紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

空腹の彷徨

 金がない。私個人の事情をここに書いても詮無いのは言うまでもないが、金欠に拍車がかかっている今、本来ならば古本を購っている場合ではない。けれどもそこは腐ってもマニヤ、本を買わないことには精神の安寧が図れないのである。そうなれば削るは生活費となるわけで、空腹の身に鞭打って五反田へ。ユーコカイも久々である。

 

島崎藤村『嵐』新潮文庫)昭31年11月5日12刷帯元パラカバ―, 山田申吾装 200円

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 井伏鱒二『駅前旅館』新潮文庫)昭36年2月20日2刷帯元パラカバ―, 吉岡堅二 200円

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 福田恒存『私の国語教室』新潮文庫)昭36年7月25日2刷帯元パラカバ― 200円

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 チェーホフ/神西清訳『かもめ』河出文庫特装版)昭30年3月31日初版カバー, 井出尚装 200円

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 10時半くらいだったろうか。ずいぶん遅れて現場に着き、居合わせた先輩に新年の挨拶をすると、「向こうに厚着本があったよ」とタレコミを頂いた。あまり高いと買えないが。200円ならギリギリといったところである。

 厚着本だからといって、もちろんテキストはありふれたものであるし、古本として価値が認められているでもない。強いて言えばカバーデザインが従来のものより少しよいかもれないけれども、わざわざ集めるほどかと問われれば答えに窮するというのが正直なところである。それでも、やはり現象として惹かれるものを感じて、私は買ってしまうのだ。ところで『国語教室』の表紙にある「特別奉仕版」とはどういう意味であろうか。

 ついでにチェーホフの『かもめ』を手に取ると、河出文庫特装版であった。これも新潮文庫他と同じく、それまで裸で売っていたものを返本、再出荷の折にカバーを掛け直したものであろうと推定している。

 

②『没後20年 太宰治展』毎日新聞社)昭43年6月18日-23日於銀座松坂屋 半券付 200円

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 古い太宰展の図録である。近代文学作家関連の図録は、印象としては60年代くらいから膨大な量が出されているが、古いものは現代において資料性の高くないことが多い。掲載の写真が少なかったりモノクロだったりするとあまり面白くないし、時代を経るにつれて資料の発見が進み、文学館・資料館のコレクションが潤沢になってゆくのも必定である。

 太宰など早くから企画展が乱発した作家のひとりで、これとて没後わずか20年で開催された企画展である。だから、太宰に興味があると言っても過去の図録を徒に買いあさるのは得策ではないのだが、今回買ったこれは太宰の自筆資料の写真が多くて見ごたえを感じたので確保しておいた。200円ならまあよかろう。

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 なかでも目を惹くのは『晩年』の献呈識語の写真で、「藤田様*1、皆様」宛、小館善四郎宛、小館保宛の3枚が掲載されている。「藤田様」宛は日本文学アルバムにも掲載されているようだが、他の2枚はどうだろう。少なくとも山内祥史『太宰治の「晩年」――成立と出版』(秀明出版会)においては、両氏宛の識語を引くにあたって、本図録を参照しているので、あまり見かけない写真と言えそうだ。

 

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 簡単に買い物を済ませてから、駒場近代文学館へ。現在開催されているのは「明治文学の彩り」と題した特別展で、テーマが口絵なので書物にフォーカスしているのが面白そうだと足を運んだ。

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 口絵と挿絵の役割としての違いに始まり、著者から絵師に宛てた指示を参照しながら絵師の拘りを見、連載と単行本とで読者の受け止め方がどう変わっていくかなど、いろいろと考えることの多い展示であった。展示品は複製も交じっているものの、例えば古本者にはよく知られた、国木田独歩『運命』が版によって口絵が違うことは、現物(版違いの3冊だったか)によって示されていたのが印象的であった。

 ただし気になったのは序盤に示された尾崎紅葉金色夜叉 前篇』で、おそらく明治文学の口絵としてはもっとも有名な、武内桂舟の貫一とお宮の口絵についてのキャプションが「多色摺木版」となっていた点。これは誤りで、現物がいま手元にないので印刷方法は分からないが、少なくとも木版ではない。『金色夜叉』は部数というか重版もそこそこでているし、口絵もせいぜい石版しかないため、古書価がそんなに高くないものと認識している。まあ多色摺なのは間違いないし、展示を見る側からすれば木版だろうとコロタイプだろうと関係ないと言えばないのだが、展覧会の趣旨としてはこのあたりも細部まできっちりやってほしかったと思う。

 図録が欲しいのになぁと思っていたところ、先輩から相当するpdfがネットに転がっているとご教示頂いた。復習にちょうどよく、非常にありがたい。

 

 帰路、下北沢まで散策をするも、拾い物はなし。均一にいくつか気になる本は発見したのだが、財布の紐が固すぎるあまり、けっきょくすべて戻してしまった。精神まで貧しくなってこれから先どう生きてゆけば良いのか。

*1:太宰治まなびの家」として知られる藤田家宛であろう。