紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

粘り一戦

 少し早めに神保町入りしたシュミテンであったが、9時前の段階ですでに15人は並んでいた。先輩方もいらしたのを幸いに、閑談しつつ開場を待つ。夏日の予報であったがこのくらいならまだ陽気としてはちょうどよいくらいか。

 

 10時ジャストにオープンするやフソウ棚を目がけて走る。運悪く手が伸びずカゴが掴めなかったので手ぶらで駆け寄ると、本の量はいつもより少なめであった。通用口付近の棚はそもそも用意されていなかったし、タスキの本も多めに面陳されていた。だからというわけでもあるまいが、しばらくは一冊も手に取ることなくうろうろする時間を過ごしてしまった。例のことであれば大抵タスキの数冊を掻っ攫って、しかるのちに棚差しの本をある種悠々と選んでいくものなのだが。

 それでも繰り返し棚を眺め、又ありがたくも先輩方からお譲り戴いたりして、後から入手したカゴに一杯の収穫を得ることが出来た。

 

若山牧水『比叡と熊野』春陽堂)大8年9月20日再版カバー 300円

 小型本がバラバラと折り重なっているエリアに、ふと気になるこの本を見つけた。自然と人生叢書はそこまで珍しくはない印象であるし、別段牧水に興味があるでもない。しかしカバーというのは初めて見た。このカバーの存在は、お世話になっている先輩がツイッターで指摘なさっていて、いつか目にしたいものだと思っていたところであった。

 といって完全に残存しているわけではなく、表1に貼り付けられたのが辛うじて残っているにすぎないのだが、部分的にでも稀少な外装を得られたのは嬉しい。しかしそこまで極端に毀損しやすい材質でもないのに、なぜこれほど残っていないのかは不可思議である。

 今日は同叢書の田山花袋『赤い桃』(もちろん裸本)も購入した。

 

②西原柳雨『川柳年中行事』春陽堂)昭3年8月5日函, 小村雪岱装 1000円

 雪岱装の1冊である。裸本は以前300円で入手していたが、函付きでこれは安かろう。しかも函本冊ともになかなか保存状態が好ましい*1

 今日の棚には同じ柳雨の『川柳風俗志』函付き2千円も転がっていた。函付きで持ってはいるので手放してしまったが、この函は家蔵のものとはデザインが少し異なっていた。具体的には「上巻」の表記がないだけで全体の印象はほぼ同じである。してみるに、『年中行事』のほうにも異装函があるのかもしれない。

 

芥川龍之介『将軍』(新潮社)大11年3月15日 400円

 代表的名作選集の初版である。初版が難関であるのはことさらに言うまでもないが、芥川のこれは重版もあまり見ない気がする。本書は背欠で裏の羽二重も剥がれかかっているけれども、きちんとした状態のものを探そうという気もないので安価で購えたのは幸いであった。ちなみにこれは前回のシュミテンで1500円が付けられていて、さすがにこの状態では、と見送った個体だと思う。

 

④浅原八郎『愛慾行進曲』(大東書院)昭5年6月10日改訂版10版函 1500円

 今日は本が少ない代わりに追加が10本ほどあるとのことで、棚が空いたところを見計らってフソウさんが順次本を補充していた。それでも今回は私に刺さる本は多くなかったけれども、追加分から拾った1冊がこれ。モダンな装丁が楽しいが装丁者は未記載。

 買ったときはあのモダニズムの浅原、と思っていたがそれは浅原六朗。八郎というのが何者かはちょっとわからない。愛欲にまみれたモダンな暮らしのリアルを綴っていて面白いが、伏字空白削除のオンパレードで、頁によってはほぼ何を言っているのかわからなかったりする。そういうわけで、本書の初版は発禁処分を受けている由。

 

 あまり私らしくはない収穫群かもしれないが、ここに書いた他にもいろいろと面白いものは手に入った。結局23冊購入。やはり古本は楽しい。

 帰りしな、東京堂で『本の雑誌西村賢太特集号を購める。各氏のインタビューも賢太の知られざる一面を伝えていて面白いが、古本者としてはなんといっても冒頭の『藤澤清造全集内容見本』が嬉しい。内容が良いといってもあの薄冊に1万円とかはだせないし、こういう形で全頁カラーで読むことができるのはありがたい限りである。

*1:先輩にお見せしたら「まあまあだね」と、誉め言葉らしくも手厳しい評を頂戴した。