紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

寒波の彷徨

 このところ一切の意欲が減退しているから、休日であっても無目的的に街を徘徊するばかりで、非生産的であることこの上ない。そも満足な休みをとれていないということもあるが、爆買いで知られる(?)私が年明けからこの日まで本を買わなかったくらいなのだ。1年が思いやられるというものではないか。

 

 で、今日の彷徨は吉祥寺周辺。本と全く関係のない、個人的な贈り物を購いに出たとはいえ、さすがに本屋の多い街であるから全く覗かぬというわけにもゆかない。

 

①『新青年 趣味XVII 特集:大下宇陀児

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 本ブログでは散々書いてきたように、私はそれらしい蒐集範囲を持っていない。分別をわきまえずに、高名な本、安い本、面白そうな本と、手当たり次第に購入してきた結果が、年間814冊という不名誉な記録なわけだが、それでも拘っている数冊というのがある。そのうち1冊が式場隆三郎二笑亭綺譚』で、内容の説明は省くが、重版異版を集めるのが頗る楽しいものである。

 で、本書『新青年 趣味』をわざわざ買ったのは、実を言うと二笑亭関連書だったためである。年末年始の無聊を託ってネットサーフィンに興じていた私は、たまたま「漱石二笑亭の邂逅」というなんとも"そそる"論考の存在を知り、同時にそれがよく知った同人誌に収録されているとわかったので、ただちに入手するべく策を講じたのだった。お誂え向きなことに、「日本の古本屋」から「ひゃくねん」に在庫があるとわかったので、寒空の下、馳せ参じたというわけである。

 ざっと読んでみて、まあわかっていたけれども、二笑亭に関する新たな資料が提示されていると言うわけではない。けれども宇陀児他の創作に「二笑亭綺譚」が参照されたのではないかという推測は面白いし、同時代におけるあの小文の需要という視点も気にしておきたいところである。

 ところで、二笑亭について長年探している資料のひとつに、「庶民の酒蔵 二笑亭」というのがある。これは『二笑亭綺譚』のあとがきで式場が言及している酒蔵で、どうも名前の通り二笑亭を模した建築だったらしいのだ。戦後新橋の柳通に建てられたものということだし、写真の1葉でも残っていると思うのだが、なかなか探しにくく苦汁を嘗める日々が続いている。

 

壷井栄二十四の瞳新潮文庫)昭39年1月30日19刷元パラ帯カバー, 三芳悌吉装 50円f:id:chihariro:20190116072000j:plain

 何の変哲もない古ぼけた新潮文庫だが、背表紙を見た私は即座にピンときて、抜き出すと案の定「厚着本」であった。

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 界隈で厚着本と呼ばれているのは、どうやらほぼ文庫に用法が限られていて、カバー(ジャケット)の下に帯・元パラが重なっているものを指すと認識している。私の知る限り、創元推理文庫新潮文庫に例があり*1、どうも旧来帯とパラフィンだけだったものが現行のようなカバー装へと移行する、そのちょうど過渡期にあたる文庫に見られるようだ。たぶん、返品の折にでも新しくカバーをかけたのではないかと思う*2

 

 以前にも新潮文庫の厚着本を均一棚で発見したことがあるので、序でに紹介しておく。

 

石原慎太郎太陽の季節新潮文庫)昭32年8月25日3刷元パラ帯カバー, 城所昌夫装 100円

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 『二十四の瞳』との共通点として、昭和30年代の発行であること、重刷であることが挙げられる。いずれもカバーと元パラが残存していることから察せられるように、表紙周りは美本であった。

 他のレーベルは未見だが、少なくとも新潮文庫の傾向として、カバーのデザインが背にまで及んでいる時代のものに厚着本がよく見られるような気がする。が、いかんせん2冊では例として不足しているから、今後もこつこつ漁りたいところである。

*1:調べたら角川文庫にも目撃証言がある。

*2:これと同様の現象は、河出文庫特装版と呼ばれるシリーズにもみられる。あれもカバーのなかった古い版に新しくカバーを掛けたものと目されているようだが、同様に厚着本は存在するのだろうか。