桜桃忌直前
桜桃忌といえば太宰治の命日(正確には死体の上がった日)だが、数ある文学忌のなかでも多くのファンが史跡に詰め掛けることで有名である。
私は今までに2度、桜桃忌に禅林寺へ足を運んだが、そのどちらも人でごった返していた。中には墓石の目前で群衆に対して自分語りを始める老婆がいたりして閉口するばかりであったが、近代文学マニアとしてはこうした動きが若い人の間にも伝わっているのは喜ばしい限りである。
流行感冒下にあっては各文学館や関連施設の展示も控えめになろうものだが、どうあれ当日には人が増えることは目に見えているので、前日たる18日に散策がてら赴いてみた。案の定、混みようはさほどでもない。しかし一度に入場できるのが3人とあってはあまりあずましくない。ちょうど整理券が尽きていたので、食事を済ませてから再度赴く。
予ねて聞き及んでいた川島幸希コレクションはやはりすさまじい。古本の世界に入って4年ばかり経つが、太宰の署名本を手に入れる機会というのはむろん、これまでになかった(よし七夕などで出ていたとて金銭的に購うべくもない)。稀少な太宰の署名本をこれだけ並べて見られる機会というのは、おそらく秀明大学の展示以外にはないのではないか。
①『太宰治文学サロン通信 vol.50』(太宰治文学サロン)令和3年6月 ロハ
ふだんならここに記さないフリーペーパーだが、今回は特別。高田公太による文章も面白いのだが、川島幸希提供による署名本のうち2冊について画像付きで簡単な解説が付されているのは見逃せない。知る限りでは比較的最近入手された2冊だろうと思うので、よい資料である。
②『月の輪書林古書目録16 太宰治伝 津嶋家旧蔵写真函解体』(月の輪書林)平22年6月30日 1650円
帰りに歩いて輪転舎へ。久々だが、やはりよくよく見ると近代関連も面白い本が刺さっている。
本書は桜桃忌前だからと狙ったわけではなく、単に存在を知らなかった目録だから手に取っただけの話。目玉は399万円の値がつけられた写真一括だが、それ以外に集められたふつうの古本も、太宰のさまざまな側面を表す資料群で、目録として非常に読みごたえがありそうだ。むしろなぜ今まで知らなかったのか不思議なくらいである。
* * * *
ついでにヤフオクでの落札品。
③藤澤衛彦『明治流行歌史』(春陽堂)昭4年1月28日函, 小村雪岱装
――――『明治風俗史』(春陽堂)昭4年5月5日函, 小村雪岱装 2冊共2380円
説明欄には記載がなく、だから比較的穏当な価格での落札となったのだろうが、一目見てこれは雪岱装だなと思った*1。全体の雰囲気が良いうえにワンポイントも効いている。また『流行歌史』は、本冊表紙の月と雲との金色がまだ光沢をとどめていて美しい。
装丁だけでも価値があろうものだが、紐解いてみると内容もかなり面白く読めることが分かった。とりわけ『流行歌史』はたとえば「魔風恋風の歌」のような、家庭小説がらみの流行についても書かれているので、今後の蒐集に際しても参考になるだろう。
*1:念のため真田幸治氏の手によるリストを参照すると、2冊とも名前を見つけることができた。
個展、道すがら童話を
梅雨に入ったのか入らないのか、いまいち判然としない日差しの中を歩くのはほんとうに大儀である。古書展はしばらく先までなさそうだが、美術館や博物館はそれなりに営業しているなか、どうも調子が取り戻せなくていけない。以前なら週に1度はどこかの展示を見に行っていたというのに……。
今日はあまり気分も優れなかったけれども、どうしても外出しておきたかったので、まずはヨミタヤから。
①木下恵介『松竹映画シナリオ 野菊の如き君なりき』(映画タイムス社)昭30年11月15日, 宇多田二夫装 110円
