紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

このごろの均一

 忙しさに拍車がかかり、といって何を目指しているわけでもなく、ただ盲目的に動き回っている日々である。

 そんな毎日にあって、疲れをいやそうと思ったときに、よりどころとするのは古本であり古書店であり古書展なのだ。本の並びを眺めているだけで一時は疲労を忘れられるのだから、我ながら狂っている。

 しかしながら金欠には違いないので、専ら漁るのは均一台。そのなかでも、ここ最近で面白いと思った収穫を載せておく。

 

黒井千次『時間』(河出書房)昭44年8月15日カバー献呈署名, 中西夏之装? 100円

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 三鷹は輪転舎から、黒井千次がどうとか思うわけではないけれども、装丁が好みだったので拾い上げる。捲ると署名が入っていたのも、むろん要因のひとつである。

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 装丁者の記載がなく、試しに検索してみると「中西夏之装」としているページを見つけた。が、氏の作風にはもっと抽象的なものが多く、ここまで具象化された作品はパッと見では見当たらない。したがって確定ではないものの、今後気にしておきたい画家である。

 

岡本一平その他『漫画に描いた文豪名作選集』(三弘社)昭13年12月25日 300円

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 正確には均一台ではないが、これは高円寺の即売会で拾ったもの。背に「岡本一平その他」とあるのでもしやと思ったら、やはり例の「坊っちゃん絵物語」が収録されているのだった。

 で、購入した時には気づかなかったが、家に帰って目次を改めて見ると、これはどうやら中央美術社の『現代漫画大観第二編 文芸名作漫画』と全く同じ収録内容らしい*1

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 こういう場合に考えられるパターンは2つで、ひとつは田舎の出版社がパクって出版したもの、いまひとつは出版社が名前を変えて出し直したものだ。ちょっと調べが及んでいないので詳細はいまだ不明だが、元版よりこちらのほうが珍しいような気がするから、まあ嬉しい収穫であった。

 

③藤原安治郎『少年世界数学史』(扶桑書房)昭23年3月1日, 武井武雄装 100円

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 で、今日、ヨミタヤの店頭で勉強用の本を拾ったついでに、武井武雄の装丁がかわいいので買っておいたのがこれ。

 藤原の名前は残念ながら知らないが、目次はなかなかハードだ。「大昔の数」とか「アラビヤ数字の話」とかはわかるけれども、「五進法でする指の掛算」「少年数学者オイレル」とかは本格的な匂いがする。

 元版は戦前にでていたそうで、当時の小学生はこれを読んで数学のリテラシーを高めていたのだろうか。

 

 筆がのったついでに、本ではないがこれも載せておく。

坊っちゃん全編ポストカード 縦組み/横組み, 祖父江慎デザイン 各200円

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 ずいぶん前にツイッターで入手報告を見、どこで手に入るのか調べたが見当のつかなかった一品。最近になって、祖父江慎氏本人のツイートからNADiffのオンラインで販売されていると知った。

 横組みの方は文章をただ続けているだけみたいだが、縦組みはちゃんと組み方まで考慮されているようで、かなり凝った造りだ。底本は雑誌の初出版だろうか。それとも『鶉籠』版か。祖父江氏のことだからこのあたりも拘っているはずだ。

 即購入したいところだったけれども、たがたがポストカードなのに箱モノと同様の送料がかかってしまうので、所用で恵比寿方面へ行ったついでに本店*2へ伺い、ようやっと手に入れることができた。

 さすがに「坊っちゃん案件」だしと、予備用(?)含めて2枚ずつ買っておく。しかしここまで字が細かいとは思わなかった。裸眼ではとても読むことはかなわない。しかしそれでも字の形を保っているというのだから、その繊細な印刷技術が光っている。

*1:らしい、というのは、元本が手元になく参照できないため。目下、蔵書のほとんどは別宅に保安してあるのが不便である。

*2:オフィス街の路地裏、昔ながらのアパートの隣にそびえたつガラス張りのビルであった。グーグルマップなしでは絶対にたどり着けなかったと思う。

雨の駆け出し

 異変に気付いたのは最寄りの駅に着いた直後であった。

 ふだん利用している京王線の某駅、改札からやけに長い列が伸びている。路線が1本しか通っていない小さな駅であるから、これは明らかに異常な光景だ。嫌な予感を胸に改札前へ向かってみると、果たして「変電所火災につき運転見合わせ」とのことであった。

