紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

武者小路実篤『無車詩集』

 武者小路実篤の『無車詩集』自体はさして珍しい本ではない。元版の函付きだけでなく、ただ手に取りたいだけなら近代文学館の復刻も出されているため、入手は容易であろう。

 

 と思っていたところ、この本に愛蔵版なる小数部――具体的には30部限定の愛蔵版が存在するとわかった。「わかった」というより、古書展会場で発見、購入して初めて知った次第だが、後から考えればかなりの掘り出し物であった。

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 私が手に入れたものはタスキに「改装本」と記載されていたもので、なるほど糸綴じの和装本にも関わらず差し込み函という妙ちくりんな体裁に仕上がっている。入手したのち、お世話になっている古本屋に尋ねたりネットで調べたりし、本来は帙入りで肉筆のページがあるらしいとわかった。

 その「本来の姿」を初めて眼前に拝むことができたのは、今年の七夕古書大入札会でのことであった。想像していたよりも頑強な帙、美麗な肉筆画など、その魅力には圧倒されるばかりだった。ここで初めて、私の架蔵本に検印紙も欠落していることが分かったが、まあこれは大きな問題ではなかろう。むしろ大きく気になったのは、今回出品されていた本の記番が「特13番」となっていた点だ。30部以上刷ったものについて記したものかと思うが、これはよくわからない。

 

 本記事の冒頭に「さして珍しい本ではない」と書いたが、これは限定数の定まっていない「普通版」のことである。愛蔵本を入手したのは去年の10月のことだが、ようやく最近になってこの普通版も落手するに至った。

 一見して明らかな違いは本文用紙の質感である。普通版はいわゆる普通の紙だが、愛蔵本の方は繊維の質感を残した和紙っぽいものが使われている。いずれも武者の絵が薄赤く透かしとしてあしらわれているから、高級感のある造りだと思う。

 

 ふと、復刻版(前述の通り「普通版」を底本としている)はどのような体裁になっているか気になったので、地元の図書館で借りてきてみた。近文のものは所蔵されていなかったが、代わりに「愛蔵詩集シリーズ」のものを参照すると、透かしのデザインこそ再現されているがモノクロで味わいがまるで感じられない*1

 この復刻の巻末を見ると、解題がかなり詳しく書かれていた。曰く、甲鳥書林から出されたこの無車詩集には、愛蔵本と普通版のほか、さらに「普及版」と呼ばれる廉価版が存在するとのことである(未所持)。なお発行順は以下の通り。

  ①愛蔵本 昭和16年3月30日

  ②普通本 昭和16年4月3日(上製函)

  ③普及版 昭和16年4月15日(並製函)

 これをみれば愛蔵本こそが『無車詩集』の元版であると明らかなわけだが、一般に販売されたと思われる②と③との間がずいぶん詰まっているのは面白い。解題の遠藤はこの点について次のように述べている

普通版が出て間をおかずに「普及版」が刊行されたことは、実篤の詩がどれほど広く世に迎えられたかを、物語っている。(p.359)

 

 ところで解題では体裁がどのように変わったかについても簡単に記されているのだが、気になる点があったので一部抜粋する。

普通版にあった本文中のさつま芋の絵はこの版*2にはなく、かわりに「ロダンの彫刻のある自画像」が挿画として二七四ページの次におかれている。(p.363)

 しかし、手元にある愛蔵本を見ると、確かに普通版で冒頭におかれている「ロダンの彫刻のある自画像」は「二七四ページの次」に移動しているが、「さつま芋の絵」の方は、果たして普通版と同じ位置に挿み込まれているのである。

 このズレの理由は2通り考えられる。ひとつは遠藤が参照した愛蔵本に偶々「さつま芋の絵」が欠落していた場合、いまひとつは、私の架蔵本が改版される折に、わざわざ普通版の挿絵を追加して製本しなおされた場合だ。挿絵の紙は普通版でも「いい紙」を使っているから、(私の)素人目にはすり替えがあってもわからない。尤も、後者の可能性はかなり低いと思うが、いずれにしても小数部の限定本についての話ゆえ、例えば30部がすべて同体裁で作られたという確証すら私は得られていない*3

 愛蔵本の存在自体、そんなに広く知られているものではないように感じているが、その書誌となれば尚きっちり残されていないのかもしれない。将来的に「完本とされる」本をじっくり調べる機会があるかどうかわからないが、その時を待ち望んで漁書にはげんでゆきたい。

 

無車詩集 (愛蔵版詩集シリーズ)

無車詩集 (愛蔵版詩集シリーズ)

 

*1:そもこのシリーズは、初版本そのままに復刻する近文とは方針が異なり、初版本の雰囲気を残しつつ現代で読みやすいよう改版等の工夫を凝らした造りになっている。それぞれ良さはあろうが、書誌的項目を参照したいコレクターとしては近文のほうが好ましいのではないか。

*2:愛蔵本のこと。

*3:第一、私の持っている愛蔵本はキチンと記番があるが、目次のうち1ページに印刷のダブり(文字が二重に刷られている)が見られる。となれば落丁乱丁があっても不思議はないと思う。