紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

粘り一戦

 少し早めに神保町入りしたシュミテンであったが、9時前の段階ですでに15人は並んでいた。先輩方もいらしたのを幸いに、閑談しつつ開場を待つ。夏日の予報であったがこのくらいならまだ陽気としてはちょうどよいくらいか。

 

 10時ジャストにオープンするやフソウ棚を目がけて走る。運悪く手が伸びずカゴが掴めなかったので手ぶらで駆け寄ると、本の量はいつもより少なめであった。通用口付近の棚はそもそも用意されていなかったし、タスキの本も多めに面陳されていた。だからというわけでもあるまいが、しばらくは一冊も手に取ることなくうろうろする時間を過ごしてしまった。例のことであれば大抵タスキの数冊を掻っ攫って、しかるのちに棚差しの本をある種悠々と選んでいくものなのだが。

 それでも繰り返し棚を眺め、又ありがたくも先輩方からお譲り戴いたりして、後から入手したカゴに一杯の収穫を得ることが出来た。

 

若山牧水『比叡と熊野』春陽堂)大8年9月20日再版カバー 300円

 小型本がバラバラと折り重なっているエリアに、ふと気になるこの本を見つけた。自然と人生叢書はそこまで珍しくはない印象であるし、別段牧水に興味があるでもない。しかしカバーというのは初めて見た。このカバーの存在は、お世話になっている先輩がツイッターで指摘なさっていて、いつか目にしたいものだと思っていたところであった。

 といって完全に残存しているわけではなく、表1に貼り付けられたのが辛うじて残っているにすぎないのだが、部分的にでも稀少な外装を得られたのは嬉しい。しかしそこまで極端に毀損しやすい材質でもないのに、なぜこれほど残っていないのかは不可思議である。

 今日は同叢書の田山花袋『赤い桃』(もちろん裸本)も購入した。

 

②西原柳雨『川柳年中行事』春陽堂)昭3年8月5日函, 小村雪岱装 1000円

 雪岱装の1冊である。裸本は以前300円で入手していたが、函付きでこれは安かろう。しかも函本冊ともになかなか保存状態が好ましい*1

 今日の棚には同じ柳雨の『川柳風俗志』函付き2千円も転がっていた。函付きで持ってはいるので手放してしまったが、この函は家蔵のものとはデザインが少し異なっていた。具体的には「上巻」の表記がないだけで全体の印象はほぼ同じである。してみるに、『年中行事』のほうにも異装函があるのかもしれない。

 

芥川龍之介『将軍』(新潮社)大11年3月15日 400円

 代表的名作選集の初版である。初版が難関であるのはことさらに言うまでもないが、芥川のこれは重版もあまり見ない気がする。本書は背欠で裏の羽二重も剥がれかかっているけれども、きちんとした状態のものを探そうという気もないので安価で購えたのは幸いであった。ちなみにこれは前回のシュミテンで1500円が付けられていて、さすがにこの状態では、と見送った個体だと思う。

 

④浅原八郎『愛慾行進曲』(大東書院)昭5年6月10日改訂版10版函 1500円

 今日は本が少ない代わりに追加が10本ほどあるとのことで、棚が空いたところを見計らってフソウさんが順次本を補充していた。それでも今回は私に刺さる本は多くなかったけれども、追加分から拾った1冊がこれ。モダンな装丁が楽しいが装丁者は未記載。

 買ったときはあのモダニズムの浅原、と思っていたがそれは浅原六朗。八郎というのが何者かはちょっとわからない。愛欲にまみれたモダンな暮らしのリアルを綴っていて面白いが、伏字空白削除のオンパレードで、頁によってはほぼ何を言っているのかわからなかったりする。そういうわけで、本書の初版は発禁処分を受けている由。

 

 あまり私らしくはない収穫群かもしれないが、ここに書いた他にもいろいろと面白いものは手に入った。結局23冊購入。やはり古本は楽しい。

 帰りしな、東京堂で『本の雑誌西村賢太特集号を購める。各氏のインタビューも賢太の知られざる一面を伝えていて面白いが、古本者としてはなんといっても冒頭の『藤澤清造全集内容見本』が嬉しい。内容が良いといってもあの薄冊に1万円とかはだせないし、こういう形で全頁カラーで読むことができるのはありがたい限りである。

