なまくら刀
随分と久々にシュミテンへ足を運んだ。記憶では9月と5月は開催がなく。7月は行かなかったから、3月いらいとあってはなんと8か月ぶりのシュミテンである。といっても2日目の参戦であったから正直言うと大して買う心づもりはなかったが、豈図らんや、良品がまだそこかしこに残っているのはさすがシュミテンのフソウ書房といったところか。
①柳川春葉『生さぬなか 後』(金尾文淵堂)大2年5月19日函, 杉浦非水装 鰭崎英朋木版口絵 2500円
まず真っ先に目についた非水装。思わず、この1冊は私に買われるためにこの場に残っていたのではないかと錯覚してしまう。というのも、2年近く前に同じくフソウ棚から上中下の3冊を購ったことがあり、いずれ後巻も手ごろな値段で手に入れたいと思っていたのだった。
口絵も函も残ってこの値段は安すぎるような気がするのだが、最終巻とあってはわざわざ買う人もいなかったのだろうか。ともあれ私にとってみればドンピシャで、主観的にはおよそ狙い撃ちされた感すらある嬉しい収穫であった。
②尾崎紅葉『十千萬堂日録』(左久良書房)明41年10月25日函, 斎藤松洲装 1000円
ずいぶんまえに裸背補修のものをそれこそ1000円くらいで買ってはいたが、函がついてしかもそこそこの美本で同じ値段というのは最安値とみて間違いあるまい。函には斜めに切れ込みが入って、半分覗く本冊背でタイトルが読める設計。上から差し込んで下部分は筒状に抜けているというのも特徴的である。
③深尾須磨子『真紅の溜息』(三徳社)大11年12月1日, 広川松五郎装 1000円
絢爛な詩集が目につき、引き出してみると深尾須磨子の第1詩集であった。装丁者の記載はなく、サイン「m」を頼りにいろいろリサーチしたところ、どうも広川松五郎らしいという結論に至った。参考までに〈廣川松五郎装幀〉と明記された吉井勇『生霊』のサインをここに掲載しておく。
また、ここには発行年月日として大11年12月1日と書いたが、これは初版のもので、本書は重版表記の1行が削り取られているため正確な発行日は確認できなかった。ネットで検索すると見かけるのはどれも再版で、果ては国会に納本された本も再版だから、あるいは初版がかなり少ないか存在しないのかもしれない。
④小林多喜二『日和見主義に対する闘争』(日本プロレタリア文化聯盟出版部)昭8年4月25日, 岩松淳装 1000円
橋本英吉『市街戦』(戦旗社)昭5年3月12日, 岩松淳装 1500円
プロ文も2冊拾った。『日和見主義』は、かつて某版道氏の講演会のイベントで、ビンゴの景品として来場者全員に初版本が進呈されたとき、最終的に余って*1、私同様お手伝いで来ていた先輩がもらうことになったタイトルであった。プロ文に少しく興味を抱いている私は、以来この本を気にかけていたものだったが、これまで手に取る機会はなかった。そこまでない本ではないものの、見かける本でもないというレベルであろうか。見返し欠なれど、まあ別によいだろう。
『日和見主義』同様、岩松淳による装丁が目を惹く『市街戦』は、日本プロレタリア作家叢書の1冊だ。同叢書は、『光と闇』『太陽のない街』『キャラメル工場から』を所持している。元パラかどうかはわからないが、本書にはパラフィンがかぶせてあり、状態はなかなかのものである。遊びには「藤田蔵書」のレッテルがあり、さもありなんと思ったことであった*2。
『市街戦』の巻末広告を見ると、派手な誤植が目立つ。
『蟹工場』だの『キャラメル女工』だのと、タイトルが間違っているのはいただけない。よもや企画途中で題名が変わったわけでもあるまい。また、『太陽のない街』について、奥付に〈17版〉と表記された版は未見である。
ここで『市街戦』の奥付を見てみると、版数表記こそないものの、〈1000部―3000部〉という不穏な記述が目に入る。
ともすれば『太陽のない街』のごとく、真の意味での「初版」は別にあるのであろうか……。
経済的に厳しくもあったので、かなり厳選して13点、会計は12500円であった。2日目でこれでは初日はさぞかし、と思わぬでもないが、あの喧騒に身を投じるほどの気力は現状持ち合わせていないというのが正直なところである。
なにより、私の古書展における感覚が鈍りきってしまったことを痛感した小1時間であった。棚を眺めていても目が滑るばかりで集中できず、買うべき本が一向に見出されてこないのである。たかだか半年ばかりの暇をとったくらいでここまで衰えるとは、若輩者の力不足を感じずにはいられない。
古書展から遠ざかってしまったことは、健康的なのか不健康なのか、未だに判断がつかないでいる。