紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

発見、二往復

 残暑はさして厳しい感じがしないが、これはピーク時に35度を軽く超えていたのに精神が慣れただけのことだろうか。暑いと言えば暑いが、唸るほどではない。しかし9時20分くらいにマドテン会場へ赴くと、列はいつもより心持ち短いようであった。顔なじみのオジサンと話をしたりして待っていると、ほぼ10時ジャストに1階が開放され、下階へくだるとそのまま溜まらずストレートに会場へダッシュという方式。みな体温測定で手間取ったりしていたため、最初の2分くらいはゆったり、しかし素早く棚を見ることができ、なかなか嬉しい収穫が満載である。

 

長田幹彦『澪』(籾山書店)大元年8月10日, 橋口五葉装 2000円

 ――――『大地は震ふ』春陽堂)大12年12月18日 1500円

 初っ端で抜き取った2冊。函欠でイタミがあっても、やはり胡蝶本は嬉しい。

 『大地』のほうはよく知らなかったが、本来は函が付くようだ。春陽堂関東大震災被災に際して、普段から世話になっている幹彦がその恩に報いるべく無報酬で提供したという作品。〈災後第七日から急遽筆を起して僅か三週日の間に稿を了へたものであることは前以つてお断りをして置かねばならぬ。〉〈少くとも稀代の災禍に当面し、又親しく実地に臨んで自ら探り得た題材に依つて筆を執つたものであるから、少くとも当時の実況を幾分たるとも如実に描破し得たものと信じてゐる。〉というから、震災に題材をとった作品の中でもリアリティは相当期待できるのではないかと思う。それにしても、小序で以下のように語られる春陽堂の被災状況は読むだにつらいものがある。

過去五十有余年の長い歴史をもつたあの土蔵造りの老舗も、九月一日午後九時を過ぐる頃に至つて、萬巻の書と共に空しく灰燼に帰してしまつた。明治から大正へかけての隆々たる文運に棹し、光輝ある幾多の貢献をわが日本の文芸史上に貽した店舗も斯くして廃滅の路傍に徒らなる残礎を止むるのみの悲運に際会したのである。偉大なる文人巨匠が惨憺の苦心になる著作の紙型は挙げて一炬に附せられ、その珍蔵せる得難き墨痕、書幅並に古木版等も遂に救ふよしなかつた。

 この災禍がなければ、現代に残る近代文学の資料はもっと格段に多かったに違いないのである。

 

徳富健次郎/Rhe am Rheinberg訳『Hototogisu不如帰』(Heckners Verlag)刊記無 400円

 ベストセラーで知られる徳冨蘆花の『不如帰』は、何だか知らないが同時代の翻訳がものすごく出されている。英訳と漢訳は所持していたところ、初めて独語訳を見かけたので買っておいた。英語なら読めるし漢語はなんとなく意味もとれるわけだが、ドイツ語となるとサッパリである。なにしろ書かれている固有名詞が訳者なのか出版社なのかすらわからないくらいだ*1。で、訳者は〈Rhe am Rheinberg〉らしいのだが表記的に文字が飛んでいそうである。どこを探しても刊記がない(明治期か?)のも相まって、よくわからない本を買ってしまったわけである。

 

③サア・ジェームス・バアリイ/村上正雄訳『ピーター・パン』(春秋社)昭2年5月15日函 300円

 『アリス』を求める人は多いだろうが、『ピーター・パン』はそれよりややマイナーかもしれない。パロディの数が段違いでもあるけれども、童話としてはさすがに筋が通っていて好みだったりする。

 邦訳の初めは大正10年の楠山正雄『苺の国』所収のものだそうだが、ページ数からして完訳ではない。大阪府立中央図書館の解説ページによれば、そもそも『ピーター・パン』の原作というのも事実上3種類あり、それぞれに基づいて翻訳か翻案かで更にわかれるようだ。で、面白いのは、この春秋社版と小学生全集版は原本を同じくしており、読み比べると訳の違いがくっきりと見えてくる点である。このあたり、何冊か訳本を持っているのでじっくり考えてみたいところだ。

 

 このほか、あるジャンルの近代文学をまとめて購入した。予てより興味がある方面ではあったが、少し気になる点があったためだ。家に持ち帰ってその収穫を検めていると、ふとある発見をしてしまった。これはもしかするとまだ会場に同様の本が残っているかもしれない、と己の鈍さを呪いつつ、結句馬鹿なので2日目の朝にもすごすごと会場へ向かったのだった。

 果たして目当ての本は1冊見つけられ、さらに関連資料を数冊買えたのでわざわざ行った甲斐があったわけだが、調査をしたいので一旦ここでは伏せておく。代わりに、気が乗ったので買ってしまったのが次の1冊。

