紙の海にぞ溺るる

或は、分け入つても分け入つても本の山

ネットで坊っちゃんほか

 周知のとおり、古書展という古書展が中止の憂き目を見ている――もはやこれが古書日誌における枕となりつつあるのが逆説的に可笑しい――わけだが、言うまでもなく下等遊民たる私は、狂ったように本を買い繋いでいる。経済を回すためとの名目が立つのをよいことに、ネットやなじみの店に入り浸りのかっこう。もはや古本に何を求めているのか、自分でも知れたものではない。

 ちょっと間が空きすぎたので、方々での収穫のごく一部を記しておく。

 

愛媛新聞メディアセンター編『創刊130周年記念 愛媛新聞年表・『坊っちゃん』とたどる明治の松山』愛媛新聞社)平18年6月11日2冊共函 2310円

f:id:chihariro:20210602080505j:plain

f:id:chihariro:20210602080439j:plain

 だらけ渋谷店で見つけた。というより、通販の検索で発見し、いちおう現物を見てから買おうと直接赴いて購入した1冊だ。

 2冊組でB4版くらいの大きさがあり、年表の方は並製、『坊っちゃん~』の方は上製のクロス装である。〈このような年表の類は、もとより無味なものですから〉と序文にある通り、年表そのものは平凡なもので、よほど肩入れした新聞社であるとかでない限りは面白みをほとんど感じられないであろう。

 もちろん、私の注目は『坊っちゃん~』の中身にあるわけだが、これは想像以上に貴重な資料であった。なんと『ホトトギス』掲載時の紙面を、全頁カラーで読めるようにしてあるのだ。

f:id:chihariro:20210602080621j:plain

 「坊っちゃん」の原稿は、原稿用紙のかたちでの復刻もされているし、集英社新書でも容易にカラー画像にアクセスすることができる。また初刊本『鶉籠』は外装欠なら数千円で元版を買うことも可能だし、近代文学館から出された復刻なら、うまくすればカバー外函付でも100円で買うことが出来る。しかし、初出雑誌『ホトトギス』の復刻というのはこれまで一度も見たことがない*1。個人的には『鶉籠』よりも『ホトトギス』版の紙面の方が好みなので、これはかなり嬉しい収穫であった。

 大判で見やすく、やはりカラーというのがよい。これとてもとより非売品で、古書市場で見かけることもそう多くはないのだが、もっと知られるべき資料ではないかと思う。

 

夏目漱石翻刻 坊っちゃん愛媛新聞社)平18年10月6日初版第1刷カバー帯 1100円

f:id:chihariro:20210602080724j:plain

 ①を紐解いていて、愛媛新聞の発行による「坊っちゃん」モノがもうひとつあるのを思い出し、取り寄せてみた。タイトルには「翻刻」とあるが、もしかするとこれも『ホトトギス』の写真版ではないかと一縷の望みをかけていたのだが、さすがにそれは高望みが過ぎたようで、全編活字に書き起こされているのだった。

f:id:chihariro:20210602081324j:plain

 しかし、活字に起こされているとはいっても仮名遣いや漢字表記は『ホトトギス』に完全に準拠しているのはちょっと面白く、1ページ目から〈小使に負さつて〉となっているのは愛らしいではないか。ちょうど祖父江慎氏の手により復刻された『心』のように、あきらかな誤植までそのまま(ママ表記が付されている)というのは「坊っちゃん」において他に例のない試みではないだろうか*2

 なお、少し見たところ欄外の註は①のものと同じらしい。どうせならモノクロでもよいから写真版で出していただきたかった気もするが、『ホトトギス』版の本文を、いちおうでも手に入れられるのは喜ばしいことである。

 

③小谷剛『確証(確證)』改造社)昭24年8月25日再版帯, 熊谷九寿装 2110円

f:id:chihariro:20210602081734j:plain

 ヤフオクでの落札品。芥川賞にすごく興味があるでもないのだが、帯付の値段にしては安価だと札を入れて置いたらそのまま落とせてしまった。元より現代では買う人のいない作家である。

 装丁は初版と同様らしいが、再版は帯に「好評!重版」との印刷が追加されると大場啓志編『芥川賞受賞本書誌』にあった。初版でないから数万円なる古書価は付かないだろうが、帯本冊ともに状態は悪くない。先日の『地中海・法廷』に続いて賞モノの入手となり、しかしこの道には進むまいと決めている。