 火災ならば多少待っても無駄だ。私はここで踵を返し、駐めたばかりの自転車を引き取って一路、30分の距離にある中央線の駅へ向かうこととしたのだった。

 今日はやや早めに家を出たこともあり、どうにか9時前に神保町に着くことができたが、雨の日にこういうてんてこ舞いは御免こうむりたいものだ。

 

 で、今回はふだんからお世話になっているムシャ書房のデビウとなるシュミテンである。目録からの注文はしなかった(というかここ最近忙しくて頭が回らなかった)のだが、近代文学を中心に扱ってくれるというのはやはり楽しみだ。棚の位置どりはフソウ書房と真逆。どちらに走るかが悩ましいところではあったけれども、フソウの魅力を手放すわけにはいかず、やや申し訳なさを感じつつも、普段通り左へ駆け出すことに。

 

①沖野岩三郎『やんばうさん』(主婦之友社)昭9年1月1日, 宮地志行絵 1500円

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 初っ端、タスキ付の本をザっと見て手に取ったのはこれ*1。沖野の童話系の本、というか附録の絵本だが、案外見かける一品ではある。値段もそこまで安くはないし、ページが分解してしまっているけれども、まあ買っておくかと。

 極端に横長で妙な判型だが、横は主婦之友の本誌の縦の長さということなのだろうか。また、この形で出された他の絵本があるのだとしたら、そちらもちょっと気になるところである。

 

夏目漱石『縮刷 吾輩は猫である(大倉書店)大正8年1月30日52版函, 橋口五葉装 1500円

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 縮刷の猫は、これも片っ端から買うようにしている本だ。猫じたいへの思い入れというより、造本の魅力が大きな要因なのだけれども、それに加えて、古書蒐集を始めだした頃になかなか手に入らなかったというコンプレックスみたような感情も働いているようだ。数えてみたら、どうやらこれが6冊目(函付きは4冊目)らしい。

 今回手に入ったのは架蔵本の中では比較的版数が若く、若干厚みのあるバージョンである。函も印象がよいし、耳部分もほぼ完全に残っている良物件であった。耳は欠損しやすいことで知られているが、なまじ函が付いていると出し入れで余計に傷みやすくなる本だと思っていて、そう考えると函付きでこのコンディションは稀有なものだと言っていいかもしれない。

 

横光利一『御身』(金星堂)大13年5月20日 2500円

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 件のムシャ書房から拾い上げた本。正直横光は追いかけていないし、この本についても相場感をまったく把握していないのだが、処女単行本くらい持っておこうと思った次第である。

 背の文字は割合はっきりしているが、これは塗りなおしたものかもしれない。でもまあ出店祝いということで、これと他に2冊ばかりカゴへ放り込む。

 

高田三九三『子供のうた』(シャボン玉社)昭11年8月26日署名 400円

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 何となく手に取った本だが、扉から巻末広告から実に丁寧な造りでかわいらしかったので購入。よくみると著者近影に署名がなされていた。

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 この高田三九三(さくぞう)という人物、寡聞にして知らなかったのだけれど、wikiで調べたら「メリーさんのひつじ」「十人のインディアン」など、人口に膾炙した訳詩がいくつもあることがわかった。その筋で有名な人であってもこのありさま、まだまだ勉強が足りない。

 

⑤伊藤富士雄『都会』第一書房)昭11年2月15日犬田卯宛献呈署名 300円

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 ちょっと装丁がいい感じながら、古書展ではよく転がっているからと気にしていなかったが、いちおう捲ってみると署名本だったので買っておく。

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 犬田卯というのも小説家のようで、農民運動とか翻訳とかいろいろやっているようだ。この本を拾わなければまず知ることはなかっただろうから、まあ勉強になってよかった。

 

三木露風『寂しき曙』博報堂)明43年11月11日初版, 川路誠装 1000円

 ――――『寂しき曙』博報堂)明44年9月10日再版, 川路誠装 1000円

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 今日は露風とか白秋とか八十とか、詩集がゴロゴロしていた。それぞれ気になるところを拾っていったのだけど、露風のこれは初版と再版とで色が違うのを知らなかったので参考に。初版が茶色で再版が白である。

 詩集はよほど名の知れたものでない限り、相場をまったく把握していない。ので、今回買ったあれこれ(ほぼ半数が詩集だった)も「今買わなくても」というラインが散見されるかもしれないが、目についたうちに、あるいは気が付いたうちに買っておくのが吉だと思う。

 

吉井勇『墨水十二夜(聚芳閣)大15年9月10日函, 小村雪岱装 400円

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 シンプルながら雪岱装だしとカゴに入れておいたところ、雪岱研究家の先輩から「これ、函は珍しいよ」とご教示頂いた。写真の通り惨憺たる有様の函だが、現存するものはほとんど傷んでいるようで、これとて普通の程度らしい。