 

④『小ざくら 第16号』学習院初等科幼年図書館)昭9年12月5日 3500円

 タスキに〈平岡公威〉とあったのが目について手に取ると、学習院の学校誌であった。寡聞にして知らない雑誌だったが、小学生の三島の短歌・俳句が収録されているのは面白いし、そもそも子供が書いた文芸作品にも興味があったので買っておいた。非売品とあるし、あまり出回っていないのではないか。

 三島の習作というと、やたらと才気みなぎる作文のイメージがあったけれども、これに収録された1首1句を見ると韻文の才能はそこまででもなかったようだ。言葉の選び方からしても子供が頑張って作った歌・句以上のものを感じられず、そういえばそちらの方の実作は読んだことがない(もしかしたら書いてはいたのかもしれないが)。

 

 あまりここに書ける本はないのだが、来週はシュミテンも控えている中で少し買い過ぎたか。リュックにちょうど1杯の本は持ち帰るにも難儀であるけれども、いい加減部屋のスペースが限界を迎えているのがなにより悩ましいところである。

*1:いまはGoogle翻訳を使えば、カメラに映る外国語がリアルタイムで翻訳できるからつくづく便利である。

猛暑の負け戦

 台風が過ぎ、その影響なのか単に温暖化が進んでいるのかわからないが、本日も予報では35度の猛暑となっていた。ならば近年は長蛇の列が伸びることでおなじみの池袋三省堂の古本まつりも、あるいは「密」ならぬ「疎」が期待できようとゆっくり会場に向かったが、期待は無情に打ち砕かれ、ゆうに200人が列をなしているのだった。

 その時点で負け戦は確定と思っていたが果たしてその通りで、私が目当ての棚に至るころには、目ぼしいところは既に抜き取られたあとらしかった。

 

太宰治新釈諸国噺(生活社)昭23年8月15日5版 1000円

 もちろん一直線に向かうのはニワトリ。先輩に挨拶をした後にいろいろ本を手にとっては見るものの、どうもピンとこない。最近は部屋の置き場所があまりにも逼迫していて、精神的に参ってきてしまっているのもあるかもしれない。

 そんな中で拾い上げたこの本、タイトルじたいは太宰の仙花紙本でも『太宰治随筆集』と並んでよく見かける方だと思う。版ごとに装丁が違うのは最早周知の事実だろうが、この5版は一番見ないような気がしている。背はボロボロだが太宰なら出せる金額である。

 

海野十三『暗号音盤事件』(大都書房)昭17年4月15日5版, 高井貞二装 1500円

 以前にも書いたかもしれないが、日下三蔵編によるちくま文庫の「怪奇探偵小説」シリーズが私にとって探偵小説とのファーストコンタクトで、中でも一番面白く読んだのは海野十三だった。しかし初版本コレクターとしては純文学の方に傾き、海野とて初版本を集めてはいないのだけれども比較的手ごろにイタミ本があったので買ってみる。

 ちょっとネット検索してみると、本書と同じ5版本しかヒットしない。あるいは「初版本」が存在しないタイプの本なのであろうか。

 

久米正雄『和霊』(新潮社)大11年5月18日 500円

 最近ホットな久米正雄である。表題作「和霊」は「にぎたま」と読ませるらしい。

 久米の本は未だによくわからないが、どうも「和霊」は『破船』がらみの続編みたいな位置づけの作品らしく、まあ小説として面白そうかと問われると何とも言えないが、いちおう持っておいてよいだろう。また「病床」にはチャールズ・チャップリンが登場し、スペイン風邪が流行した時分の話であるようだ。こちらは少し気になる。

 

④菊池幽芳『夏子 後篇』春陽堂)奥付欠6版, 坂田耕雪口絵 2500円

 最後まで悩みに悩んだが買ってしまった。外装は元より奥付がなく、版数もなにも分からない状態だが、背表紙下部に「六版」と印字があった。

 口絵はかなりきれいに残っているのが救いで、しかし後篇のみでこの値段は微妙なところ。「2千円なら悩まず買うのに」と先輩に愚痴ったところ、「僕が君の歳のころはそこまでスレてなかったから、ウハウハで買ってたよ」と。確かに正直なところすぐに読むわけでもなし、結句美術品として購うわけだから、買って損はないわけだ。

 むしり取られた奥付と巻末広告のあたりに、同じく幽芳の『乳姉妹』の広告が残存していた。カラー刷りでかなり興味深いのだが、これも巻末の広告であろうか。

 

