紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

リハビリがてら大物

 ずいぶん久しぶりの神保町という心持である。前回のシュミテンに訪わず見送ったところ、今日も今日とて朝から並ぼうという気が起こらなかった。考えてみれば、この寒い中、待機時間はオジサンたちの列に加わって立ち続け、開場してはもみくちゃにされながら漁書に勤しむというのは苦行以外の何ものでもない。それでも今まで奥歯を噛みしめ我慢してこられたのは、ひとえに良書を望む求道心あってのことである。そこにあって、一度それを欠席し、存外後悔の念が浮かばぬことを知ってしまっては、残るのは辛酸ばかりであるから、朝一で赴こうという気が起こらないのも道理であろう。

 長い前置きとなったが、今日のマドテンは50分くらい遅れての突撃となった。心情としては行かなくてもよかったのだが、実は目録で大物を注文していたこともあって、欠場は許されなかったのである。

 開場に着くや否や照会をお願いすると、見事当選を果たしていたので、嬉しさから舞い上がってしまって棚に並んだ本など全くどうでもよくなってしまった。が、いちおう少し回って一抱え購入する。

 

真山青果鼠小僧次郎吉 桃中軒雲右衛門』改造社昭和2年9月13日函, 小村雪岱装 500円

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 真山青果は渋い作家だと思っていて、正直なところ読みたいかと問われても肯定しかねる。この本は一見して明らかな雪岱装で、函が崩壊していたが表紙の色も残っていてきれいだと買ってみた。

 函は背が抜けていて(抜け部分残存)、筒状に残ったうちの1辺が外れ、その対角の1辺もほとんど離れかけている有様であった。帰宅のち、慣れない修復を試み、いちおう函の形には直ったのだが、継ぎ目の処理がイマイチ気に入らない。生来器用な質では決してないから、こういうのは経験を積むほかないのだろう。

 

②ホセ・リサール / 毛利八十太郎訳『黎明を待つ』(大日本出版)昭18年1月12日 300円

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 背が読めないのを何の気なしに棚から抜いたら面白い本が出てきた。リサールはフィリピンでは英雄視されている人物で、同国の歴史を語る上で決して無視できない存在である。マニラにある記念館で勉強した記憶をたどると、数か国語を操る天才で、日本語も多少できたようである*1

 彼の著作は『ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)』と『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』の2冊で、本書は前者の訳本である。確かスペイン語で書かれたのだったと思うが、内容が気になっても英訳で読み通す気力はなく、又和訳本もなかなか見かけずに諦めていた。毛利八十太郎が訳しているのは知らなかったし、どうにか読んでみるか、というところ。

 

芥川龍之介 / 丸山順太郎訳註『仏訳詳註 鼻』白水社)昭2年10月15日, 広島晃甫装 400円

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 これは先輩からお譲りいただいたもの。見開きの対訳仕様とはいえフランス語は一切わからないので仕方ないが、本じたい絢爛で美しい。収録作は「鼻」のほか「おぎん」「三つの宝」「老いたる素戔嗚尊」の計4本で、ちょっとシブめなセレクトという気もする。

 

④『中央公論 46巻10号』昭6年10月1日 300円

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 なんとなく手に取ったら表紙に落書きがあり、おやと思い中を確認してみたら正に永井荷風「つゆのあとさき」掲載号であった。藤村の「夜明け前」とか「大東京の性格」なるグラビア特集、又山田一夫の『夢を孕む女』の広告も入っていたりしてかなり楽しめる。

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鼠害か虫害か裏表紙がぼろくなっているけども、中央公論って内容よくてもこんなに安いのだろうか。

 他に、同じく『中央公論』の小川未明「死刑囚の写真」掲載号と、『新青年』の江戸川乱歩「五階の窓」(合作の第1回目)掲載号も購入。雑誌はあまり食指が動かないが、掲載作品がいいと欲しくなってしまう。

 

 ここまではあくまで前座で、最悪手放しても構わない収穫だ。そして、とても嬉しい当選品というのは以下の2点である。

 