*1:先輩にお見せしたら「まあまあだね」と、誉め言葉らしくも手厳しい評を頂戴した。

資料漁り周遊

 古本を山と買いだして丸5年くらいになるが、これまでは結句蒐集癖によるもので実用のために購ったことはほとんどなかった。それがここにきて、資料を集める必要が出て来てしまった。仕事というほど大層なものではないにせよ、古書展に足繁く通わなくてはならない状況となったのは嬉しいやら不安やらといった心持である。

 というわけで久々に朝から並んだマドテン。

 

森鴎外訳『寂しき人々』(金尾文淵堂)明44年7月20日, 藤島武二装 300円

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 聞くところによると蝙蝠堂は久々の参加らしい。とあれば数年に1度のフィーバー回か、と思いきやそういうことはなく少し残念であった。鴎外のこれとて、安いから買っておいたがそれ以上でもそれ以下でもないところである。

 蝙蝠の高くて買えないゾーンには、幹彦本がいろいろ出ていて見る分には面白かった。『九番館』とか『紅夢集』とか、きちんと函付きのものを触るだけ触らせていただいた。

 

夏目漱石『漾虚集』(大倉書店)大6年10月30日再版 100円

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 漱石の縮刷版で裸ともなると、あれだけ混雑するアキツ棚でも誰も拾わない。私とて基本的には函付きでもそんなに食指が動かないのだが、ふと見たら再版だったので確保しておく。本書の装丁者は不明。地は濃緑ベタ塗りに見えるが、うっすらと意匠が入っていて、青楓あたりの絵かなと思うもののサインがないので確言は出来ない。

 といって初版でもなし、状態の比較的良いくらいがとりえか。

 

谷崎潤一郎『異端者の悲み』(阿蘭陀書房)大6年9月15日 800円

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 何周か会場を回っていると、ケヤキにリバースされていた。どうも先輩がリリースしたものらしかった。函欠、裏見返し欠、扉に蔵印、と汚本もいいところだが、外見としてはあまり問題はないし、この値段で買う機会はないだろうと拾っておく。

 ただ個人的には、こういう一面に銀色が光っているような装丁は好みではない。佐藤春夫『ぽるとがるぶみ』なんかもそうだが、なんとなく汚らしい感じがしてしまって受け付けないのだ。感覚の問題なのでこれ以上説明のしようがないが、阿蘭陀書房刊行の谷崎本とあっては文句を垂れつつも買ってしまう。

 

④『白樺 第8巻5号』(洛陽堂)大6年5月1日 2700円

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 後半も後半、アキツのたすき掛けの棚を物色していて見つけた。あの配置は見づらいが掘り出し物が埋もれているので楽しい。数冊あった『白樺』のうち、古めの所をめくると「城の崎にて」の初出号だったので喜んで確保する。

 しかし改めて見ると、初出の本文はこんにち知られているものと全く違うことがわかる。そもそも書き出しからして「山手線」という言葉が使われていないのは意外にさえ思えるくらいだ。

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なお、このあたりを詳しく調べた論文に寺杣雅人(2011)「志賀直哉『城の崎にて』の形成 ― 『城の崎にて』から『城崎にて』へ―」がある。

harp.lib.hiroshima-u.ac.jp

 休憩がてら先輩方と丸香へ繰り出し、いろいろとお話を伺う。まだまだ買うべき資料はたくさんあるなぁと思ったことであった。

雨の復帰戦

 春めいた気候となり花粉も吹き荒れ出したかと思いきや、一転して寒の戻りが訪れた一日であった。久々に朝イチでシュミテンに並ぶことにしたのだが、折悪しく東京は雨模様。並ぶのは6月以来だろうか。無沙汰で気合が入ったわけでもないが、8:40くらいに到着すると、すでに10人近くが列をなしていた。今回は整理券配布はされず、10時ジャストに開場となった。

 

夏目漱石『四篇』春陽堂)明43年5月15日, 橋口五葉装 2500円

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 真っ先にフソウ棚へ走るのはいつもの通りだが、今日はタスキ架けで面陳された本が極端に少なかった。一瞬戸惑いつつも数冊は確保、うち1冊が漱石のこれである。

 『四篇』は漱石本の中でも一番華やかな装丁ではないかと、個人的には思っている。『春陽堂書店 発行図書総目録』にも使われている五葉のデザインは、改めて手に取ると非常に魅力的である。函欠だし、値段なりに背がイタみ見返しも欠なれど、汚れは少なく全体の印象は悪くない。

