紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

しんどいシュミテン

 雨、となれば比較的すいているように思われたシュミテンだが、私自身が電車の遅延に巻き込まれてはどうしようもない。ふだん使わないバスを利用したことも相まって、会場入りはギリギリとなってしまった。荷物を預けてのち、列の後ろのほうへ並びなおす経験は、よく考えると初のことである。

 

 ということで出遅れはなはだしく、そもそも徹夜明けの状態で来ていることもあって、これまでになく疲労を感じる即売会であった。

 

①文芸家協会編『日本小説集 第二集』(新潮社)大15年7月16日 300円

 ――――――『日本小説集 第五集』(新潮社)昭4年5月12日カバー 1000円

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 このシリーズもちょっと欲しいなとは思っていた。確か単行本初出のものもぽつぽつあったような気がするのだが、とくべつ有名作品が収録されている様子もないので調べにくい。『第五集』の方はカバーがついてまずまずの状態で、レッテルを見ると美本の多い藤田蔵書であった。

 

②『現代漫画大観第二編 文芸名作漫画』(中央美術社)昭3年4月1日函 300円

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 棚に刺さっているのを見、「これはもしや」と中を確認したら、岡本一平による「坊っちゃん絵物語」と「坊っちゃん遺跡めぐり」が収録された「坊っちゃん案件」であった。「漫画」とはいっても現代に想像するような、コマ割りでストーリーを追う類いのものではなく、先日買った『漫画坊っちゃん』のようなもので、挿絵がものすごく多いダイジェスト版、くらいの認識でよいと思う。『坊っちゃん』以外にも『金色夜叉』とか『痴人の愛』、『半七捕物帳』なんて作品の漫画も入っていて面白い。

 「坊っちゃん遺跡めぐり」は、「絵物語」を描いて感化された岡本一平が、舞台となった松山を旅するというエッセイだ。温泉とか「ターナー島」を巡っているのはいいんだけれども、新聞社の人間のツテで山嵐のモデルにまで会っているのはちょっと驚いた。

 

芥川龍之介侏儒の言葉』(文芸春秋社昭2年12月8日3版函, 小穴隆一装 1000円

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 そこまで珍しい本ではないが、同タイトルは9版だかなんだかの「薄い方*1」しか持っていなかったので、参考までに「分厚い方」も買っておいた。

 函はついているが背が抜けていて(抜け部分は残存)あまり状態は良くない。重版だしこの値段はちょっと高かったかもしれないなあと頁を繰っていたところ、校正者の栞ともいうべきペラ紙が挟まっていた。

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 雑誌連載時の原稿に手を入れましたというような内容で、これ存在をすっかり忘れていた。あまり言及されない気もするのだが、どれだけ珍しいのか、芥川蒐集を志しているわけではないので存じ上げない。

 

村上浪六『三日月』(春陽堂明36年2月28日19版口絵付 300円

 ――――『古賀市』(青木嵩山堂)明28年7月27日, 土岡春郊絵 500円

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 浪六という作家、どんな人物かあまり掴み切れていないのだが、先輩からパスされたうち数冊を購入した。2冊のうち、より欲しかったのは『古賀市』の方で、表紙のヘチマの感じ、シンプルながら色合いとか配置に何となく惹かれたのだった。木版口絵も春郊によるもので、作品との連関は知らないがユーモラスだ。

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 正直なところ、『三日月』の方はおまけ程度に購入したのだが、調べてみたらこちらが浪六の第一作とのことであった(初版は明治24年)。で、改めて『古賀市』冒頭を見てみたところ、序文には次のように記されていた。

古賀市』は今より四年前。明治二十四年の十一月。浪六が報知新聞にありしころ。『三日月』についで筆とりしもの。品ぶッて申さば文壇に上りし第二の初陣ながら。全篇わづかに四分の一を書いたるまゝ故ありて報知社を退き。其まゝの断篇として函底に投込み。捨てゝ更に顧みることもなかりしが。此ごろの炎暑に僅か一尺ばかりの箱の中。嘸や苦しからむと今更めいたる哀れを催し。俄かに取出して浮世の風に吹しぬ。されば杖も草履も今日あらたに与へしものなれど。元来の盲目は四年以前の盲目。さだめて歩む道筋も忘れ人声さへも聞馴れぬ身の。往来に躓き辻に迷ふこともありなむ。四方の君子もし見当たり玉はゞ御手引をたのみまいらす。

要するに、第一作の『三日月』を発表した後、二作目として執筆していながら頓挫していたということだろうか。ともかく内容は知らないのだが、セットで購入しておいたのは正解だったようだ。

 ところで、『三日月』の方は19版なのに表紙には18版とある。このころの春陽堂は、版数とか奥付に関していい加減な点が散見されるが、その好例か。

 

高見順『如何なる星の下に』(新潮社)昭15年4月27日初函署名箋貼付, 三雲祥之助装 4000円

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 本日最初の収穫にして、最高額の本である。本自体は復刻が出ているから知っていたし、装丁もカラフルできれいだから元版は欲しいところであった。函付きでもボロいものなら千円しないくらいで見かけたことがあるし、となればいつでもいいやとこれまで古書展では見送り続けてきた。

 相場としては初版函付きのそこそこの状態のもの、と同等だろうか。つまるところフソウ棚にしては安い方ではない。が、これはまずまず美本であるうえに、貼り付けられた署名箋に味わい深い識語まで入っているのだから、ひとまず同書としては最良品といってよいと思う。

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 なお、この「花を愛するとともに人間を愛したい」という識語は、『神聖受胎』の限定版でも書いているようなので、高見順の気に入った文句なのだろうと思われる。あるいは出典があるのかもしれないけど、寡聞にして知らない。

 

 さて、普段なら古書展での収穫はリュックに詰め込んでひいこら持って帰るところである。が、今日は事情が異なり、そのまま大阪へ飛ぶ用事があったので、自宅発送を依頼せざるを得なかった。だからこそ要らぬ本まで買ってしまった側面はもちろんあるが、都内なら1100円で送ってくれるというのを初めて利用した格好だ。

 後日自宅に届いた品を確認してみると、ちょっと入れ方が不親切というか、ただ放り込んだだけなので少しく痛みがみられた。ソフトカバーがよれてしまっていたりだとか、破れてかろうじて繋がっていたカバーの一部が欠損してしまっていたりだとか。地味に痛かったのは、値段や状態の記入された「タスキ」が軒並み処分されてしまったことだった。後から記録を作るのにも困るし、記念としてとっておきたかったなぁと残念な心持ちだ。どちらかといえば送っていただいている側だから仕方ないのだが、とはいっても今後はできるだけ利用しない方向でいきたい。

*1:この「薄い方」というのがイコール削除版というか、改訂版という扱いだったように記憶している。紙面を比べたいところだが、後の版が書架から発見されない。