 蝙蝠の棚はよくよく見ると安い掘り出し物があったりするので、一番に向かうとはいかなくても、アキツが一段落したあたりで覗くと吉である。もっとも、今日は何か傾向がふだんと違ったようだ。

 北條のこれは好きな本で、重版もかなりある割にあまり見かけない。裸なら300円とかそこらなので買うようにはしているけれども、帯付きは1冊しか持っていない。今回のこれは、背がヤケやすい割に頑張っている方だと思う。

 

④『朝日スライド・近代文学大観 樋口一葉(朝日スライド株式会社)昭36年6月25日函解説書付 300円

 今日一番の収穫ではないか。

 ずいぶん以前、シュミテンで「日本文学スライド大系」というのを見かけていて、いつか手に入れたいと思っていたのだが、おそらくは公的機関向けの企画であろうし、そもそも個人が持っていても何にもならないわけだから、その後全く見かける機会はなかったのだった。して今回、これを手に取って念願果たせり、と思うもよくよく見たら別のシリーズと判明した次第である。

 「スライド大系」がどうだったかは覚えていない(そもそも1冊しか実見したことがない)が、本書は18枚のスライドに解説書が付されている。各スライドごとの解説が1ページずつあり、紙芝居みたいな感じで文豪の生涯を説明していけるようになっている。はしがきを読むと、一葉の妹くにの息子である樋口悦が資料提供その他で協力しているらしく、けっこうちゃんと作っているのだなという印象。なお、「文学大観」は全八編しか出ておらず、幅の広さで言えば「スライド大系」の方に軍配が上がってしまう。

 

 昼頃には暖かくなりつつあったが、電車の中も暑くてやりきれない。朝方の自転車さえ乗り切ればあとはジャンパーなしでいたほうがよほど快適という、実に調整のむつかしい気候であった。しかし神保町も年内は最後だろうか。今年もかなり買ってしまった。

*1:現に竹本健治変格ミステリ傑作選【戦前篇】』に収録されている。

安く漁る

 今年最後のシュミテンである。9時20分くらいに到着し、先輩方としばし閑談。心持ち人数は少ないかと思ったが、10時直前になってどんどん伸びたから全部で50人から60人くらいがならんでいたろうか。残念ながら検温して荷物を預け次第の入場となっていたので順番の恩恵がモロにでてしまったが、そもそもフソウさんの棚が少ないこともあって、掘り出してゆく楽しみは十分に味わうことができた。

 

谷崎潤一郎『羹』春陽堂)大2年1月20日3版, 橋口五葉扉絵 2500円

 初っ端、といっても前方の面々がすでに一巡は漁ったであろう棚からの1冊目。後版となる文庫大の版は裸で持っていたけれども、やはり『羹』と言えば五葉の扉絵が欲しいところであった。函付で何万とかいうのを購うほど入れ込むつもりもないので、安価で嬉しい買い物である。

 

幸田露伴『勇魚捕 前編』(青木嵩山堂)明30年3月21日3版, 小堀鞆音木版口絵

 ――――『勇魚捕 後編』(同)明30年3月21日3版, 小堀鞆音木版口絵 揃1500円

 読みは「いさなとり」。前後編木版口絵付の揃いで、落款には「鞆音」とあり小堀鞆音の絵だとわかる。表紙もそうだが、特に口絵などはほとんど蛍光色といえるほど鮮やかな色が残っていてよい。元版で露伴を読むことはないだろうが、こうした書物の面白さが味わえるから古本は楽しいのだ。

 

志賀重昂『日本風景論』(政教社)明29年6月25日6版, 樋畑雪湖表紙絵 2000円

 ――――『日本風景論』(同)明31年3月10日9版, 樋畑雪湖表紙絵 2000円

 版によって見事に毎回表紙を変えていることでおなじみの『日本風景論』、ちょうど持っていない版が2冊あったので確保した。激安とまではいわないが、このくらいの値段であれば買い集めやすくて助かる。

 本書については猪瀬直樹氏の修論をもとにした『ミカドの肖像』にくわしく、全15半分が写真で掲載されている。私の手元にあるのは今回購入分を合わせて4冊。まだ全然といったところだが、無理せず手の届く範囲で集めてゆきたい本である。

 