いま見返すと不可思議でもあるが、背を見た瞬間に「ああこれは『野菊の墓』のシナリオだな」と直感した。調べると映像化はこれが初のようだ。民子役は有田紀子、政夫役は田中晋二とあるが寡聞にして両名とも知らない。
『野菊の墓』の映像化というとやはり松田聖子版が想起される。政夫役の桑原正の棒読みがよくネタにされるけれども、今見ると松田聖子もたいがいだし、作品の価値を損なうほどひどいとは思われない。
本書の冒頭には花言葉が引かれている。曰く、〈野菊・障害、思うことがかなわぬ乙女の悩み〉〈竜胆・純情、困難とたたかいぬく少年の正義感〉と。これは知らなかった。
②乾信一郎/野田たかし編『たのしいどうわ コロの物語 第1集』(鈴木出版)昭33年9月10日, 太田じろう絵
―――――――――――『同 第2集』(鈴木出版)昭33年11月10日
―――――――――――『同 第3集』(鈴木出版)昭34年1月20日 各110円
魅力的な児童書がささっていて、巻末広告などを参照すると3冊で揃いらしいのでまとめて買ってみた。
乾信一郎というのは聞いたことがあるなと思っていたが、調べると『新青年』の5代目の編集長で、新青年展を見た直後の身としてはむしろすぐに思い至らなかった点を恥じたい。
家に帰って紐解くと、なんと表紙や挿絵の描き手が太田じろうであった。太田は「こりすのぽっこちゃん」が比較的有名で、近年資料性同人が出されている画家。1年ばかり前に秋葉原で展示も開かれたのが記憶に新しい。『太田じろうを探す旅』令和元年改訂版には、本書の第1集しか掲載されておらず、なかなか揃いでは出ない本ではないかと思う*1。
なお、Wikipediaで乾信一郎の項を見ると、『コロの物語』は〈1~4〉とあるが、これは工藤市郎作画の漫画版と混同したものか。
電車を乗り継いで、曙橋へ。降りたことのない駅だ。
閑静な住宅地にポツンとあるギャラリーにて、各種探偵小説ほかの装画で知られるYOUCHANさんの個展が開かれているのである。独特の色使いと雰囲気は、殊モダンな雰囲気の小説によく合っているように思う。眺めていると、題材となる作品を読みたくなるくらいには惹きこまれて見てしまうアート群であった。
③『YOUCHAN個展図録 文学山房5 ゾランさんと探偵小説』(盛林堂ミステリアス文庫)令3年6月9日カバー特装イラスト署名限150部内144番本 1500円
通常版は通販でも購入できるが、特装版は会場限定。しかも150部とあっては急がないと売り切れは必至である。いくら内容が同じといっても、コレクターとしては限定版を入手しなくてはならないのである。
会場ではYOUCHAN装による本がかなり多く販売されていたが、扱いのない本については、本書や展示キャプションのQRコードから探せるようになっている。つくづく便利な時代だ。
特に気に入った「白昼夢」のポストカードも一緒に購入。
外出する機会もそうそうないので、新刊書店へも足を運び、注目の1冊を購入。
④日本近代文学館編『教科書と近代文学 「羅生門」「山月記」「舞姫」「こころ」の世界』(秀明大学出版会)令3年6月10日初版第1刷カバー帯, 真田幸治装 2200円
某版道氏の企画による1冊。「教科書のなかの文学」は近文の展示のシリーズ名で、考えてみるとなんだかんだ1度も見たことはなかったはずだ。
寄稿している研究者の面々は、各作品の著者である文豪の研究者として著名な方ばかりで、読みごたえは確かだろう。図版はフルカラーで、毎度のことながらお手頃価格というのが嬉しい。まずは北村薫のインタビューから読む。
しかし暑い。夏はまだまだこれからだし、気温も実際のところ30度に達するかどうかといったところ。どうにも年々体力が落ちているのは自分としてもいただけない。
*1:検索するとヨミタヤの販売データが出てくる。16500円とあり、書影を見ると今回入手した個体と同じもののようだ。思い切った値下げか、何かの間違いか……。
