紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

発見、二往復

 残暑はさして厳しい感じがしないが、これはピーク時に35度を軽く超えていたのに精神が慣れただけのことだろうか。暑いと言えば暑いが、唸るほどではない。しかし9時20分くらいにマドテン会場へ赴くと、列はいつもより心持ち短いようであった。顔なじみのオジサンと話をしたりして待っていると、ほぼ10時ジャストに1階が開放され、下階へくだるとそのまま溜まらずストレートに会場へダッシュという方式。みな体温測定で手間取ったりしていたため、最初の2分くらいはゆったり、しかし素早く棚を見ることができ、なかなか嬉しい収穫が満載である。

 

長田幹彦『澪』(籾山書店)大元年8月10日, 橋口五葉装 2000円

 ――――『大地は震ふ』春陽堂)大12年12月18日 1500円

 初っ端で抜き取った2冊。函欠でイタミがあっても、やはり胡蝶本は嬉しい。

 『大地』のほうはよく知らなかったが、本来は函が付くようだ。春陽堂関東大震災被災に際して、普段から世話になっている幹彦がその恩に報いるべく無報酬で提供したという作品。〈災後第七日から急遽筆を起して僅か三週日の間に稿を了へたものであることは前以つてお断りをして置かねばならぬ。〉〈少くとも稀代の災禍に当面し、又親しく実地に臨んで自ら探り得た題材に依つて筆を執つたものであるから、少くとも当時の実況を幾分たるとも如実に描破し得たものと信じてゐる。〉というから、震災に題材をとった作品の中でもリアリティは相当期待できるのではないかと思う。それにしても、小序で以下のように語られる春陽堂の被災状況は読むだにつらいものがある。

過去五十有余年の長い歴史をもつたあの土蔵造りの老舗も、九月一日午後九時を過ぐる頃に至つて、萬巻の書と共に空しく灰燼に帰してしまつた。明治から大正へかけての隆々たる文運に棹し、光輝ある幾多の貢献をわが日本の文芸史上に貽した店舗も斯くして廃滅の路傍に徒らなる残礎を止むるのみの悲運に際会したのである。偉大なる文人巨匠が惨憺の苦心になる著作の紙型は挙げて一炬に附せられ、その珍蔵せる得難き墨痕、書幅並に古木版等も遂に救ふよしなかつた。

 この災禍がなければ、現代に残る近代文学の資料はもっと格段に多かったに違いないのである。

 

徳富健次郎/Rhe am Rheinberg訳『Hototogisu不如帰』(Heckners Verlag)刊記無 400円

 ベストセラーで知られる徳冨蘆花の『不如帰』は、何だか知らないが同時代の翻訳がものすごく出されている。英訳と漢訳は所持していたところ、初めて独語訳を見かけたので買っておいた。英語なら読めるし漢語はなんとなく意味もとれるわけだが、ドイツ語となるとサッパリである。なにしろ書かれている固有名詞が訳者なのか出版社なのかすらわからないくらいだ*1。で、訳者は〈Rhe am Rheinberg〉らしいのだが表記的に文字が飛んでいそうである。どこを探しても刊記がない(明治期か?)のも相まって、よくわからない本を買ってしまったわけである。

 

③サア・ジェームス・バアリイ/村上正雄訳『ピーター・パン』(春秋社)昭2年5月15日函 300円

 『アリス』を求める人は多いだろうが、『ピーター・パン』はそれよりややマイナーかもしれない。パロディの数が段違いでもあるけれども、童話としてはさすがに筋が通っていて好みだったりする。

 邦訳の初めは大正10年の楠山正雄『苺の国』所収のものだそうだが、ページ数からして完訳ではない。大阪府立中央図書館の解説ページによれば、そもそも『ピーター・パン』の原作というのも事実上3種類あり、それぞれに基づいて翻訳か翻案かで更にわかれるようだ。で、面白いのは、この春秋社版と小学生全集版は原本を同じくしており、読み比べると訳の違いがくっきりと見えてくる点である。このあたり、何冊か訳本を持っているのでじっくり考えてみたいところだ。

 

 このほか、あるジャンルの近代文学をまとめて購入した。予てより興味がある方面ではあったが、少し気になる点があったためだ。家に持ち帰ってその収穫を検めていると、ふとある発見をしてしまった。これはもしかするとまだ会場に同様の本が残っているかもしれない、と己の鈍さを呪いつつ、結句馬鹿なので2日目の朝にもすごすごと会場へ向かったのだった。

 果たして目当ての本は1冊見つけられ、さらに関連資料を数冊買えたのでわざわざ行った甲斐があったわけだが、調査をしたいので一旦ここでは伏せておく。代わりに、気が乗ったので買ってしまったのが次の1冊。

 

④『小ざくら 第16号』学習院初等科幼年図書館)昭9年12月5日 3500円

 タスキに〈平岡公威〉とあったのが目について手に取ると、学習院の学校誌であった。寡聞にして知らない雑誌だったが、小学生の三島の短歌・俳句が収録されているのは面白いし、そもそも子供が書いた文芸作品にも興味があったので買っておいた。非売品とあるし、あまり出回っていないのではないか。

 三島の習作というと、やたらと才気みなぎる作文のイメージがあったけれども、これに収録された1首1句を見ると韻文の才能はそこまででもなかったようだ。言葉の選び方からしても子供が頑張って作った歌・句以上のものを感じられず、そういえばそちらの方の実作は読んだことがない(もしかしたら書いてはいたのかもしれないが)。

 

 あまりここに書ける本はないのだが、来週はシュミテンも控えている中で少し買い過ぎたか。リュックにちょうど1杯の本は持ち帰るにも難儀であるけれども、いい加減部屋のスペースが限界を迎えているのがなにより悩ましいところである。

*1:いまはGoogle翻訳を使えば、カメラに映る外国語がリアルタイムで翻訳できるからつくづく便利である。