紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

古本蒐集の始まり

 GWはあまり本を買えそうにないので、筆の向くままに思い出を書いてみたい。若い蒐集家の記録として、集めだしは語るべき大切なポイントであろうが、なにしろ記憶が曖昧なので、一切の価値が期待できないことをここに断言しておく。

 

* * * *

 

 初版本蒐集家の界隈に顔を出すようになって2年が経った。歴戦の勇士たちに紛れては、私のキャリアなど遍歴と数えるのも烏滸がましいくらいの須臾であろう。

 実のところ、古本市へは学生時代に赴いたことがあったし、近所の古本屋となれば更に以前から足を運んでいたようだ。「ようだ」などと他人事のように書いているのは、単に私が初めて古本屋に入った記憶を持ち合わせていないためである*1。すでに幼少のみぎりから某OFFをはじめとする「新古書店」が台頭していて、小学校の時分からよく両親と本を選びに通ったものであった。予備校に近かった「ヨミタヤ」に通い出すのは高校に入ってからの話だが、入店に一切の躊躇がなかったことから察するに、既に古本屋というものへの抵抗はなかったはずである。

 その後、大学で国文学を勉強する専攻に飛び込んだのをよしとして、参考文献を漁るという口実の下、定期圏内及び自転車の行動範囲内での店を踏破していくことになる。S林堂に初めて入った*2のもこのころであった。

 

 初めての古本市は、確か新宿の京王古書市ではなかったかと思う。ともかく新宿であったことだけ覚えていて、私が高校生の頃であった。

 当時、というか大学を卒業するまで、私の蒐集対象は今よりもずっと雑本に寄ったラインナップで、均一台の中から心惹かれた本を拾い上げるというスタイルだった。従って、ハナから高額な本など手に取るべくもなく、やはり「面白そう」と思えるものをぽつぽつ買っていた。

 その京王古書市で初めて抱えた、いわば私にとって思い出の1冊は、島津久基『日本国民童話十二講』カバー付500円である。値段はまあ適切なところだが、別段珍しくもないし、現在ではまず購うことのない本だ。しかし当時は今よりも読む方に重きを置いていたし、童話への興味も深かったから買うことにしたのだと思う。他にも大阪万博のパンフレットとか、近文復刻の児童文学シリーズとかを買ったが、これらも含め、今に至るまで一切本を処分していないのが恐ろしくもある。

 

 大学に入ってから、先生の案内で神保町へ赴いたり、友人と10月の古本まつりに行ったりもしたが、依然として近代文学の初版本・初刊本に意識が向くことはなかった。強いて言えば、近文の復刻版のうち、気になる作家の作品について買っていたくらいのものであろうか。

 ここまで一切、初版本と無縁の経歴を辿ってきているわけだが、そんな私が初版本蒐集を志すきっかけとなったのは、界隈では今なお伝説的に語られている、某大学の太宰治展である。

 偶然にツイッターで開催概要を目にしたもので、全初版本、異装版、原稿を始めとする直筆資料などの展示品もすごかったが、来場者から抽選で『人間失格』初版本*3をプレゼントするというのがともかく印象的であった。加えて、某版道さんが「来場したフォロワーのうち、希望者に初版本をプレゼントする」とまで言い出したものだから、さすがに居ても立ってもいられず、すぐに訪問予定である旨のDMを送り、やや遠方であったが行ってみることとした。

 展示の感想は機会を譲るとして、ここで頂戴した『富嶽百景』の初版本が私にとっての初・初版本となったのであった。周知のように、この初版本は新潮社の昭和名作選集の1冊で、装丁は他のタイトルと同じく簡素なものである。従って、例えば『ヴィヨンの妻』とか『信天翁』などと比べたら、本としての面白さは一枚落ちると思うのだが、短編集として好きな作品がたくさん収録されていたし、なにしろあの『富嶽百景』の初版本なのだ。家まで待てず、帰りがけに立ち寄ったレストランで封筒を開け、中から出てきた本を見たときの嬉しさといったら、筆舌に尽くしがたい。

 こののち、幸運なことに縁があって某版道さんと交流が続き、狂気の初版本蒐集が加速してゆくことになるのだが、ちょっと区切りがついたので稿を改めておく。

*1:カラサキアユミさんの著書でもそうだったが、古本屋との出会いというのは印象的に語られることが多い気がする。確かに、埃っぽい店内、不愛想な店主、山と積まれた薄汚い本、それを血眼になって漁るオジサン、などが揃った特異な空間である以上、そこに初めて足を踏み入れたとなれば、その記憶は深く刻まれても何ら不思議ではない。

*2:記録によると2012年12月のこと。最初の訪問時に買ったのは、均一台から創元推理文庫の『ミニ・ミステリ傑作選』と、店内からソノラマ文庫海外シリーズ『海外ミステリ・ガイド』の2冊のようだ。興味があったというよりも、ミステリ系に強い店だというのを意識しての選書だったのだろう。

*3:帯欠ならば高く見積もっても5000円以内で入手可能であるが、当時はものすごい価値のものと認識していた。だから、そこまで珍しくない「初版本」でも、入手したことを喜んでいる文学ファンの気持ちがよくわかる。彼らのうち、1パーセントでも古書の深淵に足を踏み込んでくれたならば、この世界はもっと面白くなるに違いない。