紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

真夏日、神田から上野へ

 都内の気温は30度をようよう超えだし、梅雨入りとはなんだったのかと訝るほどの好天であった。雨が降らないのは実にありがたいことであるが、暑いのは外出が億劫になって弱る。それでも気合を入れて外出を決め込み、ひとまずは神保町へ。滅多にゆかないグロリヤ会である。

 

①阿部次郎『三太郎の日記』(東雲堂書店)大3年6月5日再版函 200円

 初め合本かと思ったが確認するとどうやら元版。存在は知っていたものの、今まで手に取ったことはなかったと思う。というより、ずっと四六判だと勘違いしていたのだけれども、想像より少し小ぶりだった。文庫よりちょっと大きめくらいか。函の背および扉には「再版」と記載があるのが気になる。見返しは古代ギリシャめいた木版で美しいが、誰の手によるものかは不明。

 本書(の初版)は、現在確認されている中で日本最古の帯付本として知られているが、紀田順一郎が言及した〈白い用紙に緑色の活字で、ただ一言「読め!」とある〉というのは間違いである*1と、以前フジテレビ系列のバラエティ『さまぁ〜ずの神ギ問』2016年9月9日放送回で明らかになった。番組中ではフソウ目録掲載の画像が紹介され、モノクロなので用紙と活字の色は不詳ながら、タイトルと著者名が印字された形式であること、又背と裏の部分は無地であることが証言された。放送直後は少しく界隈で話題になった記憶もあるのだが、文章として情報が残ったわけではなく番組アーカイブも表立っては残っていないので、現在では「読め!」の件を信用している人がまた多くなっているようだ。

 

野田宇太郎『新東京文学散歩』日本読書新聞)昭26年6月25日カバ, 恩地孝四郎装 200円

 ―――――『東京文学散歩の手帖』学風書院)昭30年9月5日カバ, 著者自装 200円

 なにしろグロリヤなど滅多に行かないのでよくわかっていないのだが、少なくとも今日のlinen堂はほぼ200円均一の様相であった。といっても雑本ばかりが積んであるかというと決してそうではなく、近代文学の黒っぽくていいところがけっこう見られてとても面白かった。『三太郎の日記』もここで拾ったもので、ほかに西條八十『赤き猟衣』函付200円もお買い得ではあったが、惜しくも奥付欠なのと重版函付美本を既に持っているという事情から手放す。

 野田の文学散歩関連の本は持っていなかった。100円で買えると一番嬉しかったが200円ならよいだろう。どちらも文学散歩に興じるにあたって参照することを想定していて、『新東京』の方は章ごとに簡易な地図が挿んであったり、『手帖』の方は巻末にメモ欄まで設けられている徹底ぶりであるが、前者はやや判型が大きくて携帯には不便だと思う。装丁の点では、『新東京』は恩地の版画とタイポがよく、対する『手帖』は著者自装だが、カバーを外すと本冊のデザインがかわいらしくて意外であった。

 

 このほか1点、プチ発見があったのだが、ここでは一旦伏せておく。

 

*  *  *  *

 

 神保町を早々と退散し、一路御徒町方面へ。不忍池は蓮が青々と茂っていて壮観であった。蓮の花の見ごろはもう少し先か。

 目的は近現代建築資料館。「『こどもの国』のデザイン」と題した企画展である。

 私自身がこどもの国へ赴いたことがあるかはちょっと記憶が怪しいのだが、どうも展示を見たところでは、私の頃にはもう開園当時のような先進的な建築物はほとんどが撤去された後だったようだ。というのも、計画に携わった建築家の多くがメタボリズム・グループのメンバーで、現在からみても未来的なデザインを60年前の世に作り上げていたのである。

 個人的に、メタボリズムは面白い試みだとは思うし好きでもあるのだが、実用の面から言うといま一つと言わざるを得ないと思っている。たとえばこどもの国に現存する「フラワーシェルター」は、花弁型の鉄板により屋根を誂えた休憩所で、花弁は一枚単位で取り換えることが可能である。のちの「中銀カプセルタワービル」に通ずる発想を有しているわけだが、ふつうに考えれば老朽化は一斉に訪れるものだし、よしんばひとつのユニットが極端に傷んだとしても、そこだけを特別に発注して交換するというのは、手間と効果とが割に合っていないだろう。中銀ビルがけっきょく一度もカプセルを交換せず、完全解体と相成ったことがそれを裏付けてはいないか。

 そういう若い試みがずらりと並んだ園内はさぞかし楽しかったのだろうと思う。もっというと、これは日本ないし世界がまだそういう余裕を持っていたころの話であって、いまならこういう規模で子供のための施設をつくる企画など成し得ないだろうし、安全がどうとか自然破壊が云々いったクレームによって、建築家の自由な発想は取り入れられないのではないだろうか。

 

③『「こどもの国」のデザイン 自然・未来・メタボリズム建築』文化庁)令4年6月21日, 吉田貴久デザイン ロハ

 いつも思うことだが、国の運営による企画展示とはいえ、これだけ作りこまれた図録が無料で配布されているというのは少しやり過ぎではないか。しかも在庫がある分については、過去のものも頼めば全部もらえてしまうのである。今回の図録も、貴重な図面や写真満載で、今はない当時の面影を想像しながら楽しく読むことができる。メタボリズムを考えるうえで、将来的に重要な資料となるかもしれない。

*1:もっとも紀田のコラムを確認すると、情報源は小寺謙吉らしいが、あの書き口だと紀田は現物を見てはおらず、小寺からの伝聞情報にすぎないようだ。