紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

真夏日、神田から上野へ

 都内の気温は30度をようよう超えだし、梅雨入りとはなんだったのかと訝るほどの好天であった。雨が降らないのは実にありがたいことであるが、暑いのは外出が億劫になって弱る。それでも気合を入れて外出を決め込み、ひとまずは神保町へ。滅多にゆかないグロリヤ会である。

 

①阿部次郎『三太郎の日記』(東雲堂書店)大3年6月5日再版函 200円

 初め合本かと思ったが確認するとどうやら元版。存在は知っていたものの、今まで手に取ったことはなかったと思う。というより、ずっと四六判だと勘違いしていたのだけれども、想像より少し小ぶりだった。文庫よりちょっと大きめくらいか。函の背および扉には「再版」と記載があるのが気になる。見返しは古代ギリシャめいた木版で美しいが、誰の手によるものかは不明。

 本書(の初版)は、現在確認されている中で日本最古の帯付本として知られているが、紀田順一郎が言及した〈白い用紙に緑色の活字で、ただ一言「読め!」とある〉というのは間違いである*1と、以前フジテレビ系列のバラエティ『さまぁ〜ずの神ギ問』2016年9月9日放送回で明らかになった。番組中ではフソウ目録掲載の画像が紹介され、モノクロなので用紙と活字の色は不詳ながら、タイトルと著者名が印字された形式であること、又背と裏の部分は無地であることが証言された。放送直後は少しく界隈で話題になった記憶もあるのだが、文章として情報が残ったわけではなく番組アーカイブも表立っては残っていないので、現在では「読め!」の件を信用している人がまた多くなっているようだ。

 

野田宇太郎『新東京文学散歩』日本読書新聞)昭26年6月25日カバ, 恩地孝四郎装 200円

 ―――――『東京文学散歩の手帖』学風書院)昭30年9月5日カバ, 著者自装 200円

 なにしろグロリヤなど滅多に行かないのでよくわかっていないのだが、少なくとも今日のlinen堂はほぼ200円均一の様相であった。といっても雑本ばかりが積んであるかというと決してそうではなく、近代文学の黒っぽくていいところがけっこう見られてとても面白かった。『三太郎の日記』もここで拾ったもので、ほかに西條八十『赤き猟衣』函付200円もお買い得ではあったが、惜しくも奥付欠なのと重版函付美本を既に持っているという事情から手放す。

 野田の文学散歩関連の本は持っていなかった。100円で買えると一番嬉しかったが200円ならよいだろう。どちらも文学散歩に興じるにあたって参照することを想定していて、『新東京』の方は章ごとに簡易な地図が挿んであったり、『手帖』の方は巻末にメモ欄まで設けられている徹底ぶりであるが、前者はやや判型が大きくて携帯には不便だと思う。装丁の点では、『新東京』は恩地の版画とタイポがよく、対する『手帖』は著者自装だが、カバーを外すと本冊のデザインがかわいらしくて意外であった。

 

 このほか1点、プチ発見があったのだが、ここでは一旦伏せておく。

 

*  *  *  *

 

 神保町を早々と退散し、一路御徒町方面へ。不忍池は蓮が青々と茂っていて壮観であった。蓮の花の見ごろはもう少し先か。

 目的は近現代建築資料館。「『こどもの国』のデザイン」と題した企画展である。

 私自身がこどもの国へ赴いたことがあるかはちょっと記憶が怪しいのだが、どうも展示を見たところでは、私の頃にはもう開園当時のような先進的な建築物はほとんどが撤去された後だったようだ。というのも、計画に携わった建築家の多くがメタボリズム・グループのメンバーで、現在からみても未来的なデザインを60年前の世に作り上げていたのである。

 個人的に、メタボリズムは面白い試みだとは思うし好きでもあるのだが、実用の面から言うといま一つと言わざるを得ないと思っている。たとえばこどもの国に現存する「フラワーシェルター」は、花弁型の鉄板により屋根を誂えた休憩所で、花弁は一枚単位で取り換えることが可能である。のちの「中銀カプセルタワービル」に通ずる発想を有しているわけだが、ふつうに考えれば老朽化は一斉に訪れるものだし、よしんばひとつのユニットが極端に傷んだとしても、そこだけを特別に発注して交換するというのは、手間と効果とが割に合っていないだろう。中銀ビルがけっきょく一度もカプセルを交換せず、完全解体と相成ったことがそれを裏付けてはいないか。