 フソウ書房の棚には、北光書房から出た戦後の後版も刺さっていたが、同じ雪岱装でも薄っぺらくなっているので魅力は半減していると見えた。

 

 そのほか、ボロボロの『田舎教師』元版、『2と3』とか、『こころ』縮刷函付きとか、あれこれ手を出したがお会計は1万7千円ほど。最近金額的にはあまり買っていないのは、大物に手を出していないだけの話だろうか。ちょっと自分の傾向ながら掴み切れていない。

*1:気が乗ったのと位置取りが良かったのとで、初めて走って遠回りをして棚に向かってみたが、今一つ成果に欠けるような印象であった。慣れないことはするものではない。

笙印の旧蔵書

 実に忙しい1週間を過ごした。

 元より規則正しい生活など望むべくもない、下等なる遊民生活を送っているとはいえ、ここ数日はうまく眠る時間を確保できぬ日が続き、満身創痍の体であった。

 それでもマドテンに行かない選択肢をとれば、後から省みて激しく後悔することは明白で、又この疲れを幾許か癒すことにもなるのではないかと、誰にともない言い訳を口にしつつ、一路古書会館へ。

 

 遅めに訪うたのだが、今日はいつもより随分列が長い。まあシュミテンではないから、最悪少しばかり抜かれた後でも構うまい。荷物を預け、最下層最後尾からのスタート。

 

①バーネット夫人/清水暉吉訳『秘密の園』朝日新聞社)昭16年1月10日函, 山下謙一装絵 700円

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 初めに人だかりの中から辛うじて手に取ったのはこれ。装幀に惹かれてのことである。現在は『秘密の花園』と訳されるのが主流であろうが、これはたぶん比較的早い時期の翻訳なのではないかと思う。役者の序文には以下のようにある。

「小公子」が我が国に紹介されたのは、明治二十年代で、次いで「小公女」も紹介されましたが、以来この二つは広く読まれていますが、「秘密の園」だけはこれまでにこの物語の一部分の外はあまり広く読まれていないようです。何故もっと、こんな良い書物が広く紹介されなかったのかと不思議に思っています。(pp.9-10)

従って、下手をするとこれが全訳としては初なのかもしれない。Wikipediaを見ると、The Secret Gardenの初版は1911年であるから、30年もの間まともに紹介されてこなかったことになる。

 しかし函のたたずまい、戦前の探偵小説のような色合いと怪しさがとてもよい。

 

菊池寛『現代語西鶴全集3 武道伝来記 武家義理物語(春秋社)昭7年1月25日函, 小村雪岱装 300円

 谷孫六『現代語西鶴全集8 日本永代蔵 西鶴織留』(春秋社)昭6年7月15日函, 小村雪岱装 300円

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 井原西鶴を読みたいというわけではないが、戦前のお歴々によって現代語訳されているのが面白く、安かったら買うようにしているシリーズである。本冊に記載はないが、内容見本を確認するまでもなく雪岱装。

 この全集で一番欲しく、又最初に入手したのは尾崎一雄志賀直哉の共訳という体になっている第4巻『世間胸算用 俗つれづれ 萬の文反故』だった。これは尾崎の初めて出した単行本で、生活に困った尾崎を見かねた志賀が与えた仕事だと知られている。

 谷孫六の方の巻末を見ると、その4巻の広告が出ているが、志賀直哉の名前しか上がっていない。尾崎の名前が未だ上がっていなかったために略されたのか、この時点では志賀の単訳の予定であったのかはちょっとわからない。

 

③文芸家協会編『日本小説集 第3集』(新潮社)昭2年5月12日カバー 800円

 ――――――『日本小説集 第4集』(新潮社)昭3年5月20日カバー, 恩地孝装 800円

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 これはカバー付きで集めたいと思っているもので、すでに2集と5集は持っていた。2については他のものとデザインが違うので、カバー無完本という認識でよいのだろうか。

 今回入手した4集には「装丁 恩地孝」とあったが、これはたぶん恩地孝四郎のことか。しかし他の巻には記載がなく、造りが丁寧なのかお座なりなのかよくわからないところである。

 

④バルトロッツィ/園武久訳『ピノチオの冒険』霞ヶ関書房)昭18年5月10日3版 400円

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 いつだったか失念したが、七夕市にピノキオ関連本の大揃いが出品された年があって、その時はさしたる興味もなかったので「よく集めたものだ」と感心するに留まっていた。あの時にもっとしっかり見ておけば後学になっただろうとは思う。