 

 この頃はやたらに「坊っちゃん」関連の本を買っている。これで研究が進んでさえいれば褒められようものだが、これを処理するだけの能力がないことだけが大変に口惜しいのである。

 というか、古書展がまったく開催されないことを受けて、私の古書慾みたような興味がどんどん減退しているように感ぜられているのである。

*1:どうも復刻されてはいるらしいのだが、セットで購入するのは公共機関くらいなものだろうし、バラすとほぼ無価値となるので出回る数が少ないのかもしれない。

*2:やるとしたらそれこそ祖父江氏くらいなものだろう。

横浜に滑り込む

 宣言が出るとかでないとかいった点は、問題の本質ではないと思うのだが、表面的には博物館の休業や古書展の中止というかたちで、我々趣味人が暇を持て余すことになるのだからやりきれない。小市民にとってみれば、どだい詮方のないことである。

 

 そういう状況にあって、いつ行けなくなるか分かったものではない*1ため、いとまが出来たのを好機と神奈川近代文学館へ足を伸ばす。「創刊101年記念展 永遠に『新青年』なるもの」を見ておきたかったのだ。

f:id:chihariro:20210424151736j:plain

 折よくギャラリートーク(といっても2階のホールで行われた)の時刻に入館し、だいたいの筋を頭に入れてから展示を見ることができたのはよかった。どうも展示パネルだけでは細かい逸話が飛ばされているので、たとえば乱歩デビューの経緯あたりはお話を聞いてからでなければあまりピンとこなかったかもしれない。

 雑誌としての『新青年』はせいぜい2冊しか所持していない。基本的に純文学への興味の方が強いから、今回の展示は収集対象ド真ん中ではないとはいえ、『新青年』に掲載された作品だと知らなかったものがずいぶんあった。考えてみれば、このあたりは文学史をやってもあまり触れない部分でもあるわけで、こうやってまとめて勉強できる機会は貴重である。

 

①『永遠に「新青年」なるもの 図録』神奈川近代文学館)令3年3月20日 900円

f:id:chihariro:20210424152013j:plain

 とりあえず買うしかない図録である。カラーは全体の半分くらいだが、原稿もギリギリ読めるサイズで掲載されているのが嬉しい。ここでは書かなかったが、少し前に行ったさいたま文学館の「江戸川乱歩と猟奇耽異」の図録と合わせて、乱歩や探偵小説好きには必携の書となるだろう。

 おまけの新青年バッジもいただき、ちょっと内容が気になった館報も購入して帰路に就いた。

 

*  *  *  *

 

 ついでに吉祥寺でのちょっとした古本買いも記しておく。

 

②『演芸画報 第31年第9号』演芸画報社)昭12年9月1日, 小村雪岱表紙絵 110円

f:id:chihariro:20210424151611j:plain

 ヨミタヤの均一に『演芸画報』がまとまって置いてあった。昭和10年代のものばかりで、時代的には面白そうだと漁っていくと雪岱の表紙絵を見つけた。だから何だということもないのだが、100円ならお買い得だろう。そのほか、「坊っちゃん」掲載号含む数冊を購入。

 

③『改造 第19巻第1号』改造社)昭12年1月1日 1200円

f:id:chihariro:20210424152554j:plain

f:id:chihariro:20210424152637j:plain

 こちらは先月末にオープンしたばかりの古本暢気で。中央の棚は大判のディスプレイ用として今後も贅沢に使うつもりなのか、そのあたりはわからないが、わりに近代の本も置いてあるようなので、じっくり見ていくと面白い本も刺さっている。

 古い文芸誌も(たまたまかもしれないが)まとまってあり、掲載作の面白いものが数冊あったが、欲張らずにこれ1冊だけ。太宰治の初出誌がこの値段というのはお買い得だろう。「二十世紀旗手」は「生れて、すみません」の文言が使われたというだけで人気作と目しているのだが、いかがであろうか。

 ともあれ今後も定点観測が欠かせない店である。オープンが午後からなのが個人的にはネックだが、ヨミタヤから暢気というルートは古本者の定番となるだろう。

*1:いぜん川崎市市民ミュージアムで開催されていた「のらくろ展」で、ズルズルと行かずにおいたら、ミュージアムが冠水して長期休業となってしまったことがある。同ミュージアムは未だに再開していないようだ。