 

②徳永直『太陽のない街(戦旗社)昭4年12月6日3版, 柳瀬正夢装 目黒生*1挿絵 1200円

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 いい加減しつこいくらいに買っている『太陽のない街』である。復刻版を含めると8冊目か。

 3版というのは数ある重版のヴァリエーションの中でも一番見かける版ではないかと思っていて、棚から掴み取った直後に版数を確認したときは少しガッカリした。しかし奥付をよく見ると、版数表記の真横にシールが付してあるではないか。

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 従来確認してきた3版は「昭和4年11月29日印刷 昭和4年12月2日3版発行」と奥付に直接印刷されているのだが、貼ってあるシールには「昭和4年12月3日印刷 12月6日3版発行」とあった。ふつうに考えたら納本対策か何かであろうとは思うが、上から貼らずに横に貼ってあるのはよくわからない。以前の記事にも書いた、近文復刻を制作するときに参考とされた「貼紙奥付」は、てっきり奥付全体を印刷した紙が貼られているものと思っていたが、してみるに、本書の如く印刷日・発行日の箇所のみの「貼紙」だったのかもしれない。

 今後の調査が待たれるが、それにしても貴重な1冊であろうと思う。もっとも、ここまで執着して集める人は当代で私だけかもしれない。

 

③庄野義信『文芸雑誌 新人 臨時増刊号(1巻2号) 死の書』(新人社)昭8年11月1日カバ折込附録付長尾桃郎蔵書票, 著者自装 1500円

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 煽情的な文句がつらつら書かれた表紙が気になって手に取ると、どうやら雑誌として出されたものであるらしい。本冊奥付には11月発行とあるが、カバーには12月発行とあり、ここでは本冊の11月を採用する。

 古書ニチゲツ堂のサイトでも紹介されているが、これはどうも庄野義信がかつて自費出版した同タイトル2分冊の小説集を、新作を交えつつ再構成したもののようだ。カバー表1にある文章を以下に引用する。

『新人』創刊号に別冊附録死の書を添附すべき所、本誌より尨大なる附録をつけることは雑誌協会の規約により不許可になりましたので、別冊附録死の書を分離し臨時増刊号としてここに発売しました

たしかに四六判で400ページを超える分量だから、雑誌の附録という趣でないことは確かである。

 と、ここで注目したいのが長尾桃郎の蔵書票で、これが貼られている以上は発禁処分を受けたのであろうと推定できる。手近にある城市郎『発禁本百年』を紐解くと、昭和8年の「その他の発禁本」「風俗壊乱」欄に本書の名前が列されていた。書名の末尾には〈「新人・創刊号」附録(12・1、十二月十五日発禁)〉と書かれていた。城の記述はアテにならないこともままあるのだが、ここで「創刊号附録」とされていることは注意を要すると思う。

 改めてカバーを外して本冊を見ると、表紙には「'新人'創刊号・別冊附録」とある。察するに、本冊じたいは確かに創刊号の附録として11月に作られていたものの、発禁処分を受けたために臨時増刊号=別の本として出し直すこととし、カバーを付けて12月の発行となったのではないだろうか。

 序文附記には〈検閲に対する顧慮から、各所に伏字をしました。(…)各所に伏字をすることは筆者の最も苦痛とする所でありますが、致方ありません。殊に『新人』創刊号から当局の忌諱に触れるやうなことがあれば、経済的に新人社が破壊されてしまいます。(…)〉とあるので、検閲対策はしたものの奏功しなかったようだ。投げ込みの折込附録は臨時増刊号むけのもので、〈(…)先に発行した創刊号は、別冊附録のない畸型にも拘らず、追加注文のある盛況で(…)〉〈既に千数百円の負債を抱えて(…)〉という記述を見るにつけ、気合で出したものの経済的にはかなり苦しい状況に至っていたらしい。

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 ネットで調べた限り、この『新人』の3号は確認できない。

 

横光利一『春は馬車に乗って』改造社)昭2年1月12日函署名, 中川一政装 2000円

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 順番は遡るが、最初に掴み取った2冊のうち1冊がこれである。ちょうど横光の署名本は持っていなかったので嬉しい収穫であった。同書は裸を800円で買ったことがあるが、背はかなりスレて読めなくなっていた。今回買ったこれは函背が傷んでいるものの本冊はまずまずで、署名なしでも2000円なら買えるラインの本だと思う。