 そういう若い試みがずらりと並んだ園内はさぞかし楽しかったのだろうと思う。もっというと、これは日本ないし世界がまだそういう余裕を持っていたころの話であって、いまならこういう規模で子供のための施設をつくる企画など成し得ないだろうし、安全がどうとか自然破壊が云々いったクレームによって、建築家の自由な発想は取り入れられないのではないだろうか。

 

③『「こどもの国」のデザイン 自然・未来・メタボリズム建築』文化庁)令4年6月21日, 吉田貴久デザイン ロハ

 いつも思うことだが、国の運営による企画展示とはいえ、これだけ作りこまれた図録が無料で配布されているというのは少しやり過ぎではないか。しかも在庫がある分については、過去のものも頼めば全部もらえてしまうのである。今回の図録も、貴重な図面や写真満載で、今はない当時の面影を想像しながら楽しく読むことができる。メタボリズムを考えるうえで、将来的に重要な資料となるかもしれない。

*1:もっとも紀田のコラムを確認すると、情報源は小寺謙吉らしいが、あの書き口だと紀田は現物を見てはおらず、小寺からの伝聞情報にすぎないようだ。

私小説一本釣り

 マドテンである。あまり気合を入れてならぶ感じもしなかったので、9時半ごろゆったりと列に加わる。30人ほどか、最近の傾向からすると少なめの印象であった。

 例によってアキツへ走る。どうもピンとこないが、あまり見ない鶴書房の童話などを抱えつつ右へ左へうろちょろすること数分、卒然、他の人に拾われなかったのが不思議なほどの掘り出し物を発見したのだった。

 

西村賢太編『田中英光私研究 第2輯』平6年4月3日私家版 400円

 ―――――『田中英光私研究 第5輯』平6年11月3日私家版帯 700円

 西村賢太が没してから、いやおそらくはその少し前くらいから、この私家版の薄冊子は古書価がぐんぐん吊り上がっていた。私が蒐集を始めたころは、まだ日本の古本屋にも数千円でいくつか出品が見られたものだったが、近年は1冊あたり1万円を平気で越えてくる有様。先日も揃いがバラでオークションに出されたときは、巻によって5万円まで競り合いが続いたりしていた。全8巻揃いならば20万は覚悟しなくてはならないだろう。

 1冊だけ奇跡的に持っていた私も、そういう時流にあっては端本を拾うことなど今後ゆめゆめ叶うまいと思っていた矢先だったから、黒っぽい本の間に第2輯を見つけた時はほんとうに驚いた。人ごみの間から引き抜くや、次にするべきは他の巻の捜索である。第2輯の周辺には見当たらず、反対側の棚に回ると果たして第5輯を発見することが出来た。周りも黒っぽい本ばかりに目が行って、白っぽい冊子には目もくれなかったのではなかろうか。安すぎる放出に感謝したいところである。

 内容が貴重なことは私が殊更に言うまでもないが、第5輯の吉田時善のインタビューはとりわけ面白かった。英光が『姫むかしよもぎ』を出した赤坂書店の内部事情が語られているのだが、それを活かす編者の西村賢太の知識と手腕が如何なく発揮されている印象である。

 

宇野浩二『心つくし』(地平社)昭22年6月20日 400円

 「手帖文庫」の1冊。コレクターからすれば珍しくないのかもしれないが、始めて見る文庫である。宇野に出すには少し高かったか。

 表紙に落書きっぽい赤が入っているが、これは元々の意匠である。ナンバリングは〈Ⅱ-12〉となっており、そこそこの冊数はでたようだが、全容はよくわからない。ネットで調べた感じだと、同時代の大衆作家を集めたシリーズのような印象は受ける。

 

