紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

出遅れのシュミテン

 マドテンもさることながら、シュミテンにおける朝の混雑には辟易する。といって、私もその人混みの構成要員であるからして、天に唾を吐くのは止しておこう。

 いつもより少し遅れて9時半すぎくらいに到着すると、ふだんなら会館前に蜷局を巻いているオジサマたちの列が見えてこない。暑いから早めに開放したようだが、一瞬、出遅れが過ぎたかと冷や汗をかいた。

 ふだんより10数人分うしろでの参戦。前を見やれば歴戦の勇士たちの後ろ姿が見え、今日は負けかなと肩を落としたが、いざ始まってみるとうまく立ち回ることができたのは幸いであった。

 

 ということで3点ばかり紹介。

 

志賀直哉『寿々』改造社)大11年4月21日再版函 300円

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 別段珍しい本というわけでもないが、個人的には探している本であった。

 私は好きな作家を問われたら志賀直哉を挙げることにしていて、その短篇には愛着のあるものが多い。特に雰囲気が好きなのは、芥川も称賛したことで知られる「焚火」だ。その「焚火」の初出単行本であるところの『寿々』は、私にとって初版完本で欲しい数少ない本のひとつである*1

 

網野菊『遠山の雪』(皆美社)昭46年8月7日函帯署名, 小倉遊亀装 2000円

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 これも本自体はありふれたもので、帯欠ならすでに所持していた。署名が入っているといえ網野菊にそこまでの執心はなく、いちおうどんなものかと開いてみたら、「署名」は裏見返しになされていた。曰く「昭和四十六年八月十二日 大塚にて落手 網野菊」とある。著者本人が署名に「落手」と書き添えるのも妙だと思って矯めつ眇めつしてみたところ、函に巻かれたボロボロの元パラに「自家保存用」と書かれていた。よく見ると本冊のパラフィンにも「自家用」とあり、いずれも間違いなく網野菊の筆跡である*2

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 著者が自ら架蔵していた本だから何、ということもないのだが、そこはロマンというか、珍しいものには違いないのでコレクションに加えておく。なお、パラフィン紙自体を保護するために、帰宅後速やかに上からグラシンを重ね掛けしておいた。

 

夏目漱石吾輩は猫である 中篇』(大倉書店)明40年11月10日7版裸, 橋口五葉装 2000円

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 ついについに。古本者であれば欲しがらぬ者はいないのではないか。橋口五葉の装丁による夏目漱石のデビウ作である。端本でもいいし重版でもカバー欠でも全然かまわないと思いながらも、これまで購入の機会を持てず、縮刷版を手当たり次第に買いあさって気を紛らわせていた。やはり元版はいい。

 もちろん、せっかくなら上中下と全巻揃えたいところではあるが、この1冊を入手するのに1年強古書展に通い詰めたのだ。次に安く出現し、且つ掴み取ることができるのはいつになるのか、皆目見当もつかないが気長に待ちたいところである。

 

*1:元来、初版完本美本にこだわりはない。そも蒐集の動機がミーハーで、「名著の元版が欲しい」という程度のものであるから、同体裁の重版で十分なのだ(そりゃあ初版で外装もついているに越したことはないが、大枚をはたく気もない)。しかし例外がいくつかあって、その最高峰は漱石の『鶉籠』である。

*2:根拠は手元にある自筆葉書の筆跡と同じであるためだ。昔オークションで安かったので買っておいたが、思いがけず役に立ったというわけ。