 横光の署名はそこまで珍しくはないけれども、『春は馬車に乗って』の署名本はあまり多くないらしい。収録作としては『機械』なんかよりこちらの方が好きなので、ちょうどよかった。

 

 そのほか大量にあった太宰の仙花紙本から未所持の者を数冊拾ったりして、計17冊で16000円ほど。ちょうどリュックに入る量の買い物となったのは雨の日において誂え向きであったが、妙に小賢しくなったのか単に衰えたのか、買う冊数にセーブをかけてしまっていたのは少し情けない。部屋の圧迫感を考えれば正しいふるまいなのだが……。

*1:このたび改めて調査したところ、この「目黒生」というのは稲垣小五郎という画家・漫画家の別名であるらしい。

池袋へすごすごと、荷風を買う

 池袋三省堂での古本まつりは年に2回開催だったか。ともあれあの吹きっさらしの寒さの中を朝9時とかに並ぶ気力もなく、初日でなければ意味など皆無であろうと思われたが、都心へ出る用事ついでに冷かしのつもりで覗いて来た。

 

高見順『描写のうしろに寝てゐられない』(信正社)昭12年1月12日 1000円

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 やはり真っ先に向かうのはニワトリの棚。単行本などはもう漁りに漁られた後だったろうが、雑誌とか小型本とか、じっくり見ていくのはやはり楽しい。

 と、目に留まったのがこの本。卒然に思い出したのはいつだったかのトークショーでの西村賢太氏だった。「いみじくも高見順が『描写のうしろに寝ていられない』と言ったように――いやあれはそういう意味で言った言葉ではないんですが」云々と、氏が小説を書くうえでどういう思想を持っているかを語る際に引き合いに出したものだった。今までに思い出す事のなかった記憶が引き出されたのも、このタイミングで見つけたのもなにか運命的なものを感じたので買うことにした。ふだんの私が買う相場感からすれば少し高かったか。

 

永井荷風荷風全集 第3巻』春陽堂)大8年12月23日函 550円

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 ふだん古書会館の古書展では専ら黒っぽい本ばかりを漁っているわけだが、こうした規模の大きいデパート展では白っぽい本を見ていくのも勉強になるものだ。したがって従来お世話になっていない書店の棚も訪れることになり、よくよく見るとほんの一角に黒っぽい本がまとまっていたりして油断ならない。

 棚にこの本を見つけた時、ずいぶんきれいすぎるなと思った。復刻はないだろうが誂え函ではないかという懸念があったのだ。が、引き出して見るにそういう雰囲気はなく、しかも初版にあるまじき安価と思えた。

 大正期のこの荷風全集は函付きでもう1冊、第4巻を持っているのみで、調べると全6冊の由。春陽堂版の『荷風全集』としては大正末から昭和ゼロ年代にかけて改版が出されているが、荷風最初の全集であるこの版はあまり見ない印象である。題字が誰の手によるものだったか、聞いたことがあるような気もするのだが忘れてしまった。

 あとから出品店のツイッターを確認すると、この本は初日から棚にあったわけではなく、今日の追加分だという。道理で歴戦の先輩方が見逃すはずないと思っていた。たまにはこういうラッキーがあってもよいだろう。

 

 ほか数点買ったがわざわざここに記すほどのものでもないので、ついでに最近買った荷風本を載せておく。

 

永井荷風『新編ふらんす物語(博文館)大5年10月10日6版カバー, 橋口五葉装 3520円(含送料)

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 ヤフオクで間に合わせの札を入れて置いたら落ちて来てしまった。状態が悪いとはいえ、この本のカバーは重版でもあまりないと思うのだが。

 買うまで知らなかったこととして、表紙の重版表記がある。すべての重版でそうなっているかどうかはわからないし、山田朝一『荷風書誌』でもさすがにそこまでは追いかけていないようだ。またこれも知られたことかはわからないが、カバー及び本冊表4にある博文館の白鳥の印は、初版と重版で微妙にデザインが異なっている。

 

 次回のシュミテンは久々に並んでみようか、と、らしくもない前向きな思い付きが頭に浮かびつつある。

空腹の彷徨

 金がない。私個人の事情をここに書いても詮無いのは言うまでもないが、金欠に拍車がかかっている今、本来ならば古本を購っている場合ではない。けれどもそこは腐ってもマニヤ、本を買わないことには精神の安寧が図れないのである。そうなれば削るは生活費となるわけで、空腹の身に鞭打って五反田へ。ユーコカイも久々である。

