紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

悩み悩んで

 春とは思えぬ凍てつきを見せている東京だが、桜は辛うじてその花弁を支えているようだ。葉桜まじりになりながらも、三段染めみたような輝く色彩は、満開のそれとはまた違った見どころがあるように思う。

 なんて風流人ぶってみたが、実のところ朝からの寒さには参った。この頃は夜間に睡眠をとれる日も増え、今日も今日で一応は眠ってから出かけることのできるスケジュールだったのだが、そこは第二の天性。うまく寝ること能わず、結句徹夜明けで赴くのと同様の疲労感を抱えたまま、オジさん群がる古書会館へ向かったのだった。

 到着は10時ちょうど。体力的にも精神的にも、人の海で泳ぎたくはなかったので寧ろ好都合の遅れである。したがって、会場とともに人が雪崩れ込むのを尻目にトイレを済ませ*1、10時2分とか3分あたりに会場入り。悠然と棚を眺めていく態となった。

 

森鴎外『我一幕物』(籾山書店)大元年8月15日, 橋口五葉装 300円

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 場がずいぶんと飽和してから、蝙蝠堂の棚にて発見した。見るも無残な状態だし、胡蝶本の中でも恐らく一番人気のないタイトルであろうけれども、300円というのは気の毒で涙の出そうな値段である。これで胡蝶本は5冊目か。やはり谷崎とか鏡花あたりが欲しいところだが、なかなか手が出ない。

 

中里介山大菩薩峠 第二冊』(春秋社)大10年8月5日3版 300円

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 これも欲しかった本。ひとまず外装欠の端本で構わない。アキツさんの値札には「木版画二葉入」とあったが、これは巻頭部分だけの話で、巻*2の区切れ部分にもう1葉入っている。惜しいことに挿絵画家の名前がなく、検索してもうまく見つからないので誰の筆によるものかわからないが、どこか見覚えのあるタッチだ。どうにか調べてみようと思う。

 

③『少年化学探偵小説 海野十三全集 第二巻』(東光出版社)昭25年4月30日 1800円

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 今日はそんなに大物がなかったから、財布のひもが緩んでしまった。まあでもこのテの本で函欠にしては綺麗な状態ではないかと思う。収録作は「謎の透明世界」「怪鳥艇」「ふしぎ国探検」「月世界探検」「指紋」「電気鳩」「ノミの探偵」の7本。好きな作家ではあるのだけれども、不勉強なことに、いずれも未読作のはずだ。せめて贔屓の文豪くらいは追っておかなくてはなぁと思いながら、積ン読は増えるばかりである。

 

④『浪速書林古書目録 第39号 徳永直特輯』平17年5月8日 300円

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 浪速書林の古書目録は、過去に星の数ほど発行された目録の中でも、とりわけ参照すべきものとして語られることが多い印象である。そのうち、私が特に欲しいと思っていたのは、漱石特輯と今回手に入れた徳永直特輯である。前者は言うまでもないとして、徳永直の号については、収録の浦西和彦「徳永直著『太陽のない街』のこと」を読みたかったのだ。

 すでにここで書いたように、私は『太陽のない街』の奥付の異同に興味があって、少ない参考文献のひとつとして確認したかったということなのだが、残念ながら期待したような知見――すなわち、私が見たことのない版に関する情報は得られなかった。ただ不可思議なのは、著者が確認した版として「12月4日発行」のものをあげていたことである。私が知る限り、これは国立国会図書館所蔵の訂正本に付された貼紙の日付であり、それを基準とした近文の復刻版には同じ日付が奥付に直接印刷されている。要するに貼紙を奥付に反映したのが復刻版だから、元版の「12月4日発行」版は存在しないと思っていたのだが、著者は「奥付けに直接印刷されており、国会図書館所蔵の訂正本とは別である」と書いているのだ。書誌の世界は実に謎が多いと言わざるを得ない。

 

日夏耿之介監修『游牧記 第壱巻第肆・伍冊』(游牧印書局)昭4年12月30日 5000円

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 上に「大物がなかった」と書いたが、実は開場に入って、最初にケヤキの箱から拾い上げたのがこれだった。S林堂主人が好きで復刻を出している平井功が、日夏耿之介らとともに出した雑誌で、これはナンバリング的には4と5との合併号にして最終号である。

 など言いつつ、その実、書誌的な項目はほとんど知らない。木炭紙を使ったいい本だし、平井功が熱心に取り組んだという薄ぼんやりとした印象しか持たぬままに買うというのは、ちょっと申し訳ない気もする。しかしまあ、それなりに珍らかな品でもあろうしと、思い切って見た次第なのだが、深淵なる古書の世界ではまずまず見かける本なのだろうか。

