本の塔を廻る
吉祥寺は某ギャラリーにて、YOUCHAN氏の個展が開催された。氏の作品については以前も書いたが、タッチと色合いとの組み合わせが絶妙で、戦前の探偵小説などの雰囲気を見事に描き表しているのが特色だと私は感じている。
今回の展示は、前回別の場所で開かれたものからマイナーチェンジしたような印象。コロナの影響で行かれなかった人のために再度開催したというのもあるのかもしれない。
次いでメインとなっていたのは、S林堂が協賛のような形で提供している、通称「古本タワー」であった。小ぢんまりとしたギャラリーのど真ん中に屹立するタワーは、来場者を歓迎しているのか拒絶しているのか、ともかく異様な雰囲気を醸し出している。
去年は2日目だか3日目だか、場が落ち着ききってから少し拾い物をするにとどまっていて、今回は懐事情も鑑みて足を運ぶつもりはなかった。なかったのだが、ツイッターでS林堂の挙げた画像を見ていると、以前私が友人から探しておいて欲しいと頼まれた本が、そこそこの美本しかも完本で並んでいるのが見えてしまった。そうなれば古本コレクターの末席を汚す身として、欠場は許されないこととなってしまうわけである。
なお、譲渡が確定しているため、当該本についての言及は避ける。
①横田順彌・會津信吾『新・日本SFこてん古典』(徳間文庫)昭63年8月15日初刷カバー, 秋山法子装 500円
ヨコジュンの本は、特に奇書とか「古典」を紹介したものは読んでおかなくてはいけないと思っている。その筆頭に『日本SFこてん古典』があるが、聞くところによると再刊は難しいそうなので、多少高くても買わなくてはいけない本だ。『新』はカバ帯で千円くらいなら探せそうだが、帯などなくてもよいし、この値段ならいいだろう。
無印の3巻本と異なり、『新』の方は會津との対談形式をとっている。『初版本講義』もそれで成功しているが、個人的にはこの形式は読者に何かを説くうえではけっこう有効だと思う。
②深尾須磨子『牝鶏の視野』(改造社)昭5年5月15日, 東郷青児装 300円
背のフォントに惹かれて抜き出すと東郷青児装だった。裸でも状態悪くないし、この値段は安すぎる。
先日買った『真紅の溜息』もそうだが、私は深尾須磨子の詩集がけっこう好きらしい。読書家ではない私だが、好きな詩人を挙げられるというのは尊いことだ。
本書には須磨子の人となりについて調べたらしいメモが挟まっていて、筆跡に見覚えがある。まあ誰の旧蔵だろうが大して意味はないものの、ちょっと意識はしてしまう。
③『年間日本プロレタリア創作集 1932年版 改訂版』(日本プロレタリア作家同盟出版部)昭7年3月25日, 朝野方夫装 500円
これも安い。装丁買いも可能だ。
「1932年版」とあるから他の年もありそうなものだが、どうもこの年だけらしい。また、裏表紙や奥付には「改訂版」とあるが、「無削除」版が存在するかどうかは不明。当時の状況を考えれば、刊行前に発禁扱いになっていても不思議ではない。
正確には1931年度の創作をまとめた本書だが、内容は濃密である。45人もの作家による小説が、二段組でみっちりと詰まっているのだ。おそらく文庫や他の本では読めないテキストもあるだろうし、面白い1冊だ。
④朝日新聞社編『世界人の横顔』(四條書房)昭5年10月25日再版 500円
モダンな感じの装丁だが、誰の手によるかは不明。
東京朝日新聞に連載された連載をまとめた本で、当時の文士・有名人が、別の有名人の逸話を語ったものだが、面白いのは、きちんと対象の人に会ったことのある人が書いている点である。加えて序文には〈俚言に岡目八目といふ語がある。美術家の見たる政治家、医師の見たる文人、学者の見たる音楽家、政治家の見たる武人等々、是等が又却つてそれ等の人々の真面目を伝ふるのである。(…)語られる者の本業と縁の遠い人々を寧ろ多く選定したのは之が為である。〉とある。
私が敢えてこれを購入したのは、真鍋嘉一郎「夏目漱石」のなかに、「坊っちゃん」の主人公と教員時代の漱石とを結びつける記述を発見したためである。実際の教え子から語られるのは興味深く、むしろこれまでこの文章を知らなかったことをこそ恥じたいところである。
⑤秋田雨雀『骸骨の舞跳』(叢文閣)大14年2月16日函, 柳瀬正夢装 1500円
タワーは軒並み1000円以下の本で占められていて、そうするとこの本は安くは見えなかったが装丁がよいので購入。あとから調べると柳瀬装であった。
正直戯曲なので読まないとは思うが、函付きはけっこう珍しいと思う。ともかく今日は装丁買いばかりであった。
個展の趣旨から言ってもミステリが大半であろうと軽い気持ちで足を運んだが、ごらんの散財である。いい本が買えたとはいえ、この頃は本当に金がない。