ネットで坊っちゃんほか
周知のとおり、古書展という古書展が中止の憂き目を見ている――もはやこれが古書日誌における枕となりつつあるのが逆説的に可笑しい――わけだが、言うまでもなく下等遊民たる私は、狂ったように本を買い繋いでいる。経済を回すためとの名目が立つのをよいことに、ネットやなじみの店に入り浸りのかっこう。もはや古本に何を求めているのか、自分でも知れたものではない。
ちょっと間が空きすぎたので、方々での収穫のごく一部を記しておく。
①愛媛新聞メディアセンター編『創刊130周年記念 愛媛新聞年表・『坊っちゃん』とたどる明治の松山』(愛媛新聞社)平18年6月11日2冊共函 2310円
だらけ渋谷店で見つけた。というより、通販の検索で発見し、いちおう現物を見てから買おうと直接赴いて購入した1冊だ。
2冊組でB4版くらいの大きさがあり、年表の方は並製、『坊っちゃん~』の方は上製のクロス装である。〈このような年表の類は、もとより無味なものですから〉と序文にある通り、年表そのものは平凡なもので、よほど肩入れした新聞社であるとかでない限りは面白みをほとんど感じられないであろう。
もちろん、私の注目は『坊っちゃん~』の中身にあるわけだが、これは想像以上に貴重な資料であった。なんと『ホトトギス』掲載時の紙面を、全頁カラーで読めるようにしてあるのだ。
「坊っちゃん」の原稿は、原稿用紙のかたちでの復刻もされているし、集英社新書でも容易にカラー画像にアクセスすることができる。また初刊本『鶉籠』は外装欠なら数千円で元版を買うことも可能だし、近代文学館から出された復刻なら、うまくすればカバー外函付でも100円で買うことが出来る。しかし、初出雑誌『ホトトギス』の復刻というのはこれまで一度も見たことがない*1。個人的には『鶉籠』よりも『ホトトギス』版の紙面の方が好みなので、これはかなり嬉しい収穫であった。
大判で見やすく、やはりカラーというのがよい。これとてもとより非売品で、古書市場で見かけることもそう多くはないのだが、もっと知られるべき資料ではないかと思う。
②夏目漱石『翻刻 坊っちゃん』(愛媛新聞社)平18年10月6日初版第1刷カバー帯 1100円
①を紐解いていて、愛媛新聞の発行による「坊っちゃん」モノがもうひとつあるのを思い出し、取り寄せてみた。タイトルには「翻刻」とあるが、もしかするとこれも『ホトトギス』の写真版ではないかと一縷の望みをかけていたのだが、さすがにそれは高望みが過ぎたようで、全編活字に書き起こされているのだった。
しかし、活字に起こされているとはいっても仮名遣いや漢字表記は『ホトトギス』に完全に準拠しているのはちょっと面白く、1ページ目から〈小使に負ぷさつて〉となっているのは愛らしいではないか。ちょうど祖父江慎氏の手により復刻された『心』のように、あきらかな誤植までそのまま(ママ表記が付されている)というのは「坊っちゃん」において他に例のない試みではないだろうか*2。
なお、少し見たところ欄外の註は①のものと同じらしい。どうせならモノクロでもよいから写真版で出していただきたかった気もするが、『ホトトギス』版の本文を、いちおうでも手に入れられるのは喜ばしいことである。
③小谷剛『確証(確證)』(改造社)昭24年8月25日再版帯, 熊谷九寿装 2110円
ヤフオクでの落札品。芥川賞にすごく興味があるでもないのだが、帯付の値段にしては安価だと札を入れて置いたらそのまま落とせてしまった。元より現代では買う人のいない作家である。
装丁は初版と同様らしいが、再版は帯に「好評!重版」との印刷が追加されると大場啓志編『芥川賞受賞本書誌』にあった。初版でないから数万円なる古書価は付かないだろうが、帯本冊ともに状態は悪くない。先日の『地中海・法廷』に続いて賞モノの入手となり、しかしこの道には進むまいと決めている。