③『会員名簿』(一高同窓会)昭3年11月1日 800円

 一旦アキツを離れ、ナツメ書店の棚で拾った。一高の名簿など持っていても仕方ないとは思いつつ一応中を確認してみると、巻末索引から五十音順に人物をひけるのが便利そうで買ってしまった。難読漢字からひけるページまで準備されているのが徹底している。

 パッと思いつく芥川をひいてみると、当該箇所の住所欄には「死亡」とあり虚しい。同様に「死亡」の漱石は、「舊職員」と「卒業生」との両方に名前が見られた。

 元々は同窓生に配布されたものなのだろうか、あるいは関係者に小数部配られたのか。いずれにしても文庫大でこの造本では背が割れやすすぎるので、頻繁に参照するとすぐダメになりそうである。尤も、買ったところで使い道などありはしないのだが。

 

④池田小菊『父母としての教室生活(厚生閣書店)昭4年10月15日 2500円

 池田小菊は、志賀直哉筋の作家として一時期買っていたこともあるが、この本は知らなかった。奈良女高師(現在の奈良女子大学)での指導経験をもとに、教育論を語ったもので、序文に〈この書物の内容に、世間の教育者の心に通ふ何物もないとしたなら、私の十ヶ年間の苦労は、無駄骨折りであつたのです。寧ろ、十ヶ年を眠つてゐた方がよかつたのです〉と書いているくらいなので、思い入れのある仕事であったに違いない。

 今日は同じ棚に『帰る日』もあって、これもあまり見かけない割に安かったが2冊はいらないのでスルー。しかし誰か買う人があればよいが、池田小菊など誰も気に留めないだろうなぁとも思う。

 

 他にもいろいろ地味な資料やら何やらを買って15冊11000円。大した本は買っていないが、今日は英光私研究だけでいいくらいだ。それに関連付けるわけではないが、帰りに東京堂で『文学界』西村賢太特集を買い、そのまま調べもののため市川へ。古本を背負っての遠出は骨が折れたことであった。

 

 ところで遅ればせながら、私も国会図書館デジタルコレクションの個人登録が完了した。著作権満了した資料以外にも、自宅からアクセスすることが容易になったのは非常に便利である。雑誌類は抜けが多かったりするけれども、しかしいちいち買ったり現地で閲覧申請をすることを考えれば格段に調べものはしやすくなった。今後は在野研究もどんどん進んでいくことであろう。

 だからというわけではないが、個人的な備忘録も兼ねている以上、今後はデジコレに収録のある本についてはリンクを付しておこうと思う。別に閲覧を期待した記事ではないにしろ、書誌としては少しよくなるかもしれないと勝手に考えている次第である。

粘り一戦

 少し早めに神保町入りしたシュミテンであったが、9時前の段階ですでに15人は並んでいた。先輩方もいらしたのを幸いに、閑談しつつ開場を待つ。夏日の予報であったがこのくらいならまだ陽気としてはちょうどよいくらいか。

 

 10時ジャストにオープンするやフソウ棚を目がけて走る。運悪く手が伸びずカゴが掴めなかったので手ぶらで駆け寄ると、本の量はいつもより少なめであった。通用口付近の棚はそもそも用意されていなかったし、タスキの本も多めに面陳されていた。だからというわけでもあるまいが、しばらくは一冊も手に取ることなくうろうろする時間を過ごしてしまった。例のことであれば大抵タスキの数冊を掻っ攫って、しかるのちに棚差しの本をある種悠々と選んでいくものなのだが。

 それでも繰り返し棚を眺め、又ありがたくも先輩方からお譲り戴いたりして、後から入手したカゴに一杯の収穫を得ることが出来た。

 

若山牧水『比叡と熊野』春陽堂)大8年9月20日再版カバー 300円

 小型本がバラバラと折り重なっているエリアに、ふと気になるこの本を見つけた。自然と人生叢書はそこまで珍しくはない印象であるし、別段牧水に興味があるでもない。しかしカバーというのは初めて見た。このカバーの存在は、お世話になっている先輩がツイッターで指摘なさっていて、いつか目にしたいものだと思っていたところであった。

 といって完全に残存しているわけではなく、表1に貼り付けられたのが辛うじて残っているにすぎないのだが、部分的にでも稀少な外装を得られたのは嬉しい。しかしそこまで極端に毀損しやすい材質でもないのに、なぜこれほど残っていないのかは不可思議である。