 購入した理由の一つに、本書がアンカット(値札の表記では「アンオープン」)だったことがあるのだけれども、これとて同書においては、そんなに瞠目するほどの事実でもないようだ。

 この本については、買った直後に進展があったので、新たに品物を落手し次第、ここで報告できたらと思う。

 

 今日のお会計は約10冊で12000円ほど*3。マドテンにしては少し買い過ぎたか。馴染みの店に取りおいている品もずいぶん放置してしまっている。近日中に行かなくては申し訳が立たない。

 

 ところで、スキャナと離れた生活を送ることとなったため、本の画像はスマホのカメラに頼らざるを得なくなった。漁書の記録である以上、精細な画像を残すことは拙文以上に大切なことだと思うのだが、仕方のないことである。

*1:私はふだん、都営新宿線神保町駅を利用しているのだが、駅構内は少し前から改装工事をなされている。それに伴い、私が神保町へ到着したときに使うホームのトイレは目下使用禁止となっていて、これが実に不便なのだ。古書会館が開いてさえいれば列を避け避け半地下にあるトイレを利用できようが、玄関のガラス戸が開放される前に並んでしまってはそれも叶わない。

*2:というと冊子の単位に聞こえるが、ここではいわゆる章のこと。

*3:帰ってきて勘定しなおしたら、どうも買った本が500円分足りなかった。本を忘れてきたとは考えにくいから、帳場で多く払ってしまったようだ。トリプルチェックをしていたはずだし、私としても電卓をはじく指を注視していたつもりなのだが、ともあれ向こうに罪はない。偏に私の注意不足である。勉強代として心に刻んでおきたい。

無沙汰の突撃

 久々のシュミテンである。ある筋からのタレコミによれば、今回のフソウさんの棚には著名な児童文学研究者の旧蔵書が並ぶとかいう話であったので、そんな好機はゆめゆめ見逃せぬとばかり、勇んで会場へ向かう。

 しかし、この1週間マトモに睡眠をとれていなかったことと、乗るべき電車を逃したこととによって、いつもより10分ばかり遅刻してしまった。すでに前方には優に40人が並んでおり、私はというと、荷物を預けた後でギリギリ最下層に足をつけることができる程度の位置取りだったため、この時点で本日の負け戦を確信したことであった。「今日はいつもより人が多い」というのは、シュミテンにおいて毎度感じている気がしないでもないが、ともあれものすごい圧である。

 

 そういうわけで、手始めにスパパッとよいところを2-3冊掴んでから手早く棚を見てゆく、といういつものメソッドに従うことは叶わず、すでに形成された黒山の人だかりを縫うようにして視線を走らせる。いつも思うことだが、私が出遅れて棚に到達しても、案外近代文学の良い本がけっこう目立つ形で残されている。ちょっと前に『吾輩は猫である』を手に入れたとき*1もその例であった。で、今回もどうにかこうにか人の隙間から腕を差し入れて面白い本を手に入れることができ、ほっとしている。

 

谷崎潤一郎細雪中央公論社)昭24年2月1日帙入特製愛蔵本著者直筆題箋 3000円

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 まず掴んだのはこれ。タスキには「限定、シミ」としか書いていなかったが、一目見て「これは確か」とひっかかるものがあった。この時点では300部限定の特製版と混同していたのだが、帙を見てピンと来たのは我ながら鋭かったようで、念のため先輩に確認したところ、やっぱり題箋は谷崎による直筆なのであった。本来あるらしい外函と、上中下巻のうち1冊分の元パラ的な和紙とが欠であるが、まあ実質署名本のようなものだし、限定部数は知らないけれども安くて嬉しい収穫であった。

 

久保田万太郎『一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと』中央公論社)昭12年12月20日, 伊藤熹朔絵 1000円

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 これは最下段の平台に刺さっていた本だが、しれっと置いてあるものだから初めは復刻版であることを疑ってしまった*2。近文から復刻が出された名著を中心に蒐集している中でも、児童文学シリーズは特に思い入れが強い。この本にしても、以前某店で背改装の裸本が4000円で売られているのを見てひとしきり悩んだことがあるけれども、これは致命的な瑕疵もないのに安いと思う。表紙の絵は布装の上からシールを貼ったような感じだから、これでもきれいに残っている方なのだろう。

 

③金子薫園選『凌宵花』(新詩壇社)明38年7月10日, 平福百穂装/中村不折挿絵 800円

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 ビッグタイトルでもないし、そこまで名の通った作家でもないが、実はこれもずっと探していた本である。ずいぶん前にシュミテンのフソウ棚で発見していながら、購入をせずに深く後悔した1冊で、表紙のドット絵的なテイストが明治期のものとは思えない美しさを醸している。平福百穂による絵と記載されているのだけれども、これは日本画家で、ここまで「尖った」作風は他に見当たらない。ドットで表現するというのは、ある種スーラ的な点描法と同様の発想と言えなくもないように思う。ともあれ今でも通用するセンスであろう。

