紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

笙印の旧蔵書

 実に忙しい1週間を過ごした。

 元より規則正しい生活など望むべくもない、下等なる遊民生活を送っているとはいえ、ここ数日はうまく眠る時間を確保できぬ日が続き、満身創痍の体であった。

 それでもマドテンに行かない選択肢をとれば、後から省みて激しく後悔することは明白で、又この疲れを幾許か癒すことにもなるのではないかと、誰にともない言い訳を口にしつつ、一路古書会館へ。

 

 遅めに訪うたのだが、今日はいつもより随分列が長い。まあシュミテンではないから、最悪少しばかり抜かれた後でも構うまい。荷物を預け、最下層最後尾からのスタート。

 

①バーネット夫人/清水暉吉訳『秘密の園』朝日新聞社)昭16年1月10日函, 山下謙一装絵 700円

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 初めに人だかりの中から辛うじて手に取ったのはこれ。装幀に惹かれてのことである。現在は『秘密の花園』と訳されるのが主流であろうが、これはたぶん比較的早い時期の翻訳なのではないかと思う。役者の序文には以下のようにある。

「小公子」が我が国に紹介されたのは、明治二十年代で、次いで「小公女」も紹介されましたが、以来この二つは広く読まれていますが、「秘密の園」だけはこれまでにこの物語の一部分の外はあまり広く読まれていないようです。何故もっと、こんな良い書物が広く紹介されなかったのかと不思議に思っています。(pp.9-10)

従って、下手をするとこれが全訳としては初なのかもしれない。Wikipediaを見ると、The Secret Gardenの初版は1911年であるから、30年もの間まともに紹介されてこなかったことになる。

 しかし函のたたずまい、戦前の探偵小説のような色合いと怪しさがとてもよい。

 

菊池寛『現代語西鶴全集3 武道伝来記 武家義理物語(春秋社)昭7年1月25日函, 小村雪岱装 300円

 谷孫六『現代語西鶴全集8 日本永代蔵 西鶴織留』(春秋社)昭6年7月15日函, 小村雪岱装 300円

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 井原西鶴を読みたいというわけではないが、戦前のお歴々によって現代語訳されているのが面白く、安かったら買うようにしているシリーズである。本冊に記載はないが、内容見本を確認するまでもなく雪岱装。

 この全集で一番欲しく、又最初に入手したのは尾崎一雄志賀直哉の共訳という体になっている第4巻『世間胸算用 俗つれづれ 萬の文反故』だった。これは尾崎の初めて出した単行本で、生活に困った尾崎を見かねた志賀が与えた仕事だと知られている。

 谷孫六の方の巻末を見ると、その4巻の広告が出ているが、志賀直哉の名前しか上がっていない。尾崎の名前が未だ上がっていなかったために略されたのか、この時点では志賀の単訳の予定であったのかはちょっとわからない。

 

③文芸家協会編『日本小説集 第3集』(新潮社)昭2年5月12日カバー 800円

 ――――――『日本小説集 第4集』(新潮社)昭3年5月20日カバー, 恩地孝装 800円

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 これはカバー付きで集めたいと思っているもので、すでに2集と5集は持っていた。2については他のものとデザインが違うので、カバー無完本という認識でよいのだろうか。

 今回入手した4集には「装丁 恩地孝」とあったが、これはたぶん恩地孝四郎のことか。しかし他の巻には記載がなく、造りが丁寧なのかお座なりなのかよくわからないところである。

 

④バルトロッツィ/園武久訳『ピノチオの冒険』霞ヶ関書房)昭18年5月10日3版 400円

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 いつだったか失念したが、七夕市にピノキオ関連本の大揃いが出品された年があって、その時はさしたる興味もなかったので「よく集めたものだ」と感心するに留まっていた。あの時にもっとしっかり見ておけば後学になっただろうとは思う。

 この本についても、どれだけ珍しいのか一切わからないものの、表紙の絵に加えてカラー挿絵まで入っているから豪華な造りだと思う。このデフォルメの感じとか色の出し方は、デジタルでは表し得ないかわいらしさではないか。

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⑤大木雄二『童話を書いて四十年』(自然社)昭39年11月10日非売品 400円

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 大正期から編集、および童話作家として活躍した大木雄二の饅頭本的な遺稿集である。上笙一郎宛と書かれた挨拶分が挟み込まれていて、遊び部分には「笙」の蔵書印が押してあるので、特に意味があるわけではないが買ってみた。

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 読んでみると内容としてもけっこう貴重な証言が詰まっていて、原稿を依頼しに芥川とか鏡花とか有名作家の元を訪れた際の回想とか、裏話みたいなものが満載である。個人的に収穫だったのは、童話作家としての沖野岩三郎に関する記述であった。大逆事件関連とか牧師作家として語られることはあっても、彼の大きな仕事であるところの童話作家の側面はあまりよくわからなかったので、その交遊の一端がのぞけるのは嬉しい。

 

 仕事と仕事の合間、本来なら眠るべき時間を削っての参戦となったので、昼ごろには眩暈がしていた。翌日も遠方へ出かけることとなるのだが、それについても追々書いておきたいところだ。