 まあ収穫はイマイチと嘆いたものの、悪くない本は買えたし、先輩とお茶をしつつ古本話に花を咲かせたのもたいへん楽しかった。やはり古書展にはマメに通うものである。

立ち上げ高円寺

 西部古書会館はそちら方面での用事ついでに覗くていどで、朝から詰め掛けたことはこれまでに一度もなかった。神保町や五反田と違って、近代文学のしっかりしたところがあるというよりは、雑本の山から掘り出し物を漁っていくという感じが、ある程度の共通認識ではないか。それもそれで面白くはあるのだが、わざわざ訪うほどではないということである。

 そこにきて「ブックラボ」という新しい即売会が発足した。ただ新規というだけでなく、事前に聞いたところではいろいろと新たな試みを取り入れたいとのことで、目録は公式ページ掲載で随時追加あり、直前には会場の棚の画像が掲載されてそこからも注文可能という、旧来の古書展ではちょっと考えられないような先進的な様子がすでに表れている。むろん今回で第1回目なので2回目以降でどうなるかはわからないが、FAXでしか注文ができないとか、そもそも最初に目録を手にする手段がわからないとか、古本者ではない層にとっての障壁はこれでだいぶ取り払われるのではないかと思う。

 まあ私が朝から繰り出した理由は、ほかでもないS林堂が出展しているためである。目録注文品もあったし、500円均一だという棚の画像(全段余さず事前に掲載された)にもあれこれ欲しい本が見えたので、これは朝から参戦しなくては名折れだと向かったのであった。

 

 30人くらいが待っていただろうか。はっきりとした列は形成されず、なんとなく入り口付近に人がたまっていて不安だったが、我ながら軽やかに立ち回れたため、目星をつけていた本は全て抜き取ることが出来た。周りの客はやはりミステリ趣味の人が多いようで、純文系はけっこうあとになっても残っていた。

 

楢崎勤『相川マユミといふ女』(新潮社)昭5年10月6日, 古賀春江装 500円

 初手で抜き取ったうちのひとつで、新興芸術派叢書の1冊。表紙周りに墨か何かの汚れがひどいけれども、イタミは少ないし500円で読めるならぜんぜんいいだろう。改造社の新鋭文学叢書はそこそこの冊数を持っているが、新興のほうはあまり集まらない。シュミテンで1冊1500円とか2000円でなら見かけるものの、やはりこのくらいでイタミ本を探したいところである。

 

三上於菟吉『白鬼』(新潮社)大15年1月25日7版函, 大橋月皎装 500円

 これも事前に気になっていた本。ささっとネット検索して出てきた関肇「三上於菟吉『白鬼』を読む」*1によると、本作は於菟吉の新聞小説第1作で、大正13年7月から同12月まで『時事新報』に連載された出世作のようだ。面白いのは、『サーニン』からの「サーニズム」、あるいは『痴人の愛』の「ナオミズム」よろしく、「シロオニズム」なる造語も雑誌『新潮』の広告に使われたということで、本書が7版まで版を重ねていることと合わせて、当時はなかなか話題になった作品ということであろう。ネットで検索すると昭和22年に松澤書店から後版が出ている。

 新聞掲載時は月皎の挿絵が毎回あったとのことだが、初刊本たる本書には収録されていないのが残念である。しかし探偵小説のような怪しい装丁は面白い。(もっとも、内容は極めて社会的なもののようだが)

 

③佐藤幸雄『教育童話 岩窟の王子』駸々堂)大11年3月20日 500円

 棚には童話の本もまとめて刺さっていて、それでも全部は購えないので特に絵が好みだったこれだけ。

 駸々堂はたまに耳にするけれども、佐藤幸雄というのは聞いたことがない。もっと言うと、この装画や口絵、挿絵が誰の仕事であるか明記されておらず、誠に厄介である。佐藤が描いた可能性もなくはないけれども、おそらくこういう地味な本だと情報もないだろうし、調べるてだても見つからない。

 

小島政二郎海燕(新潮社)昭7年7月22日函献呈署名, 中村研一装 500円

 小島政二郎ねぇ、と初めはスルーしていたが、中盤戦でも残っていたので拾ってみると署名本であった。S林堂はこういうコ憎いことをしてくるから困ったものだ。

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 長尾雄というのも知らなかったが、調べたら作家のようで、『三田文学』同人というからそのあたりで交流があったのだろう。しかし〈此本についてはいろ/\お世話になりました〉というのはわからない。元は朝日新聞に連載された小説らしいが、単行本化に際してなにかアドヴァイスでも求めたのであろうか。こつこつ調べれば面白そうな1冊である。

 