 同書はこれ以外にもう1冊あったが、そちらは改装本のようで、表紙のドット絵部分のみを切り取って表紙とし、本文の余白もギリギリまで裁断されていた。

 

④コロンタイ/内山賢次訳『グレート・ラヴ』(アルス)昭5, 恩地孝四郎装 400円

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 知らない本であったが、なんとなくマヴォっぽい感じの背表紙だったので拾い上げてみると、アテこそ外れたがカラフルな恩地装であった。周知のように、アルスの本はちょっとした叢書みたようなものでも恩地装であることが多く、恩地が好きな私であっても、そんなものまで集めていてはキリがない。けれどもこの本については、色合いのいいカバーがちゃんと残っているし、本冊の表紙にはカバーと異なるデザインが凝らされていて好い。ただし正直なところ、内容にいささかの興味もないまま購ってしまった本である。

 

瀧井孝作『妹の問題』(玄洞社)大11年10月18日, 河東碧梧桐題字 1000円

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 実に地味な本であるが、瀧井は志賀の弟子筋という観点から気にしている作家だ。とはいっても、『無限抱擁』の後版は縦に突っ込む函入りの和装本で面白いけれども、それ以外は取り立てて欲しいと思える作品がなかったりする。この本はしかし、瀧井の初めて出した本ということもあって、一応持っておきたいところであった。ネームヴァリューの低さからか、これまで市場で見かけることはなかったが、フソウさんが裸本に1000円も付けているということはそれなりに珍しいのだろうか。なお、『瀧井孝作文学書誌*3』を参照すると「カバー 表紙と同色」「函 茶ボール」とあるから、この時代にしてはしっかりした外装のようだ。

 

 そんなこんな17冊でお会計は18000円くらい。シュミテンにしては(又、私にしては)まずまず倹約できた方だろう。来週はワヨー会に合わせてさくらみちフェスティバルも開催される。花粉の舞い散る過酷な環境だが、何か拾えたらという期待を胸に馳せ参じずにはいられないのだから困る。いま私生活でちょっと金が要るのだけれども、元より本のために生活している側面が強いのだから、その出費ばかりは抑えたくないものだ。

*1:と思って調べたらもう去年の7月のことなのだった。まさに光陰矢の如し、である。

*2:同様に刺さっていた新美南吉『おぢいさんのランプ』カバー付は、さすがに復刻であった。

*3:我ながらマニアックな本を持っている。『妹の問題』が処女出版であることも、私はこの本によって学んだ。瀧井書誌じたいはそこまで珍しくないのだが、これは83部のみ発行された、肉筆識語署名入りの特別限定版である。定価は30000円だったらしく、いったいどんな人が購入したのか少しく気になる。

花粉か眠気か

 とうとう花粉の季節がやってきてしまった。ここ数日、どうにもうまく眠れなかったこともあって、花粉のためか眠気のためか判別のつかない目の違和感を抱えつつ、たまには気分を変えて高円寺へ赴く。

 今日は愛好会の2日目。学生のとき以来だから、西部会館に行くのは5年ぶりくらいだろうか。場所の記憶があいまいで、単純な道筋なのに少しく迷ってしまった。

 南部はほとんど訪れた経験がないので何とも言えないが、ここ西部においては、雑本の山から僅かに光る原石を掘り出すのが醍醐味である、と私は踏んでいる。とはいっても、ふだん私の購入する傾向からすれば、文学関連の「王道」ともいうべきラインナップであるから、今日は見学のつもりとでも言おうか、碌々期待もせずに本だけ眺めに行った次第である。

 

①花ちる里『二人孤児』(春江堂)大正4年10月1日6版, かすみ装 800円

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 中に入ってまず気になったのがこれ。この会場にあってはちょっと高く見えたが、カラー刷りの表紙がきれいだし、重版も出ているからそれなりに売れたのだろうと思って購入した。表題は「ににんみなしご」と読むようで、表紙では『二人みなしご』、本文タイトルは『二人孤児』、巻末の広告めいた欄には『二人みなし児』とあり、表記ゆれが甚だしい。

 ネットで調べたのだが、「花散里」「花ちる里」では当然源氏物語がヒットしてしまうし、『二人孤児』では小杉天外の同名作品が出て来てしまう。表紙絵と口絵の「かすみ」というのも誰だかわからない。日本の古本屋で検索してみると、春江堂から出た同様の少女小説が発見できたが、いずれにしても重要視されている作品ではないということかもしれない。

