紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

巣籠り直前、およびその最中

 業者市も自粛の憂き目を見、マドテンも中止となってしまった4月。歴戦の書痴たちの落胆たるや並大抵のものではない。

 かくいう私も古書展の不足に日々嘆息を漏らしつつ、パンのための労働ばかりを続けている、――と言いたいところだが、実のところこの下らぬ労働が思いのほか忙しく、本を買いに出る暇など毫ほどもないというのが現状である。

 とはいえこの情勢は目に余る。政治経済など一切わからない私だが、このままではいろいろな分野が、そのフィールドごと消滅してしまうのではないかという危機感を肌で感じている。まして古本などという零細に近い業種は言うまでもない。ツイッタアカウントを持つ古書店の呟きを見ていると、まさに阿鼻叫喚と言ったありさまが見て取れる。むろん、これは古本屋に限らず、小売業全般に係る問題である。

 

 私がここで何を叫ぼうとも現状に何ら影響しないことは火を見るより明らかなので、おとなしくこの頃方々で購った本を挙げてみたいと思う。

 

100%ORANGE『Yonda? z.z.zoo』(新潮社)平16年, 大貫卓也デザイン 100円

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 現物を見るのは初めてだったが、S林堂の均一で面陳してあるのが目に留まり、すぐさまYonda? Clubの景品だと分かった。新潮文庫のカバーにある葡萄マークを所定の台紙に集めて送ると、携帯ストラップやらバンダナやら文豪ウォッチやらがもれなくもらえるというものだ。いつか何かを交換してもらおうと中学時代から集めていたのだけれど、結局応募しないまま2014年1月で企画が終了してしまった。

 本書はその景品全般をデザインしているユニット、100%ORANGEによる絵本で、動物園に暮らす読書家のパンダ(Yonda)と他の動物たちとの交流を描いている。セリフどころか文字が一切ないながら筋書きは実に分かりやすく、愛らしい絵柄も合わせて、子供に読み聞かせるにはピッタリの良作だと思う。

 

岡本綺堂『初稿半七捕物帳六十九話集 壱』(東都 我刊我書房)平31年3月10日初限100部, 小山力也装 3060円

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 今月頭に情報が解禁されたササマの閉店は、マニヤ界隈を震撼させた。均一台には毎日のように鈴なりの書痴が見られ、中央線に犇めく古書店の中でも、とりわけ回転の速い名店と目されていたから、唐突な閉店宣言はまさに青天の霹靂と言ってよいだろう。全品10%引きの閉店セールは初日から大盛況で、私が赴いた昼頃でも店内はごった返していた。

 思い返せば自宅からの距離がそう遠くない割に、私の訪店は10回あるかないかといったところであった。荻窪に他の用事がないため途中下車の手間を惜しんだ格好だが、まれに足を向けてみれば手ぶらで帰ることはまずなかった。その時々で買うことがなくとも、均一の質は常に高く、店内も手に取りやすい安値ばかりという印象である。

 そんなセールで拾った本書は、刊行当時、どうせ買うなら揃えたいし、かといって揃えるには定価が高い(6000円)ので諦めていたのだった。初出誌がどれだけ貴重なのかはピンときていないが、全ページそのまま転写されているので資料性は高いだろう。かといって、読み比べるほどは話を覚えていないというのが正直なところである。

 

③沖野岩三郎『紀南太平記 第1巻 木剣村正の巻』(奥川書房)昭17年12月15日カバー, 河野通勢装

 ―――――『紀南太平記 第2巻 紅日当門の巻』(同)昭17年12月20日カバー

 ―――――『紀南太平記 第3巻 飛雲断続の巻』(同)昭17年12月20日カバー

 ―――――『紀南太平記 第4巻 金紋立葵の巻』(同)昭18年2月15日カバー

 ―――――『紀南太平記 第5巻 将軍宣下の巻』(同)昭18年3月28日カバー 4800円(含送料)

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 沖野の著作はかなり集まってきたように思うが、どれもこれも読み切れていない。何のために集めているのか、蒐集に駆り立てているのは何であるのか、もうわからなくなってしまっている。要するに、惰性で買い集めている作家というわけだ。

 5冊で揃い。内容はひとまずいいとして、全巻通して装丁の河野通勢がいい雰囲気を出している。なんとカバーと本冊とでデザインが違うのだから、知られた本でもないのになかなかの凝りようである。

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尾崎士郎『新篇 坊っちゃん(新潮社)昭14年8月21日元パラ帯, 吉田貫三郎装 1444円(含送料)

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 ヤフオクでの落札品。本書は初版と重版とで既に3冊所有していた*1が、帯付きは見たことがなかった。書誌的にも今まで言及されたことがないのではないだろうか*2

 帯には〈文豪漱石の名作「後」あり〉〈名作「坊っちゃん」の中の諸人物(…)は昔ながらの風貌を見せて居る〉とある。執筆の経緯や著者の苦労は序文に詳しいが、帯文という形で表に出されているというのは新鮮である。これは本を手に取った人が題名の次に目にする、内容への手がかりであるわけで、本作における本としての受容を考えるうえでは貴重な資料と言えると思う。

 

 在宅で積ン読を消化する向きも多いとのことであるが、ふだんから狂ったように本を買いあさっているコレクター達は、読む本に苦労などしない。その末席を汚す私ですら年間800冊買っているわけで、いま住んでいるところにおおよそ2千冊あると考えれば、年間100冊の読書を20年続けることができることになる。

 しかしながら、殊私のような非読書家にとってみれば、本を矯めつ眇めつすることこそが古本道の楽しみであって、弾が補填できぬ毎日は新顔と出会う新鮮な感情を味わえないのが辛い。これを機に読む方向にシフトすべき、ということでもあろうか。

*1:この辺の書誌についても実は面白いことが分かっている。いずれ稿を改めてちゃんと書いておきたい。

*2:そもそも本書の書誌を追いかけている人を知らない。