この頃はやたらに「坊っちゃん」関連の本を買っている。これで研究が進んでさえいれば褒められようものだが、これを処理するだけの能力がないことだけが大変に口惜しいのである。
というか、古書展がまったく開催されないことを受けて、私の古書慾みたような興味がどんどん減退しているように感ぜられているのである。
横浜に滑り込む
宣言が出るとかでないとかいった点は、問題の本質ではないと思うのだが、表面的には博物館の休業や古書展の中止というかたちで、我々趣味人が暇を持て余すことになるのだからやりきれない。小市民にとってみれば、どだい詮方のないことである。
そういう状況にあって、いつ行けなくなるか分かったものではない*1ため、いとまが出来たのを好機と神奈川近代文学館へ足を伸ばす。「創刊101年記念展 永遠に『新青年』なるもの」を見ておきたかったのだ。
折よくギャラリートーク(といっても2階のホールで行われた)の時刻に入館し、だいたいの筋を頭に入れてから展示を見ることができたのはよかった。どうも展示パネルだけでは細かい逸話が飛ばされているので、たとえば乱歩デビューの経緯あたりはお話を聞いてからでなければあまりピンとこなかったかもしれない。
雑誌としての『新青年』はせいぜい2冊しか所持していない。基本的に純文学への興味の方が強いから、今回の展示は収集対象ド真ん中ではないとはいえ、『新青年』に掲載された作品だと知らなかったものがずいぶんあった。考えてみれば、このあたりは文学史をやってもあまり触れない部分でもあるわけで、こうやってまとめて勉強できる機会は貴重である。
①『永遠に「新青年」なるもの 図録』(神奈川近代文学館)令3年3月20日 900円
とりあえず買うしかない図録である。カラーは全体の半分くらいだが、原稿もギリギリ読めるサイズで掲載されているのが嬉しい。ここでは書かなかったが、少し前に行ったさいたま文学館の「江戸川乱歩と猟奇耽異」の図録と合わせて、乱歩や探偵小説好きには必携の書となるだろう。
おまけの新青年バッジもいただき、ちょっと内容が気になった館報も購入して帰路に就いた。
* * * *
ついでに吉祥寺でのちょっとした古本買いも記しておく。
②『演芸画報 第31年第9号』(演芸画報社)昭12年9月1日, 小村雪岱表紙絵 110円
ヨミタヤの均一に『演芸画報』がまとまって置いてあった。昭和10年代のものばかりで、時代的には面白そうだと漁っていくと雪岱の表紙絵を見つけた。だから何だということもないのだが、100円ならお買い得だろう。そのほか、「坊っちゃん」掲載号含む数冊を購入。
③『改造 第19巻第1号』(改造社)昭12年1月1日 1200円
こちらは先月末にオープンしたばかりの古本暢気で。中央の棚は大判のディスプレイ用として今後も贅沢に使うつもりなのか、そのあたりはわからないが、わりに近代の本も置いてあるようなので、じっくり見ていくと面白い本も刺さっている。
古い文芸誌も(たまたまかもしれないが)まとまってあり、掲載作の面白いものが数冊あったが、欲張らずにこれ1冊だけ。太宰治の初出誌がこの値段というのはお買い得だろう。「二十世紀旗手」は「生れて、すみません」の文言が使われたというだけで人気作と目しているのだが、いかがであろうか。
ともあれ今後も定点観測が欠かせない店である。オープンが午後からなのが個人的にはネックだが、ヨミタヤから暢気というルートは古本者の定番となるだろう。
*1:いぜん川崎市市民ミュージアムで開催されていた「のらくろ展」で、ズルズルと行かずにおいたら、ミュージアムが冠水して長期休業となってしまったことがある。同ミュージアムは未だに再開していないようだ。
嬉しい注文品、ほか