東京日日新聞社学芸部編『友を語る』東京日日新聞)昭13年7月5日カバー, 藤田嗣治装 5000円

 目録注文品である。実はこの本、以前S林堂主人に「こんな本が入った」と見せて頂いていて、藤田装と内容の面白さからいつかは欲しいと思っていたのであった。その時に「どっかで売るときは買いますよ」と言っていたのがそのまま叶ったというわけである。グラシンを外すのが面倒なので書影は本冊のものを貼ったが、まずまずきれいな状態だと思う。デザインはカバー本冊ともに同じ。

 内容じたいはデジコレの個人送信で読むことができるが、タイトル通り著名人が自分の人について語ったものである。こういうところに思わぬ証言があったりするので、見逃せないタイプの資料だろう。

 この本が好きだという先輩は幾度となく買い替えたそうだが、私などこの本の存在すら知らなかったし、たぶんそんなに見かけるものでもないだろうと思う。安い買い物ではないとはいえ、モノを考えれば私にとってはお買い得である。

 

 計20数冊買っても1万5千円という会計は安い。黒っぽい本から白っぽい本まで質も高かったし、満足感の高い即売会であった。

 ただ気になるのは、ほとんどS林堂のワンマンショーの気配があった点である。6店舗が参加していたそうだが、棚に客が殺到していたのはやはりS林堂ばかりで、他の通路へ行くと打って変わって閑散としていたくらいである。私の買い物についてもS林堂以外から買ったのは1冊だけであった。まあそもそも店ごとに品数の偏りがあったというのは大きく、そのあたりも含めて次回への課題なり反省として引き継がれていくのならば、ブックラボはどんどん"新し"くよい即売会になっていくだろう。あるいはこれが、不景気における古書店の生き残り戦略モデルになっていくのかもしれない。

*1:關西大學文學論集』69巻4号 A1-A27(2020)

梅雨の戻り

 梅雨入りした実感もないまま梅雨明け宣言が出されて久しいが、東京は雨が続くようになった。35度とかいう狂った気温でないだけずいぶんマシではあるものの、古書展へ赴く身としては水濡れは絶対に避けなくてはいけないので心中穏やかでない。

 で、雨だから人は少なかろうと9時すぎに到着すると、屋根の下はすでに占拠されていた。しかたなく傘をさしたまま並んで待つ。9時半すぎにスタッフが顔を出し「整理券を配ります」云々言い始めるも、もはやそんな時刻ではないと当然のクレームが入り、1階ロビー内で待てる運びとなったのはありがたかった。

 

 今回もフソウ棚は1本少なく、またタスキ架けの面陳も従来より多めであった。いい本が出てこないとか、フソウさんの体力・気力的な衰え*1とか、要因はさまざまだろうが寂しいことである。

 

夏目漱石吾輩は猫である 上編』(大倉書店)明40年8月25日11版改装 1500円

 列の順番は悪くなかったにもかかわらず、どうもこれまでのように初っ端のバシッとした収穫は得られずにうろうろしてしまった。私の腕前不足は百も承知だが、ここ数回そんな感じだから、推して知るべき感はある。

 これは最下段の菊版雑誌に紛れてささっていたもの。背に「吾輩ハ猫デアル」とあり、元版だとは思わなかったがそうでなくてもとりあえず買っていたと思う。奥付や扉は残っているけれども表紙裏表紙ともにない。値段にしてはやや厳しい状態だったか。猫の元版は3セット持っていたので、これで3.3セット目ということになる。

 同じ改装に『夢二画集』もあったが、表紙のみならず扉や奥付もなかったため春の巻だか夏の巻だかもわからない状態。中身は悪くないけれどもさすがに、と戻してしまった。

 

鈴木三重吉『小鳥の巣 上巻』春陽堂)大5年5月13日元パラ函, 高野正哉装画, 夏目漱石背字, 大倉半兵衛木版

 ―――――『小鳥の巣 下巻』春陽堂)大5年7月4日元パラ函, 高野正哉装画, 夏目漱石背字, 大倉半兵衛木版 上下揃1500円

 三重吉全作集のうち上下初版の揃いである。本じたいはもちろんよく見かけるし、署名も月報*2もないからアレなのだが、元パラというか和紙のカバーみたいなものがほぼ完全に残っているので買っておいた。前回のシュミテンでもバラでこうした元パラ函付の美本が数冊転がっていたけど、いま思えば片っ端から買っておくべきであった。読んだ形跡は皆無で、表紙の彩色や金銀粉が美しい。

 

島田清次郎『地上 第2部』(新潮社)大9年1月18日 1500円

 『地上』はきっかり1セット持っていて、これ以上重版で拾ってもしかたないとスルーしてきたが、初版だったので確保。実は揃いで持っている中でも、第3部と第4部とは初版なので、これであと第1部を初版で手に入れれば晴れて「初版揃い」が出来上がることになるわけだ。