 この本についても、どれだけ珍しいのか一切わからないものの、表紙の絵に加えてカラー挿絵まで入っているから豪華な造りだと思う。このデフォルメの感じとか色の出し方は、デジタルでは表し得ないかわいらしさではないか。

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⑤大木雄二『童話を書いて四十年』(自然社)昭39年11月10日非売品 400円

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 大正期から編集、および童話作家として活躍した大木雄二の饅頭本的な遺稿集である。上笙一郎宛と書かれた挨拶分が挟み込まれていて、遊び部分には「笙」の蔵書印が押してあるので、特に意味があるわけではないが買ってみた。

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 読んでみると内容としてもけっこう貴重な証言が詰まっていて、原稿を依頼しに芥川とか鏡花とか有名作家の元を訪れた際の回想とか、裏話みたいなものが満載である。個人的に収穫だったのは、童話作家としての沖野岩三郎に関する記述であった。大逆事件関連とか牧師作家として語られることはあっても、彼の大きな仕事であるところの童話作家の側面はあまりよくわからなかったので、その交遊の一端がのぞけるのは嬉しい。

 

 仕事と仕事の合間、本来なら眠るべき時間を削っての参戦となったので、昼ごろには眩暈がしていた。翌日も遠方へ出かけることとなるのだが、それについても追々書いておきたいところだ。

勘違いフライング

 どういった思い違いなのか、自分でもよく分からないのだが、今日は朝の通勤ラッシュを心配せずに古書会館へ赴けるものという意識が働いていた。むろん、これは気のせいに過ぎず、中途半端な時刻に家を出てしまったが故に、堅実なるサラリーマンの方々と鮨詰めの車両を共にしなくてはならなかった。

 で、ちょっと早いのでマックで時間つぶしに興じようとしたところ、先輩が先にいらしたのでしばしお茶を飲みつつ閑談。9時20分くらいになって、2人で開館へ向かう。

 今日も盛況のようで、我々が到着した段階で既に25人が並んでいた。9時ちょうどでも10人ばかりいたそうだから、どうもシュミテンの競争は年々激化しているようだ。

 

 比較的いい位置からのスタート。ちょっと寝不足がひどかったものの、まずまず良いものを拾えた。しかし思い返してみると、面陳にタスキの中からはコレというものを引き抜けなかったから、今回はmy dayではなかったと言えるのかもしれない。

 先に書いておくと、今日は沖野岩三郎の本がちょこちょこ出ていて、あんまり見ないものだから一通り抱えた次第である。

 

①沖野岩三郎『森の祈り』金の星社)大13年10月18日, 蕗谷虹児装 800円

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 たぶん函欠だろうが、本冊の蕗谷虹児による装丁だけでも十分に楽しめる。蕗谷の仕事、殊装丁に関するものというのはどれだけまとめられているのだろうか。沖野というドマイナーな作家の本でもこれだけ綺麗なのだから、全容をまとめたらきっと面白いに違いないのだが。

 巻末広告を見ると、「『森の祈り』の前篇とも言ふべき!!」として『父恋し』が紹介されていた。未見ながらこちらも蕗谷虹児装ということで、いずれぜひとも入手したいところである。

 

②沖野岩三郎『赦し得ぬ悩み』(福永書店)昭3年2月6日函, 杉浦非水装 1500円

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 実は裸本を既に所有している。その時は確か100円で買ったのではなかったかと思うが、函は初めて見た*1。全体の色彩もいいし、非水のワンポイントも効いている。これは函付きでこそ真価を発揮すると言ってよいだろう。

 

堀辰雄風立ちぬ(新潮社)昭14年5月6日7版, 鈴木信太郎装 800円

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 元版ではないが、欲しかった版である。先日購入した鑓田研一『島崎藤村』と同じく「新選純文学叢書」の1冊で、太宰の『虚構の彷徨』に次いで重要度の高いタイトルだった。

 惜しくも重版で、もちろん帯欠ではあるものの、私はこの表紙の丸っこいフォントが好みなので、ともかく嬉しい。日本の古本屋で調べたところ、少なくとも9の表紙は平凡な明朝体になっているようだった。これだと魅力が激減することは言うまでもない。

 

尾崎士郎『新編 坊ちゃん 上巻』(20世紀社)昭31年6月10日, 鈴木信太郎装 500円

 

 坊っちゃん案件の中でも、本作は何度か購入しているが、これは初めて見る版。おそらく元版と思われるのが昭和14年に新潮社から出されたもの(ただしこちらは『新坊ちゃん』)で、そのあとの昭和28年に山田書店から刊行されたバージョンと合わせて所持していた。