嬉しい注文品、ほか

 もう2年くらい前であろうか、目録でフソウさんが「体調のこともあるので、今後は2ヶ月に1回くらいの発行にしようと思います」というような意味のことを書いていらした。が、私の記憶の限りでは、そのあとも毎月の発行は続き、もっというと臨時号もあるものだから月1以上という恐ろしいハイペースを維持している。失礼は重々承知だが、あのお歳でここまでのタフネスはさながらモンスターである。

 

 今月頭にきた目録はある蒐集家の旧蔵書をまとめたものらしく、お買い得な本がたくさん出ていて、とくに乱歩などの大衆系が面白かった印象である。そんな中から、あえてこの1冊を買った。

 

①富沢有為男『地中海・法廷』(新潮社)昭12年6月1日, 著者自装 8000円

f:id:chihariro:20210422143344j:plain

 私が密かにコンプリートを目指している、新潮社の新選純文学叢書の1冊である。帯付きなどハナから諦めているが、中でも本作は芥川賞受賞作としてもあつめる人がいるためか、なかなか安くお目にかかれない。ない本ではないとはいえ、安くても2-3万はつけるのが相場か。

 意外とネットに情報が転がっていないので、確認できる新選純文学叢書のタイトルを羅列しておく。中黒で示したものが未所持で、丸は所持しているタイトルを、二重丸は帯付きで所持しているタイトルを表す。念のため、変換の及ぶ範囲で旧字体も併記した。

堀辰雄 風立ちぬ

福田清人 国木田独歩

〇富沢有為男 地中海・法廷

伊藤整 馬喰の果

太宰治 虚構の彷徨

・大鹿卓 潜水夫(潛水夫)

石川達三 日蔭の村

和田伝和田傳) 湿地(濕地)

〇中本たか子 南部鉄瓶工(南部鐵瓶工)

・張赫宙 春香伝(春香傳)

久保栄(久保榮) 火山灰地

◎鑓田研一 島崎藤村

・湯浅克衛(湯淺克衛) 先駆移民(先驅移民)

〇伊藤永之介 馬

・大江賢次 移民以後

◎久坂栄二郎(久坂榮二郎) 神聖家族(神聖家族)

・丸岡明 悲劇喜劇*1

〇平川虎臣 神々の愛(神々の愛)

舟橋聖一 木石

f:id:chihariro:20210422112653j:plain

 数えてみると同叢書は11冊目、10タイトルを所持していることになる。大場啓志『芥川賞受賞本書誌』には〈新潮社のこのシリーズ全十九巻は全て帯付にて完本〉とあり、先が思いやられる感もあるわけだが、まあ蒐集を志すにはちょうどよい高さのハードルであろう。

f:id:chihariro:20210422143434j:plain

 

 

 で、4月も半ばになって、こんどは通常号の目録が届いた。折よく在宅しており、郵便のバイクの音に感じるものがあって郵便受けを覗くと果たしておなじみの茶封筒を見つけたのだった。時刻は昼の12時すぎ。この時間であればまだ品物は残っている可能性が高い、とすばやく目を通すと、ずっと欲しかった品がたいへん安く掲載されているのが目についた。

 

②程原健『書影 花袋書目』上毛新聞社)平成12年5月13日函限250部 3500円

f:id:chihariro:20210422143552j:plain

 これは某版道氏が古通の連載で優れた書誌だと太鼓判を押していた本で、花袋コレクターは必携、近代文学コレクターとしても目は通しておくべき1冊と認識していた。相場はというと、「日本の古本屋」では2万円弱くらいで出されているが、これ以外の出品を知らないのでサンプル数が少なすぎる。どころか、検索して書影すら出てこないのが不可解でもあった。

 実際に手に取ってみると、B5判となかなかずっしりとした函入り*2のクロス装で、定価は24990円+税。しからば2万弱という古書価も妥当と言ったところか。

 で、肝心の内容だが、これは想像以上だった。前評判にたがわず花袋の本が(おそらく)全て写真入りで掲載され、程原が実見した限りの外装まできちんと記されているのだ。驚いたのは本じたいに記載のない装丁者までかなり追いかけて調査がなされていることで、今までこのブログでも不明としてきた本についても、解答を得ることができたのはよかった。

 また、さらに驚いたのは、『花袋集』の重版を全て*3掲載していることで、各版の書誌的項目が詳らかであるのみならず、版ごとの表紙の色の違いを示すために、実見された全部の版の写真が巻頭のカラーページに載せられていたことだった。これはすごい。