 

②『日本及日本人 通巻500号』(政教社)明治42年1月1日, 中村不折装 500円

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 名前を辛うじて知っているくらいの雑誌だったが、不折の表紙が目を惹くし、春葉とか秋声の小説も掲載されているようだ。

 新聞社の話とかも興味深いけれども、個人的には商品広告も面白い。以下の本棚なんて、「硝子戸は上部へ隠没する仕掛」があるというし、明治にあってはかなり機能性の高い家具ではないかと思われる。

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 そのほか、外の台からも新潮文庫の厚着本とかを少し拾い上げ、合計1700円も買ってしまった。予期せぬ出費でちょっと苦しくはあるが、気が乗り出したのでそのまま中野へ歩いてゆく。特別な用事はないが、だらけの海馬は定期的に見ておくと良いものが刺さっているのである。

 

新美南吉/巽聖歌編『和太郎さんと牛』中央出版株式会社)昭和21年9月15日, 大澤昌助装 108円

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 100円の棚を眺めていたらこんなものを見つけた。背表紙は傷んでいて、「新美南」「和太郎さんと牛」が辛うじて読めるレベルで、又裏表紙も欠だが100円とは掘り出し物であろう。同作家で言えば、やはり生前刊行の『おぢいさんのランプ』が欲しいけれども、やはり人気だし高くて買えない。処女刊行本である伝記小説の『良寛物語 手毬と鉢の子』は安いが、そこまで欲しい感じがするでもないし、逆に言えば、だからこそ安いのだろう。

 ところでこの版、国際子ども図書館のサイトで見ると、表題作であるところの「和太郎さんと牛」がGHQの指示により改稿されたとある。他のバージョンと読み比べてみたいものだ。

 

太宰治『二十世紀旗手』(浮城書房)昭和22年5月1日 540円

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 これは店内の戦前文学コーナーで発見した。同コーナーにはGケースもあって、今日は岩井允子『つぶれたお馬』の裸が12000円で売られていて誰が買うんだろうと思ったりした*1が、そうでない普通の棚の方には、荷風や谷崎などのよく見かける本がちょい高いくらいの値段で並べられているのが常である。

 太宰について言うと、ここにはいつも復刻が多く置いてあるのだが、たまに元版が混ざっているので要注意である。今日も今日とて、これが500円なら裏表紙外れていても(残存)買っといていいだろうと思う。

 ヤフオクを見ていると、太宰の初版本はボロい戦後刊行のものでも平気で3000円4000円ついたりするようだ。『愛と美について』の後版みたいにペラペラのものにそこまでは出せないけれども、『二十世紀旗手』くらいしっかりした造りであれば、私でも1000円くらいまでなら出してしまうかもしれない。

 

 ちょっと嬉しい2冊を掴んだ後は、中央線に乗り込んで阿佐ヶ谷へ。NEO書房が閉店するというので最後くらい覗いておこうと思ったのだが、既に営業はやめにしたような雰囲気であった*2。選挙事務所として貸し出すとかいう話を聞いたが、その後短期間でも復活するのだろうか。いい客でなかったとはいえ、やはり店が減りゆくのは悲しい。

 残念と頭をたれつつもササマへ向かう。既に本が詰まって肩が重いし、今月は本当に金がないので泣く泣く1冊のみに絞る。

 

⑤『某マイナス1号 平井功訳詩集』(エディション・プヒプヒ)平成18年7月15日限200部内第188番本 2060円

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 表紙が目に留まり、「Ko Hirai」が「平井功」であると理解するのに数秒を要した。平井功関連としては、S林堂が数回にわたって出版したものがあり、私はそのうち『驕子綺唱』だけを所持している。

 けっこう前に出版された同人誌だが、調べたところ当時でもほぼ瞬殺で売り切れたらしい。小野塚力氏のエッセイも読みごたえがあるし、対訳仕様というのがとてもいい。英詩としても楽しめるうえ、平井の日本語の妙がより際立って感じられると思う。

 

 うっかりいろいろと買ってしまったが、先に書いたように、今月は本当に経済的余裕がない。新しいことを始めるというのは何かと辛抱が必要ということか。下等遊民には厳しい日々が続きそうである。

*1:ここで紹介した本は背表紙が読めなくなっているのだが、販売されていたのはきれいに残っていて、凝った意匠であることがわかったので実は収穫であった。函は未見だが、いずれ目にする機会もあるだろう。