 澤村修治『ベストセラー全史【近代篇】』を見ると、初版の発行部数は第1部が3000、第2部が1万、第3部が3万とのことである*3。相対的に第1部が難関と言えなくはないが、それでも3000部出ているわけで、静かに機会を待ちたいところだ。

 

④溝口白羊『家庭小品 草ふぢ』(益世堂書店)明40年5月18日, 鏑木清方口絵 1500円

 棚に刺さった緑のクロス装を引き出すと、見たことのない家庭小説だった。作者を確認するとあの溝口白羊。「~の歌」シリーズが有名だが、正直作家としての評判は聞いたことがない。序文には〈「家庭文学」に関する書籍は、(…)皆文学といふことが主に成つて、家庭といふことはお添物に成つて居る〉〈家庭といふことを主にせねば何等家庭に益を及ぼさない〉とあり、この問題意識を持ってものした作品集のようだ。

 口絵はオフセットなれど清方。奥付も3色刷で手が込んでいてかわいらしいけれども、ネット検索の限り本書に関する情報はほとんど出てこない(国会にもないらしい)。表紙の汚損が激しいが値付けも値付けだし、それなりに珍しい本ではないかと思う。

 

⑤『春陽堂月報』20冊 800円

 月報は情報の宝庫である。意外な大物が寄稿していたり裏話が語られたりしていてパラパラ見るだけでも楽しいのだが、その後単行本などに収録されないケースが多い。「春陽堂月報 20冊」とだけ書いてあってパッと見には何の附録かわからなかったが、あとから調べると昭和ゼロ年代の『明治大正文学全集』の月報らしい。同全集はよく見かけるが、特に手に取ったこともないし月報があることも知らなかった。

 全60のうちの20とあって不揃いもいいところだが、やはり内容は滅法面白い。どころか、春陽堂から出された有名本についてのプチ発見もあった。これは既に知られたことなのか、少し調査しておきたいところである。

 この月報は復刻があり、『昭和期文学・思想文献資料集成』の1冊として出されているが、定価は5万円と完全に公共機関向けである。古書価も1万円はくだらないから、端本でもこの値段で手にできるのはありがたかった。

 

 ところで今回のシュミテン目録には、フソウさんの出品で志賀直哉の署名本が2500円で2冊出ていた。『豊年虫』函付と『革文函』裸である。いざ場に行ってみると、『豊年虫』はなかったが『革文函』の方は棚に面陳されていて、すなわち注文が入らなかったのだった。志賀直哉は好きな作家だがすでに署名入りで持っている本だし、まあ私がせずとも若い文学ファンあたりが注文を入れるのではないかと思っていたが、ここまで人気がないとやるせなくもなるというものだ。午後とか2日目まで持ち越せば誰か買う人もあったかもしれないけれども、ファンとして見逃すわけにはいかぬと買ってしまった。こうした由縁なき使命感が、蔵書家を苦しめている側面もあろう。

*1:といったって今の仕事量にしても業界屈指のモンスターである。なにしろ隔月のシュミテンに合わせて、毎月の速報目録を欠かしていないのだ。

*2:このシリーズに月報が挟まっていることを知ったのも、ここ1年くらいの話である。

*3:第4部についての記載はなかったが、まあ好評を博していたことから同程度であろうと思う。

真夏日、神田から上野へ

 都内の気温は30度をようよう超えだし、梅雨入りとはなんだったのかと訝るほどの好天であった。雨が降らないのは実にありがたいことであるが、暑いのは外出が億劫になって弱る。それでも気合を入れて外出を決め込み、ひとまずは神保町へ。滅多にゆかないグロリヤ会である。

 

①阿部次郎『三太郎の日記』(東雲堂書店)大3年6月5日再版函 200円

 初め合本かと思ったが確認するとどうやら元版。存在は知っていたものの、今まで手に取ったことはなかったと思う。というより、ずっと四六判だと勘違いしていたのだけれども、想像より少し小ぶりだった。文庫よりちょっと大きめくらいか。函の背および扉には「再版」と記載があるのが気になる。見返しは古代ギリシャめいた木版で美しいが、誰の手によるものかは不明。

