紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

漱石原著/アレキサンデル・スパン訳『独訳 坊っちゃん』

 ここ数ヶ月はあまり高い本を買っていないのだが、その中でも一番嬉しかった収穫のひとつがこれである。

 

夏目漱石原著/アレキサンデル・スパン訳『独訳坊っちゃん共同出版社)大14年3月15日函帯 3010円

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 おなじみ「坊っちゃん」のドイツ語訳版である。目録で存在は知っていたが、この度ヤフオクで初めて写真を見、しかも帯付きとあっては必ず買わなくてはいけないと思っていたもの。幸いにしてライバルはなかった。

 英語ならまだ訳の違いを楽しむくらいの教養はあるけれども、ドイツ語はほぼ一切読めないので、読まずにしまっておく、いわゆる"コレクション"と割り切って買ったのは間違いない。しかし帯文を読むと、これは「坊っちゃん」の受容史を考えるうえでは軽視できない1冊だと思うに至った。

 

 判読できる帯文を以下に書き写す。帯は函に貼り付けられており(だからこそ遺棄されずに残ったのだろうが)、書影でわかる通り、函背部分は欠損が目立つ。欠損部分は、文字組から行当たりのおおよその文字数を推測して〇で記した。なお旧字は新字に改め、仮名遣いおよび改行はママとした。

 

坊っちゃん」を独訳して

夏目漱石氏の坊っちゃんを訳了出版するに当つて、色々
の感慨に打たれます。私が、最初これを読んだ時には、
其の生彩に富み、発溂たる独創性の汪溢してゐる点で、
明治文壇異数の作品であると思ひましたが、自ら其の後
教職に就いて、日本に関する研究を積んでからは、所謂
「江戸子気質」がこれ程巧に生き生きと描写してあるもの
は殆ど他に比類を見まいと思ひます。勿論漱石氏の作品
中には、より深刻なより偉大なものがあるけれども、坊
っちゃんの人間本然的な、闊達にして廉直なしかも同時
に優に柔しい性格は独り日本人のみではなく世界万国の
人々に深い同感を起すものと思はれます。而も、其の奔
放無技巧な用語に至つては、伝統的用語法を脱却してゐ
るのみならず、一脈新鮮なる生気を全面に漲らしてゐま
す。又ゲーテの「詩人は描くべし、語るべからず」の言は
茲に完全に実現され、事件は対話と独語とにこの〇〇〇
なる効果を挙げてゐます。翻訳者は此の原本の独創性に
富〇〇調子〇〇〇〇〇〇保存す〇〇〇する形式を見〇〇
ために非常に〇〇〇〇〇ま〇〇〇〇結果、現存の仏蘭西
語訳に省略し〇〇〇〇〇〇〇〇出来得る限り〇逐語訳を
以てあらは〇〇〇〇〇〇〇其のものを、何処までも忠実
に、再現したいと努めました。独逸の「坊っちゃん」は、
独逸に行けば、沢山見られるけれども、こゝでは、日本
坊っちゃんが其の雰囲気、其の言語、其の型のまゝに、
現はれなければならぬと思ひます。
私は此の翻訳を戦後最初の日本文学紹介書として独り同
国人に提供するばかりでなく、日本の独逸語研究者諸兄
姉にも是非独逸語研究資料として、推薦したいと思ひま
す。と申すのは由来翻訳に際しては、各国人の心理上並
に用語上の相違のために、屡〻言葉其のものよりも其の
有する意味によつて訳さなければならぬ場合が多いにも
拘はらず、用語上努めて原本の気分を傷けぬ様にするこ
とは誠に至難のことでありまして、従つて此の原本と訳
本とを比較研究されたなら興味ある問題を種々発見され
ることであらうと思ふからであります。以上簡単に自分
の感想を申上げて大方のご愛読を御願ひ致します。
アレキサンデル・スパン

 

 訳者のスパンがどういう人物かは寡聞にして知らないが、翻訳の態度の真摯なのが好印象である。日本の、それも「江戸子気質」の雰囲気をそのままドイツに伝えようとしてくれていたというわけだ。本書がどれくらい売れたのか、どのくらいのドイツ人に読まれたのか、気になるところである。

 

 他に「坊っちゃん」の翻訳はどれくらいあるのだろう。英訳は毛利八十太郎版を筆頭に数えればキリがないが、他にロシア語訳とフランス語訳(パラフィンカバー付)があることは知っている。変わりどころではローマ字版、沖縄方言版なんてのもある。戦後の出版だと古書という意味では食指が動かないが、比較的新しい時代に「坊っちゃん」を翻訳しようとする試みがあるという意味においては、それもまた蒐集に値するわけで、苦しくも実に面白いことである。