 

島崎藤村『嵐』新潮文庫)昭31年11月5日12刷帯元パラカバ―, 山田申吾装 200円

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 井伏鱒二『駅前旅館』新潮文庫)昭36年2月20日2刷帯元パラカバ―, 吉岡堅二 200円

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 福田恒存『私の国語教室』新潮文庫)昭36年7月25日2刷帯元パラカバ― 200円

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 チェーホフ/神西清訳『かもめ』河出文庫特装版)昭30年3月31日初版カバー, 井出尚装 200円

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 10時半くらいだったろうか。ずいぶん遅れて現場に着き、居合わせた先輩に新年の挨拶をすると、「向こうに厚着本があったよ」とタレコミを頂いた。あまり高いと買えないが。200円ならギリギリといったところである。

 厚着本だからといって、もちろんテキストはありふれたものであるし、古本として価値が認められているでもない。強いて言えばカバーデザインが従来のものより少しよいかもれないけれども、わざわざ集めるほどかと問われれば答えに窮するというのが正直なところである。それでも、やはり現象として惹かれるものを感じて、私は買ってしまうのだ。ところで『国語教室』の表紙にある「特別奉仕版」とはどういう意味であろうか。

 ついでにチェーホフの『かもめ』を手に取ると、河出文庫特装版であった。これも新潮文庫他と同じく、それまで裸で売っていたものを返本、再出荷の折にカバーを掛け直したものであろうと推定している。

 

②『没後20年 太宰治展』毎日新聞社)昭43年6月18日-23日於銀座松坂屋 半券付 200円

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 古い太宰展の図録である。近代文学作家関連の図録は、印象としては60年代くらいから膨大な量が出されているが、古いものは現代において資料性の高くないことが多い。掲載の写真が少なかったりモノクロだったりするとあまり面白くないし、時代を経るにつれて資料の発見が進み、文学館・資料館のコレクションが潤沢になってゆくのも必定である。

 太宰など早くから企画展が乱発した作家のひとりで、これとて没後わずか20年で開催された企画展である。だから、太宰に興味があると言っても過去の図録を徒に買いあさるのは得策ではないのだが、今回買ったこれは太宰の自筆資料の写真が多くて見ごたえを感じたので確保しておいた。200円ならまあよかろう。

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 なかでも目を惹くのは『晩年』の献呈識語の写真で、「藤田様*1、皆様」宛、小館善四郎宛、小館保宛の3枚が掲載されている。「藤田様」宛は日本文学アルバムにも掲載されているようだが、他の2枚はどうだろう。少なくとも山内祥史『太宰治の「晩年」――成立と出版』(秀明出版会)においては、両氏宛の識語を引くにあたって、本図録を参照しているので、あまり見かけない写真と言えそうだ。

 

*  *  *  *

 

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 簡単に買い物を済ませてから、駒場近代文学館へ。現在開催されているのは「明治文学の彩り」と題した特別展で、テーマが口絵なので書物にフォーカスしているのが面白そうだと足を運んだ。

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 口絵と挿絵の役割としての違いに始まり、著者から絵師に宛てた指示を参照しながら絵師の拘りを見、連載と単行本とで読者の受け止め方がどう変わっていくかなど、いろいろと考えることの多い展示であった。展示品は複製も交じっているものの、例えば古本者にはよく知られた、国木田独歩『運命』が版によって口絵が違うことは、現物(版違いの3冊だったか)によって示されていたのが印象的であった。

 ただし気になったのは序盤に示された尾崎紅葉金色夜叉 前篇』で、おそらく明治文学の口絵としてはもっとも有名な、武内桂舟の貫一とお宮の口絵についてのキャプションが「多色摺木版」となっていた点。これは誤りで、現物がいま手元にないので印刷方法は分からないが、少なくとも木版ではない。『金色夜叉』は部数というか重版もそこそこでているし、口絵もせいぜい石版しかないため、古書価がそんなに高くないものと認識している。まあ多色摺なのは間違いないし、展示を見る側からすれば木版だろうとコロタイプだろうと関係ないと言えばないのだが、展覧会の趣旨としてはこのあたりも細部まできっちりやってほしかったと思う。

