紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

ミシン目のついた整理券

 前回のシュミテンはギリギリの開催であった。あの直後にナントカ宣言が発令され、古書展はおろか、業者市まで中止と相成ってしまったのは、コレクターにとって悲痛以外の何物でもなかった。

 あれから数か月を経て、都内の状況は再びあの頃に逆戻りの様相を呈しつつある。開催すら危ぶまれたというのも無理のない話だが、今回のシュミテンは古書店主諸氏のというより、生き甲斐を失った我々の悲願と言ってもいいだろう。

 

 会場はともかくとして、通勤ラッシュばかりはどうにか避けたかったので、7時には神保町に着いた。マックで時間をつぶしていると、9時少しまえくらいにコレクター仲間からタレコミを受け、曰く「体温測定と整理券配布が始まっている」とのことであった。

 走って駆けつけると私が受け取った番号は9番。1時間前にしてはまずまず集まっている方ではないか。いつもの封筒がない人は住所等を記入し、クラスターが発覚した際はこれで追跡できる仕組みらしい。

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 しばし休憩のち、指定された開場5分前に再度会館へ向かうと、いつもとさして変わらない人数が集まっていた。20人くらいずつ入場させると言っていたが、運営側は一切対応しきれていない。番号順に通す素振りはおろか、整理券の確認すらせずに地下へ通そうとする始末。客からの指摘でどうにか軌道修正でき、我々も自治的に順番通り並んだ(もちろん距離は取らなくてはいけないので「だいたい」である)ものの、あの様子ではノウハウとして蓄積されることは期待できない。次回、パンデミック下での開催があったとしても、同様のてんてこ舞いを見せること必至である。

 尤も、今回は参加古書店が少なく棚の間隔が空いており、そういうわけで人も密集していなかったから、快適であることには違いなかった。

 

①沖野岩三郎『生れざりせば』大阪屋号書店)大15年2月20日10版 函 1500円

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 沖野の著作の中では珍しい方ではなく、私にしても裸ならば均一台で拾ったことがある。しかし、これだけ綺麗な函を実見したのは初めてであった。日本の古本屋を見ると、これの初版函付で1万円とかつけている店もあるようだが、いくら貴重であっても沖野にそこまでこだわりを見せる人は多くなかろう。

 かく言う私とて、なぜに沖野の本を買っているのかよくわからない。

 

②間司つねみ『夜の薔薇』(交蘭社)大13年6月20日函, 間司英三郎装 3500円

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 ムシャ書房の御主人に「これ買わない?」と言われてしまっては買うよりほかない。交蘭社らしくかわいらしいデザインの詩集である。

 間司というのは全く聞いたことのない名前だが、序文を書いている西條八十の弟子であるようだ。ちょっと資料が足りていないので調べられないのだが、今後頭に入れておきたい作家である。また、装丁の英三郎は弟らしい。つくづく、古本の世界は買わなければ勉強が進まない。

 

若山牧水『別離』(東雲堂)大10年4月1日9版カバー, 石井柏亭装 1000円

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 牧水の代表作。カバー付なら拾っておいてもいいだろう。確か初版とか版の浅い内は装丁が異なる由。カバーには「10版」と印刷されているが、本冊は9版。旧蔵者がかけ替えたのかもしれないが、元来食い違っている可能性も捨てきれない。

 先輩からは「こういう重版のカバー付までおっかけてるとキリがないよ」と脅かされたが、こういうのは欲しくなってどうしようもない。

 

吉井勇『午後三時』(東雲堂書店)明44年7月15日再版函, 岡田三郎助装 1500円

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 初めはスルーしていたが、先輩に珍しい外装だと伺い、よくよく見れば岡田三郎助の装丁が好かったので購入。題字をパッと見た感じでは『午後弐時』と読みそうになってしまう。「弎」といちおう変換では出てくる(環境依存文字)ものの、初めて見た文字だ。「参」を横に倒した異体字であろうか。函背の題箋は、ネット検索をした感じだとどうも元々ないらしい。

 吉井というと『酒ほがひ』などの歌集の印象がどうしても強いが、本書はそれに次ぐ2冊目の著作。作家生活のかなり初期から戯曲集を出していたということになる。ただ私は、どうにも戯曲の読み方がわかりきっておらず、たとい文庫で出ていたとしてもうまく消化することはできないと思う。

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 平岡権八郎による広告や舞台の写真まで収録されているのが好い。

 

武者小路実篤『人生の特急車の上で一人の老人』(皆美社)昭44年3月27日初版函市村羽左衛門宛献呈署名, 中川一政装 1000円

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 何より宛名がいい。羽左衛門とは歌舞伎の名跡であるが、世代的には17代目だろうか。「宛名がいい」なんて言いながらも価値を正確につかめているとはいいがたいのが現状で哀しい。

 一度は見送っていたのだが、場に居合わせた先輩が「これ、千円でも買い手つかないのかぁ……」と悩まし気に矯めつ眇めつしていたので、「でしたら買っておきます」と私の書架に落ち着くこととなった。「いい本は棚に戻すのがもったいなくて」と仰る気持ちもよくわかるだけに、卑しく買いあさってしまうのである。

 

夏目漱石硝子戸の中岩波書店)大14年6月5日38版函, 著者自装 2000円

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 ムシャ書房より購入。「目録には記載しそびれたけど、蔵印と記名がある」と連絡を受け、それでもまあ未所持で欲しかった本だしとお願いしたところ、果たしてずいぶんと美本であった。

 ご主人の言う通り、読まれた形跡がなく、函も本冊も美しい色彩を保っている。美本にこだわりを見せない私とはいえ、漱石本の中でも美しさで人気の高い一本であるから、できるだけ綺麗なものをと思っていただけに、これは嬉しかった。版数はひとまず良いとして、これだけ版数を重ねているのに函付並本すら見かけることは稀な気がする。

 ところで本書のタイトルはずっと「がらすどのうち」と読んでいたのだが、本書の1ページ目を見ると「がらすどのなか」とルビが振ってあるではないか。トリッキーな読み方をしてそれが間違いであるという愚かさを一瞬呪ったけれども、よくよく確認すると原稿のルビは「うち」であり、作者の意図としてはこちらの方が正しそうで胸をなでおろした次第である。

 

 控えたつもりはないが、カゴを溢れる程度でなく、質量的には少なめの収穫となった。会計が3万を切ったのもまあちょうどよいといったところか。

 久々の参戦とあって、立ち回り方、棚に対しての目の走らせ方など、勘の鈍っていることが露呈した回であった。もっと言うと、人が多く圧迫感があったほうが「燃える」側面もあるのではないかという感想もある。