 古本らしい古本でこそないが、上半期の収穫としてランクインするくらい嬉しい買い物であった。

 

*  *  *  *

 

 ついでに1冊、新刊を紹介しておきたい。

 

③『式場隆三郎「脳室反射鏡」展図録』新潟市美、広島市現代美、練馬区立美)令3年帯, 西岡勉装 2800円

f:id:chihariro:20210422144219j:plain

 待ちに待った図録がようやく完成した。会期としては、最初の広島で始まったのが2020年5月、最後の練馬で終わったのが同年12月。展覧会が終わって5ヶ月も待たせて日の目を見る図録など、聞いたことがない。いくらこだわったとしても、大人の、もっというとプロのやる仕事としては失格と言わざるを得ない。

 それはそれとして、図録の出来は素晴らしい。コデックス装に『脳室反射鏡』の意匠をあしらい、帯は裏まできっちり印刷されていて、本を眺めるだけで楽しめる。

 本文レイアウトもよく練られていて、展示してあった資料はだいたい写真が掲載されているようなのだが、惜しむらくは『自分の影』の書影がないのであった。あれは図書館からの借りものだし、ラベルとおそらくバーコード的なものも貼ってあるし、まあ期待はしていなかったがそれでも見る機会の少ない本だけに残念である。

 私はファンとしていちおう2冊注文した。買い逃したら後悔は避けられないくらい充実した図録であることは確かである。が、ここまでの遅延が許されるかと言うとそれは全く別の問題である。「待った甲斐があった」とは思うし人に言いもするけれども、それは己に対する慰みにすぎない。

*1:このタイトルだけは書影の画像を見たことがない。

*2:目録には外装は記載されていなかったが、正直資料なので函欠だろうと一向にかまわないと思っていたところ、外装付き完本とあっては僥倖である。

*3:ただし4版のみ欠。

埋め草の古書展

 1年前あたりのマドテンがすでに懐かしい。申し訳ないことではあるが、もう長いことこの古書展でハッスルしていないような気がする。

 アキツが不在というのがまず大きく、近代文学の量が半減してしまったのは痛恨で、更に蝙蝠の時折見せるフィーバー状態も拝めないとあって、マドテンから足が遠のいてしまいそうな心境である。

 今日はそういうわけで休みの申請を出してはいなかったが、偶然仕事がなくなったので参戦することにした。20分前に到着すると、シュミテンと変わらないくらいの圧で人が並んでいる。荷物を預けた後はふだんどおり最下層で待たされたものだから、先輩と「密もいいとこですね」「正に超・三密ですよ*1」と嘆き合った。

 

夏目漱石『鶉籠』春陽堂)明40年2月1日再版, 橋口五葉装 500円

f:id:chihariro:20210410102305j:plain

 まずはケヤキへ足を速め、これが目に留まっては抜くしかない。状態は並。角のイタミが厳しいが、ヤケは少ない。500円ならとりあえず買える。

 『鶉籠』の元版はこれで6冊目となった。うち初版は2冊だが、再版は初だった。最新版の書誌である『定本 夏目漱石全集 別冊下』によると、重版は13版まで確認されている。次の縮刷『鶉籠・虞美人草』の初版までは1年の開きがあるから、もう少し元版の重版があっても驚かない。

 

石川達三『蒼氓』改造社)昭13年11月23日11版 200円

f:id:chihariro:20210410102119j:plain

 もちろん重版だけれども安いと思う。装丁者はわかりそうでわからない。

 『蒼氓』は水島治男宛著者献呈本の重版を持っていたが、読むのには今日買ったくらいのものがちょうどよい。初期の芥川賞受賞作は全集以外だとけっこう読みづらくて困る。とはいえこれは文庫もあるし、だいぶマシな方ではある。

 

林房雄『都会双曲線』(先進社)昭5年1月20日, 村山知義装 800円

f:id:chihariro:20210410101808j:plain

 装丁に惹かれて手に取ったがやや高かったか。

 表題作「都会双曲線」をちらっと読むと、モダンな男女の交流が描かれている。村山の装丁の印象にピッタリだと思う。他に収録の「新いそっぷ物語」や「絵のない絵本」(翻訳ではない)といったパロディ的作品集も、星新一のようでこの時代においては非常に面白い試みである。

