紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

池袋で雪岱を買う

 久々の古書展という心持である。西部や南部ではちょこちょこ開催されているらしいのだが、わざわざ足を運ぶ暇もモチベーションもなく、シュミテンとマドテンが中止となったために、今年に入ってから古書展の朝に並んだのはこの日が初であった。

 

 しかし10時開場で8時に現地入りしたのだが、すでに3-4人並んでいるのには恐れ入った。暖かくなってきたとはいえ日陰で寒い中、2時間も待つのは億劫である。1時間ほど目の前のコメダで休憩のち、9時くらいに列に加わる。だいたい20番目くらいか。

 昨今の事情を鑑みてか、本来の開場時間より5分ばかり早く入場が許された(ただしレジは10時から)。さらに弱ったのは、いつもなら整列時に配布される棚の配置図が今回はなかったことで、入り口でカゴを掴みとってから、素早く目当ての店の棚を見つけ出さなくてはいけなかった。

 真っ先にめざすのは、やはりニワトリである。

 

長田幹彦『尼僧』(籾山書店)大元年12月10日, 橋口五葉装 2200円

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 全員がうまく散らばったのと、幸いにして私はすぐに棚を見つけられたのとで、ほとんど一番乗りの趣であった。真っ先に目についた胡蝶本は2冊あり、いま1冊は『我一幕物』だったがこれは確か持っているはず、と『尼僧』だけを抜き取る。

 最近幹彦の本をよく買えていて嬉しいが、無知を明かすと、抜き取った段階ではこれが幹彦本とは認識していなかった。あとから検めていて「あ、幹彦だったっけ」と思ったかっこうで、勉強不足は深刻である。

 

菊池寛『忠直郷行状記』春陽堂)大10年8月24日 1100円

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 春陽堂のヴェストポケット傑作叢書である。読んだ形跡がないカッチリした本で、初版ならばよいかと買ってみた。重版なら1000円は出さなかった。

 同装丁の漱石は数冊持っているが、叢書としてナンバリングされているのは初めてだと思う。天のみ裁断されていて、前小口と地は不揃い。先行する漱石の本は天金だが、叢書にはないとのこと。

 なお本書の表紙と背、肉筆の目次には「忠直行状記」とあるが、活字の目次、扉、奥付には「忠直行状記」とある。こういうのは検索において大きな障害たりうるので注意しなくてはいけない。

 

田山花袋『一兵卒の銃殺』春陽堂)大6年2月8日再版函, 在田稠装 1100円

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 ニワトリの棚に群がる人は、多くが探偵小説を始めとする大衆モノ目当てといった印象である。その中で私は純文系を素早く抜いていくわけだが、実は足元にも棚が配されており、こちらも捨て置けないのだ。この本も序盤に足元に刺さっているのを見つけた。裸ならともかく、重版でも函付きでこれはお買い得だろう。

 装丁者は明記されていなかったが、次のリンクにある大木志門「初版本『あらくれ』の装丁家――企画展の余白に」によれば、在田稠なる人物の手になるらしい。

https://www.kanazawa-museum.jp/shusei/mukouyama/pdf/kanpo_01.pdf

この論は、程原健『書影花袋書目』高島真『追跡『東京パック』 下田憲一郎と風刺漫画の時代を参照しているようだが、どうも在田はこの時期の田山花袋を含む自然主義文学書の多くの装丁を担当しているらしい。

 と、なったときにひとつ思い浮かぶのがずいぶん前に買った花袋『残雪』の装丁で、美術は門外漢なので微妙だが、なんとなくタッチとか色合いは似ている気がする。これも在田の装丁ではないか*1

 

④『長谷川伸戯曲集1 沓掛時次郎』(新小説社)昭10年4月25日, 小村雪岱装 1650円

 高山樗牛『瀧口入道』春陽堂)昭3年9月15日245版, 小村雪岱装 550円

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 古書展での楽しみのひとつに、面白い本・探求書との出会いが挙げられることは疑いの余地がないが、知り合いの古本者といろいろ話しながら漁るのもよいものである。

 この日も先輩とお会いし、本を数冊お分けいただいた。そのうちの1冊が『沓掛時次郎』で、一見して雪岱装。表紙の意匠はススキ越しに見える富士であろうか、おとなしくも魅力的である。

 で、いま1冊の『瀧口入道』は、終盤クヨウの棚を眺めていたら目に留まったもので、本じたいはよく知っていたが手に取ってみるのは初めてであった。

 『瀧口入道』の縮刷本については真田幸治「小村雪岱装幀本雑記①-高山樗牛の縮刷『瀧口入道』」(『日本古書通信』令和元年10月号)に詳しい。これによれば、今回手に入れた245版は、2種ある雪岱装版のうち最初の方であるようだ。次いで多田蔵人「高山樗牛『瀧口入道』――原点*2をめざす文学」(『日本古書通信』令和2年7月号)にも改めて目を通すと、重版探求の面白さを再認し、本書についてももっと複数集めたいという気持ちが湧き上がってくる。

 しかし、これでようやく1冊目なのである。経験を積むことと知識を蓄えることとの重要性は分かっているつもりだったが、いかんせん結果が伴っていない。古書展に赴く機会が減るにしたがって、学びの機会まで減っていくのは実に悲しむべきことである。

*1:そもそも徳田秋声『あらくれ』の装丁が在田稠のものであるというのも、大木のpdfを見るまで知らなかった。

*2:ママ