 今日は同叢書の田山花袋『赤い桃』(もちろん裸本)も購入した。

 

②西原柳雨『川柳年中行事』春陽堂)昭3年8月5日函, 小村雪岱装 1000円

 雪岱装の1冊である。裸本は以前300円で入手していたが、函付きでこれは安かろう。しかも函本冊ともになかなか保存状態が好ましい*1

 今日の棚には同じ柳雨の『川柳風俗志』函付き2千円も転がっていた。函付きで持ってはいるので手放してしまったが、この函は家蔵のものとはデザインが少し異なっていた。具体的には「上巻」の表記がないだけで全体の印象はほぼ同じである。してみるに、『年中行事』のほうにも異装函があるのかもしれない。

 

芥川龍之介『将軍』(新潮社)大11年3月15日 400円

 代表的名作選集の初版である。初版が難関であるのはことさらに言うまでもないが、芥川のこれは重版もあまり見ない気がする。本書は背欠で裏の羽二重も剥がれかかっているけれども、きちんとした状態のものを探そうという気もないので安価で購えたのは幸いであった。ちなみにこれは前回のシュミテンで1500円が付けられていて、さすがにこの状態では、と見送った個体だと思う。

 

④浅原八郎『愛慾行進曲』(大東書院)昭5年6月10日改訂版10版函 1500円

 今日は本が少ない代わりに追加が10本ほどあるとのことで、棚が空いたところを見計らってフソウさんが順次本を補充していた。それでも今回は私に刺さる本は多くなかったけれども、追加分から拾った1冊がこれ。モダンな装丁が楽しいが装丁者は未記載。

 買ったときはあのモダニズムの浅原、と思っていたがそれは浅原六朗。八郎というのが何者かはちょっとわからない。愛欲にまみれたモダンな暮らしのリアルを綴っていて面白いが、伏字空白削除のオンパレードで、頁によってはほぼ何を言っているのかわからなかったりする。そういうわけで、本書の初版は発禁処分を受けている由。

 

 あまり私らしくはない収穫群かもしれないが、ここに書いた他にもいろいろと面白いものは手に入った。結局23冊購入。やはり古本は楽しい。

 帰りしな、東京堂で『本の雑誌西村賢太特集号を購める。各氏のインタビューも賢太の知られざる一面を伝えていて面白いが、古本者としてはなんといっても冒頭の『藤澤清造全集内容見本』が嬉しい。内容が良いといってもあの薄冊に1万円とかはだせないし、こういう形で全頁カラーで読むことができるのはありがたい限りである。

*1:先輩にお見せしたら「まあまあだね」と、誉め言葉らしくも手厳しい評を頂戴した。

資料漁り周遊

 古本を山と買いだして丸5年くらいになるが、これまでは結句蒐集癖によるもので実用のために購ったことはほとんどなかった。それがここにきて、資料を集める必要が出て来てしまった。仕事というほど大層なものではないにせよ、古書展に足繁く通わなくてはならない状況となったのは嬉しいやら不安やらといった心持である。

 というわけで久々に朝から並んだマドテン。

 

森鴎外訳『寂しき人々』(金尾文淵堂)明44年7月20日, 藤島武二装 300円

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 聞くところによると蝙蝠堂は久々の参加らしい。とあれば数年に1度のフィーバー回か、と思いきやそういうことはなく少し残念であった。鴎外のこれとて、安いから買っておいたがそれ以上でもそれ以下でもないところである。

 蝙蝠の高くて買えないゾーンには、幹彦本がいろいろ出ていて見る分には面白かった。『九番館』とか『紅夢集』とか、きちんと函付きのものを触るだけ触らせていただいた。

 

夏目漱石『漾虚集』(大倉書店)大6年10月30日再版 100円

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 漱石の縮刷版で裸ともなると、あれだけ混雑するアキツ棚でも誰も拾わない。私とて基本的には函付きでもそんなに食指が動かないのだが、ふと見たら再版だったので確保しておく。本書の装丁者は不明。地は濃緑ベタ塗りに見えるが、うっすらと意匠が入っていて、青楓あたりの絵かなと思うもののサインがないので確言は出来ない。