 

④『現代猟奇尖端図鑑』内容見本? 150円

f:id:chihariro:20210410102553j:plain

 会場がそれなりに飽和し、惰性で棚から棚へと渡り歩いていたら目に留まったもの。OPPに突っ込まれたエフェメラ群の中で、女性の顔のドアップと「現代猟奇」の文字が見え、中を見ると果たしてあの『現代猟奇尖端図鑑』の広告なのであった。

 どういうところで配られたのかは不明だが、貴重なものであることは確かだろう。聞くところによると『石神井書林日録』に取り上げられているらしい。意外にも架蔵していなかったので、早めに目を通しておきたいところだ。

f:id:chihariro:20210410102630j:plain

 もうずいぶん前のことだが、函欠本を買っておいてよかった。書き込みがひどいとはいえヤフオクで1000円くらいだったか。こういうのはとりあえず手元にないといけないし、函もまあその気になれば手に入らぬでもなし、優先度は低い。

 

 しかしやっぱり古本を漁るのは面白い。今日など6千円弱で2時間近く楽しめた。

 年度も変わり、遠方から戻られた先輩が早くも山と買っているのを目撃し、私もまだまだ修行を積まなくてはなと思ったことであった。

*1:大声でこそないが、あの場にいる人は多くが知り合い同士だったりするので、会話も生まれる。当局にあの場の写真を見せたらお咎めナシでは済まされないのではないかと思わぬでもない。

葉桜を横目に

 どうもこのごろ腰の調子が良くない。若い身空で何を、と思われる向きもあるだろうが、いわゆる腰痛というより坐骨神経痛を併発していて、そちらの痛みの方がしんどく感じられる。立ちっぱなしの労働にくわえ、趣味の世界では重たい本を抱えているのだからさもありなん、と言ってしまえばそれまでのことである。

 

 気づいたら桜の盛りも過ぎてしまい、ソメイヨシノ並木はすでに青づいている。感染者が一向に減らないことから、フソウ事務所は今年に入って1度も開いていなかった。で、ようよう落ち着いた(実情はそうでもないのだが)頃合いということで、今日は時間予約制でオープンしていた。

 

①桜井忠温『肉弾』(丁未出版社)大13年9月20日1200版カバー

f:id:chihariro:20210404051222j:plain

 とんでもない版数を重ねた重版本として有名な本。実物を見たのは初めてであった。

 本書の重版については多田蔵人「明治以来の百版本」(『古通』令和2年11月号)に詳しい*1。私のようなペーペーにとってみれば、こんな本もただ版数のデカいことが面白いにとどまり、研究に繋がる何らかのヒントを見出せるわけでもない。ただひとつ附記しておくとすれば、多田氏が前掲論で言及した1200版本*2と、私がこの度入手した同じ1200版本では、発行日に1ヶ月のズレが見られる。

f:id:chihariro:20210404051300j:plain

 

幸田露伴『潮待ち草』(東亜堂書房)大元年11月15日7版

f:id:chihariro:20210404051337j:plain

 露伴はあまり買わないし、内容的に興味のある『葉末集』はすでに所持しているから特段気にかけているわけでもないのだが、棚に刺さった本書をめくってみたらカバーの切れ端が挟まっていた。

f:id:chihariro:20210404051534j:plain

タイトル部分がきれいに切り抜かれたもので、口絵でもあるまいにどんな意図があったのかは不明なるも、残存した部分はまずまずの状態である。

 カバーはあまり見かけないような印象だが、とはいえ露伴。わざわざ探す人もおそらくほとんどいないのだろう。

 

③青木緑園『恋がたき』奥付欠, 丸尾至陽装

f:id:chihariro:20210404051622j:plain

 正直知らない作家だったが、本の雰囲気が良くて購入した。装丁は口絵と同じだとすれば丸尾至陽で合っていると思われる。デジコレを参照すると、少なくとも初版は大正6年5月20日中村書店発行とのこと。

 内容は、まあタイトルから想像できる通り、男子大学生を主人公とする愛憎劇のようだ。表紙の意匠が「若いツバメ」に見えるのは、流石に考えすぎであろうか*3。読むのに時間はかからなそうなので実際に楽しんでみても良いかもしれない。

 