④扶桑書房古書目録一括 3000円

 ここ数回、フソウさんは過去の目録のおそらくデッドストックをも棚に並べている。今回も一人展の4-5回目と師走展の分が800円とかで複数冊ずつあってお買い得であったが、せどり心は出さずに普通版の目録を頂戴する。30冊一括の袋だったが、家に帰って開けて見ると平成17年から平成25年までのものがほぼ揃っているかっこうであった。

 場にいらしたご主人に「コレ、いただきますね」と言うと「今のほど面白くないけどね」と笑っていたけれども、そんなことはまったくない。テキスト版がベースながら、1-2ページ写真版がある号も少なくないし、それらはもれなくかなりの稀本である。一昔前の値段に思いを馳せるのも楽しく、勉強になることこの上ない資料だった。

 

⑤木下尚江『良人の自白』平民社)明37年12月20日 300円

 安かったので手に取ってみたのだが、巻末には「前篇終」とある。表紙とか扉には一切その旨記載がなく、続刊の広告も見られない。そこで国会の所蔵を見てみると、「上編」は平民社でなく金尾文淵堂発行の11版であった。奥付にある初版発行日は今回買った平民社版と一致しており、「中編」は同様に重版ながら「下編」は金尾文淵堂版が「初版」であるようなので、おそらく「中編」までを平民社から出した後になんらかの理由で途絶し、版元を変えて刷り直しすことで簡潔に至ったものではないか。同作は毎日新聞に連載の時点で発禁を喰らっているようで、そのあたりも関係しているのかもしれない。このあたりはもっと勉強したいところである。

 

 カゴ一杯に買ったが会計は2万。安い本ばかりを拾ったかっこうであるが、充実感のある漁書であった。とはいえフソウさんの棚に本が少なくなりゆくのは、やはり淋しい。

 そのあとは東京堂筒井康隆の署名本を拾い、紀伊国屋新宿本店で国書刊行会の50周年記念冊子を頂いて帰る。

人が戻ったすずらん通り

 お祭りの2日目である。朝、昨日と同じくらいの9時20分にS林堂へ行ってみると、やはりワゴン前は占拠されていた。さすがの人気店であるが、今日の棚に私の好むような黒っぽい純文学は見られない。ご主人にも「今日は稀覯本はないよ」と言われたので、それならばとブックフェスティバルの方へ赴く。

 各出版社が慌ただしく準備を進めている中を闊歩し、本を並べている邪魔をしないようにラインナップを伺っていった。半額以下の破格もあったり、2割引きという少々苦しいところもあったりで、こちとら古書展の棚に慣れているから、開始時にどこに張り付くかという見極めは得意である。とはいえ事前に欲しいと思っているタイトルがあったわけではなかったので、廻るべきブースは少ない。結局、まずは勉誠出版、それから幻戯書房へ……。

 

①鈴木俊幸『書籍文化史料論』勉誠出版)令元5月30日初版カバー帯 3300円

 期待はしていなかったが、欲しかった本である。参照したい内容であることは目次から明らかであったが、言うまでもなく鈴木先生は近世がメインで、私の蒐集対象はせいぜい明治20年代末からだから、定価の1万円をだしてまで買えるような本ではなかった。さらに言うと、こういう高価な本はそもそも市場に流通していないのでマケプレとかメルカリにも期待できない。出版社の方には申し訳ないが、こういう本こそブックフェスタで狙い目ということになるわけである。

 鈴木先生の本はいろいろ持っていて、『書籍流通史料論序説』も欲しいのだが、あれも高くて購えていない。

 

辻本雄一監修/河野龍也編著『佐藤春夫読本』勉誠出版)平27年10月31日初版カバー帯, 宗利淳一装 1500円

 これも出た当時から気になっていたが、3千円と小高いので優先度が低かった。まあこの値段なら参考までに架蔵しておいてよいだろう。太宰の書簡がカラー掲載されたことで話題になったけれども、見た目の割に(?)本格的で軽く読み流せるような内容・分量ではない。個人的には、春夫作品の文学的な掘り下げよりも、同時代作家との関わりの方に興味を惹かれる。

 

