或るパンデミック間際
都内は混乱に満ちた。ここ2ヶ月のマスク不足、世界各国でのパンデミック及び医療崩壊を目の当たりにしてはいたが、されど認識としては対岸の火事でしかなかった。それが都内での「外出自粛要請」という形で、我々一般市民に影響してくることとなったのだから愈々穏やかではない。
博物館や図書館あたりは断続的な閉館を見せて久しいから最早慣れたものだが、ここにきてワヨーカイまでコロナの煽りを受ける形で中止となったのには驚いた。シュミテンやマドテンほどではないけれども、不景気只中にあって今週は行こうと思っていた古書展だから、拍子抜けというか心底ガッカリしたことであった。
他方でユーコカイは開催を宣言したのだからすごい。前にも書いた通り、古書展は閉鎖空間で高齢者が密集する環境であるから、現状ではできれば行くべきでないスポットであろう。してみれば蛮勇とも思われるかもしれないけれども、趣味人の生き甲斐を繋いでくれた感謝を示すかのように、仕事の合間を縫って朝から詰め掛けることとしたのだった。
世間での風当たりが強く、さすがの書痴諸子も今日ばかりは引っ込むかと思われたが、ふだんどおりそれなりの人数が並んでいて安心する。しかし相変わらず立ち回りが分からずに、アウェイ感をひしひしと感じた。
①武者小路実篤『或る脚本家』(玄文社)大7年12月22日, 橋口五葉装 600円
やや遅れ気味に2階へ上がり、近代の文学書が多そうなあたりに陣取る。装丁が気になって引き出した本書を眺め始めたほぼその瞬間、隣にいらした先輩から「悩む必要ない。買える」とバッサリ言われ、購入を決意。
武者の本はもうそんなに買う機会がなくなってしまった。『曠野』とか『お目出度き人』は未所持でもちろん欲しいのだが、それ以外となると特段思いつく本はない。よくある岸田劉生の装丁も嫌いではないものの、それを理由として買うほど好きでもなく、まして昭和期の本など多すぎて把握しきれていない。
けれども、こういう風に一見して明らかな五葉装で安いと買ってしまう。非水とか蕗谷ほどではないが、好きな装丁家であるし、本書にしても漱石の『彼岸過迄』みたいなテイストが好ましい。
近くに刺さっていた中勘助『銀の匙』の大正11年版も拾ってはみたが、500円とはいえ1ページ目が丸ごと落丁(本文じたいは手書きで補ってある)というのは厳しいので手放す。
②切抜帖2冊 一括500円
実は最初に手に取ったのがこれであった。背で見てすぐ抜けるものより先にこういうのを拾うのは、私の神保町におけるムーヴを鑑みれば「らしくない」ことである。
1冊目は新聞小説の切り抜き。菊池寛の「藤十郎の恋」「友と友の間」、武者小路実篤「友情」と、取り合わせはピンと来なかったが、調べるといずれも大阪毎日新聞に連載されたものらしい*1。新聞と言っても、小説部分を含む3段分しか綴じられていないので、周辺の記事はあまり楽しむことができず残念ではある。けれども安ければ何となく面白くて拾ってしまう。
2冊目は内容をロクに確認せず買ったのだが、家に帰って確認すると文芸誌の挿絵の切り抜きを集めたものらしいと分かった。特に目につくのは竹久夢二のもので、落款が少なくとも5種類は確認できるから時代に幅があるのかもしれない*2。
パラパラめくっていると杉浦非水のものもあったりして、全体的に見ごたえはある。掲載紙不明なのが堪らなく惜しいが、落款から判別できない画家の作品もけっこうあるのでこれを機に勉強したいところである。
③平田禿木訳『ガリバア旅行記』(冨山房)昭14年6月1日12版, 岡本帰一絵 200円
2階での会計を終え、まあ一応1階も再度流しておこうとふらついてみると、クヨウの棚に冨山房の模範家庭文庫があった。以前紹介したとおり、本シリーズは『西遊記』と『イソップ童話』を持っているが、欲しくても高くてなかなか買えないし、かといって均一で見かける機会もあまりない。児童書の性とでも言おうか。
本書の挿絵は岡本帰一で、シリーズ全体に言えることながら、ところどころにカラー刷の挿絵が混じっているのが好い。
序文の頭2枚分がクシャッとなって状態もあまりよくないが、200円でこれだけ楽しめる本*3が、開場後しばらく経っても残っていたというのは僥倖である。同じ棚に太宰治『パンドラの匣』(育生社版)も200円で刺さっていたのでそちらも無事キープ。
活動自粛令がいつまで続くのかはわからないが、ただでさえ儲からない(と言われている)古書業界が、即売会まで封じられてはさすがに存亡の危機なのではないか。いや他の業態でもそういうところは多いだろう。「今が踏ん張り時」というのは、ウィルス対策についてなのか、経済面についてなのか。しかし私は今日も本を買う。