 今回、珍しくそれぞれに購入金額を記さなかったがこれには理由があって、実は今日事務所で買ったものはすべて3冊100円だったのである。上に挙げたほかにも6冊購ったが、それでも300円。御幣を恐れずに言えば、タダ同然であろう。業界最安値どころの話ではない。

 

 ところで、先週になってようやくスキャナを購入した。安物だがカメラより精細な画像を取り込めるのは確かで、今後、本のデータはより取りやすくなることだろう。

*1:というか重版本を重版本として言及する研究じたい少ないのではないか。

*2:氏のツイッターに画像あり。

*3:時代的にはギリギリ矛盾しないと思う

宣言下の大収穫

 ナントカ宣言はまもなく解除と相成るらしいが、これが奏功するかと言うとあまり効果は期待できないし、そも宣言じたい、慣れきってしまった日本人にとってみればちょっとしたお小言に過ぎないのではないかという気もする。

 そんな中にあって久々のシュミテンである。8時45分くらいに赴くと7番目。9時半くらいに整理券が配布され、9時50分くらいに会場になだれ込んでいくという流れであった。最下層での待ち時間がない分、ジリジリとした緊張感に炙られることもなく、番号の前後がモロに表れる方策ではあるが、早めに来た者にとってはありがたいものだった。

 

 今日は全体に、いわゆる名著が多かった。漱石や芥川のイタミ本がお手頃価格で何冊も見受けられ、『百艸』が状態違いで3冊とか、佐藤春夫『殉情詩集』カバ欠が3-4冊まとまって並んでいたりした。いつになく非常に面白い回となったので、ふだんなら絶対に手放さないクラスの本でも、「今日はやめとくか」と、後々の悔恨が目に見えつつも棚に戻していくのであった。

 

①里見弴『多情仏心 前編』(新潮社)大13年4月5日函, 小村雪岱

 ―――『多情仏心 後編』(新潮社)大13年8月10日函, 小村雪岱装 2冊揃2000円

f:id:chihariro:20210320123802j:plain

 ちょうど雪岱展を見て日が経っていない折だったので、開始直後にこれを発見できたのは嬉しかった。揃いでしかも函が付いてこの値段。それも褪色しやすい函背がかなりはっきり残っているのだ。

 小村雪岱専門の先輩に見せると、函背に限って言えば先輩所持のものよりきれいとのことであった。私にとっても欲しい本であったので申し訳なくもお譲りは出来なかったが、いきなり善本を得られたのは幸運である。

 

岡本綺堂『半七捕物帳 上巻』春陽堂)昭4年2月5日4版函

 ――――『半七捕物帳 下巻』春陽堂)昭4年2月5日4版函 上下揃1200円

f:id:chihariro:20210322103053j:plain

 真っ先に引っ掴んだもののひとつ。裸本で下巻は持っていた*1が、これも函付き揃いでこの値段は稀有であろう。探偵小説としても好きな作品なので完本は嬉しい。函はイタミが散見され補修もあるが、全体に印象は悪くない(本冊はあまり良くない)。先の先輩に曰く「『多情仏心』を戻すよりこっちを戻す方が罪深い」と。

 状態を考慮すると、この版で読んでみるというのにちょうどよいレベルかもしれないと思っている。

 関連して他に、『綺堂脚本集』と『半七聞書帳』も購入した。

 

③渡辺霞亭『勝鬨 前編』(隆文館)大3年12月10日函, 杉浦非水装

 ――――『勝鬨 中編』(隆文館)大4年2月25日函, 非水装

 ――――『勝鬨 下編』(隆文館)大4年6月20日函, 非水装 3冊揃2000円

f:id:chihariro:20210322125142j:plain

f:id:chihariro:20210322125238j:plain

f:id:chihariro:20210322125258j:plain

 渡辺霞亭の本に詳しいわけではないが、これは初めてみた。一見して明らかな非水装で、雰囲気はよいものの、口絵欠でしかも函本冊ともにコーティングがされてしまっている。その分見た目には美本っぽいのだが、それでもやりきれない感はある。『増補改訂 木版口絵総覧』によれば、本来は清方の口絵が付くらしい。

f:id:chihariro:20210322125343j:plain

 下編の巻末には「勝鬨同情録」なるものがあって、読者から寄せられた感想の数々が」収録されている。『渦巻』にも似たようなのがあったが、あれは新聞などの評判だったか。需要を知る上では貴重な資料である。

 