③『橘外男墓碑銘』幻戯書房)令3年10月10日非売品 1500円

 善渡爾宗衛・杉山淳編『荷風を盗んだ男 「猪場毅」という波紋』幻戯書房)令2年1月6日第1刷カバー帯, タダジュン装画 緒方修一装丁 2250円

 泉斜汀『百本杭の首無死体』幻戯書房)令元年8月17日第1刷カバー帯, 真田幸治装丁 小村雪岱装画 2250円

 勉誠を抜け出して、幻戯書房へ。手早く目当ての本を掴み取る。橘のはイベントか書籍の予約購入でしか入手できないもの。猪場と斜汀のは、買わなくてはいけないと思いつつも定価にひるんでいたが、今回半額ということでうれしく購入した。購入直後に先輩が顔を出して「あっ、『百本杭』とられたか」とおっしゃっていた。ものによって補充分があったりなかったりするのも、こうしたお祭りの醍醐味である。

 

 それから工作舎の紙型を買って、皓星社まで足を伸ばしフリーペーパーをもらいつつ古本を数冊購い、最後に盛林堂を冷やかす。

 

深谷考『車谷長吉を読む』青弓社)平26年12月18日第1刷カバー, 斎藤よしのぶ装 500円

 まあ500円というのもややシブいが、目次を見ると西村賢太にも言及があるようだし、そもそも私小説は割と好きなので買ってみる。で、帰りの電車でちょっと読んでみるとこれがなかなか面白い。私は長吉の良い読者ではないので取り上げられている作品についてはぜんぜん知らなかったりするのだけれども、いろんな話題が盛り込まれていて読者を飽きさせない。おカタい文学研究として見れば足りない部分もあるのかもしれないが、知的な楽しさをもたらすというのも「~を読む」系のタイトルには、求められてしかるべき要素であろう。

 

 しかしものすごい混雑である。すずらん通りはごった返しているし、S林堂も人がぜんぜん減る様子がない。でもこれくらい盛況でなくては面白くないのも事実。人混みは嫌いだが、界隈が盛り上がるのならば喜んで歓迎したいものだ。

 

3年ぶりのお祭り

 3年ぶりだという神田古本まつり、もうそんなに期間が空いてしまったのか、と気が遠くなる思いである。流行感冒はこうも容易く文化的活動を奪い取ってしまうのか。個人的に、この1年ばかりは速かったような濃密だったような、複雑な感じがする。古本における発見も少なくなかったし、たくさん嬉しい収穫もあったけれども、たとえば各出版社が自社のスペースでブックフェス的な催しをしていた(ブックフリマといったか)、あれからもう1年経ってしまったと気づくにつけて、己の進歩のなさを嘆くのは人間としてある意味正常なことではないかとも思う。

 まあそれはいいとして、初日の金曜は例によってS林堂のワゴンへ詰め掛ける。仕事が朝まで片付かなくて9時20分くらいに到着すると、ワゴンに接する1列目はすでに占拠されていた。馴染みの顔に挨拶をしつつ、先客の肩越しに本を眺め開始時刻を待つ。向かって右側にミステリ系、左側に純文系がおおむね並んでいるという感じ。事前にツイッターで目星をつけていた本もなくはなかったが、2列目では……と諦めていたが、果たして開始直後に気になる本のうち2冊は真ん前の客に抜かれてしまった。残念だがこればかりは仕方ない。

 

小山清『落穂拾ひ』筑摩書房)昭28年6月10日カバー帯謹呈箋付, 吉田健男装 3000円

 小島信夫アメリカン・スクール』みすず書房)昭29年9月15日第1刷カバー 3500円

 世代的には蒐集対象ド真ん中ではないが、割と好きな作品たちで初版本を欲しいと思っていた。『落穂拾ひ』の方は、それこそ3年前の青展で再版を千円とかそこらで買っていたが、このたび初版帯付にランクアップしたというわけである。キズはあるものの買える値段なのでよしとしたい。

 

鮎川哲也『白の恐怖』桃源社)昭34年12月30日函 2500円

 この辺までくるとさすがにふだんなら買わないラインにかかってくるけれども、しかし安いと思う。相場の半額くらいか。本作収録の論創社版が2017年に出て、それもいちおう定価で買ってはいた。今調べると1年後には光文社文庫から復刻版が出ていて、幻とはなんだったのかという感もあるが、まあお祭りだりS林堂だし、いい機会なので手に取った次第。

 

甲賀三郎『犯罪 探偵 人生』(新小説社)昭9年6月5日函, 恩地孝四郎装 3000円

 恩地孝四郎の装丁本としてずっと元版が欲しいと思っていたので、手ごろな価格で入手できてうれしい。そもそも恩地の名を知ったのは、コレクターになる以前の高校生の時分、単純な興味から神保町を歩いていて某書店の店頭に室生犀星『動物詩集』を見つけてのことだった。その後なんとなく魅力を感じて、これはどこだったか忘れたが本書の沖積舎版復刻を500円とかで買い、元版に少なからぬ憧れを抱いていた。