*2:後から某ツアーさんのブログを見たら、やはり午後から開けていたということで、気持ちの逸り過ぎたのが失敗であったと思う。

復活の訪問

 久しぶりにフソウ事務所へ行った。年が明けてからは初であるから、ずいぶんと無沙汰してしまったことになる。入るとすでに書痴の面々で賑わっていたが、「あれ、復活したの」と、すっかり引退したものと認識されていてちょっと恐縮したことであった。ともあれ、このコミュニティに混ぜていただけているというのは、恐れ多いやら嬉しいやらという心境。ふつうに古書展に通っているだけでは、到底ここまで質の高い蒐集を続けることは出来なかっただろうと思う。

 

永井荷風『新編ふらんす物語(博文館)大4年11月23日初 300円

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 均一の棚を見ていたら発見した。背も表紙も汚れてはいるが、奥付を見ると初版であったので迷わず購入。重版は去年の神保町青展で既に入手していたけれども、初版とは巻末広告が異なっている。本文の異同については知らないが、まあ初版本が手元にあるとやはり嬉しい。

 

②鑓田研一『島崎藤村(新潮社)昭13年6月22日帯, 小寺健吉装 2500円

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 新選純文学叢書の1冊で、同叢書は太宰の『虚構の彷徨/ダス・ゲマイネ』と堀辰雄風立ちぬ』で知られている。本書は著者もタイトルも知らなかったけれども、帯も残っているにしては安いと思って買っておいた。帯のデザインは『虚構の彷徨』と同様である(経験の浅さ故、『風立ちぬ』の帯は見たことがない)。1冊くらい架蔵したいと思っていた叢書なので嬉しいが、買えないとは知りながらもやはり、太宰とかの有名作が欲しいところである。

 巻末の広告のページを見ると、以下に挙げるような挟み込みがあった。

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葉書のような質感の片面印刷で、藤村の『道遠し』の差し込み広告のようだ。同じ新潮社のものだから、刊行時にまとめて挿んであったのだろうか。

 

 そんなわけで今日も雑談がてらたくさん勉強させていただいて、帰り道でも1冊拾う。

 

③ジュディス・ウェクスラー/高山宏訳『人間喜劇*1 十九世紀パリの観相術とカリカチュア(ありな書房)昭62年カバー 300円

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 田村店頭にて、先輩から「バカ安だよ」とお教えいただいたもの。この頃、高山のしごとに興味を持ちだしたのだが、あまりにも著作が広範にわたっているのでどれから手を付けていいものか途方に暮れていたのだった。

 文化史、と総称すればよいのだろうか。学生時代は全くもってそのテの本を読まなかったから、慣れていない分、内容が頭に入りにくい。ちょうど先日買った『記憶術全史』を面白く読み進めているのだが、やはり背景知識(あるいは認識の骨組みのようなもの)の不足を痛感している。

 日日是学習、である*2

*1:このタイトルはバルザックからきているようだが、私がまず連想したのはサロイヤンの方であった。学生の時分、英文学の授業で軽く取り上げられ、ハワイの古本屋で初版本を入手したという、思い入れの深い作品だったからである。

*2:全く関係ないが、「日々是好日」という標語を、私はいつの頃からか「にちにちこれこうにち」と読んでいる。「ひびこれこうじつ」が一番メジャーな読み方だろうか。そもそも日常で発することの稀な言葉であるから、今まで困ったことはないが。

リハビリがてら大物

 ずいぶん久しぶりの神保町という心持である。前回のシュミテンに訪わず見送ったところ、今日も今日とて朝から並ぼうという気が起こらなかった。考えてみれば、この寒い中、待機時間はオジサンたちの列に加わって立ち続け、開場してはもみくちゃにされながら漁書に勤しむというのは苦行以外の何ものでもない。それでも今まで奥歯を噛みしめ我慢してこられたのは、ひとえに良書を望む求道心あってのことである。そこにあって、一度それを欠席し、存外後悔の念が浮かばぬことを知ってしまっては、残るのは辛酸ばかりであるから、朝一で赴こうという気が起こらないのも道理であろう。

 長い前置きとなったが、今日のマドテンは50分くらい遅れての突撃となった。心情としては行かなくてもよかったのだが、実は目録で大物を注文していたこともあって、欠場は許されなかったのである。

 開場に着くや否や照会をお願いすると、見事当選を果たしていたので、嬉しさから舞い上がってしまって棚に並んだ本など全くどうでもよくなってしまった。が、いちおう少し回って一抱え購入する。

 

真山青果鼠小僧次郎吉 桃中軒雲右衛門』改造社昭和2年9月13日函, 小村雪岱装 500円

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 真山青果は渋い作家だと思っていて、正直なところ読みたいかと問われても肯定しかねる。この本は一見して明らかな雪岱装で、函が崩壊していたが表紙の色も残っていてきれいだと買ってみた。