もう2年くらい前であろうか、目録でフソウさんが「体調のこともあるので、今後は2ヶ月に1回くらいの発行にしようと思います」というような意味のことを書いていらした。が、私の記憶の限りでは、そのあとも毎月の発行は続き、もっというと臨時号もあるものだから月1以上という恐ろしいハイペースを維持している。失礼は重々承知だが、あのお歳でここまでのタフネスはさながらモンスターである。
今月頭にきた目録はある蒐集家の旧蔵書をまとめたものらしく、お買い得な本がたくさん出ていて、とくに乱歩などの大衆系が面白かった印象である。そんな中から、あえてこの1冊を買った。
①富沢有為男『地中海・法廷』(新潮社)昭12年6月1日, 著者自装 8000円
私が密かにコンプリートを目指している、新潮社の新選純文学叢書の1冊である。帯付きなどハナから諦めているが、中でも本作は芥川賞受賞作としてもあつめる人がいるためか、なかなか安くお目にかかれない。ない本ではないとはいえ、安くても2-3万はつけるのが相場か。
意外とネットに情報が転がっていないので、確認できる新選純文学叢書のタイトルを羅列しておく。中黒で示したものが未所持で、丸は所持しているタイトルを、二重丸は帯付きで所持しているタイトルを表す。念のため、変換の及ぶ範囲で旧字体も併記した。
〇富沢有為男 地中海・法廷
〇伊藤整 馬喰の果
・太宰治 虚構の彷徨
・大鹿卓 潜水夫(潛水夫)
・石川達三 日蔭の村
〇中本たか子 南部鉄瓶工(南部鐵瓶工)
・張赫宙 春香伝(春香傳)
〇久保栄(久保榮) 火山灰地
◎鑓田研一 島崎藤村
・湯浅克衛(湯淺克衛) 先駆移民(先驅移民)
〇伊藤永之介 馬
・大江賢次 移民以後
◎久坂栄二郎(久坂榮二郎) 神聖家族(神聖家族)
・丸岡明 悲劇喜劇*1
〇平川虎臣 神々の愛(神々の愛)
・舟橋聖一 木石
数えてみると同叢書は11冊目、10タイトルを所持していることになる。大場啓志『芥川賞受賞本書誌』には〈新潮社のこのシリーズ全十九巻は全て帯付にて完本〉とあり、先が思いやられる感もあるわけだが、まあ蒐集を志すにはちょうどよい高さのハードルであろう。
で、4月も半ばになって、こんどは通常号の目録が届いた。折よく在宅しており、郵便のバイクの音に感じるものがあって郵便受けを覗くと果たしておなじみの茶封筒を見つけたのだった。時刻は昼の12時すぎ。この時間であればまだ品物は残っている可能性が高い、とすばやく目を通すと、ずっと欲しかった品がたいへん安く掲載されているのが目についた。
②程原健『書影 花袋書目』(上毛新聞社)平成12年5月13日函限250部 3500円
これは某版道氏が古通の連載で優れた書誌だと太鼓判を押していた本で、花袋コレクターは必携、近代文学コレクターとしても目は通しておくべき1冊と認識していた。相場はというと、「日本の古本屋」では2万円弱くらいで出されているが、これ以外の出品を知らないのでサンプル数が少なすぎる。どころか、検索して書影すら出てこないのが不可解でもあった。
実際に手に取ってみると、B5判となかなかずっしりとした函入り*2のクロス装で、定価は24990円+税。しからば2万弱という古書価も妥当と言ったところか。
で、肝心の内容だが、これは想像以上だった。前評判にたがわず花袋の本が(おそらく)全て写真入りで掲載され、程原が実見した限りの外装まできちんと記されているのだ。驚いたのは本じたいに記載のない装丁者までかなり追いかけて調査がなされていることで、今までこのブログでも不明としてきた本についても、解答を得ることができたのはよかった。
また、さらに驚いたのは、『花袋集』の重版を全て*3掲載していることで、各版の書誌的項目が詳らかであるのみならず、版ごとの表紙の色の違いを示すために、実見された全部の版の写真が巻頭のカラーページに載せられていたことだった。これはすごい。
