紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

悩み悩んで

 春とは思えぬ凍てつきを見せている東京だが、桜は辛うじてその花弁を支えているようだ。葉桜まじりになりながらも、三段染めみたような輝く色彩は、満開のそれとはまた違った見どころがあるように思う。

 なんて風流人ぶってみたが、実のところ朝からの寒さには参った。この頃は夜間に睡眠をとれる日も増え、今日も今日で一応は眠ってから出かけることのできるスケジュールだったのだが、そこは第二の天性。うまく寝ること能わず、結句徹夜明けで赴くのと同様の疲労感を抱えたまま、オジさん群がる古書会館へ向かったのだった。

 到着は10時ちょうど。体力的にも精神的にも、人の海で泳ぎたくはなかったので寧ろ好都合の遅れである。したがって、会場とともに人が雪崩れ込むのを尻目にトイレを済ませ*1、10時2分とか3分あたりに会場入り。悠然と棚を眺めていく態となった。

 

森鴎外『我一幕物』(籾山書店)大元年8月15日, 橋口五葉装 300円

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 場がずいぶんと飽和してから、蝙蝠堂の棚にて発見した。見るも無残な状態だし、胡蝶本の中でも恐らく一番人気のないタイトルであろうけれども、300円というのは気の毒で涙の出そうな値段である。これで胡蝶本は5冊目か。やはり谷崎とか鏡花あたりが欲しいところだが、なかなか手が出ない。

 

中里介山大菩薩峠 第二冊』(春秋社)大10年8月5日3版 300円

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 これも欲しかった本。ひとまず外装欠の端本で構わない。アキツさんの値札には「木版画二葉入」とあったが、これは巻頭部分だけの話で、巻*2の区切れ部分にもう1葉入っている。惜しいことに挿絵画家の名前がなく、検索してもうまく見つからないので誰の筆によるものかわからないが、どこか見覚えのあるタッチだ。どうにか調べてみようと思う。

 

③『少年化学探偵小説 海野十三全集 第二巻』(東光出版社)昭25年4月30日 1800円

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 今日はそんなに大物がなかったから、財布のひもが緩んでしまった。まあでもこのテの本で函欠にしては綺麗な状態ではないかと思う。収録作は「謎の透明世界」「怪鳥艇」「ふしぎ国探検」「月世界探検」「指紋」「電気鳩」「ノミの探偵」の7本。好きな作家ではあるのだけれども、不勉強なことに、いずれも未読作のはずだ。せめて贔屓の文豪くらいは追っておかなくてはなぁと思いながら、積ン読は増えるばかりである。

 

④『浪速書林古書目録 第39号 徳永直特輯』平17年5月8日 300円

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 浪速書林の古書目録は、過去に星の数ほど発行された目録の中でも、とりわけ参照すべきものとして語られることが多い印象である。そのうち、私が特に欲しいと思っていたのは、漱石特輯と今回手に入れた徳永直特輯である。前者は言うまでもないとして、徳永直の号については、収録の浦西和彦「徳永直著『太陽のない街』のこと」を読みたかったのだ。

 すでにここで書いたように、私は『太陽のない街』の奥付の異同に興味があって、少ない参考文献のひとつとして確認したかったということなのだが、残念ながら期待したような知見――すなわち、私が見たことのない版に関する情報は得られなかった。ただ不可思議なのは、著者が確認した版として「12月4日発行」のものをあげていたことである。私が知る限り、これは国立国会図書館所蔵の訂正本に付された貼紙の日付であり、それを基準とした近文の復刻版には同じ日付が奥付に直接印刷されている。要するに貼紙を奥付に反映したのが復刻版だから、元版の「12月4日発行」版は存在しないと思っていたのだが、著者は「奥付けに直接印刷されており、国会図書館所蔵の訂正本とは別である」と書いているのだ。書誌の世界は実に謎が多いと言わざるを得ない。

 

日夏耿之介監修『游牧記 第壱巻第肆・伍冊』(游牧印書局)昭4年12月30日 5000円

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 上に「大物がなかった」と書いたが、実は開場に入って、最初にケヤキの箱から拾い上げたのがこれだった。S林堂主人が好きで復刻を出している平井功が、日夏耿之介らとともに出した雑誌で、これはナンバリング的には4と5との合併号にして最終号である。

 など言いつつ、その実、書誌的な項目はほとんど知らない。木炭紙を使ったいい本だし、平井功が熱心に取り組んだという薄ぼんやりとした印象しか持たぬままに買うというのは、ちょっと申し訳ない気もする。しかしまあ、それなりに珍らかな品でもあろうしと、思い切って見た次第なのだが、深淵なる古書の世界ではまずまず見かける本なのだろうか。

 購入した理由の一つに、本書がアンカット(値札の表記では「アンオープン」)だったことがあるのだけれども、これとて同書においては、そんなに瞠目するほどの事実でもないようだ。

 この本については、買った直後に進展があったので、新たに品物を落手し次第、ここで報告できたらと思う。

 

 今日のお会計は約10冊で12000円ほど*3。マドテンにしては少し買い過ぎたか。馴染みの店に取りおいている品もずいぶん放置してしまっている。近日中に行かなくては申し訳が立たない。

 

 ところで、スキャナと離れた生活を送ることとなったため、本の画像はスマホのカメラに頼らざるを得なくなった。漁書の記録である以上、精細な画像を残すことは拙文以上に大切なことだと思うのだが、仕方のないことである。

*1:私はふだん、都営新宿線神保町駅を利用しているのだが、駅構内は少し前から改装工事をなされている。それに伴い、私が神保町へ到着したときに使うホームのトイレは目下使用禁止となっていて、これが実に不便なのだ。古書会館が開いてさえいれば列を避け避け半地下にあるトイレを利用できようが、玄関のガラス戸が開放される前に並んでしまってはそれも叶わない。

*2:というと冊子の単位に聞こえるが、ここではいわゆる章のこと。

*3:帰ってきて勘定しなおしたら、どうも買った本が500円分足りなかった。本を忘れてきたとは考えにくいから、帳場で多く払ってしまったようだ。トリプルチェックをしていたはずだし、私としても電卓をはじく指を注視していたつもりなのだが、ともあれ向こうに罪はない。偏に私の注意不足である。勉強代として心に刻んでおきたい。