 といって初版でもなし、状態の比較的良いくらいがとりえか。

 

谷崎潤一郎『異端者の悲み』(阿蘭陀書房)大6年9月15日 800円

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 何周か会場を回っていると、ケヤキにリバースされていた。どうも先輩がリリースしたものらしかった。函欠、裏見返し欠、扉に蔵印、と汚本もいいところだが、外見としてはあまり問題はないし、この値段で買う機会はないだろうと拾っておく。

 ただ個人的には、こういう一面に銀色が光っているような装丁は好みではない。佐藤春夫『ぽるとがるぶみ』なんかもそうだが、なんとなく汚らしい感じがしてしまって受け付けないのだ。感覚の問題なのでこれ以上説明のしようがないが、阿蘭陀書房刊行の谷崎本とあっては文句を垂れつつも買ってしまう。

 

④『白樺 第8巻5号』(洛陽堂)大6年5月1日 2700円

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 後半も後半、アキツのたすき掛けの棚を物色していて見つけた。あの配置は見づらいが掘り出し物が埋もれているので楽しい。数冊あった『白樺』のうち、古めの所をめくると「城の崎にて」の初出号だったので喜んで確保する。

 しかし改めて見ると、初出の本文はこんにち知られているものと全く違うことがわかる。そもそも書き出しからして「山手線」という言葉が使われていないのは意外にさえ思えるくらいだ。

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なお、このあたりを詳しく調べた論文に寺杣雅人(2011)「志賀直哉『城の崎にて』の形成 ― 『城の崎にて』から『城崎にて』へ―」がある。

harp.lib.hiroshima-u.ac.jp

 休憩がてら先輩方と丸香へ繰り出し、いろいろとお話を伺う。まだまだ買うべき資料はたくさんあるなぁと思ったことであった。

雨の復帰戦

 春めいた気候となり花粉も吹き荒れ出したかと思いきや、一転して寒の戻りが訪れた一日であった。久々に朝イチでシュミテンに並ぶことにしたのだが、折悪しく東京は雨模様。並ぶのは6月以来だろうか。無沙汰で気合が入ったわけでもないが、8:40くらいに到着すると、すでに10人近くが列をなしていた。今回は整理券配布はされず、10時ジャストに開場となった。

 

夏目漱石『四篇』春陽堂)明43年5月15日, 橋口五葉装 2500円

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 真っ先にフソウ棚へ走るのはいつもの通りだが、今日はタスキ架けで面陳された本が極端に少なかった。一瞬戸惑いつつも数冊は確保、うち1冊が漱石のこれである。

 『四篇』は漱石本の中でも一番華やかな装丁ではないかと、個人的には思っている。『春陽堂書店 発行図書総目録』にも使われている五葉のデザインは、改めて手に取ると非常に魅力的である。函欠だし、値段なりに背がイタみ見返しも欠なれど、汚れは少なく全体の印象は悪くない。

 

②徳永直『太陽のない街(戦旗社)昭4年12月6日3版, 柳瀬正夢装 目黒生*1挿絵 1200円

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 いい加減しつこいくらいに買っている『太陽のない街』である。復刻版を含めると8冊目か。

 3版というのは数ある重版のヴァリエーションの中でも一番見かける版ではないかと思っていて、棚から掴み取った直後に版数を確認したときは少しガッカリした。しかし奥付をよく見ると、版数表記の真横にシールが付してあるではないか。

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 従来確認してきた3版は「昭和4年11月29日印刷 昭和4年12月2日3版発行」と奥付に直接印刷されているのだが、貼ってあるシールには「昭和4年12月3日印刷 12月6日3版発行」とあった。ふつうに考えたら納本対策か何かであろうとは思うが、上から貼らずに横に貼ってあるのはよくわからない。以前の記事にも書いた、近文復刻を制作するときに参考とされた「貼紙奥付」は、てっきり奥付全体を印刷した紙が貼られているものと思っていたが、してみるに、本書の如く印刷日・発行日の箇所のみの「貼紙」だったのかもしれない。