古本らしい古本でこそないが、上半期の収穫としてランクインするくらい嬉しい買い物であった。
* * * *
ついでに1冊、新刊を紹介しておきたい。
③『式場隆三郎「脳室反射鏡」展図録』(新潟市美、広島市現代美、練馬区立美)令3年帯, 西岡勉装 2800円
待ちに待った図録がようやく完成した。会期としては、最初の広島で始まったのが2020年5月、最後の練馬で終わったのが同年12月。展覧会が終わって5ヶ月も待たせて日の目を見る図録など、聞いたことがない。いくらこだわったとしても、大人の、もっというとプロのやる仕事としては失格と言わざるを得ない。
それはそれとして、図録の出来は素晴らしい。コデックス装に『脳室反射鏡』の意匠をあしらい、帯は裏まできっちり印刷されていて、本を眺めるだけで楽しめる。
本文レイアウトもよく練られていて、展示してあった資料はだいたい写真が掲載されているようなのだが、惜しむらくは『自分の影』の書影がないのであった。あれは図書館からの借りものだし、ラベルとおそらくバーコード的なものも貼ってあるし、まあ期待はしていなかったがそれでも見る機会の少ない本だけに残念である。
私はファンとしていちおう2冊注文した。買い逃したら後悔は避けられないくらい充実した図録であることは確かである。が、ここまでの遅延が許されるかと言うとそれは全く別の問題である。「待った甲斐があった」とは思うし人に言いもするけれども、それは己に対する慰みにすぎない。
埋め草の古書展
1年前あたりのマドテンがすでに懐かしい。申し訳ないことではあるが、もう長いことこの古書展でハッスルしていないような気がする。
アキツが不在というのがまず大きく、近代文学の量が半減してしまったのは痛恨で、更に蝙蝠の時折見せるフィーバー状態も拝めないとあって、マドテンから足が遠のいてしまいそうな心境である。
今日はそういうわけで休みの申請を出してはいなかったが、偶然仕事がなくなったので参戦することにした。20分前に到着すると、シュミテンと変わらないくらいの圧で人が並んでいる。荷物を預けた後はふだんどおり最下層で待たされたものだから、先輩と「密もいいとこですね」「正に超・三密ですよ*1」と嘆き合った。
①夏目漱石『鶉籠』(春陽堂)明40年2月1日再版, 橋口五葉装 500円
まずはケヤキへ足を速め、これが目に留まっては抜くしかない。状態は並。角のイタミが厳しいが、ヤケは少ない。500円ならとりあえず買える。
『鶉籠』の元版はこれで6冊目となった。うち初版は2冊だが、再版は初だった。最新版の書誌である『定本 夏目漱石全集 別冊下』によると、重版は13版まで確認されている。次の縮刷『鶉籠・虞美人草』の初版までは1年の開きがあるから、もう少し元版の重版があっても驚かない。
②石川達三『蒼氓』(改造社)昭13年11月23日11版 200円
もちろん重版だけれども安いと思う。装丁者はわかりそうでわからない。
『蒼氓』は水島治男宛著者献呈本の重版を持っていたが、読むのには今日買ったくらいのものがちょうどよい。初期の芥川賞受賞作は全集以外だとけっこう読みづらくて困る。とはいえこれは文庫もあるし、だいぶマシな方ではある。
③林房雄『都会双曲線』(先進社)昭5年1月20日, 村山知義装 800円
装丁に惹かれて手に取ったがやや高かったか。
表題作「都会双曲線」をちらっと読むと、モダンな男女の交流が描かれている。村山の装丁の印象にピッタリだと思う。他に収録の「新いそっぷ物語」や「絵のない絵本」(翻訳ではない)といったパロディ的作品集も、星新一のようでこの時代においては非常に面白い試みである。
④『現代猟奇尖端図鑑』内容見本? 150円