 今回の20世紀社版は、山田書店版と同様に上下巻に分かれ、且つ装丁も鈴木信太郎と共通している。あるいは2社に何かしらの因縁でもあるのかもしれないが、そのあたりの情報を掴む資料が不足している。

 なお、今改めて検索をかけてみたら、山田書店版にも非分冊のものがあるようだ。踏み込むほどに探求書が増えて仕方がない。

 

夏目漱石吾輩は猫である 上編』(大倉書店)明41年2月15日13版, 橋口五葉装 中村不折

 ――――『吾輩は猫である 下編』(大倉書店)明41年8月10日5版, 橋口五葉装 中村不折画 揃1000円

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 猫である。表紙が外れているのは痛恨だ(家に帰って紐を解いたら、下編は扉絵も欠であった)が、この値段で2冊セットならとりあえず良しとしたいところだ。もう結構前になるが、同じくシュミテンのフソウ棚から、既に裸の中編を入手しているから、まあ一応は揃いの体裁を整えることができた。

 カバー付とまではいわないまでも、きちんと表紙付きのは欲しいが、個人的には『鶉籠』より拘りが強くないので、当分はこのままグレードアップは図らないと思われる。第一、状態の良いものは買える値段だとそうそう出てくるまい。

 

⑥『中央公論 第52巻13号』(中央公論社)昭12年12月1日 500円

 実は本日一等嬉しかったのはこれ。式場隆三郎二笑亭綺譚」の初出紙のうち、これは後半部にあたる。場に中央公論がゴロゴロしているのは会場直後から顕然としていたが、肝要の号数を失念していて、混雑に一段落ついてから改めて確認、発見した。もう少し早く気づいていれば、前半の号もあったかもしれない。

 まあ内容じたいは単行本を8冊も持っているから今更なのだが、こうした記事がどういう媒体でどのように受容されたか、というのは興味深い点である。特集からして「近衛内閣の改造」として時局を感じさせるし、クリスマスに児童書を薦める宣伝もあったりして、読むというより眺めて楽しい資料だ。

 式場関連の広告でいうと、国府台病院のものと『絶対安眠法』のものとが見られた。信頼のおかれた高名なる医師が書いた文章と捉えられていたとするならば、当時「二笑亭綺譚」の反響はそこそこ大きかったのであろう。

 

 

*1:すでに書いたかもしれないが、沖野の著作は非水やら蕗谷やらと装丁に恵まれているのに、ネットで検索しても書影が見つからないものが少なくない。実に勿体ないことである。

圧倒的百均棚

 フソウ事務所の百均棚の存在を知ったのは、某版道さんのツイートからであった。画像を見やると、とても均一棚のものとは思えぬ良書が整然と並んでいる。

 このツイートを受けて悲鳴を上げたのは、第一には遠方のコレクターであり、第二には古本屋だ。某店の店主など「あんなのあげられちゃたまんないよ」と嘆いていたくらいである。それだけ破壊力を伴うラインナップだったという証左だろう。ただし、あくまで事務所設置の棚であり、誰でも入れるわけではないので、それが唯一の救いとでもいうべきか*1

 それが4月の頭のことで、ところが貧乏暇なしの私は、残念ながら今日まで事務所に赴く機会を得ることができなかった。まあ私の欲しがる本など、事務所に出入りしている歴戦の勇士たちにとっては歯牙にもかけぬ代物だろうし、そこそこの期待を胸にお邪魔したのであった。

 

①沖野岩三郎『渾沌』大阪屋号書店)大13年3月25日5版函 100円

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 画像を見て真っ先に惹かれたのはこの本。蒐集対象としている沖野の中でも、持っていない作品の函付完本である。絶対に何人も買うまいと思ってはいたが、無事棚に残っているのを見、改めて胸をなでおろした。

 手に取ってみると、本冊の状態が良いのに思わず小躍りしてしまった。デザインもモダンな感じで大変好みである。沖野で大阪屋号書店から出ている別の著作から類推すると、蕗谷虹児による装丁ではないかと思うのだが、どうだろうか。

 

②千葉省三『トテ馬車』古今書院)昭7年1月4日4版, 川上四郎装 100円

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 カバー欠なれど、これが100円というのは嬉しい。

 向川幹雄による近文復刻の解説には、以下のような記述があった。

『トテ馬車』は、昭和四年六月、土田耕平の推薦で古今書院から刊行された。社主と耕平は同県出身者、耕平は「童話」の寄稿者という関係である。初版は五〇〇、装幀、さし絵には、「童話」時代からのつながりのあった川上四郎を省三が望んだ。装幀について、自分の童話の持味を生かすためにも、けばけばしさのないじみな感じを省三自身が希望したという。(『名著復刻日本児童文学館 解説』p.149)