 図録が欲しいのになぁと思っていたところ、先輩から相当するpdfがネットに転がっているとご教示頂いた。復習にちょうどよく、非常にありがたい。

 

 帰路、下北沢まで散策をするも、拾い物はなし。均一にいくつか気になる本は発見したのだが、財布の紐が固すぎるあまり、けっきょくすべて戻してしまった。精神まで貧しくなってこれから先どう生きてゆけば良いのか。

*1:太宰治まなびの家」として知られる藤田家宛であろう。

凪のシュミテン

 興味がなくなったかというと全くそうでもないのだが、ともかく古書展の初日に朝から列に加わろうという気概は、ここ半年くらいで完全に消え失せてしまった。ならばせめて初日の午後からでも足を運べばよさそうなものを、どうにも興が乗らずに2日目も昼頃になっての参戦である。

 さすがに開場は静かなもので、ときおり帳場での会計の声が聞こえてくるほどであった。とはいえフソウ棚に並んでいる本はそれなりに楽しめるわけで、初日の喧騒ではなかなか難しい雑誌の確認など、ゆっくり楽しめるのが嬉しい。少なくともいまの私には、このくらいのほうがちょうどよいのかもしれない。

 

森鴎外訳『十人十話』実業之日本社)大2年5月28日, 橋口五葉装 1500円

 森鴎外『妄人妄語』至誠堂)大4年2月22日, 川村清雄装 1500円

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 鴎外の本は割と武骨な装丁が多い印象だが、『十人十話』は色使い鮮やかな五葉装である。以前そこそこの美本が1000円くらいだったのを、同じくシュミテンで見てはいたが他の方に先に取られていた。まあこのくらいの値段ならひとまず良いか。

 また、同じ鴎外の『妄人妄語』は初めて手に取った。どうもカバー欠らしいが、本冊表紙はレリーフ加工がされていて美しい。因幡の白兎と大国主命であろうか、よくよく意匠を見ると画面右に「成」らしいサインが確認でき、一度は一條成美の装画かと思ったのだが、巻末の広告から川村清雄装であると判明した。2人のサインは遠目に見ると似ている、という今後活用できそうにない知見を得たかっこうである。

 

②松村武雄『欧州の伝説』(金尾文淵堂)大3年9月16日函, 後藤朝太郎題字 杉浦非水装? 800円

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 知らない著者だったが、装丁に惹かれた。表紙の意匠に小さくある印から非水装であろうと思う。調べてみると神話学の泰斗とのことで、もしかしたら過去に編著書を買ったこともあるかもしれない。己の浅学を恥じたいところである。

 

 

③合冊『文学界 第5巻1号-同2号』文芸春秋社)昭13年, 青山二郎装 300円

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 ふだんなら『文学界』などいちいち確認しないが、凪のように平和な場ではそれも許されるのである。見ると前半部の1号には北條民雄「続重病室日記」が収録されており、そういえば「いのちの初夜」も『文学界』だったなぁと2号を見ると、なんと北條民雄追悼と題した小特集が組まれていた。

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この第1号は印刷が昭12年12月10日で北條民雄は12年12月5日に没しているから、惜しくも印刷直前に亡くなったようだ。気になる作家でもあるので、ちょうど境目の合冊ということで買っておく。

 

④九條武子『薫染』実業之日本社)昭3年11月5日カバー函, 平福百穂装 800円

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 ここでは書いていなかったが、私は九條の『無憂華』について重版を集めている*1。その関連ということで、ほぼ同じ装丁のこれがあったので買ってみた。カバーと函がついて完本なのは『無憂華』と同様である。

 本書には挟み込まれた葉書があった。

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版元の実業之日本社主催で九條武子の追悼歌碑を建立する予定があるとのころで、その支援を募る報せである。

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裏面には予定図も印刷されていて、曰く〈歌碑は 鋳金家 高村豊周 図案化 広川松五郎画伯 の合作によるものであります。〉とあり、なかなか豪華な布陣で臨んでいることがうかがえよう。しかし、現在グーグルその他で検索をかけてみても、ここにあるような歌碑は見当たらない。東文研アーカイブデータベースの高村豊周のページによると、昭和10年に〈九條武子歌碑を作る(築地本願寺)〉とあるが、現在築地本願寺にあるものはもっと簡素である。

