紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

美装幀三昧

 某氏から連絡があり、曰く「ムシャ書房の棚にいい本があるよ」とのことであった。

 ムシャ書房というのは、ふだんから色々ご教示をくださっている先輩が先ごろ開業した古本屋で、先月ついに古書通信誌上で目録がお目見えしたところであった。事務所自体も近々お邪魔できるようになるそうだが、当面(?)の「出張棚」がフソウ書房に設置されているのである。

 

 どうにか予定の都合をつけて神保町へ向かうと、確保された2本の棚のうち、2-3段分に本が詰められていた。某氏のタレコミ通り、ジャンルが私の好みである王道から戦後の本までいろいろで面白い。

 予ねて欲しかった本もあったりして、全部買うとけっこうな額になってしまうと悩んだものの、今更そんなことを悩んでも詮無いだろうという思いがある。

 

泉鏡花『愛府』(新潮社)大13年11月15日函, 小村雪岱装 7000円

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 これは古通で注文していたものの1冊。安いから多少の痛みは覚悟の上だったが、取り立てて目立った瑕疵もないようで嬉しい。雪岱の装丁としては比較的地味な印象があるけれども、やっぱり表紙のうさぎさんが可愛い。鏡花―雪岱の本としては、いずれ『日本橋』も手に入れたいものだ。

 

太宰治パンドラの匣』(双英書房)昭和22年6月25日 800円

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 元版は河北新報社版で恩地装のもう少し分厚くしっかりした本だが、これは仙花紙の後版。本としての出来はお粗末な部類に入ると思う。体裁だけではなく、中身にも誤植が多い。目立つところでは奥付で、印刷と発行との間に1年の隔たりができてしまっているが、「23年」のほうがミスで、実際はあとがきから推定するに「22年」である。

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 本文の方も誤字脱字衍字のオンパレードであることは、これを手にするまで知らなかった。というのも本書には、旧蔵者が誤植を指摘した夥しい数の書き込みが残されているのである。

 状態が悪いから安かったわけだが、初版本で読むという趣味のない私にとってみれば、こういう書き込みこそ却って面白いというものである。

 

③岩切信一郎『橋口五葉の装釘本』沖積舎)昭55年12月21日初函限500, 田中淑恵装 7500円

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 値段が値段であるから、最後まで購入を考えていた本。ただ、やはり古書の世界の末席を汚しているからには読んでおくべきだろうと思いきって買うことにした。奥付を見ると「初版五〇〇部刊行しほか七十五部に限り五葉の版画を復刻して挿入上梓した」とあり、これは普通版なわけだが、本の造り自体は同じなのだろうか。

 五葉と言うとやはり巷では漱石との関連で語られることが多いようだが、個人的に一番好きな仕事は、鏡花の『乗合船』である。背部分を橋杭に見立てたデザインは、慶應義塾大学が鏡花関連の展示を催した際に知ったのだったか、ともかくも優れたセンスだと思う。裸でよいからいつかほしいけれども、デザインが確認できる程度の状態でとなると、なかなかの古書価が見込まれてしまう。

 本書を購入するに踏み切った理由はいまひとつあって、それはこの本が、ムシャ書房さんの初めて市場で落とした品だというのを聞いてのことである。だから何だと言って、書誌学的な意味はほぼ皆無であろうが、記念碑的な1冊として密かに楽しい。

 

室生犀星『蒼白き巣窟』(新潮社)大9年11月27日初, 恩地孝四郎装 7000円

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 さすがに函はないけれども、これも欲しかった本だ。伏字というか削除がある割に確か重版もされたはずで、となると安ければ重版のほうがいいという気持ちもありながら、初版であればなお好いのは当然のことである*1。私が初めて名前を覚えた装丁家は、外ならぬ恩地孝四郎だったので、一等思い入れが強く、見かけるとついつい手に取ってしまう。

 城市郎が保存していた原稿をもとにして後年復元版が出されたと聞いたことがあるけれども、改めて元版を見てみるといきなり2頁目からごっそり5500字も抹消されていて、よくこれで出版しようと思ったものだと感嘆が漏れ出る。

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 御覧の通りの買い過ぎである。これ以外にも細々した(しかし存外面白い)本も棚から抜かせていただいたから、出費がものすごい。とはいえ、ブレーキを踏みこむほど肝は据わっていない。

 しかし再来週は特選、青展、ブックフェスと続くので、先月に引き続く形で、溜息交じりに財布の口を緩め通しの日々を受け入れることとしたい。

*1:爾来私は、初版であることへの拘りを抱けずにきた。もちろん装丁が違うとか、発禁その他によって内容、テクストが異なってくれば話は変わるが、単に奥付に「初版」とあるか「再版」とあるかによって古書価に大きな隔たりを生むのはどうにも解せない。ときたま「初版でこれは安い」と、重版であればちょい高いくらいの本を買ったりするが、それとて世間一般の評価にあてられてのこと。下手に初版を求むるよりは、いくらか綺麗な重版を手に入れたほうがずっとましだと、未だに思い続けているのだから実に健康的なコレクターである。