 本書(の初版)は、現在確認されている中で日本最古の帯付本として知られているが、紀田順一郎が言及した〈白い用紙に緑色の活字で、ただ一言「読め!」とある〉というのは間違いである*1と、以前フジテレビ系列のバラエティ『さまぁ〜ずの神ギ問』2016年9月9日放送回で明らかになった。番組中ではフソウ目録掲載の画像が紹介され、モノクロなので用紙と活字の色は不詳ながら、タイトルと著者名が印字された形式であること、又背と裏の部分は無地であることが証言された。放送直後は少しく界隈で話題になった記憶もあるのだが、文章として情報が残ったわけではなく番組アーカイブも表立っては残っていないので、現在では「読め!」の件を信用している人がまた多くなっているようだ。

 

野田宇太郎『新東京文学散歩』日本読書新聞)昭26年6月25日カバ, 恩地孝四郎装 200円

 ―――――『東京文学散歩の手帖』学風書院)昭30年9月5日カバ, 著者自装 200円

 なにしろグロリヤなど滅多に行かないのでよくわかっていないのだが、少なくとも今日のlinen堂はほぼ200円均一の様相であった。といっても雑本ばかりが積んであるかというと決してそうではなく、近代文学の黒っぽくていいところがけっこう見られてとても面白かった。『三太郎の日記』もここで拾ったもので、ほかに西條八十『赤き猟衣』函付200円もお買い得ではあったが、惜しくも奥付欠なのと重版函付美本を既に持っているという事情から手放す。

 野田の文学散歩関連の本は持っていなかった。100円で買えると一番嬉しかったが200円ならよいだろう。どちらも文学散歩に興じるにあたって参照することを想定していて、『新東京』の方は章ごとに簡易な地図が挿んであったり、『手帖』の方は巻末にメモ欄まで設けられている徹底ぶりであるが、前者はやや判型が大きくて携帯には不便だと思う。装丁の点では、『新東京』は恩地の版画とタイポがよく、対する『手帖』は著者自装だが、カバーを外すと本冊のデザインがかわいらしくて意外であった。

 

 このほか1点、プチ発見があったのだが、ここでは一旦伏せておく。

 

*  *  *  *

 

 神保町を早々と退散し、一路御徒町方面へ。不忍池は蓮が青々と茂っていて壮観であった。蓮の花の見ごろはもう少し先か。

 目的は近現代建築資料館。「『こどもの国』のデザイン」と題した企画展である。

 私自身がこどもの国へ赴いたことがあるかはちょっと記憶が怪しいのだが、どうも展示を見たところでは、私の頃にはもう開園当時のような先進的な建築物はほとんどが撤去された後だったようだ。というのも、計画に携わった建築家の多くがメタボリズム・グループのメンバーで、現在からみても未来的なデザインを60年前の世に作り上げていたのである。

 個人的に、メタボリズムは面白い試みだとは思うし好きでもあるのだが、実用の面から言うといま一つと言わざるを得ないと思っている。たとえばこどもの国に現存する「フラワーシェルター」は、花弁型の鉄板により屋根を誂えた休憩所で、花弁は一枚単位で取り換えることが可能である。のちの「中銀カプセルタワービル」に通ずる発想を有しているわけだが、ふつうに考えれば老朽化は一斉に訪れるものだし、よしんばひとつのユニットが極端に傷んだとしても、そこだけを特別に発注して交換するというのは、手間と効果とが割に合っていないだろう。中銀ビルがけっきょく一度もカプセルを交換せず、完全解体と相成ったことがそれを裏付けてはいないか。

 そういう若い試みがずらりと並んだ園内はさぞかし楽しかったのだろうと思う。もっというと、これは日本ないし世界がまだそういう余裕を持っていたころの話であって、いまならこういう規模で子供のための施設をつくる企画など成し得ないだろうし、安全がどうとか自然破壊が云々いったクレームによって、建築家の自由な発想は取り入れられないのではないだろうか。

 

③『「こどもの国」のデザイン 自然・未来・メタボリズム建築』文化庁)令4年6月21日, 吉田貴久デザイン ロハ

 いつも思うことだが、国の運営による企画展示とはいえ、これだけ作りこまれた図録が無料で配布されているというのは少しやり過ぎではないか。しかも在庫がある分については、過去のものも頼めば全部もらえてしまうのである。今回の図録も、貴重な図面や写真満載で、今はない当時の面影を想像しながら楽しく読むことができる。メタボリズムを考えるうえで、将来的に重要な資料となるかもしれない。

*1:もっとも紀田のコラムを確認すると、情報源は小寺謙吉らしいが、あの書き口だと紀田は現物を見てはおらず、小寺からの伝聞情報にすぎないようだ。

私小説一本釣り

 マドテンである。あまり気合を入れてならぶ感じもしなかったので、9時半ごろゆったりと列に加わる。30人ほどか、最近の傾向からすると少なめの印象であった。

 例によってアキツへ走る。どうもピンとこないが、あまり見ない鶴書房の童話などを抱えつつ右へ左へうろちょろすること数分、卒然、他の人に拾われなかったのが不思議なほどの掘り出し物を発見したのだった。

