猛暑の彷徨
やりきれない暑さである。ふだんから夜型一辺倒の生活をしていることもあって、気温の高さというよりは瞳をあぶるような日差しの鋭さに参ってしまう。サングラスが欠かせないのはもちろんとしても、人のまばらな外を歩く間はマスクも取り外すようにした。熱射を浴びながら馬鹿正直に装着する必要などなかろう、という自己防衛判断である。
で、8月はもともと即売会の乏しい季節である。偶数月開催が基本のマドテンも、8月の分は9月にずれ込むのが慣例となっているようで、まあマドテンだと必ず行くとも限らないのだが、なんとなく手持無沙汰を感じてしまう。
あまりにも退屈なので、近くの店をめぐって雑本を買い漁ることにした。ササマ閉店後にオープンした「ワルツ」に、ようやく訪うタイミングを得た格好である。まあ酷暑の今することではないが、そうでもしないと日々のストレスを解消することなどできないのだ。
①水野稔編『黄表紙集1』(古典文庫)昭44年6月20日カバー 110円
――――『黄表紙集2』(古典文庫)昭48年6月20日カバー 110円
店頭の均一台の配置はササマと同様である。相場千円クラスの掘り出し物がゴロゴロしているのも、以前と同じようで嬉しい。
古典文庫と言えば、近世以前の研究をする者が必ず通る道であろうと勝手に思っている。発行からずいぶん経っているが、古典の原文がこういう手軽な形式で網羅的に読めるのは他にないような気もする(専門外なので詳しくは知らない)。
中でも面白いのは、冒頭部に影印とか写真版が付されている巻で、今日買った2冊も収録の黄表紙が全作全頁掲載されている。さすがに印刷は不鮮明だけれども、とくに大衆性の高く絵入りが魅力の黄表紙なら、紙面を見ないわけにはゆかないし、資料性も高いだろう。
裏見返しを見やると「2冊4000円」という鉛筆書きがあった。かつて本書を扱った古本屋の筆であろうが、昔はそんなに高かったのだろうか。
②渡辺一夫『うらなり先生ホーム話し』(カッパ・ブックス)昭37年5月1日8版カバー, 白井正治・横尾忠則カバー 柳原良平カット*1 330円
店内も、どうやら整理はまだ行き届いていないらしい。文庫は文庫でまとまっているが、それ以外のジャンルはきっちりまとまっているわけでもなく、他の方も言っているように即売会的な魅力がある。逆に言うと、店頭がメインで即売会に不慣れな人だと、好みの本を探すのに苦労するかもしれないと思ったことであった。
「うらなり」とタイトルにあれば坊っちゃん案件と判断する私は病気であろうが、冒頭部にその由来が書かれており、需要の一端としては面白く思ったので購入。
③『映画評論 17巻4号』(映画評論社)昭10年4月1日 550円
ふだんなら面倒なので漁りもしない雑誌だが、映画関連の古いところが固まっていたのでゆっくり見てみる。
と、我ながら引きの良いことに目次に「坊っちゃん」の文字を発見した。P.C.L.製作、山本嘉次郎監督の映画を、小竹昌夫が評した小文である。
「坊っちゃん」の様なものは映画化しにくいに違いないから、この『坊っちゃん』の如く、筋を追いつつも、一方では大衆的な笑いを求めるのが得策だと考えられる。然しこの映画をみただけでは漱石の描こうとした坊っちゃんから離れた単なる駄々っ子としか受け取れない。佐々木邦的な坊っちゃんにまで低下している。
とにかく映画には疎いのでP.C.Lの「らしさ」がどんなものかは与り知らないが、「佐々木邦的」になることを「低下」と言い切るのは痛快である。しかし坊っちゃんがいわゆる大衆小説(エンタメ小説)とは一線を画しているのは確かで、その線引きを維持しつつ映像化するのは確かに難しいのかもしれない。なお、小竹は映画を扱き下ろしているわけではなくて、「坊っちゃん」としてというより演者の面白さなど、即時的な楽しみとして見ればアリだという書き方をしている。
④北原白秋『邪宗門』(西郊書房)昭23年12月25日元パラ 330円
白秋の名詩集の、むろん後版である。このテの後版のキリがないのは言うまでもなく、私とて「坊っちゃん」以外ではよほど気に入った作品の出ない限り買うことはない。そこにおいて『邪宗門』はさほど思い入れのある本ではないのだが、出版社にピンとくるものがあって購入した。
ピンと来た理由は、次にあげる本である。
⑤北原白秋『邪宗門』(西郊書房)昭23年12月25日 100円
同じ西郊書房の、同じ発行年月日の本である。これは先月あたりにS林堂の均一から拾ったもので、店主と「これ持ってる?」「なんですか、その版……」というやりとりをした記憶が深い。合皮のようにゴテゴテした紙質に金箔を貼りまくっているがなんとも下品に思える。
先に挙げた④との奥付における違いは、定価と印刷者との2点である。④が180円でこちらが200円というのは措くとして、印刷者に関しては④が長野県の柳沢某、⑤が東京都文京区の小山某となっている。白秋と長野の所縁はなさそうだし、西郊書房のつながりを調べるべきなのであろうか。他の紙面は同じようだが、⑤は扉に「服部嘉香校訂」とあるが④にはない。これに関しては、深い意味はなさそうである。
装丁で言えば、④のほうが俄然好みである。
日付は少し動くが、酷暑の中、中野周辺も彷徨した。資料性博覧会を受けて「仕方なく」歩き回った次第だが、中でも海馬で拾ったこの本は掘り出し物であろう。
⑤藤井樹郎『喇叭と枇杷』(フタバ書院成光館)昭17年4月20日, 初山滋装 330円
函欠ながら状態は悪くない。初山の装丁がとにかくよく、見返しのシンプルなラインから、丁寧に色の重ねられた扉絵から、実にかわいらしい本である。
白秋が序文を書いているのは、界隈ではけっこうよくあることであろうが、藤井という作家は知らなかった。巻末を見ると、同出版社から沖野の本も出ているようで、こちらも要チェックである。
以前もボロいとはいえ新美南吉『和太郎さんと牛』を掴み取ったことがあるし、海馬の均一は、こういう拾い物があるから定点観測を欠かせない。新しいものの中に埋もれているというのでもなく、全体に黒っぽい本が多いのだが、如何せん目を向ける人が少ないということであろうか。確かにだらけくんだりまで足を運んで、わざわざ近代文学を買おうという発想は捩くれている。ある意味、穴場とでも言うべきであろうか。
体調も優れない日々が続いている。古書展も減り、意欲までも減退しつつある。どうにかこうにか趣味で精神を繋いでゆかないと、この陽炎に意識を絡めとられてしまいそうである。