初版部数は案外少ないが、着実に版を重ねているところから察するに、同時代評価はそれなりに高かったのであろう。また「じみな感じ」とあるが、本冊は特別地味という感じがしないので、カバーについての印象ととらえたほうがよいように思う。

 

荻原井泉水『野に出でて』(層雲社)大12年5月30日 100円

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 いわゆる自由律俳句というのは学生の頃から面白いと思っていて、山頭火とか放哉といった有名なところは読んでいたのだが、橋本夢道とかちょっと奥まった作家となると、なかなか手に取る機会が持てなかった。

 井泉水は雑誌『層雲』を運営して、その後の自由律俳句の繁栄を礎となったような俳人である。しかし代表作(句)となるとちょっと思い浮かばないので、どっかでまとめて読まなくてはいけない。

 ホチキス止めで簡易製本された本書は詩集で、ちょっと読むと描写とか視点に面白い発想が見て取れるように思う。こういうテイストは、やはり著者の俳句にも通底しているのだろうか。

 

 今日は合計6冊で600円。安いから「ここからここまで」と節操なく買うこともできるのだが、大人なので欲張らないことにした。値段もさることながら、面白い本が買えたので満足だ。

 ところで、ふだんからお世話になっているムシャ書房が、次回からシュミテンに進出することが決定し、さらには近日中に目録が発行されるという。蒐集がどんどん楽しくなってくるではないか。

*1:明確に会員制というわけではないが、仲間内の人間でなくては入れないというのが「粋」である。目録も同様、今となってはコネクションに頼る以外に「会員」となる術がないのだから、私など頗る運に恵まれていると思う。

古本蒐集の始まり

 GWはあまり本を買えそうにないので、筆の向くままに思い出を書いてみたい。若い蒐集家の記録として、集めだしは語るべき大切なポイントであろうが、なにしろ記憶が曖昧なので、一切の価値が期待できないことをここに断言しておく。

 

* * * *

 

 初版本蒐集家の界隈に顔を出すようになって2年が経った。歴戦の勇士たちに紛れては、私のキャリアなど遍歴と数えるのも烏滸がましいくらいの須臾であろう。

 実のところ、古本市へは学生時代に赴いたことがあったし、近所の古本屋となれば更に以前から足を運んでいたようだ。「ようだ」などと他人事のように書いているのは、単に私が初めて古本屋に入った記憶を持ち合わせていないためである*1。すでに幼少のみぎりから某OFFをはじめとする「新古書店」が台頭していて、小学校の時分からよく両親と本を選びに通ったものであった。予備校に近かった「ヨミタヤ」に通い出すのは高校に入ってからの話だが、入店に一切の躊躇がなかったことから察するに、既に古本屋というものへの抵抗はなかったはずである。

 その後、大学で国文学を勉強する専攻に飛び込んだのをよしとして、参考文献を漁るという口実の下、定期圏内及び自転車の行動範囲内での店を踏破していくことになる。S林堂に初めて入った*2のもこのころであった。

 

 初めての古本市は、確か新宿の京王古書市ではなかったかと思う。ともかく新宿であったことだけ覚えていて、私が高校生の頃であった。

 当時、というか大学を卒業するまで、私の蒐集対象は今よりもずっと雑本に寄ったラインナップで、均一台の中から心惹かれた本を拾い上げるというスタイルだった。従って、ハナから高額な本など手に取るべくもなく、やはり「面白そう」と思えるものをぽつぽつ買っていた。

 その京王古書市で初めて抱えた、いわば私にとって思い出の1冊は、島津久基『日本国民童話十二講』カバー付500円である。値段はまあ適切なところだが、別段珍しくもないし、現在ではまず購うことのない本だ。しかし当時は今よりも読む方に重きを置いていたし、童話への興味も深かったから買うことにしたのだと思う。他にも大阪万博のパンフレットとか、近文復刻の児童文学シリーズとかを買ったが、これらも含め、今に至るまで一切本を処分していないのが恐ろしくもある。

 

 大学に入ってから、先生の案内で神保町へ赴いたり、友人と10月の古本まつりに行ったりもしたが、依然として近代文学の初版本・初刊本に意識が向くことはなかった。強いて言えば、近文の復刻版のうち、気になる作家の作品について買っていたくらいのものであろうか。