 

西村賢太編『田中英光私研究 第2輯』平6年4月3日私家版 400円

 ―――――『田中英光私研究 第5輯』平6年11月3日私家版帯 700円

 西村賢太が没してから、いやおそらくはその少し前くらいから、この私家版の薄冊子は古書価がぐんぐん吊り上がっていた。私が蒐集を始めたころは、まだ日本の古本屋にも数千円でいくつか出品が見られたものだったが、近年は1冊あたり1万円を平気で越えてくる有様。先日も揃いがバラでオークションに出されたときは、巻によって5万円まで競り合いが続いたりしていた。全8巻揃いならば20万は覚悟しなくてはならないだろう。

 1冊だけ奇跡的に持っていた私も、そういう時流にあっては端本を拾うことなど今後ゆめゆめ叶うまいと思っていた矢先だったから、黒っぽい本の間に第2輯を見つけた時はほんとうに驚いた。人ごみの間から引き抜くや、次にするべきは他の巻の捜索である。第2輯の周辺には見当たらず、反対側の棚に回ると果たして第5輯を発見することが出来た。周りも黒っぽい本ばかりに目が行って、白っぽい冊子には目もくれなかったのではなかろうか。安すぎる放出に感謝したいところである。

 内容が貴重なことは私が殊更に言うまでもないが、第5輯の吉田時善のインタビューはとりわけ面白かった。英光が『姫むかしよもぎ』を出した赤坂書店の内部事情が語られているのだが、それを活かす編者の西村賢太の知識と手腕が如何なく発揮されている印象である。

 

宇野浩二『心つくし』(地平社)昭22年6月20日 400円

 「手帖文庫」の1冊。コレクターからすれば珍しくないのかもしれないが、始めて見る文庫である。宇野に出すには少し高かったか。

 表紙に落書きっぽい赤が入っているが、これは元々の意匠である。ナンバリングは〈Ⅱ-12〉となっており、そこそこの冊数はでたようだが、全容はよくわからない。ネットで調べた感じだと、同時代の大衆作家を集めたシリーズのような印象は受ける。

 

③『会員名簿』(一高同窓会)昭3年11月1日 800円

 一旦アキツを離れ、ナツメ書店の棚で拾った。一高の名簿など持っていても仕方ないとは思いつつ一応中を確認してみると、巻末索引から五十音順に人物をひけるのが便利そうで買ってしまった。難読漢字からひけるページまで準備されているのが徹底している。

 パッと思いつく芥川をひいてみると、当該箇所の住所欄には「死亡」とあり虚しい。同様に「死亡」の漱石は、「舊職員」と「卒業生」との両方に名前が見られた。

 元々は同窓生に配布されたものなのだろうか、あるいは関係者に小数部配られたのか。いずれにしても文庫大でこの造本では背が割れやすすぎるので、頻繁に参照するとすぐダメになりそうである。尤も、買ったところで使い道などありはしないのだが。

 

④池田小菊『父母としての教室生活(厚生閣書店)昭4年10月15日 2500円

 池田小菊は、志賀直哉筋の作家として一時期買っていたこともあるが、この本は知らなかった。奈良女高師(現在の奈良女子大学)での指導経験をもとに、教育論を語ったもので、序文に〈この書物の内容に、世間の教育者の心に通ふ何物もないとしたなら、私の十ヶ年間の苦労は、無駄骨折りであつたのです。寧ろ、十ヶ年を眠つてゐた方がよかつたのです〉と書いているくらいなので、思い入れのある仕事であったに違いない。

 今日は同じ棚に『帰る日』もあって、これもあまり見かけない割に安かったが2冊はいらないのでスルー。しかし誰か買う人があればよいが、池田小菊など誰も気に留めないだろうなぁとも思う。

 

 他にもいろいろ地味な資料やら何やらを買って15冊11000円。大した本は買っていないが、今日は英光私研究だけでいいくらいだ。それに関連付けるわけではないが、帰りに東京堂で『文学界』西村賢太特集を買い、そのまま調べもののため市川へ。古本を背負っての遠出は骨が折れたことであった。

 

 ところで遅ればせながら、私も国会図書館デジタルコレクションの個人登録が完了した。著作権満了した資料以外にも、自宅からアクセスすることが容易になったのは非常に便利である。雑誌類は抜けが多かったりするけれども、しかしいちいち買ったり現地で閲覧申請をすることを考えれば格段に調べものはしやすくなった。今後は在野研究もどんどん進んでいくことであろう。