 今後の調査が待たれるが、それにしても貴重な1冊であろうと思う。もっとも、ここまで執着して集める人は当代で私だけかもしれない。

 

③庄野義信『文芸雑誌 新人 臨時増刊号(1巻2号) 死の書』(新人社)昭8年11月1日カバ折込附録付長尾桃郎蔵書票, 著者自装 1500円

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 煽情的な文句がつらつら書かれた表紙が気になって手に取ると、どうやら雑誌として出されたものであるらしい。本冊奥付には11月発行とあるが、カバーには12月発行とあり、ここでは本冊の11月を採用する。

 古書ニチゲツ堂のサイトでも紹介されているが、これはどうも庄野義信がかつて自費出版した同タイトル2分冊の小説集を、新作を交えつつ再構成したもののようだ。カバー表1にある文章を以下に引用する。

『新人』創刊号に別冊附録死の書を添附すべき所、本誌より尨大なる附録をつけることは雑誌協会の規約により不許可になりましたので、別冊附録死の書を分離し臨時増刊号としてここに発売しました

たしかに四六判で400ページを超える分量だから、雑誌の附録という趣でないことは確かである。

 と、ここで注目したいのが長尾桃郎の蔵書票で、これが貼られている以上は発禁処分を受けたのであろうと推定できる。手近にある城市郎『発禁本百年』を紐解くと、昭和8年の「その他の発禁本」「風俗壊乱」欄に本書の名前が列されていた。書名の末尾には〈「新人・創刊号」附録(12・1、十二月十五日発禁)〉と書かれていた。城の記述はアテにならないこともままあるのだが、ここで「創刊号附録」とされていることは注意を要すると思う。

 改めてカバーを外して本冊を見ると、表紙には「'新人'創刊号・別冊附録」とある。察するに、本冊じたいは確かに創刊号の附録として11月に作られていたものの、発禁処分を受けたために臨時増刊号=別の本として出し直すこととし、カバーを付けて12月の発行となったのではないだろうか。

 序文附記には〈検閲に対する顧慮から、各所に伏字をしました。(…)各所に伏字をすることは筆者の最も苦痛とする所でありますが、致方ありません。殊に『新人』創刊号から当局の忌諱に触れるやうなことがあれば、経済的に新人社が破壊されてしまいます。(…)〉とあるので、検閲対策はしたものの奏功しなかったようだ。投げ込みの折込附録は臨時増刊号むけのもので、〈(…)先に発行した創刊号は、別冊附録のない畸型にも拘らず、追加注文のある盛況で(…)〉〈既に千数百円の負債を抱えて(…)〉という記述を見るにつけ、気合で出したものの経済的にはかなり苦しい状況に至っていたらしい。

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 ネットで調べた限り、この『新人』の3号は確認できない。

 

横光利一『春は馬車に乗って』改造社)昭2年1月12日函署名, 中川一政装 2000円

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 順番は遡るが、最初に掴み取った2冊のうち1冊がこれである。ちょうど横光の署名本は持っていなかったので嬉しい収穫であった。同書は裸を800円で買ったことがあるが、背はかなりスレて読めなくなっていた。今回買ったこれは函背が傷んでいるものの本冊はまずまずで、署名なしでも2000円なら買えるラインの本だと思う。

 横光の署名はそこまで珍しくはないけれども、『春は馬車に乗って』の署名本はあまり多くないらしい。収録作としては『機械』なんかよりこちらの方が好きなので、ちょうどよかった。

 

 そのほか大量にあった太宰の仙花紙本から未所持の者を数冊拾ったりして、計17冊で16000円ほど。ちょうどリュックに入る量の買い物となったのは雨の日において誂え向きであったが、妙に小賢しくなったのか単に衰えたのか、買う冊数にセーブをかけてしまっていたのは少し情けない。部屋の圧迫感を考えれば正しいふるまいなのだが……。

*1:このたび改めて調査したところ、この「目黒生」というのは稲垣小五郎という画家・漫画家の別名であるらしい。

池袋へすごすごと、荷風を買う

 池袋三省堂での古本まつりは年に2回開催だったか。ともあれあの吹きっさらしの寒さの中を朝9時とかに並ぶ気力もなく、初日でなければ意味など皆無であろうと思われたが、都心へ出る用事ついでに冷かしのつもりで覗いて来た。