 ここまで一切、初版本と無縁の経歴を辿ってきているわけだが、そんな私が初版本蒐集を志すきっかけとなったのは、界隈では今なお伝説的に語られている、某大学の太宰治展である。

 偶然にツイッターで開催概要を目にしたもので、全初版本、異装版、原稿を始めとする直筆資料などの展示品もすごかったが、来場者から抽選で『人間失格』初版本*3をプレゼントするというのがともかく印象的であった。加えて、某版道さんが「来場したフォロワーのうち、希望者に初版本をプレゼントする」とまで言い出したものだから、さすがに居ても立ってもいられず、すぐに訪問予定である旨のDMを送り、やや遠方であったが行ってみることとした。

 展示の感想は機会を譲るとして、ここで頂戴した『富嶽百景』の初版本が私にとっての初・初版本となったのであった。周知のように、この初版本は新潮社の昭和名作選集の1冊で、装丁は他のタイトルと同じく簡素なものである。従って、例えば『ヴィヨンの妻』とか『信天翁』などと比べたら、本としての面白さは一枚落ちると思うのだが、短編集として好きな作品がたくさん収録されていたし、なにしろあの『富嶽百景』の初版本なのだ。家まで待てず、帰りがけに立ち寄ったレストランで封筒を開け、中から出てきた本を見たときの嬉しさといったら、筆舌に尽くしがたい。

 こののち、幸運なことに縁があって某版道さんと交流が続き、狂気の初版本蒐集が加速してゆくことになるのだが、ちょっと区切りがついたので稿を改めておく。

*1:カラサキアユミさんの著書でもそうだったが、古本屋との出会いというのは印象的に語られることが多い気がする。確かに、埃っぽい店内、不愛想な店主、山と積まれた薄汚い本、それを血眼になって漁るオジサン、などが揃った特異な空間である以上、そこに初めて足を踏み入れたとなれば、その記憶は深く刻まれても何ら不思議ではない。

*2:記録によると2012年12月のこと。最初の訪問時に買ったのは、均一台から創元推理文庫の『ミニ・ミステリ傑作選』と、店内からソノラマ文庫海外シリーズ『海外ミステリ・ガイド』の2冊のようだ。興味があったというよりも、ミステリ系に強い店だというのを意識しての選書だったのだろう。

*3:帯欠ならば高く見積もっても5000円以内で入手可能であるが、当時はものすごい価値のものと認識していた。だから、そこまで珍しくない「初版本」でも、入手したことを喜んでいる文学ファンの気持ちがよくわかる。彼らのうち、1パーセントでも古書の深淵に足を踏み込んでくれたならば、この世界はもっと面白くなるに違いない。

近場をパトロール

 三鷹駅近くに「輪転舎」がオープンしたのは先月末のことであった。さすがに中央線は古本屋が多く、またその固定ファンも多く生息している地域であるから、開店当日は書痴の面々でごった返したという話をブログやツイッター上で見た。

 元はササマで働いていた方が独立したということも聞き及んでいたので、さぞ面白い棚が並び、又「買える」店であろうとはわかっていながら、貧しい下等遊民はうまく暇を捻出すること叶わず、ようやく今日になってうかがう機会を持ちえた次第である。

 

金田一京助編『新明解国語辞典三省堂)昭47年2月10日*1初版15刷革装 100円

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 店頭からまず拾いだしたのは、謂わずと知れた新明解。『新解さんの謎』を皮切りとして、語釈の面白さで話題となった国語辞典である。たしか4版が一番「面白さ」でいくと高名だったと思うのだが、私はというと、初版を除く版は学生時代にコンプリート済みであり、ここでの初版入手をもって一応すべてのバージョンをそろえた形になった*2

 ところで、最近BRUTUS(No.884)の特集の記述で膝を打ったことがあるのだが、曰く、新明解の語釈が話題になるにつれて、他の国語辞典が"凡庸"とひとくくりにされがちな現状があるとのことである。確かに新明解を集め始めた当時、私も「買うなら新明解で、その他はたいして面白くない」との感想を抱いていたが、ことさらに言うまでもなくこれは誤りで、どの辞典辞書をとってもそれぞれに個性がある。全部読み比べたうえで自分に合ったものを選ぶ、というのは容易ではないが、紙面の見やすさとかサイズ感といったわかりやすい点をとっても、各人各用途にあったものがあるはずだ。

 尚、私が現在愛用しているのは『旺文社国語辞典』の第10版だが、これはたまたま縁があったというだけの話で、特別なこだわりがあってのことではない。しかし使いやすいと思って座右に置いている。

 