夏目漱石『鶉籠 虞美人草春陽堂)大2年2月10日, 津田青楓装 1000円

f:id:chihariro:20210322113939j:plain

 タスキがけの本を見ていくと、縮刷の『三四郎』函付き初版2500円というのがあった。全体に状態はよくないものの縮刷初版は貴重なわけで、欲しくもあったが他との兼ね合いで手は伸ばさず。しかし、ということは、と棚に刺さっている縮刷『鶉籠 虞美人草』を見たら果たして初版であったというわけである。

 背は歪み切っていて無惨、重版なれば100円でも買う人がいるかどうかというコンディションである。本質的に言えば初版だから何があるわけでもないし、そもそも私は「奥付に初版とあるだけ」の初版本にはあまり興味がない。しかし、まあいちおう「坊っちゃん」に関わるところでもあるし、『鶉籠』にだけは少しくこだわりを見せていきたいところだ。

 

徳富蘆花原著/中沢弘光編画『不如帰画譜』(左久良書房)明44年1月15日 3000円

f:id:chihariro:20210322103241j:plain

 知らない本だが、しばらく棚に残っていたので手に取ってみると、内容がなかなか良い。

 見開きの右頁に『不如帰』の一場面の本文を再構成したもの*2があり、対向の左頁に中沢弘光によるその挿絵が配置されている。圧巻なのはその量で、全300頁にわたってその構成だから、軽く150の挿絵が収録されていることになる。それもところどころ多色刷りなのだから非常に豪華な仕様である。本来は函付きで、どんなものかはネット上に画像が転がっていないので不明なるも、まあ別になくていい。

 

 他にも太宰を3冊(『右大臣実朝』カバー付、『東京百景』、『女性』)など、あんまり面白いのでとかく買い過ぎた。揃いで買ったものが多いため総計39冊。カゴを2つも使ったのは初めてのことで、流石に送りにすべきか悩んだが、どうにか手持ちで帰った。毎度毎度、お会計では迷惑をかけ通しで申し訳ない。

 

*  *  *  *

 

 帰りしな、日本古書通信社の事務所に訪い、予約していた本を受け取る。

 

川島幸希『初版本解読』日本古書通信社)令3年3年15日カバー元パラ150部 5500円

f:id:chihariro:20210320123717j:plain

 待望の川島幸希氏の新刊である。内容としては主に近々の古通で書かれたもので、そのほかにも「署名本の世界」のような連載でなく、単発で書かれた論考が収録されている。巻頭のカラー口絵には、氏が近年蒐集された超極美本や超一級の署名本の画像が掲げられており眼福である。

 このあたりの年代になると、蒐集歴の浅い私も一通り読んでいるわけだが、それでも1冊にまとまっていると参照するのに楽で助かる。加筆もあるようなので、もう一度ゆっくり楽しませていただこうと思う。

*1:改めて開いてみたら初版であった。

*2:おそらく近藤浩一路『漫画坊っちゃん』のように、本文の切り抜きかとは思うのだが、残念なことに『不如帰』を所持していないので比較ができない。今日の開場には『不如帰』初版改装400円というのもあったが、さすがに買えなかった。

池袋で雪岱を買う

 久々の古書展という心持である。西部や南部ではちょこちょこ開催されているらしいのだが、わざわざ足を運ぶ暇もモチベーションもなく、シュミテンとマドテンが中止となったために、今年に入ってから古書展の朝に並んだのはこの日が初であった。

 

 しかし10時開場で8時に現地入りしたのだが、すでに3-4人並んでいるのには恐れ入った。暖かくなってきたとはいえ日陰で寒い中、2時間も待つのは億劫である。1時間ほど目の前のコメダで休憩のち、9時くらいに列に加わる。だいたい20番目くらいか。

 昨今の事情を鑑みてか、本来の開場時間より5分ばかり早く入場が許された(ただしレジは10時から)。さらに弱ったのは、いつもなら整列時に配布される棚の配置図が今回はなかったことで、入り口でカゴを掴みとってから、素早く目当ての店の棚を見つけ出さなくてはいけなかった。

 真っ先にめざすのは、やはりニワトリである。

 

長田幹彦『尼僧』(籾山書店)大元年12月10日, 橋口五葉装 2200円

f:id:chihariro:20210308101121j:plain

 全員がうまく散らばったのと、幸いにして私はすぐに棚を見つけられたのとで、ほとんど一番乗りの趣であった。真っ先に目についた胡蝶本は2冊あり、いま1冊は『我一幕物』だったがこれは確か持っているはず、と『尼僧』だけを抜き取る。