 と、書いて明らかなように、内容に重きを置いた興味ではないし、また相場でもせいぜい1万円程度だろうからその気になればいつでも買えた本である。しかしずっと以前から「存在を知っていた」初版本の入手は、しみじみと喜ばしい心地がするものだ。

 

 さくっと合計十数冊を一旦店主に預け、遠方から来京の先輩とともに古書会館へ歩く。通りも賑わい始めているが、やはりS林堂は異空間である。特選の会場には10時20分くらいに着いただろうか。むろん買うのはアキツの棚だが、まだ買える本は残っていた。

 

④『雑誌 金の船=金の星 復刻版別冊解説』(ぽるぷ出版)昭58年3月20日 500円

 『「作品」復刻版 解説・執筆者作品』日本近代文学館)昭56年4月30日 400円

 『「四季」復刻版 別冊解説』日本近代文学館)昭61年2月25日第2版第1刷 400円

 雑誌とか単行本とか、種々の復刻版の解説冊子はデータとして貴重であるから手元に置いておきたいものである。これは全集の月報とも通じる話だが、1点ずつネットで購めるとなると高くつくし、そもそも復刻版の全容を把握していないからどんな解説があるのかわからないのだ。

 だからこれらを手に取って、まあ少し高いけどいいか、と買ったのだが、家に帰ってみるとこのうち『四季』の復刻版はすでに所有していた*1。初版は平綴のペラペラ冊子だったのが、今回買った2版でクロス装の上製本になっているのだから、気づけなくても道理である。しかもタイトルも微妙に違っているから、蔵書リストを検索しても引っかからなかったのだ。処分に困るダブりだが、これも勉強と並べて保管しておくつもりである。

 

⑤Arthur Lloyd/一橋会英語部編『英訳独歩集 Model Translations and Dialogues』(英語研究社)大2年4月20日 500円

 独歩集の英訳というのは初めて見た。訳者は一橋の前身である東京高等商業学校で講師をしていたというが、発行の経緯がちょっと面白い。序文には次のようにある。

He believed there was nothing like translation for familiarising the student with the peculiarities of a foreign tongue. For his class work, therefore, he generally took up some popular Japanese novel, which he would re-write for his students in his elegant, cultured English.

 続いてその例として"The Confessions of a Husband""Golden Demon""England through Japanese Eyes"の3作が挙げられている。"Golden Demon"は『金色夜叉』だろうが、他の2つはなんだろう。と、思って検索したら"The Confession..."は木下尚江『良人の自白』、"England through..."は杉村楚人冠『大英遊記』らしい。『英訳金色夜叉』がLloyd訳なのは知っていたが、『英訳大英遊記』はさすがに知らなかった。

 本書については黒岩比佐子女史がブログに詳しく書かれていて、函付を8千円でかったとあるから、かなり珍しい本のようだ。

blog.livedoor.jp

森鴎外『青年』(籾山書店)大4年3月10日第2版 2200円

 再版に際して、なぜか函入りの胡蝶本から丸背カバー装に代わったことでおなじみの『青年』である。以前も書いたかもしれないが、かなり前のシュミテンでカバー欠400円というのをカゴに入れていたのだが、知識が足りなくて戻してしまい、先輩がそれを拾って「掘り出し物」と喜んでいたのに悔しい思いをしたことがある*2。再び手に取る機会を得たわけだが、これは布装。まあ改装のセンが濃厚だが、造本としてはよくできているし経年並みに傷んでいるのも悪くない。もしかしたら異装かも、とはやや高かった値段に対しての言い訳である。

 

 青展(というかS林堂)と合わせて3万くらい買い、寝不足もあって即離脱。翌日のブックフェスティバルにも期待しつつ、それでも下等なる遊民生活ゆえ休む暇はないのだった。

*1:しかも前回は200円で買っている。

*2:と書いてはみたが悔しさはさほどでもない。そもそも私が所有していたところで何に役立てるでもなし、先輩が購入したことでその本について一生忘れないこととなったのだから、むしろ勉強としてはかなりうれしい体験である。