夏目漱石『平成版 坊っちゃん(青藍舎)平成11年1月1日かぶせ函限500 800円

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 ヤフオクか何かで見かけて気になっていた版。青藍舎というレーベル(?)も発行元である株式会社リンドバーグというのも、検索ではうまくヒットしない(検索結果のトップには同名の別会社が出てくる)。巻末には「青藍舎では、先達から受け継いできた名著、次の世代に伝えてゆきたい名作を、その内容にもっともふさわしい装幀・造本で随時刊行してまいります」とあるが、果たして他の作品も出版されたのであろうか。

 また同封のペラ紙に曰く「視読性に優れる精興社活字を使い、表紙には手染めの武州藍を巻きました」とのことで、まあ良い装丁といえば良い装丁なのかもしれないが、さすがにこの判型では読むのに目が疲れてしまうし、結局は好事家向けの限定本でしかないと思う。

 

③『田中英光私研究 第6輯』西村賢太私家版)平成7年1月30日 1500円

 

 その筋では有名な、西村賢太デビウ前の同人誌である。少し前まで「日本の古本屋」でもそれなりに在庫があったはずなのだが、改めて検索してみると一切が捌けてしまったらしい。ちょっと買い時を逃すと、この始末である。

 ぱらぱらめくってみると、全集未掲載作品を『モダン日本』とか『アメリカ映画』などという雑誌からサルベージしてきている技倆に驚かされる。単に全集で読めるテキストのみを問題とするのもアリといえばアリなのだろうが、そこに載らなかった(残らなかった)文章について考えることも研究においては重要なことだろう。また、オリンピック帰りに英光が船上でとった食事のメニューまで入手してくるというのは、一流の成せる業だと溜息が漏れる。つくづく「大恩ある先の遺族のかたに対し、酔って暴言をエスカレートさせ、爾来出入り禁止となり、英光研究そのものからも離れざるを得ない羽目となった(『芝公園六角堂跡』p.34)」という経緯は残念である。

 

 新店の偵察のつもりが、思いもかけず探していた本が手に入った格好となった。近いうちに再訪しようと決意を固めつつ、足取りは自然、馴染みのルートをたどっていく。

 

④『CanCam 創刊号』小学館)昭57年1月1日 100円

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 雑誌名が"I can Campus"の略というのは、不勉強ながら知らなかった。ファッションなど興味のある分野ではないが、記念すべき創刊号だし、当時の空気感をよく伝えていて面白いので買っておいた。服装とか文のノリ、広告されている品の数々は、軒並み現代には見られない類いのものである。表紙のモデルはチェリッシュの松崎悦子。調べたら本号は20万部も売れたとかいうことで、書籍全般の売れ行き低迷が叫ばれる現在からすると、まさに隔世の感がある。

 実はバブルを体験していない世代の私からすれば、紙面のどれもこれもが物珍しく映るわけだが、ひとつ気になったのはカードゲーム「UNO」の紹介記事だ。東京の若者間で「密かにブーム」になっているということで、そのルールは「トランプのページワンと同じ。つまりウノはページワン専用のカードなのです」と記述されている。しかし、このあたり現代においては真逆で、むしろページワンのルールをこそ「UNOと同じ」と説明するように思う。少なくとも私はそうやって覚えた。Wikipediaを参照すると、UNOが考案されたのは1971年、広く発売されたのが1979年とあるから、1982年のこの記事はかなり早い時期の紹介なのだろう。

 

尾崎一雄『すみっこ』講談社)昭30年4月30日カバー帯, 田中岑装 400円

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 尾崎一雄も、志賀直哉筋でそれなりに気にしている作家ではあって、この本もそんなに市場価格が高いわけではないが、血眼になっていないためか帯付きを見かけることはなかった。貸本印とか綴じ紐の跡らしき穴があるけれども、読むには支障ない。

 帯文は三島由紀夫で「この小説には、私小説の方法論を、私小説作家自身が徹底的に利用したといふ面白みがあり、ふつう、小説でまづ人物の性格が設定されるところを、その代りに、やむにやまれぬ一生一度の告白といふ形で、告白の本源的な衝動を設定してゐる」というのは、私小説というジャンルの意義を考えるうえで重要な証言ではないかと思う。

 

 しかし、前回に引き続いて不満を垂れ流すが、スキャナで表紙の画像を取り込めないのは実にストレスフルである。

*1:ただしこれは第1刷の発行日として記載されたもの。

*2:ネットを見ていると、刷違いまで探求している猛者もいるようだ。版が同じだからといって、刷が違っても内容が必ずしも同じではない、とはわかっているけれども、さすがにそこまでは買っていられない。