紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

小江戸から深川

 ここ数ヶ月の浪費がたたり、まさに爪に火をともさんばかりの節制生活を送っているのだが、どうしても行っておきたい特別展があったので川越へ。

 川越市立美術館は、ちょっと前に小村雪岱の展示+講演会で訪うて以来である。広大な展示スペースを有しているわけではないとはいえ、落ち着いてよい雰囲気の美術館だ。

 今回の展示は「乙女デザイン―大正イマジュリィの世界―」であった。イマジュリィというのはフランス語でイメージとか意匠とかそういう意味らしく、ともかくも大正期を中心に活躍したデザイナーの仕事をまとめた展覧会である。

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 行ってから思い出したのだが、今年の夏に日比谷図書館で催された同様の展示も、私は見に行っているのだった。我ながら記憶力の乏しさに呆れる。で、出品物も当然似たようなセンではあり、先の展示に比してまとまりをもたせながら点数を増やした感じ、とでも言おうか。装丁の仕事もたくさんフィーチャーされているから、本好きであれば間違いなく楽しめる展示であると思う。

 書痴の末席を汚す下等遊民でこそあれ、そこは古本者である。展示してある本を眺めては「これは函欠だなぁ」とか「うちにある本のが状態いいなぁ」とか、卑しい批評を心中つぶやいては無用なる優越感に浸るのだ。また逆に、未知の本も相当数見られたのは大変後学のためになったと思う。殊、不勉強で装丁者が不明であった数冊について、結論を得ることができたのは大きかった。こういう企画展図録以外に、装丁の仕事を網羅的にまとめた本って少ないのではないだろうか。

 

山田俊幸監修『大正イマジュリィの世界』 1080円

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 買ってから気づいたのだが、この図録は川越市立美術館が作ったものではなく、同様の展示会で汎用的に販売されているもののようだ。したがって会期とか会場についての記載はなく、また今回の出品と図録掲載品とではズレが見られる。もっというと、同タイトルでピエ・ブックスから出された本のダイジェスト版という感じらしいから、元の本買った方がよかったかもしれない。まあ、出品目録はもらったからこれと合わせればまずまずの資料になるとは思う。蕗谷虹児とか杉浦非水なんかは特に好きなデザイナーだから、そのうちまとまった画集だか図録だかを買っておきたい。

 

 ついでに、隣の博物館でやっていた「川越とサツマイモ」というのも気になったので覗く。小ぢんまりとしているが、青木昆陽の名前を辛うじて知っている程度の私には、じっくり見ると勉強になる内容であった。「栗よりうまし」の語呂合わせで「十三里(くり+より)」と呼ばれたのは聞いたことあったが、栗に近いという意味で「八里半」というのは知らなかった。江戸で焼き芋が売られている風景の浮世絵など、文化的には貴重な資料である。

 で、小江戸の混雑を歩いて駅まで戻った。日曜ということもあり混雑はすさまじい。菓子街に興味はないのだが、明治大正のころから残っている建築は面白く見ながら帰った。路地に入れば川越日活の廃墟が残っていたり、看板建築群が残存していたりと、人がいなければもっと写真を撮れるのにと思ったことであった。

 

* * * *

 

 路線の関係から国分寺で途中下車した。しちしち舎という古本屋は確か数年前にオープンした店で、初訪店である。今日の均一は文化史・社会史の類が多くみられ、どれを読んでも面白そうであった*1。が、置き場所のことも考えてセドリめいた漁書は控える。

 店内もいい本が安い印象であった。シュミテンを控えていることもあるから、均一の収穫で我慢して帰ろうと思いつつ棚に視線を滑らせていると、なんと積日の探求書を発見してしまった。しかも相場より格段に安く状態が良い。思わず声を挙げそうになりながらも会計をした。店内で掘り出し物をしたというのは、久々のことである。

 

赤瀬川原平『櫻画報大全』(新潮社)昭60年10月25日カバー, 東幸見装 100円

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 特に珍しくはないしシミもあるが、欲しかったので100円ならうれしい。冒頭に「宮武外骨先生に捧ぐ」とあることからわかるように、世間のあれこれを皮肉るような内容がガロ的な絵柄で書かれている。画集のような位置づけの本だから、私としては本来なら大判で楽しみたいところだが、いかんせん場所がないからこれでよいとする。