 函は背が抜けていて(抜け部分残存)、筒状に残ったうちの1辺が外れ、その対角の1辺もほとんど離れかけている有様であった。帰宅のち、慣れない修復を試み、いちおう函の形には直ったのだが、継ぎ目の処理がイマイチ気に入らない。生来器用な質では決してないから、こういうのは経験を積むほかないのだろう。

 

②ホセ・リサール / 毛利八十太郎訳『黎明を待つ』(大日本出版)昭18年1月12日 300円

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 背が読めないのを何の気なしに棚から抜いたら面白い本が出てきた。リサールはフィリピンでは英雄視されている人物で、同国の歴史を語る上で決して無視できない存在である。マニラにある記念館で勉強した記憶をたどると、数か国語を操る天才で、日本語も多少できたようである*1

 彼の著作は『ノリ・メ・タンヘレ(Noli Me Tangere)』と『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』の2冊で、本書は前者の訳本である。確かスペイン語で書かれたのだったと思うが、内容が気になっても英訳で読み通す気力はなく、又和訳本もなかなか見かけずに諦めていた。毛利八十太郎が訳しているのは知らなかったし、どうにか読んでみるか、というところ。

 

芥川龍之介 / 丸山順太郎訳註『仏訳詳註 鼻』白水社)昭2年10月15日, 広島晃甫装 400円

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 これは先輩からお譲りいただいたもの。見開きの対訳仕様とはいえフランス語は一切わからないので仕方ないが、本じたい絢爛で美しい。収録作は「鼻」のほか「おぎん」「三つの宝」「老いたる素戔嗚尊」の計4本で、ちょっとシブめなセレクトという気もする。

 

④『中央公論 46巻10号』昭6年10月1日 300円

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 なんとなく手に取ったら表紙に落書きがあり、おやと思い中を確認してみたら正に永井荷風「つゆのあとさき」掲載号であった。藤村の「夜明け前」とか「大東京の性格」なるグラビア特集、又山田一夫の『夢を孕む女』の広告も入っていたりしてかなり楽しめる。

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鼠害か虫害か裏表紙がぼろくなっているけども、中央公論って内容よくてもこんなに安いのだろうか。

 他に、同じく『中央公論』の小川未明「死刑囚の写真」掲載号と、『新青年』の江戸川乱歩「五階の窓」(合作の第1回目)掲載号も購入。雑誌はあまり食指が動かないが、掲載作品がいいと欲しくなってしまう。

 

 ここまではあくまで前座で、最悪手放しても構わない収穫だ。そして、とても嬉しい当選品というのは以下の2点である。

 

式場隆三郎二笑亭綺譚昭森社)昭14年2月20日A版帙限50部内第24番冊署名落款, 芹澤銈介装 16200円

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 『二笑亭綺譚』は大好きな本で、戦後の後版も含めてコンプリートを目指している。しかし、最初に出された版のうち、B版はよくある*2のだが、A版は50部限定で書影を見かけることすらなかった。この度マドテンの目録をぱらぱらめくっていたら、突然出現したのに驚き、その場で震えながらマーカーを引いた次第である。帙の色合いも綺麗だし、和装本というのもコレクター魂をくすぐるものがあるけれども、残念ながら本文は紙質も含めてB版と同様のようだ。

 題箋部分の文字は、漆であしらわれているのか少し浮き出ていて、以前購入した印象派画家の手紙』を彷彿とさせる。

 

式場隆三郎『決定版 二笑亭綺譚(今野書房)昭40年6月30日帙外函超特製総皮装丁本限65部内第12番本署名栞付, 三井永一挿画 10800円

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 A版の隣に載っていたもので、『決定版』じたいは既に所持していた。だが、よくよく記述を見ると「限65」とある。ここで瞬時に、これは「超特装本」のことだと思い至ったのだった。

 『決定版』は、そもそもが署名入りの限定本で、限定数は1000である。通常のものは総布装で「特装本」と称されているのだが、1000部のうち65部は「超特装本」とされ、総皮装になるというのである。超特装本の存在は特装本の限定番号記載頁を見て知っていたから、すぐにピンときてA版とともに注文することにした*3

 「特装本」は普通の差し函装で、その上に蓋つきの外函が付くけれども、この「超特装本」では革製の夫婦函に変わっていて、その上の外函もかぶせ函になっている。

 

 ともかくずっと欲しかった本で、こんなに嬉しい当選は今後ももめったにないだろうと思われる。相場からして高いのかどうかわからないが、発行部数も多くないし、探求書は即断するに限る。書誌的事項はまた稿を改めて詳しくやっていくつもりだ。

 

* * * *

 

 ところで神保町へ向かう途中、ツイッターでニホン書房が面白いものをあげていたので取り置きをお願いした。マドテン後に立ち寄り、それを受け取ったついでに数冊購入。

 