 だからというわけではないが、個人的な備忘録も兼ねている以上、今後はデジコレに収録のある本についてはリンクを付しておこうと思う。別に閲覧を期待した記事ではないにしろ、書誌としては少しよくなるかもしれないと勝手に考えている次第である。

粘り一戦

 少し早めに神保町入りしたシュミテンであったが、9時前の段階ですでに15人は並んでいた。先輩方もいらしたのを幸いに、閑談しつつ開場を待つ。夏日の予報であったがこのくらいならまだ陽気としてはちょうどよいくらいか。

 

 10時ジャストにオープンするやフソウ棚を目がけて走る。運悪く手が伸びずカゴが掴めなかったので手ぶらで駆け寄ると、本の量はいつもより少なめであった。通用口付近の棚はそもそも用意されていなかったし、タスキの本も多めに面陳されていた。だからというわけでもあるまいが、しばらくは一冊も手に取ることなくうろうろする時間を過ごしてしまった。例のことであれば大抵タスキの数冊を掻っ攫って、しかるのちに棚差しの本をある種悠々と選んでいくものなのだが。

 それでも繰り返し棚を眺め、又ありがたくも先輩方からお譲り戴いたりして、後から入手したカゴに一杯の収穫を得ることが出来た。

 

若山牧水『比叡と熊野』春陽堂)大8年9月20日再版カバー 300円

 小型本がバラバラと折り重なっているエリアに、ふと気になるこの本を見つけた。自然と人生叢書はそこまで珍しくはない印象であるし、別段牧水に興味があるでもない。しかしカバーというのは初めて見た。このカバーの存在は、お世話になっている先輩がツイッターで指摘なさっていて、いつか目にしたいものだと思っていたところであった。

 といって完全に残存しているわけではなく、表1に貼り付けられたのが辛うじて残っているにすぎないのだが、部分的にでも稀少な外装を得られたのは嬉しい。しかしそこまで極端に毀損しやすい材質でもないのに、なぜこれほど残っていないのかは不可思議である。

 今日は同叢書の田山花袋『赤い桃』(もちろん裸本)も購入した。

 

②西原柳雨『川柳年中行事』春陽堂)昭3年8月5日函, 小村雪岱装 1000円

 雪岱装の1冊である。裸本は以前300円で入手していたが、函付きでこれは安かろう。しかも函本冊ともになかなか保存状態が好ましい*1

 今日の棚には同じ柳雨の『川柳風俗志』函付き2千円も転がっていた。函付きで持ってはいるので手放してしまったが、この函は家蔵のものとはデザインが少し異なっていた。具体的には「上巻」の表記がないだけで全体の印象はほぼ同じである。してみるに、『年中行事』のほうにも異装函があるのかもしれない。

 

芥川龍之介『将軍』(新潮社)大11年3月15日 400円

 代表的名作選集の初版である。初版が難関であるのはことさらに言うまでもないが、芥川のこれは重版もあまり見ない気がする。本書は背欠で裏の羽二重も剥がれかかっているけれども、きちんとした状態のものを探そうという気もないので安価で購えたのは幸いであった。ちなみにこれは前回のシュミテンで1500円が付けられていて、さすがにこの状態では、と見送った個体だと思う。

 

④浅原八郎『愛慾行進曲』(大東書院)昭5年6月10日改訂版10版函 1500円

 今日は本が少ない代わりに追加が10本ほどあるとのことで、棚が空いたところを見計らってフソウさんが順次本を補充していた。それでも今回は私に刺さる本は多くなかったけれども、追加分から拾った1冊がこれ。モダンな装丁が楽しいが装丁者は未記載。

 買ったときはあのモダニズムの浅原、と思っていたがそれは浅原六朗。八郎というのが何者かはちょっとわからない。愛欲にまみれたモダンな暮らしのリアルを綴っていて面白いが、伏字空白削除のオンパレードで、頁によってはほぼ何を言っているのかわからなかったりする。そういうわけで、本書の初版は発禁処分を受けている由。

 

 あまり私らしくはない収穫群かもしれないが、ここに書いた他にもいろいろと面白いものは手に入った。結局23冊購入。やはり古本は楽しい。

 帰りしな、東京堂で『本の雑誌西村賢太特集号を購める。各氏のインタビューも賢太の知られざる一面を伝えていて面白いが、古本者としてはなんといっても冒頭の『藤澤清造全集内容見本』が嬉しい。内容が良いといってもあの薄冊に1万円とかはだせないし、こういう形で全頁カラーで読むことができるのはありがたい限りである。

*1:先輩にお見せしたら「まあまあだね」と、誉め言葉らしくも手厳しい評を頂戴した。