式場隆三郎二笑亭綺譚昭森社)昭14年2月20日A版帙限50部内第24番冊署名落款, 芹澤銈介装 16200円

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 『二笑亭綺譚』は大好きな本で、戦後の後版も含めてコンプリートを目指している。しかし、最初に出された版のうち、B版はよくある*2のだが、A版は50部限定で書影を見かけることすらなかった。この度マドテンの目録をぱらぱらめくっていたら、突然出現したのに驚き、その場で震えながらマーカーを引いた次第である。帙の色合いも綺麗だし、和装本というのもコレクター魂をくすぐるものがあるけれども、残念ながら本文は紙質も含めてB版と同様のようだ。

 題箋部分の文字は、漆であしらわれているのか少し浮き出ていて、以前購入した印象派画家の手紙』を彷彿とさせる。

 

式場隆三郎『決定版 二笑亭綺譚(今野書房)昭40年6月30日帙外函超特製総皮装丁本限65部内第12番本署名栞付, 三井永一挿画 10800円

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 A版の隣に載っていたもので、『決定版』じたいは既に所持していた。だが、よくよく記述を見ると「限65」とある。ここで瞬時に、これは「超特装本」のことだと思い至ったのだった。

 『決定版』は、そもそもが署名入りの限定本で、限定数は1000である。通常のものは総布装で「特装本」と称されているのだが、1000部のうち65部は「超特装本」とされ、総皮装になるというのである。超特装本の存在は特装本の限定番号記載頁を見て知っていたから、すぐにピンときてA版とともに注文することにした*3

 「特装本」は普通の差し函装で、その上に蓋つきの外函が付くけれども、この「超特装本」では革製の夫婦函に変わっていて、その上の外函もかぶせ函になっている。

 

 ともかくずっと欲しかった本で、こんなに嬉しい当選は今後ももめったにないだろうと思われる。相場からして高いのかどうかわからないが、発行部数も多くないし、探求書は即断するに限る。書誌的事項はまた稿を改めて詳しくやっていくつもりだ。

 

* * * *

 

 ところで神保町へ向かう途中、ツイッターでニホン書房が面白いものをあげていたので取り置きをお願いした。マドテン後に立ち寄り、それを受け取ったついでに数冊購入。

 

⑦山田美妙『比律賓独立戦話あぎなるど 前編』(内外出版協会) 1000円

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 奥付欠らしく刊行年はわからないが、近デジを参照すると初版は明治35年発行とのこと。リサールに続いて、これもフィリピン関連の資料である。

 アギナルドはフィリピン第一共和国初代大統領らしいが、残念なことにリサールほど詳しくは知らない。というか、そもそもフィリピンの事情について日本語で書かれた本はかなり少ないと思う。絶版ながら中公文庫から出ているようだし、いちおう気にして探しておきたいところである。

 

⑧川上眉山『二枚袷』春陽堂)明26年10月2日, 武内桂舟口絵 1000円

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 店内で見つけた本。背に補修あるけれども口絵は付いているし、眉山の本はたぶん持っていたなかったはずだと買ってみた。桂舟の口絵は鬘が描かれていて、手紙のように連綿体で文言がしたためられているのだが、悲しい無学なのと印刷がやたらに薄いのとでちっとも読めない。

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眉山の手による自序らしく、書き出しでは二枚袷という題名について何か語っているようである。

 

 ということで遅ればせながら新年初の古書展を堪能したわけだが、ほとんどオケラ状態で、今月はもうロクに買い物ができそうにない。畢竟、書痴の沼からは抜け出せないということであろう。

*1:ほかにも、眼科医として活動していたり、新種の動物を発見したりと実に多才で面白い。日本にもいた時期があって、日本人のガールフレンドもあったようだが、あまり語られることがない印象である。

*2:といっても、市場に見られるのはほとんどが再版本という印象。

*3:両方注文したほうが当選しやすいだろう、という打算的な考えはなくもないのだが、並んでいる以上まとめて買うのがスジだと思う。