紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

立ち上げ高円寺

 西部古書会館はそちら方面での用事ついでに覗くていどで、朝から詰め掛けたことはこれまでに一度もなかった。神保町や五反田と違って、近代文学のしっかりしたところがあるというよりは、雑本の山から掘り出し物を漁っていくという感じが、ある程度の共通認識ではないか。それもそれで面白くはあるのだが、わざわざ訪うほどではないということである。

 そこにきて「ブックラボ」という新しい即売会が発足した。ただ新規というだけでなく、事前に聞いたところではいろいろと新たな試みを取り入れたいとのことで、目録は公式ページ掲載で随時追加あり、直前には会場の棚の画像が掲載されてそこからも注文可能という、旧来の古書展ではちょっと考えられないような先進的な様子がすでに表れている。むろん今回で第1回目なので2回目以降でどうなるかはわからないが、FAXでしか注文ができないとか、そもそも最初に目録を手にする手段がわからないとか、古本者ではない層にとっての障壁はこれでだいぶ取り払われるのではないかと思う。

 まあ私が朝から繰り出した理由は、ほかでもないS林堂が出展しているためである。目録注文品もあったし、500円均一だという棚の画像(全段余さず事前に掲載された)にもあれこれ欲しい本が見えたので、これは朝から参戦しなくては名折れだと向かったのであった。

 

 30人くらいが待っていただろうか。はっきりとした列は形成されず、なんとなく入り口付近に人がたまっていて不安だったが、我ながら軽やかに立ち回れたため、目星をつけていた本は全て抜き取ることが出来た。周りの客はやはりミステリ趣味の人が多いようで、純文系はけっこうあとになっても残っていた。

 

楢崎勤『相川マユミといふ女』(新潮社)昭5年10月6日, 古賀春江装 500円

 初手で抜き取ったうちのひとつで、新興芸術派叢書の1冊。表紙周りに墨か何かの汚れがひどいけれども、イタミは少ないし500円で読めるならぜんぜんいいだろう。改造社の新鋭文学叢書はそこそこの冊数を持っているが、新興のほうはあまり集まらない。シュミテンで1冊1500円とか2000円でなら見かけるものの、やはりこのくらいでイタミ本を探したいところである。

 

三上於菟吉『白鬼』(新潮社)大15年1月25日7版函, 大橋月皎装 500円

 これも事前に気になっていた本。ささっとネット検索して出てきた関肇「三上於菟吉『白鬼』を読む」*1によると、本作は於菟吉の新聞小説第1作で、大正13年7月から同12月まで『時事新報』に連載された出世作のようだ。面白いのは、『サーニン』からの「サーニズム」、あるいは『痴人の愛』の「ナオミズム」よろしく、「シロオニズム」なる造語も雑誌『新潮』の広告に使われたということで、本書が7版まで版を重ねていることと合わせて、当時はなかなか話題になった作品ということであろう。ネットで検索すると昭和22年に松澤書店から後版が出ている。

 新聞掲載時は月皎の挿絵が毎回あったとのことだが、初刊本たる本書には収録されていないのが残念である。しかし探偵小説のような怪しい装丁は面白い。(もっとも、内容は極めて社会的なもののようだが)

 

③佐藤幸雄『教育童話 岩窟の王子』駸々堂)大11年3月20日 500円

 棚には童話の本もまとめて刺さっていて、それでも全部は購えないので特に絵が好みだったこれだけ。

 駸々堂はたまに耳にするけれども、佐藤幸雄というのは聞いたことがない。もっと言うと、この装画や口絵、挿絵が誰の仕事であるか明記されておらず、誠に厄介である。佐藤が描いた可能性もなくはないけれども、おそらくこういう地味な本だと情報もないだろうし、調べるてだても見つからない。

 

小島政二郎海燕(新潮社)昭7年7月22日函献呈署名, 中村研一装 500円

 小島政二郎ねぇ、と初めはスルーしていたが、中盤戦でも残っていたので拾ってみると署名本であった。S林堂はこういうコ憎いことをしてくるから困ったものだ。

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 長尾雄というのも知らなかったが、調べたら作家のようで、『三田文学』同人というからそのあたりで交流があったのだろう。しかし〈此本についてはいろ/\お世話になりました〉というのはわからない。元は朝日新聞に連載された小説らしいが、単行本化に際してなにかアドヴァイスでも求めたのであろうか。こつこつ調べれば面白そうな1冊である。

 

東京日日新聞社学芸部編『友を語る』東京日日新聞)昭13年7月5日カバー, 藤田嗣治装 5000円

 目録注文品である。実はこの本、以前S林堂主人に「こんな本が入った」と見せて頂いていて、藤田装と内容の面白さからいつかは欲しいと思っていたのであった。その時に「どっかで売るときは買いますよ」と言っていたのがそのまま叶ったというわけである。グラシンを外すのが面倒なので書影は本冊のものを貼ったが、まずまずきれいな状態だと思う。デザインはカバー本冊ともに同じ。

 内容じたいはデジコレの個人送信で読むことができるが、タイトル通り著名人が自分の人について語ったものである。こういうところに思わぬ証言があったりするので、見逃せないタイプの資料だろう。

 この本が好きだという先輩は幾度となく買い替えたそうだが、私などこの本の存在すら知らなかったし、たぶんそんなに見かけるものでもないだろうと思う。安い買い物ではないとはいえ、モノを考えれば私にとってはお買い得である。

 

 計20数冊買っても1万5千円という会計は安い。黒っぽい本から白っぽい本まで質も高かったし、満足感の高い即売会であった。

 ただ気になるのは、ほとんどS林堂のワンマンショーの気配があった点である。6店舗が参加していたそうだが、棚に客が殺到していたのはやはりS林堂ばかりで、他の通路へ行くと打って変わって閑散としていたくらいである。私の買い物についてもS林堂以外から買ったのは1冊だけであった。まあそもそも店ごとに品数の偏りがあったというのは大きく、そのあたりも含めて次回への課題なり反省として引き継がれていくのならば、ブックラボはどんどん"新し"くよい即売会になっていくだろう。あるいはこれが、不景気における古書店の生き残り戦略モデルになっていくのかもしれない。

*1:關西大學文學論集』69巻4号 A1-A27(2020)