 葉書には〈不足分は全部小社に於て負担致し(…)〉とあるけれども、予算上の問題で計画が変わったか、景観とか実際的な事情か、はたまた昭和10年に建てられたものと現存の者が異なるのか、このあたりは調査を続けたいところだ。

 

 ふだんより高めの本を少し抱えて会計は1万円ほど。なんとなくいい買い物をしたような顔をしているがむろんそれは間違いで、すでに歴戦の勇士たちが1日をかけて隅々まで探書しきったあとの棚を、一縷の見落としに賭けて漁っただけの話だ。結果、それなりに嬉しくこそあれ、瞠目するほどの掘り出し物には出会えなかったから、やはり初日のポテンシャルには遠く及ばないのである。

*1:現状4冊所持しているが、体裁や挟み込み等がすべて異なっているのだから驚く。昭和初期の百版本である。

夏目漱石『鶉籠 虞美人草』

 今月、という実感すらなかったのだが、マドテンの日取りをすっかり忘れていた。なんと初日の金曜昼頃になってようやく思い至り、ああ、古書展ともずいぶん距離が空いてしまったなぁと痛感したことであった。

 いい面ももちろんあって、12月度は現状かなり買った本が少ない。金額的にはそれなりだし、少ないと言っても非古本者の1年分に匹敵する恐れもあるにはあるが、100冊とか購っていないのは個人的快挙である。そんな中、ネットから購入した本について書いておく。

 

夏目漱石『鶉籠 虞美人草春陽堂)昭2年3月20日95版函, 津田青楓装 2200円(含送料)

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 ヤフオクでの落札品。お馴染みの縮刷版で、非常にありふれている本だし、ふつうなら函付きでもこの値段は出さない。が、この本の版数は非常に興味深いものだったのだ。

 漱石の書誌として決定版である清水康次「単行本書誌」*1は、初版から重版にいたるまでかなり詳細が充実しているが、さすがに100版近くまで出ていたりする縮刷には抜けが多い。まあそこまではやらなくてもいい、といえばその通りでもあろう。

 今回入手の95版は正確には抜けではない。書誌にはきちんと95版についての記載があり、書誌の上では最後の重版である*2。しかしこの書誌記載本は、今回入手の家蔵本と発行日が異なっていたのだ。

 書誌記載の95版は〈1925年*36月25日発行、日東印刷(株)印刷、定価2円70銭〉とあり、家蔵の95版は上に書いた通り、〈1927年3月20日発行〉で、印刷所と定価は書誌記載本と同じである。

 書誌を見ていくと、他にも同じ版数で発行日が異なるケースは報告されている。ザッと見たところ、『坊っちゃん』(新潮社、代表的名作選集)、縮刷『彼岸過迄 四篇』(春陽堂)、『夢十夜』(春陽堂)、縮刷『三四郎』(春陽堂)、縮刷『草合』(春陽堂)、縮刷『漾虚集』(春陽堂)、縮刷『鶉籠』(春陽堂)、『倫敦塔外二篇』(春陽堂)、と、これだけのタイトルにおいて同様の現象が起こっているらしい。

 こうした例のほとんどにおいては印刷所や定価がそれぞれ異なっており、そうであればまだ同じ版数でも複数のヴァリアントが存在することは頷ける。しかし、今回発見した本書および書誌に記載されたいくつかの例においては、印刷所も定価も同じであるのに印刷日だけが異なっているのだ。これについても、『鶉籠 虞美人草』のように年単位で間隔が空いていれば版数が混乱していても理解の余地はあるが、たとえば『鶉籠』のように、版数、印刷所、定価がすべて同じなのに、発行日が1ヶ月だけ違う本があるというのも謎を深めている。

 

 100年も昔のことなので、よほど決定的な資料がない限りは謎を解くことは叶わないであろう。深い理由などなく、ただ単に管理がいい加減だったというだけの話かもしれない。けれども一方で、漱石の本についてまだ謎が残されているというのは嬉しいことでもあろう。

 それはそれとして、届いた本が画像の通り極美に近い美本だったのは僥倖であった。所持する中では1番新しく、また1番きれいな本ということで、私の中ではメモリアルな1冊となった。

*1:『定本漱石全集 第27巻 別冊下』(岩波書店、令和2年)

*2:先輩はこの先の重版をお持ちだという。私もまだまだ嘴が黄色い。

*3:書誌では一貫して西暦を採用しているので、ここでもその例に倣う。