書誌を拾う

 休みを取らずとも仕事の合間に行けると気づいて久しい古書展初日だが、やはり2週続けてとなると体力的に厳しいものがある。日差しの強い中でならぶのも身に応えたし、特に今日など目の調子が悪く、見開いて棚を見てゆくのが大変に辛かった。

 だからというと言い訳がましいけれども、今日はこれといった掘り出し物が得られなかったように思う。そもフソウさんも物量をかなり減らし、小耳に挿んだところでは従来70本用意していたのを40本ほどにまで縮小したとか。今後はこのくらいでいくとのことで、ろくでなしの客としてもやはり淋しさは大きい。

 

夏目漱石吾輩は猫である(大倉書店)明43年2月10日18版, 橋口五葉装 2500円

 初っ端、『猫』が3冊見えた。上編が2冊に中編が1冊だったが、揃いでもなし、ぜんぶ掴むのはさすがに躊躇われた。一瞬の迷いののち手に取ったのは、上編のうち比較的状態の良い方。3セットちょい持っている猫のなかでも、実は上編は背とか表紙が欠けているものばかりで、ようやくまともに本のかたちをした1冊を得られた恰好である。

 ところで、18版というのは元版の中でもかなり版を重ねた数字である。最新版『漱石全集』の書誌でもこれ以降の版は収録されていない。書誌によると、このあと同じ大倉書店から出される縮刷版の初版が明治44年7月2日発行なので、間にもう少しあってもよさそうなものだが、どうだろうか。

 

島田清次郎『地上 第1部』(新潮社)大8年8月8日3版 1000円

 以前も書いたように、『地上』はあと第1部の初版を入手すれば初版で揃うことになる。別段初版だからどうということもないのだけれども、どうせならという心境である。

 だから所詮重版のこれを買ったところでコレクションの進展はないのだが、第2部が出される前の版ゆえ、奥付には第4部までの見通しが記されている。参考までに。

 

③瀬沼壽雄編『水守亀之助 書誌と作品』(京王書林)平11年1月12日 1000円

 ―――――『十一谷義三郎 書誌と作品』(京王書林)平11年9月1日限300部 1000円

 ―――――『片岡鉄平 書誌と作品』(京王書林)平12年11月1日限350部 1000円

 瀬沼編による書誌シリーズは存在は知っていたけれども、どこで見かけても小高いのと渋めの作家ゆえ急ぎ入手しようと思わなかったのとで、いずれも未所持であった。1000円というのも激安ではないが、思い立った時にまとめて買っておく。同編者による川崎長太郎書誌もいつかは手に取ってみたいところ。

 いったいに、読むために本を買っていない私のような不届き者にとってみれば、書誌が最も確実に必要で、間違いなく役立つ本であるといってよい。その書誌とて、必要に迫られなくては紐解くことがないくらい、不勉強な遊民なのだから呆れるばかりである。

 

④『扶桑書房古書目録 近代詩特集号』(扶桑書房)平22年9月7日 2000円

 フソウさんの写真版目録もずいぶん揃ってきた。5回に及ぶ一人展も師走展も、記番入りで100部限定発行された夏季号目録も3部とも蒐め、今回この近代詩特集を入手したことで一段落といったところか。

 正直詩集はよほどのビッグタイトルでない限りは蒐集範囲外である。本目録に収録された詩人の1割も知らないのではないか。しかし〈詩史の隙間を埋める様にした〉と序文にある通り、見事な資料であることは確かだろう。今日の一番嬉しい収穫は、おそらくこれ。

 

⑤高橋五郎『ゲーテ感想録』(日進堂)大2年11月1日佐々木味津三旧蔵 2000円

 こういうのも面白くて買ってしまう。書き込みはそんなに多くないのだが、興味深いのは読んだ時期。軽くネットで調べただけだが、こちらのサイトによると味津三は大正3年に神経衰弱を患っており、本書にはまさにその年の日付が書き込まれているのである。またこれを入手したのはどうも温泉地らしく、湯治に訪れた先で自らを慰めるべく手に取った本だとすれば、そのころの味津三の心境に思いを馳せる上では貴重な資料であろう。

 ちなみに味津三の旧蔵資料は、明治大学史資料センターに寄贈されたとのことである*1

 

 寝不足で頭が働かないといまいちエンジョイし切れない部分も多いが、それでも先輩方とお話をしながら、濃密な棚を堪能したことであった。やはり古本は楽しい。