紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

安売りビンテージ

 夏以来の高円寺である。もうそんなに日が経ってしまったのかという感じもありつつ、西部古書会館のブックラボへ。

 到着は9時半くらいだったろうか。まだガレージ部分は解放されておらず、ゲート越しに虎視眈々と本を伺っている先客が犇めいていた。外台も買えるのはわかっていたが、まあそこまで、という気もしたので少し距離を取って開場を待つことに。40分くらいにゲートが開くや外台から2冊掴み、会場入り口付近にたむろしておく。

 開場、もちろん目当ては500円均一のS林堂。前回*1と同様、事前にすべての棚差しが写真で公開されており、客はあらかじめ目星をつけている本にまっしぐら。私ももちろん対策済みで、何番目の棚の何段目と何段目の何々を抜いてそのあとは何番目の棚の——と頭にメモしていたのであった。で、これも前回と同じというかまあ当然のなりゆきとして、今回の客はほとんどがミステリ関連に殺到するので、文学系はそこまで競争率が高くないのである。ありがたいことに予習しておいた本は開始20秒ほどですべて抜き取ることができ、とりあえず帳場に預け置いてから2周目以降をゆったり楽しむことができた。

 

阿部知二『恋とアフリカ』(新潮社)昭5年5月10日, 古賀春江装 500円

 池谷信三郎『有閑夫人』(新潮社)昭5年6月18日 500円

 舟橋聖一『愛慾の一匙』(新潮社)昭5年6月10日 500円

 まっさきに抜いたのは新潮社の新興芸術派叢書である。改造社の新鋭叢書のほうはわりと手ごろに買えるけれども、新興のほうは安くなりにくい印象なので、500円なら買っておくべきであろう。しかし川端とか井伏、せいぜい龍胆寺くらいまでなら人気もあろうが、そのほかもいいところとはいえ現代的には地味である。前回も楢崎勤を買えたので、ビンテージによって本叢書の進捗はかなりいい感じになったというわけだ。

 

宇能鴻一郎『鯨神』文芸春秋新社)昭37年4月1日再版カバー, 坂根進装 500円

 これもちょっと欲しいと思っていた本で、帯欠の再版だが充分である。芥川賞作家の宇能が健在というのもビックリな話だが、最近新潮文庫から短篇集が出されて少しく話題になった記憶が新しい。わざわざ誰が読むんだと思わなくもないけれども、文庫化されると作品の寿命が単純に伸びるし読者の裾野を広げることになるので、大部数でなくとも文庫化できるならどんどんしておいてもらいたいものである。

 ところでこの日は筒井康隆編『異形の白昼』函帯付も買った。既所持とはいえ好きな短篇集なので帯付きが欲しくて買ったが、改めて目次を見るとこれにも宇能の作品が収録されていた。不思議な偶然である。

 

③藤森成吉『悲恋の為恭』(聖紀書房)昭18年1月30日初版函著者献呈本, 木下大雍装 500円

 少し落ち着いてきた(といってもものすごい混雑には違いないのだが)ところで、ピンとくるものがあって手に取ったら献呈本であった。宛先は窪田空穂。知らなかったのだが、窪田と藤森とはかなり深い縁があるようで、ネットで調べてみると、藤森が世に出た初めが処女作「波」を窪田に認められて自費出版したところであるという。そう考えて見てみると、「到着当日」に「先生」へ宛てている点に、気心の知れた師弟関係みたようなものがうかがえるような気もする。

 

④石浜知行『闘争の跡を訪ねて』(同人社)大15年4月15日函, 柳瀬正夢装 500円

 アプトン・シンクレェア/前田河広一郎訳『ジャングル』(叢文閣)昭3年5月8日普及版, 柳瀬正夢装 500円

 2冊ともに装丁買いである。ちょっとプロレタリア臭のするデザインだなと拾い上げたものだが、表記はないもののサインから柳瀬正夢の手によるものとわかる。柳瀬というとネジクギの頭を模したらしいシンプルなサインが一番知られていると思うけれども、実はこの「夢」を意匠化したようなものもけっこう見かける。装丁者表記がないために、たとえば日本の古本屋でもそれとして売られていなかったりするのだが、してみるにまだ知られていない装丁本は案外多いのかもしれない。

 

⑤『編年体 大正文学全集 別巻 大正文学年表・年鑑』ゆまに書房)平15年8月25日第1版第1刷カバー帯, 寺山祐策装 500円

 おそらく個人が買うことを想定していないためバカ高いが、そのかわりに貴重な復刻を全集として出してくれることでおなじみのゆまに書房本である。同全集の十何巻だかも1冊棚にあったが、半端に場所ばかりとっても仕方ないので別巻のみ買う。

 こういう全集は、たいてい別巻の索引だけでも自宅に置いておくと非常に重宝する。本書は大正各年の『文藝年鑑』を中心として、当時の文壇の同時代評が満載となっているようだ。全集としては作家ごとに深掘りしているわけではないため索引は使えなさそうだが、年鑑としては持っておくとやはり役立ちそうである。

 

 20冊ちょい、前回と同じ1万円そこそこの会計であった。しかしS林堂の独擅場であるのはかわりなく、またS林堂単体として見てもたたき売りの感は否めない*2わけで、まあなんというか安いことにしか価値が見いだせなくなりつつある日本の縮図みたいな、大仰な言い方だがそういう感想を抱かないでもなかった。買う側からすればありがたいのだが、心中は複雑である。

 帰りに先輩と昼食をとったあとで雰囲気のよい喫茶店へ案内していただき、今日の収穫やら最近の絶版・復刊事情をうかがい、たいへん勉強になったことであった。

*1:正確には、ビンテージはWeb目録のみで開場なしの第2回目があったので、前々回ということになる。

*2:ここには書かないが荷風『濹東綺譚』初版函付も、イタミ本とはいえ500円であった。