 最近幹彦の本をよく買えていて嬉しいが、無知を明かすと、抜き取った段階ではこれが幹彦本とは認識していなかった。あとから検めていて「あ、幹彦だったっけ」と思ったかっこうで、勉強不足は深刻である。

 

菊池寛『忠直郷行状記』春陽堂)大10年8月24日 1100円

f:id:chihariro:20210308101145j:plain

 春陽堂のヴェストポケット傑作叢書である。読んだ形跡がないカッチリした本で、初版ならばよいかと買ってみた。重版なら1000円は出さなかった。

 同装丁の漱石は数冊持っているが、叢書としてナンバリングされているのは初めてだと思う。天のみ裁断されていて、前小口と地は不揃い。先行する漱石の本は天金だが、叢書にはないとのこと。

 なお本書の表紙と背、肉筆の目次には「忠直行状記」とあるが、活字の目次、扉、奥付には「忠直行状記」とある。こういうのは検索において大きな障害たりうるので注意しなくてはいけない。

 

田山花袋『一兵卒の銃殺』春陽堂)大6年2月8日再版函, 在田稠装 1100円

f:id:chihariro:20210308103058j:plain

 ニワトリの棚に群がる人は、多くが探偵小説を始めとする大衆モノ目当てといった印象である。その中で私は純文系を素早く抜いていくわけだが、実は足元にも棚が配されており、こちらも捨て置けないのだ。この本も序盤に足元に刺さっているのを見つけた。裸ならともかく、重版でも函付きでこれはお買い得だろう。

 装丁者は明記されていなかったが、次のリンクにある大木志門「初版本『あらくれ』の装丁家――企画展の余白に」によれば、在田稠なる人物の手によるらしい。

https://www.kanazawa-museum.jp/shusei/mukouyama/pdf/kanpo_01.pdf

この論は、程原健『書影花袋書目』高島真『追跡『東京パック』 下田憲一郎と風刺漫画の時代を参照しているようだが、どうも在田はこの時期の田山花袋を含む自然主義文学書の多くの装丁を担当しているらしい。

 と、なったときにひとつ思い浮かぶのがずいぶん前に買った花袋『残雪』の装丁で、美術は門外漢なので微妙だが、なんとなくタッチとか色合いは似ている気がする。これも在田の装丁ではないか*1

 

④『長谷川伸戯曲集1 沓掛時次郎』(新小説社)昭10年4月25日, 小村雪岱装 1650円

 高山樗牛『瀧口入道』春陽堂)昭3年9月15日245版, 小村雪岱装 550円

f:id:chihariro:20210308103025j:plain

 古書展での楽しみのひとつに、面白い本・探求書との出会いが挙げられることは疑いの余地がないが、知り合いの古本者といろいろ話しながら漁るのもよいものである。

 この日も先輩とお会いし、本を数冊お分けいただいた。そのうちの1冊が『沓掛時次郎』で、一見して雪岱装。表紙の意匠はススキ越しに見える富士であろうか、おとなしくも魅力的である。

 で、いま1冊の『瀧口入道』は、終盤クヨウの棚を眺めていたら目に留まったもので、本じたいはよく知っていたが手に取ってみるのは初めてであった。

 『瀧口入道』の縮刷本については真田幸治「小村雪岱装幀本雑記①-高山樗牛の縮刷『瀧口入道』」(『日本古書通信』令和元年10月号)に詳しい。これによれば、今回手に入れた245版は、2種ある雪岱装版のうち最初の方であるようだ。次いで多田蔵人「高山樗牛『瀧口入道』――原点*2をめざす文学」(『日本古書通信』令和2年7月号)にも改めて目を通すと、重版探求の面白さを再認し、本書についてももっと複数集めたいという気持ちが湧き上がってくる。

 しかし、これでようやく1冊目なのである。経験を積むことと知識を蓄えることとの重要性は分かっているつもりだったが、いかんせん結果が伴っていない。古書展に赴く機会が減るにしたがって、学びの機会まで減っていくのは実に悲しむべきことである。

*1:そもそも徳田秋声『あらくれ』の装丁が在田稠のものであるというのも、大木のpdfを見るまで知らなかった。

*2:ママ