紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

遅刻の池袋

 池袋三省堂の古本まつりは、初版本蒐集を始めたころから行くようにしている催事のひとつで、行くたびになにかしら面白いものを拾えている印象である。それというのも、普段の店頭に近代の本を並べている印象のないニワトリが、やたらに近代のいい本を、それもところによっては非常にお買い得価格で出しているからだ。

 しかしどうも馴染みの浅いロケーション。乗り換えに不慣れなこともあって、やや遅刻して9時40分に列へ加わる。すでに30人以上が並んでいるから負け戦か、と思いきや、ニワトリに詰め掛ける人数はシュミテンのフソウほどでなかった。

 

小杉天外『魔風恋風 前編』春陽堂)明40年5月10日17版, 梶田半古石版口絵 1000円

 ――――『魔風恋風 中編』春陽堂)明37年1月1日初版, 鏑木清方木版口絵 3000円

 ――――『魔風恋風 後編』春陽堂)明37年5月15日初版, 中沢弘光石版口絵 1000円

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 人混みの中、どうもうまく手が伸ばせない。通路が狭いため、左右に移動して棚を俯瞰することも叶わず、一切の収穫がなく手ブラのまま悔しい数秒を過ごした末、ようやく掴んだ3冊である。

 もちろんカバーなど望むべくもないが、全冊揃いで口絵もすべて残っているのならお買い得であろう。しかし、それでも今は好んで購う人などいないのだろうか。

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 『魔風恋風』というと、「デードン色の自転車」とかいう一文があることを知っていたが、これは1880年創業のDayton社の自転車に由来する呼称で、色としては深紅らしい*1 

 このうち、中編の巻末を見ると、「魔風恋風前編評判記」というのがあった。

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過去に『渦巻』『葉末集』の重版巻末で評判記を確認しているが、それと同様の文集である。なお、後編にも「前編評判記」として同じ内容が収録されていた。

具体的に言えば、「読売新聞」をして再版せしめた程であった。日刊の新聞を再刊せしめた呼物は希有の事で、露伴にも、紅葉にも、逍遥にも、鴎外にも、嘗て無い図である。(秋田魁新聞、落阿彌「魔風恋風前篇所感」)

とかく当時の読者から大変な評判を博したさまが、各社の評にありありと見て取れるのだが、連載の新聞が再刊されたという具体的な証言は貴重な気がする。

 ちょうど岩波文庫で復刊されることであるし、これを機にきちんと読んでおこうか。

 

三木露風象徴詩集』(アルス)大11年5月20日函, 恩地孝四郎装 1000円

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 これはクヨウの棚から。クヨウはマップに「詩集・井伏鱒二初版本」と書いてある通り、井伏の初版本がそこそこ並んでいて、他にも志賀の署名入り限定本(『革文函』だったか)5千円とか、ちょっと食指の伸びるような本が安めで並んでいた。これとて普通なら裸の値段だと思う。

 購入動機として安いことはもちろん大きいのだが、それより興味を惹かれたのは以下の紙片だ。

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 フソウさんの値札(タスキ)である。今とたたずまいが違うからそれなりに昔のものではないかと思われるが、それにしても9800円というのは意外な高値である。今のフソウの水準を考えるとこの本などタスキをかけるようなものでもないし、価格とてどんなに高くても4-5千円といったところではないか(というかシュミテンで5千円では誰も買わないかもしれない)。

 不肖私も、去年のシュミテンにおいて重版裸800円を購入しており、まあ後から考えれば別に急いで買う値段でもなかったわけだが、今回のこの初版函付は悔しさもあって買ってしまったというわけである。

 

長田幹彦祇園夜話 上巻』春陽堂)大14年8月25日再版, 竹久夢二装 3000円

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 今日は会場にいらした先輩とあれこれ言いながらの漁書を楽しんだのだが、その先輩からお譲りいただいた1冊。ちょっと大物なれどオススメ頂いたので、せっかくということもあるし夢二装もよいし、と。

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 あまり書誌的に詳しく知らなかったのだが、幹彦の『祇園夜話』は千章館版(大正4年、雪岱装)と新潮社版(大正7年、夢二装)とがあり、この版はその更に後版となる分冊版らしい。

 しかし今後下巻を単体で手に入れることがあるかというと、相当厳しそうな気がする。表紙もほとんど外れかけているので、できる範囲での修復を試みたいところだ。

 

④菊池幽芳『縮刷 乳姉妹春陽堂)大3年11月18日函, 鏑木清方口絵 5000円

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 これも先輩から「買っとかない?」とパスが回ってきた分。安い買い物ではないが、このテの縮刷函付はそうそう見かけるものでもなかろうと、思い切って買ってみた。デパート展はクレジットカードが使えて嬉しいような辛いような感情が交錯する。

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 幽芳の作品としては『己が罪』に次いで有名といったところか。縮刷版とはいっても、清方の口絵が石版2葉と木版1葉と付されているのがよい。というか、それがなくてはこんな値段は出せなかった。読むにはもったいない版だが、作品として岩波文庫にもなっていないようで困る。

 

⑤『BRUTUS』1巻2号(平凡出版)昭55年8月1日 500円

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 クヨウの棚の下を覗くと、大衆雑誌の初期の号が積んであった。『美しい暮しの手帖*2』も気になるところだったが、創刊号がなかったのでやめとし、代わりにこのBRUTUS。これも創刊号がなく残念だったが、参考までに2号を買っておく。

 新しめの雑誌に500円というのは安くないけれども、特集が中々面白い。「親爺たちの時代」というコンセプトが渋くて既によく、図版多数でモボ・モガの楽しみを紹介する「銀座物語」とか、ズラリ表紙を並べた「男たちを虜にした新青年」とか、眺めるだけで勉強になる。

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渡辺温の短篇「嘘」まで収録してしまっているあたり、編集者の熱意が感じられよう。あるいは、往時こうしたコンテンツが広く受け入れられていたのだろうか。この時代を知らぬ私にとっては広告含めよい資料である。

 

 今日の収穫如何によっては金曜のマドテンを諦めるつもりでいたが、むしろ興が乗る結果となってしまった。金額的には2万円ちょうど使っているので、神保町へ赴いても1万円が限度といったところだけれども、いちおう覗きに行こうと思っている。

*1:参考:デードン色 - 漁書日誌 3.0

*2:22号から「美しい」がとれ、「暮しの手帖」となる。