会場がそれなりに飽和し、惰性で棚から棚へと渡り歩いていたら目に留まったもの。OPPに突っ込まれたエフェメラ群の中で、女性の顔のドアップと「現代猟奇」の文字が見え、中を見ると果たしてあの『現代猟奇尖端図鑑』の広告なのであった。
どういうところで配られたのかは不明だが、貴重なものであることは確かだろう。聞くところによると『石神井書林日録』に取り上げられているらしい。意外にも架蔵していなかったので、早めに目を通しておきたいところだ。
もうずいぶん前のことだが、函欠本を買っておいてよかった。書き込みがひどいとはいえヤフオクで1000円くらいだったか。こういうのはとりあえず手元にないといけないし、函もまあその気になれば手に入らぬでもなし、優先度は低い。
しかしやっぱり古本を漁るのは面白い。今日など6千円弱で2時間近く楽しめた。
年度も変わり、遠方から戻られた先輩が早くも山と買っているのを目撃し、私もまだまだ修行を積まなくてはなと思ったことであった。
葉桜を横目に
どうもこのごろ腰の調子が良くない。若い身空で何を、と思われる向きもあるだろうが、いわゆる腰痛というより坐骨神経痛を併発していて、そちらの痛みの方がしんどく感じられる。立ちっぱなしの労働にくわえ、趣味の世界では重たい本を抱えているのだからさもありなん、と言ってしまえばそれまでのことである。
気づいたら桜の盛りも過ぎてしまい、ソメイヨシノ並木はすでに青づいている。感染者が一向に減らないことから、フソウ事務所は今年に入って1度も開いていなかった。で、ようよう落ち着いた(実情はそうでもないのだが)頃合いということで、今日は時間予約制でオープンしていた。
①桜井忠温『肉弾』(丁未出版社)大13年9月20日1200版カバー
とんでもない版数を重ねた重版本として有名な本。実物を見たのは初めてであった。
本書の重版については多田蔵人「明治以来の百版本」(『古通』令和2年11月号)に詳しい*1。私のようなペーペーにとってみれば、こんな本もただ版数のデカいことが面白いにとどまり、研究に繋がる何らかのヒントを見出せるわけでもない。ただひとつ附記しておくとすれば、多田氏が前掲論で言及した1200版本*2と、私がこの度入手した同じ1200版本では、発行日に1ヶ月のズレが見られる。
②幸田露伴『潮待ち草』(東亜堂書房)大元年11月15日7版
露伴はあまり買わないし、内容的に興味のある『葉末集』はすでに所持しているから特段気にかけているわけでもないのだが、棚に刺さった本書をめくってみたらカバーの切れ端が挟まっていた。
タイトル部分がきれいに切り抜かれたもので、口絵でもあるまいにどんな意図があったのかは不明なるも、残存した部分はまずまずの状態である。
カバーはあまり見かけないような印象だが、とはいえ露伴。わざわざ探す人もおそらくほとんどいないのだろう。
③青木緑園『恋がたき』奥付欠, 丸尾至陽装
正直知らない作家だったが、本の雰囲気が良くて購入した。装丁は口絵と同じだとすれば丸尾至陽で合っていると思われる。デジコレを参照すると、少なくとも初版は大正6年5月20日中村書店発行とのこと。
内容は、まあタイトルから想像できる通り、男子大学生を主人公とする愛憎劇のようだ。表紙の意匠が「若いツバメ」に見えるのは、流石に考えすぎであろうか*3。読むのに時間はかからなそうなので実際に楽しんでみても良いかもしれない。
今回、珍しくそれぞれに購入金額を記さなかったがこれには理由があって、実は今日事務所で買ったものはすべて3冊100円だったのである。上に挙げたほかにも6冊購ったが、それでも300円。御幣を恐れずに言えば、タダ同然であろう。業界最安値どころの話ではない。
ところで、先週になってようやくスキャナを購入した。安物だがカメラより精細な画像を取り込めるのは確かで、今後、本のデータはより取りやすくなることだろう。