 

高見順『描写のうしろに寝てゐられない』(信正社)昭12年1月12日 1000円

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 やはり真っ先に向かうのはニワトリの棚。単行本などはもう漁りに漁られた後だったろうが、雑誌とか小型本とか、じっくり見ていくのはやはり楽しい。

 と、目に留まったのがこの本。卒然に思い出したのはいつだったかのトークショーでの西村賢太氏だった。「いみじくも高見順が『描写のうしろに寝ていられない』と言ったように――いやあれはそういう意味で言った言葉ではないんですが」云々と、氏が小説を書くうえでどういう思想を持っているかを語る際に引き合いに出したものだった。今までに思い出す事のなかった記憶が引き出されたのも、このタイミングで見つけたのもなにか運命的なものを感じたので買うことにした。ふだんの私が買う相場感からすれば少し高かったか。

 

永井荷風荷風全集 第3巻』春陽堂)大8年12月23日函 550円

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 ふだん古書会館の古書展では専ら黒っぽい本ばかりを漁っているわけだが、こうした規模の大きいデパート展では白っぽい本を見ていくのも勉強になるものだ。したがって従来お世話になっていない書店の棚も訪れることになり、よくよく見るとほんの一角に黒っぽい本がまとまっていたりして油断ならない。

 棚にこの本を見つけた時、ずいぶんきれいすぎるなと思った。復刻はないだろうが誂え函ではないかという懸念があったのだ。が、引き出して見るにそういう雰囲気はなく、しかも初版にあるまじき安価と思えた。

 大正期のこの荷風全集は函付きでもう1冊、第4巻を持っているのみで、調べると全6冊の由。春陽堂版の『荷風全集』としては大正末から昭和ゼロ年代にかけて改版が出されているが、荷風最初の全集であるこの版はあまり見ない印象である。題字が誰の手によるものだったか、聞いたことがあるような気もするのだが忘れてしまった。

 あとから出品店のツイッターを確認すると、この本は初日から棚にあったわけではなく、今日の追加分だという。道理で歴戦の先輩方が見逃すはずないと思っていた。たまにはこういうラッキーがあってもよいだろう。

 

 ほか数点買ったがわざわざここに記すほどのものでもないので、ついでに最近買った荷風本を載せておく。

 

永井荷風『新編ふらんす物語(博文館)大5年10月10日6版カバー, 橋口五葉装 3520円(含送料)

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 ヤフオクで間に合わせの札を入れて置いたら落ちて来てしまった。状態が悪いとはいえ、この本のカバーは重版でもあまりないと思うのだが。

 買うまで知らなかったこととして、表紙の重版表記がある。すべての重版でそうなっているかどうかはわからないし、山田朝一『荷風書誌』でもさすがにそこまでは追いかけていないようだ。またこれも知られたことかはわからないが、カバー及び本冊表4にある博文館の白鳥の印は、初版と重版で微妙にデザインが異なっている。

 

 次回のシュミテンは久々に並んでみようか、と、らしくもない前向きな思い付きが頭に浮かびつつある。

空腹の彷徨

 金がない。私個人の事情をここに書いても詮無いのは言うまでもないが、金欠に拍車がかかっている今、本来ならば古本を購っている場合ではない。けれどもそこは腐ってもマニヤ、本を買わないことには精神の安寧が図れないのである。そうなれば削るは生活費となるわけで、空腹の身に鞭打って五反田へ。ユーコカイも久々である。

 

島崎藤村『嵐』新潮文庫)昭31年11月5日12刷帯元パラカバ―, 山田申吾装 200円

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 井伏鱒二『駅前旅館』新潮文庫)昭36年2月20日2刷帯元パラカバ―, 吉岡堅二 200円

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 福田恒存『私の国語教室』新潮文庫)昭36年7月25日2刷帯元パラカバ― 200円

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 チェーホフ/神西清訳『かもめ』河出文庫特装版)昭30年3月31日初版カバー, 井出尚装 200円

