南部から横浜
夜通し活動し、およそ酩酊に近い状態で迎える朝はいつものこと。しかしどうしても行きたい展覧会があるので、カフェインを過剰摂取の上、都心へ向かう。
ここで我が事ながら狂っていると思うのは、ちょうどユーコカイが開催されているから寄っておこうと途中下車を決め込んだことである。ただでさえ体力が限られている中、本を抱えて行動しようとするのは無謀以外の何物でもない。
そも南部に赴くことは極稀で、今回で3-4度目というズブの素人である。神保町の古書会館での戦い方ならある程度まで理解しているつもりだが、こちらでの立ち回りは全く分かっていないのだった。
1階部分が9時半に開かれ、次いで10時に2階が開放されるから、無難に9時半過ぎを狙って行くこととした。すでに2階行きの列は長蛇であったから、いまさら並んでも詮無いだろうとのんびり1階を漁る。
①時雨音羽『うり家札』(米本書店)大13年5月30日再版献呈署名 200円
1階ではこれだけ。本来は函付きか。
装丁のかわいらしい童謡集だったため目についたのだが、知らない作家である。野口雨情の序文があるし署名も入っているからと購入してみた。
調べると音羽(おとは/おとわ)はビクターで作詞家としてかなり有名な御仁らしく、紫綬褒章まで受賞しているとのこと。また戦後には脚本家としても活躍したとか。
献呈先は池田義信と読めるが、wikiによるとこのころ活躍していた映画監督に同名の人物がいるので、おそらくこれだろう。お互いまだ若手の頃ではないかと思うが、そのころから交友があったのか、あるいはあとから送ったのか。
②宇野浩二『文学の三十年』(中央公論社)昭17年8月28日初版献署, 鍋井克之装 1000円
何しろユーコカイに出している店にどこがあるかすらわからないので、何となく黒っぽいツキノワの棚に陣取ってみる。
ここでは署名本に「サイン」と手書きの帯を巻いてあるのがわかりやすい*1。宇野の署名とて別段珍しくはないし、本書も確か裸本で持っていたものの、一応捲ってみると高田保宛だったので買っておく。単なる署名本にしても随分安いと思う。
高田保の著書は古本屋でも比較的よくみかける印象ながら、読んだことはない。宇野との交流もそれなりにあったらしいが、この辺りはこれから勉強したいところである。
帰ってからよく検めていると、函の天部に下のような印が押されていた。
寄贈の印にしてはしっかり作られている。ここで裏見返しを確認したところ、本書が日本近代文学館の除籍資料であることがわかった。してみるに高田綾子というのは親族か何かであろう。
③沖野岩三郎『いづこへ行く』(子供の教養社)昭8年12月23日 1000円
―――――『宛名印記』(東水社)昭16年9月28日函, 福田平八郎表紙絵 1000円
―――――『大人の読んだ小学国語読本』(盛林堂)昭15年9月19日 1000円
ふと棚を見ると沖野の著作が刺さっていて、慌てて見渡したら3冊も拾うことができた。いずれも所持していなかったもので、特に『大人の読んだ―』にいたってはタイトルすら知らなかった。こういう出会いがあるから、期待のない古書展でも行っておくに越したことはないのである。
『大人の読んだ―』は、昭和初期の小学国語読本を沖野が読んで、それについて批評を加えているものである。これが今読んでもなかなか面白い。たとえば、初めの項目には以下のような記述がある。
以前の読本には、(中略)単語を六つ教えたあとで、すぐに『ヰマス』と、『アリマス』の区別を教えようとしたり、てにをはの『ガ』と『モ』との区別を教えようとしたのは少し無理であった。こんな区別は相当教育を受けた人でも、時として間違うものである。(pp.1-2)
本書で主として扱うのはいわゆる「サクラ読本」であり、それと比較すると「以前の読本」は内容に無理があったという指摘だ。経験の浅い私は「以前の読本」を見たことがないのだが、日本語教育などの視点から見ても、この指摘は的を射ているだろうと思う。沖野の教育者としての観点がうかがい知れる1冊ではないか。
④『中央公論 第42巻12号』(中央公論社)昭2年12月1日 500円
2周目だったか3周目だったか、とにかく何度か会場を行き来していると、ツキノワの棚に中央公論が1冊ぽつんと面陳してあるのが見えた。今日は未知の書を探求することに重きを置いていたから、なんとなく目次を見てみると、中に正宗白鳥の「演劇時評」が掲載されていたのだが、扱った演目のひとつに「坊ちゃん」があったのだった。
この「坊ちゃん」は昭和2年11月に本郷座で初演、二代目市川猿之助が主演を担ったもので、同作の舞台化としては最も古い例と考えられる。なお、数年後に帝劇で公演されたものも確認しているが、詳細は調査中。
白鳥はこの本郷座での講演を見てその感想を書いているのだが、「この芝居は、小説をそっくり並べ立てたようなもので、殆ど戯曲的技巧を弄していないのであるが、下手にいぢり廻すよりはよかった」と中々手厳しい。蓋し、映画はともかくとして、劇には向かない作品なのであろう。
で、この中央公論だが、家で改めて捲っているとこんな葉書が挟まっていた。
書き手は一般人で、内容的には自分が詠んだ短歌を「宙外先生」に読んでいただこうとしたものではないかと思う。葉書自体の価値は措いても、となれば本書は後藤宙外の旧蔵書の可能性が高く、表紙の書き込みや本文の朱なども愛おしく思われてくる。
そのほか、近文で復刻された雑誌の解説だけというのを各200円で5部とか、手塚治虫のボードゲームなんかを抱え、南部としてはちょっと買い過ぎの体に至ってしまう。しかし我ながら掘り出し物ぞろいではないか。
* * * *
本来の目的は横浜にあった。
全国を巡回中で、目下そごう美術館で開催されている「不思議の国のアリス展」である。これについては細かく書かないが、初版本(もちろん公刊版)やキャロルの手による原画、後版・翻訳版のヴァリエーションを見ることができ、かなり楽しかった。
で、せっかく横浜まで来たのだからと、神奈川近代文学館へ更に足を伸ばす。見逃せない「中島敦展」である。この時点で疲労はピークを迎えており、展示に注意を切らさないようにするのが大変だった。
敦のひととなりはザっと知っているが、それでも個々の作品の成立背景を、直筆原稿とともに振り返れるのは勉強になる。妻との間の書簡とか、子供たちに宛てた葉書なども愛らしい文面で興味深かった。
何よりありがたかったのは、入館した瞬間に折よくギャラリートークが始まったことであった。これにより、展示を見るより先に全体の構成を知ることができ、理解がより簡単になったと思う。
⑤『中島敦 魅せられた旅人の短い生涯』(神奈川近代文学館)令元9月28日 1000円
展示されていた貴重資料がまとまっていて、中島敦ファンであればマストであろうと思う。これで千円というのは安い。となりに写っているのは、展示の内容に関するワークシートに取り組むといただける、『文スト』コラボのクリアファイルである。ファイルも嬉しいが、ワークシートがあることで、どこに注目すべきかがわかるので助かった。
横浜にいるのだからうまいものでも食べて帰ればよいものを、あまりの眠気でそれどころではなく、半分意識を失った状態で帰路に就いた。しかしこういう無茶をしなければ、文化的活動に興じることなどかなわないのである。
*1:むろん、そこまで確認しきれずに紛れているパターンも少なくないわけで、そういうところこそが私にとってはねらい目なのだが。