紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

朦朧の収穫

 時間を切り売りしていくよりほかに生活を立てる術を持たない下等遊民とはいえ、さすがに余裕がなさすぎる感もある。今日のシュミテンに並ばぬわけにはいかなかったが、行きの電車ですでに眠気に襲われての参戦となった。

 

 到着は9時20分くらいか。ざっと25人くらい、いつものメンバーが先に列をなしている。先頭集団は年々早くなっているとのことであるが、まあ最下層にいれば基本的に良い本を掴むことは可能だ。ただし私の場合、寝不足による集中力の欠落ばかりが懸念なのであった。

 が、そんな杞憂も晴れ渡るほど、名著をたくさん拾うことができたのは嬉しい。

 

夏目漱石『道草』岩波書店)大4年10月10日初版, 津田青楓装 2800円

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 フソウ棚の前に到達したら、やはりまずは電光石火のごとく最上段をチェックするのが最適解だろう。尾崎紅葉『此ぬし』口絵付1500円に次いで掴んだのがこの漱石である。

 漱石といっても、いわゆる「三部作」でないと内容にはそこまで惹かれないのだが、やはり元版は好い。函欠でも構わないし、背のイタミがあるものの、この値段ならいいだろう。

 

②『菊池寛集』春陽堂)昭4年3月28日初版署名限1000部内922番本, 恩地孝四郎装 2500円

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 3冊目に掴んだのはこれ。春陽堂から出された豪華限定本で、革装の三方金。恩地孝四郎のしごとの中でも、とりわけ絢爛なものとして知られているシリーズであろう。確かごく少数部で真珠か何かを埋め込んだヴァージョンもあるのではなかったか。

 作家を問わずとりあえず欲しいと思っていながら、前々回のシュミテンで『里見弴集』函付(たしか1500円くらい)を掴み損ね、まあ里見弴ならそこまで拘りないし、と慰めていたところであった。

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 函欠ではあるけれども、菊池寛の署名は持っていなかったので、その点でもよかったと言える*1。あとこの豪華版で欲しいとなると鏡花くらいだろうか。というか、恥ずかしい話だが、この装丁で何冊発行されたのか把握していないのである。まだまだ勉強が足りない。

 

③内田百閒『冥途』三笠書房)昭9年5月15日再劂第2版函 1500円

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 このごろ少し縁のある百閒。『冥途』の書誌は最近まで知らなかった、とすでに書いたが、正直未だに把握しきってはいない。その、いろいろあるヴァリエーションのうちの1冊を入手できたというわけだ。

 再劂版の初版なるものは、今年の七夕に出品されていた未製本のヴァージョンを指すのだったか。で、再版がこれになり、3版は安規の豹があしらわれた版だと思う。とすると、本の魅力としてはちょっと中途半端な位置取りではないかという気もしなくはないが、それでも革背で背バンドの感じがいいし、ひとまず満足である。

 

④久坂栄二郎『神聖家族』(新潮社)昭14年6月25日帯, 吉田謙吉装 800円

 福田清人国木田独歩(新潮社)昭12年6月1日, 佐伯米子装 800円

 堀辰雄風立ちぬ(新潮社)昭12年6月1日初版, 鈴木信太郎装 1000円

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 新潮社の新選純文学叢書が3冊も発見できた。堀辰雄のみ、ムシャ書房からの拾い物である。

 このうち『神聖家族』は帯までついていて、特に安く感じる。たぶんこの叢書は全冊に帯が存在するのだと思うが、なぜかあまり残っていない印象だ。架蔵の帯付はこれで2冊目である。

 また『風立ちぬ』は7版を所持しているが、これは背欠なれど腐っても初版だしよいだろう。これの重刷で表紙のフォントが変わる現象は、他のタイトルでも起こるのだろうか。というか、重版がどれだけ出されたのか疑問になるほど地味なラインナップである。

 

⑤杉浦翠子『かなしき歌人の群』(福永書店)昭2年3月5日函署名識語, 杉浦非水装 4500円

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 これは棚から拾ったのではなく、ムシャ書房の注文品である。非水装だし興味はありながら悩んでいたところ、御主人から「目録には書き洩らしたけど署名識語入りだよ」とお伝えいただいたので買ってみた。

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 やはり非水は好い。少し函の地が欠けているが、並べて見る分には問題ない。ただ残念なことに、不勉強な私には達筆なる識語が判読できないのだった。

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 巻末には「翠子夫人の肉筆短冊をお頒ちいたします」と応募用紙が挿まれている。書き方からして応募者全員サービスだろうが、本自体が2円30銭なのに対し、短冊代は1円、なかなかお手頃価格だと思う。如何ほどの応募があったのであろうか。

 

⑥「与謝野寛写真 他」2500円

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 今日の大収穫にあって、一番の珍品である。最上段の右端にひっそりと置かれていて、開始後5分くらいは誰も気にとめていなかったらしい。見た目は平々凡々たるアルバムながら、単行本と並べてあるのが妙に浮いていて、ピンときたため確保してみた。

 中身を確認してみると、数葉の欠落もありつつ、与謝野鉄幹の家族写真とか関連人物の写真がぽつぽつ収録されている。また関連する寺、原稿や碑の類の写真まで入っていて、おそらく研究者がまとめたものだろうと思う*2が、貴重な品であることは間違いない。フソウさんからも「それ、絶対面白いと思うよ」とお墨付きを頂戴した。

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 正直言うと、鉄幹も晶子もそこまで詳しくはないので、これを機に少し勉強してみようと思っている。

 

 ともあれ散財に次ぐ散財である。こうした大収穫に加え、陰で大物を買ったりしているから、今日の総額は3万を超えてしまった。いや個々の価値を考えればむろんバカ安だとは思うのだが、金銭的に余裕のない市民としては蛮行を働いたとしか言いようがない。

 まして来月は古本まつりが開催される。去年ほどは買わないにしても、セーブしておかないと体力が持ちそうにない。

*1:あくまでほかの作家と比べた時の話であるが、菊池寛の署名はあまり見かけない気がする。立場上、献本も相当していたのではないかと思うのだが。あるいは単に私の視野が狭窄だからか。

*2:この頃蔵書が放出されている上笙一郎与謝野晶子の研究をしていたはずだが、まさか。