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 10時半くらいだったろうか。ずいぶん遅れて現場に着き、居合わせた先輩に新年の挨拶をすると、「向こうに厚着本があったよ」とタレコミを頂いた。あまり高いと買えないが。200円ならギリギリといったところである。

 厚着本だからといって、もちろんテキストはありふれたものであるし、古本として価値が認められているでもない。強いて言えばカバーデザインが従来のものより少しよいかもれないけれども、わざわざ集めるほどかと問われれば答えに窮するというのが正直なところである。それでも、やはり現象として惹かれるものを感じて、私は買ってしまうのだ。ところで『国語教室』の表紙にある「特別奉仕版」とはどういう意味であろうか。

 ついでにチェーホフの『かもめ』を手に取ると、河出文庫特装版であった。これも新潮文庫他と同じく、それまで裸で売っていたものを返本、再出荷の折にカバーを掛け直したものであろうと推定している。

 

②『没後20年 太宰治展』毎日新聞社)昭43年6月18日-23日於銀座松坂屋 半券付 200円

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 古い太宰展の図録である。近代文学作家関連の図録は、印象としては60年代くらいから膨大な量が出されているが、古いものは現代において資料性の高くないことが多い。掲載の写真が少なかったりモノクロだったりするとあまり面白くないし、時代を経るにつれて資料の発見が進み、文学館・資料館のコレクションが潤沢になってゆくのも必定である。

 太宰など早くから企画展が乱発した作家のひとりで、これとて没後わずか20年で開催された企画展である。だから、太宰に興味があると言っても過去の図録を徒に買いあさるのは得策ではないのだが、今回買ったこれは太宰の自筆資料の写真が多くて見ごたえを感じたので確保しておいた。200円ならまあよかろう。

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 なかでも目を惹くのは『晩年』の献呈識語の写真で、「藤田様*1、皆様」宛、小館善四郎宛、小館保宛の3枚が掲載されている。「藤田様」宛は日本文学アルバムにも掲載されているようだが、他の2枚はどうだろう。少なくとも山内祥史『太宰治の「晩年」――成立と出版』(秀明出版会)においては、両氏宛の識語を引くにあたって、本図録を参照しているので、あまり見かけない写真と言えそうだ。

 

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 簡単に買い物を済ませてから、駒場近代文学館へ。現在開催されているのは「明治文学の彩り」と題した特別展で、テーマが口絵なので書物にフォーカスしているのが面白そうだと足を運んだ。

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 口絵と挿絵の役割としての違いに始まり、著者から絵師に宛てた指示を参照しながら絵師の拘りを見、連載と単行本とで読者の受け止め方がどう変わっていくかなど、いろいろと考えることの多い展示であった。展示品は複製も交じっているものの、例えば古本者にはよく知られた、国木田独歩『運命』が版によって口絵が違うことは、現物(版違いの3冊だったか)によって示されていたのが印象的であった。

 ただし気になったのは序盤に示された尾崎紅葉金色夜叉 前篇』で、おそらく明治文学の口絵としてはもっとも有名な、武内桂舟の貫一とお宮の口絵についてのキャプションが「多色摺木版」となっていた点。これは誤りで、現物がいま手元にないので印刷方法は分からないが、少なくとも木版ではない。『金色夜叉』は部数というか重版もそこそこでているし、口絵もせいぜい石版しかないため、古書価がそんなに高くないものと認識している。まあ多色摺なのは間違いないし、展示を見る側からすれば木版だろうとコロタイプだろうと関係ないと言えばないのだが、展覧会の趣旨としてはこのあたりも細部まできっちりやってほしかったと思う。

 図録が欲しいのになぁと思っていたところ、先輩から相当するpdfがネットに転がっているとご教示頂いた。復習にちょうどよく、非常にありがたい。

 

 帰路、下北沢まで散策をするも、拾い物はなし。均一にいくつか気になる本は発見したのだが、財布の紐が固すぎるあまり、けっきょくすべて戻してしまった。精神まで貧しくなってこれから先どう生きてゆけば良いのか。

*1:太宰治まなびの家」として知られる藤田家宛であろう。