⑦山田美妙『比律賓独立戦話あぎなるど 前編』(内外出版協会) 1000円

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 奥付欠らしく刊行年はわからないが、近デジを参照すると初版は明治35年発行とのこと。リサールに続いて、これもフィリピン関連の資料である。

 アギナルドはフィリピン第一共和国初代大統領らしいが、残念なことにリサールほど詳しくは知らない。というか、そもそもフィリピンの事情について日本語で書かれた本はかなり少ないと思う。絶版ながら中公文庫から出ているようだし、いちおう気にして探しておきたいところである。

 

⑧川上眉山『二枚袷』春陽堂)明26年10月2日, 武内桂舟口絵 1000円

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 店内で見つけた本。背に補修あるけれども口絵は付いているし、眉山の本はたぶん持っていたなかったはずだと買ってみた。桂舟の口絵は鬘が描かれていて、手紙のように連綿体で文言がしたためられているのだが、悲しい無学なのと印刷がやたらに薄いのとでちっとも読めない。

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眉山の手による自序らしく、書き出しでは二枚袷という題名について何か語っているようである。

 

 ということで遅ればせながら新年初の古書展を堪能したわけだが、ほとんどオケラ状態で、今月はもうロクに買い物ができそうにない。畢竟、書痴の沼からは抜け出せないということであろう。

*1:ほかにも、眼科医として活動していたり、新種の動物を発見したりと実に多才で面白い。日本にもいた時期があって、日本人のガールフレンドもあったようだが、あまり語られることがない印象である。

*2:といっても、市場に見られるのはほとんどが再版本という印象。

*3:両方注文したほうが当選しやすいだろう、という打算的な考えはなくもないのだが、並んでいる以上まとめて買うのがスジだと思う。

厚着本あれこれ

 池袋での古本まつりを初めて覗いたのは2年ほど前のことだったろうか。たまたまその方面に用事があり、何気なく会場に足を運んだのだった。その頃はまだ蒐集歴も浅く、漱石のイタミ本を安く拾えて嬉しかった記憶がある。

 以降欠かさず並ぶようにし、そのたびに喜ばしい収穫を発見したのだが、今回の開催は、またしても疲労から突撃するのを断念してしまった。気力というか、体力まで落ちているのには我ながら辟易する。

 

 で、無聊を慰める意味でも、最近集まってきた厚着本をまとめてあげておく。書誌的に意義が認められるかどうかはわからないが、個人的なメモとしても残しておきたい。なお、外装についてはすべて元パラ帯の上からカバーが付いたものなので記述は省略する。

 

五味康祐薄桜記』昭40年4月30日初

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有吉佐和子『紀ノ川』昭41年7月10日7刷

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山本周五郎赤ひげ診療譚』昭39年10月10日初

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山本周五郎『五瓣の椿』昭40年11月10日6刷

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山本周五郎『樅ノ木は残った 上巻』昭39年6月10日5刷

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 いずれも50円均一の中から掘り出したものである。以前、厚着本の見分け方として「意匠が背にまで及んでいるもの」と書いたが、必要条件ではなく十分条件程度に思えばよさそうだ。そうでないものについても、私が雰囲気からなんとなく引き当てられるということは、画像を見ればお分かりいただけるのではないか。

 発行年についてだが、かねて思っていたよりも下ったものが存在することが分かってきた。架蔵している中で最も古いのが『太陽の季節』の昭和32年、新しいのは『紀ノ川』の昭和41年で、およそ10年も幅があることになる。

 厚着本じたいは、帯装からカバー装へと移行する過程で生じたものとされているから、ふつうに考えれば昭和41年より少し後にそれまでの文庫を一斉に回収し、元パラ帯の上から新しいカバーを掛けたことになろう。移行が決まった後の重版(重刷)はカバーのみになるわけで、厚着本に使用されたのと同じものが「薄着本」にも使われているのかどうかはまだわからない。しかしまあ、わざわざ上から掛けるためだけにカバーを作成するとは考えづらいから、兼用されているのだろうとは思う。

 当時のラインナップは今よりずっと少ないから、厚着本として購入するものは大抵読んで損のないところと言えそうだ。本冊が軒並み美本なのも嬉しい。しかし贅沢を言えば、近代の作家のものが欲しいとは思う。

雪を避けつつ

 夕方から雪の予報が見え隠れしており、となれば不要不急の外出は避けるというのが、凍結に不慣れな関東人にとっては賢明な判断であろう。しかしながら私こと下等遊民は、この頃の引きこもり生活にやうやう嫌気がさしつつあったので、ちょっと近文に出掛けておくことにした。

 