 赤瀬川原平といえば、昔『イギリス正体不明』という写真集を署名入りで持っていて、私が訪英したときのことを懐かしく思い出しながら楽しく読んだものだった。買ってしばらくして赤瀬川の訃報が入り、その新聞記事も挿んでおいたのだが、引っ越しの折友人に譲ってしまった。

 

小海永二『日本戦後詩の展望』(研究社)昭48年10月30日カバー帯ビニカバ 100円

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 戦後詩の流れとか思想といったところが私に理解できるかといえば自信のない所であるが、そもそも戦後の詩人をよく知らないのでちょっと目を通しておこうと買ってみた。小海は詩人で横国の教授をしていた人物らしい(それすら知らなかった)。個々の作家のこととか時代背景を知らないければ詩の理解は一段落ちるという話、川柳を例として聞いたことがある。『柳多留』なんかは注釈つきで読むと江戸の生活史として面白いのだけど、それだけで見るとなんのことだかさっぱりわからない。そういうことが戦後詩においてもあるのだろうと思う。

 

式場隆三郎二笑亭綺譚』(昭森社)昭14年2月20日初函 1000円

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 店内での掘り出し物というのがこれだ。後版の多い二笑亭綺譚の中では最初期のもので、50部限定というA版は未見*2。B版じたいは偶に見かける本ではあるものの、ほとんどが再版*3という印象である。B版再版の相場は3000円くらいだと思うが、函が脆く潰れてしまっているものも多い。

 このたび安く入手できた初版だが、棚に刺さっているのを見た瞬間に、再版より厚みがあるのに気が付いた。全体の意匠こそ同じであるけれども、本冊の印象は再版とずいぶん違う、私見ではより高級感のあるものとなっていて、またよく見ると函デザインの線も、微妙に書き方が違っているようだ。

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再版の方は角背で紙質も若干悪く、初版の貼函からホチキス留めの機械函にランクダウンしている。見ての通り函の印刷もズレている*4から、結句、全体に造りが粗末になっていると言えるだろう。

 中身を比べてみると、目次(内容)こそ同じであるが、差し込みの図版の場所が異なっていた。初版では二笑亭関連の写真と、併録された「狂人の絵」関連の図版とがまとめて巻頭に掲げてあるのだが、再版では後者だけが「二笑亭綺譚」の後、つまり全体の真ん中あたりまでページが移動しているのであった。

 初版と再版とでここまで違うということは、あまり言及されてこなかったように思う。『二笑亭綺譚』は平成以降の文庫化もあって、式場の著作の中でも比較的知られた本だろうが、元版のまして異版まで追いかける人がいないということであろうか。限定本の多い式場だから、書誌とかちゃんと作ったら面白いことになると思うのだが。

 ところで某ツアーさんのブログでも、ずいぶん前に『二笑亭綺譚』B版を入手した話が書かれている。それを見ると、なんとB版の再版でも判型の異なる本があるらしいのだ。謎は深まるばかりである。

 

 来週は盛りだくさんなのに、ここで思わぬ出費が痛い。いろいろ考えるとシュミテンではあまり買えそうにないかもしれない。果たして。

*1:「~の社会史」とつく本は、大抵そそられる。今回店頭および店内で目にした『時計の社会史』『買い物の社会史』もいずれ読みたいし、『通勤の社会史』とか『遅刻の誕生』とか、自分の知らない発想があふれていて面白そうだ。

*2:架蔵しているのはB版(初・再)、三笠新書(帯欠・帯付)、決定版、求竜堂版、ちくま文庫版(帯欠)の7冊となった。あとはA版とC版と、中央公論の初出とは持っておきたいが、なかなか難しい。

*3:発行は同年9月5日。

*4:この函はなにか絵本だか紙芝居的なものの裏紙からできていて、内側を覗くと「おち葉たき」という題の児童詩とイラストが見える。管見に入った再版本はすべて内側が無地=再利用したものではなかったから、この点も興味深い。