 いまの特別展は、「こんな写真があるなんて!―いま見つめ直す文学の新風景」と、「生誕100年記念 林忠彦写真文学展 文士の時代―貌とことば」とのふたつである。どちらかというと後者の林忠彦が見ておきたかった。

 前者では主に出版記念会の写真にフォーカスがあてられていたが、中でも原民喜家族の写真が興味深い。関係者から館にアルバムが寄贈されたとのことで、ある研究者が遺族の元気なうちに聞き取り調査を行い、誰が写ったものかがほぼ解明されているというのがよい。

 また後者では、林忠彦オリジナルプリントが見られて面白かった。今でも手に入る書籍で、多くの写真を見ることこそできるが、それらは当然判型に合わせた編集が加えられていることが多い。元の写真、つまり林が意図したフレームというものを見ると、やはりこちらの方がいいような気がしてくるから不思議だ。初公開の稲垣足穂のショットもあり、足を運んでおいて損はないと思う。

 

* * * *

 

 で、そのあとは下北沢へ。おなじみのホンキチで均一をあさる。

 

鶯渓散史『美文断錦』(求光閣)明43年6月20日26版 100円

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 別段内容に興味があったわけではない。編者も知らないし、小汚い文庫大の本だったが、なんとなく気になって手に取ると、巻末に面白い広告が刷られていた。

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中谷桑実『吾輩は蠶である』は、漱石の『猫』のパロディとして比較的知られた本である。実は以前、カバ欠のものがヤフオクに出ているのを発見したことがあるのだが、うっかり入札しそびれ臍を噛む思いをしたことがあって、まあ広告が入っているからといってどうということはないけれども、懐かしさから買ってみた次第。他のパロディ本から察するに、たぶん『蠶』とて読んで面白いものではあるまい。本自体はあんまり見かけないけれども、本文だけなら近デジで読むことができる。

 

 続けてビビビでもちょっと拾った後は、初めて「Claris」に訪うた。実は「日本の古本屋」で欲しい本がヒットしていて、どうせなら店頭で見てから買おうと思っていたのだった。

 

②Heimann, Jim(2001). California Crazy & Beyond. Chronicle Books. 1000円

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 予てから気になっていた本である*1アメリカのロードサイドの店には変わった意匠のものが多くみられ、表紙にあるのもそうだが、日本では考えられないほど巨大で思い切ったデザインが楽しい。写真の収録がいかほどあるかが気になっていて、いちおう確認してからの購入を希望していたわけだが、期待以上に充実していた。英語もそんなに難しくないようだし、ちゃんと読めば内容も面白そうである。

California Crazy: American Pop Architecture

California Crazy: American Pop Architecture

 

 

③『早稲田文学 2018年初夏号』筑摩書房)平30年4月26日 300円

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 井伏鱒二の幻の作品が発見された、というのは一般紙でも報道されたくらいの一大ニュースだったわけだが、不肖私はそれを特集した号を買い忘れていた。冷静に定価を見るとけっこうな額だし、きれいなのが安く入手できて嬉しい。

 中を確認してみると、書誌情報も詳しく書かれているし、作品についても一通り掲載されているようだ。つまり完全に好事家向けというわけで、これは持っとかなくてはいけないと思う。

早稲田文学2018年初夏号 (単行本)

早稲田文学2018年初夏号 (単行本)

 

 

颯手達治『若さま犯科帳』春陽文庫)昭50年3月25日初カバー献呈署名 500円

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 春陽文庫についてはS林堂から出されたデータ集を読み、欲しいところはすでに揃えてある*2。このレーベルにおける現代作家は名前も知らないところが多いし、そも今読んで面白いか、読む必要があるかと言われても答えるすべをもっていない。颯手は辛うじて名前を知っていたし、あの春陽文庫の署名入りというのも1冊くらい持っていていいだろうと思って買ったもの。

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 Clarisは、デザインとか芸術系の古書が多いと聞き及んではいたが、意外にも私好みの傾向なので、棚を見てゆくのが実に楽しかった。上に挙げた以外にも登美彦氏の署名本を購入し、図らずして大収穫を得られたことだった。整然とした店内も過ごしやすく、下北沢にあって必ず行くべき店がひとつ増えたというわけである。

*1:銀座の蔦屋書店に寄ったときに、新版が出ていて一目惚れしたのだが、シュリンクがかかっていたし高価な本でもあったためにひとまず諦めていた。このテの本は図書館にも入りづらいのが難点である。

*2:具体的には、芥川や漱石の日近代文学シリーズ、それから題名に「坊っちゃん」が含まれるものである。乱歩を筆頭とする探偵小説の大家も欲しいといえば欲しいが、文庫にそこまでの額は出せない。